第33話 呼び出し
二週間後、レオンは王城謁見の間に招かれていた。
壮麗な大理石の階段を静かに昇りつめ、重厚な扉の前で深く息を吸う。
(……面倒だな。さっさと終わらせたいが、そうもいかない、か)
そこには、王国の象徴である聖樹を、金糸で織り込んだ紋章が威厳を放っていた。
扉が開くと、王アルヴァン四世が厳かな姿勢で座していた。
「レオンよ、よく来た」
レオンは深く一礼をする。腐っても男爵家出身、最低限のマナーや儀礼はわきまえている。使者が来た際に失敗したので、気を付けているつもりなのだろう。
「陛下、お招きいただき光栄に存じます」
王は柔らかな眼差しを向けるが、その視線には鋭さも潜む。
すぐそばにいる王族、周囲の高位貴族たちからの刺すような視線がレオンに集中する。興味、侮蔑、無関心、警戒、そして敵意。およそレオンに好意的なものはほぼない。
「──ほう、あれが噂の“スキルなし”か」
「ふん、成り上がりめ。身の程をわきまえぬ小僧だ」
「所詮は追放された男爵家の落ちこぼれ……どれほど殊勝な顔をしてみせても、泥は泥よ」
「英雄気取りも大概にしてもらいたいものだな」
ひそひそとした声が、あちこちから聞こえる。
だが、レオンはそんな視線も声も、ものともしない。どこ吹く風で動じる様子など微塵も見せなかった。
王は威厳をもって語りかける。
「レオンよ、遺跡の探索における貴殿の功績は、国の未来に光をもたらした。余としても誇りに思う」
レオンは深く頭を下げた。
「故に、相応の褒美を与えたい。爵位でも、領地でも、あるいは他の何かでも構わぬ。望むものがあれば申せ」
その言葉を聞いた瞬間、レオンの内心には、冷ややかな予感が確信へと変わっていた。
(……やはり、そう来るか。地位に物、名誉──すべては囲い込みの道具に過ぎない)
王の申し出の裏にある意図など、最初から想定済みだった。功績を称え、甘言を重ねておきながら、実のところは自分を縛るための鎖を差し出しているにすぎない。その手口は、あまりにも見え透いていて──予想通り過ぎて、むしろ虚しさすら覚える。
レオンは静かに顔を上げた。目に宿るのは、迷いのない光だった。
「……恐れながら、陛下。私は、物や地位の類は一切望みません。その代わりに、“ある情報”を望むことをお許しいただければ」
その瞬間、場に軽いざわめきが走る。周囲の視線が一斉に鋭さを増す。
「……情報、だと?」
「ふざけているのか? 陛下のご好意を何だと思っている」
「小僧が……身の程知らずも甚だしい」
ひそひそと、しかし刺すような声が交錯する中、王は目を細め、静かに問うた。
「……情報、か。ここでは明かせぬということか?」
「はい。今はただ“情報を求める”という希望のみ、お伝えさせていただきます」
宰相が静かに頷いた。
「なるほど……察するに、軽々しく扱えぬもののようだな」
「はい。ですが、その前に、なぜ私が褒美を辞退するのか、その理由だけはご説明させていただきたく」
王の眉がわずかに動き、「申してみよ」と促す。
レオンは静かにその思うところを述べる。レオンの内心には、冷ややかな計算が光っていた。
「私は冒険者です。今回の遺跡探索は、もとを正せば、辺境伯爵家からの正式な依頼──つまり私にとって“仕事”です。そして既にギルドを通して、辺境伯爵家より正当な報酬は受け取っております」
場の空気が凍り付いたように静まり返る。貴族たちの間から、再び囁き声が漏れた。
「……まさか、辺境伯爵の依頼で動いていたと?」
「ハハハ、つまりはゴロツキか。報酬を受け取っているから何だと言うのだ」」
「礼も知らぬ下賤の者よ……陛下の褒美を断るなど」
だが、レオンはその全てを意に介さず、淡々と続ける。
「私がここで褒美を頂戴すれば、それは報酬の二重取りとなります。いくら陛下のご恩とはいえ、不義を働くわけには参りません」
(……こうなることは読めていた。だからこそ、あらかじめ“断る理由”は用意しておいた。依頼として受けた仕事ならば、報酬の二重取りを避けると言えばいい。建前としては、これ以上ないほど筋の通った言い訳だ。さあ、どうする?)
静かでありながら、毅然とした声。その言葉に、堂内の空気はさらに張り詰める。
そして、レオンはわずかに周囲へ視線を流しながら、ゆっくりと言葉を重ねた。
「──それに、先に申し上げましたように、物も地位も名誉も、私は必要としておりません。そういったものを欲しがる方々は、他に──この場にいくらでもいらっしゃるでしょう」
レオンが煽る。
一瞬、貴族たちの顔色が変わった。
「……っ」
「貴様……今、何を言った……?」
「なんという無礼……!」
低く押し殺した声が次々と漏れ、あからさまに顔をしかめる者もいる。
だが、レオンは気にも留めない。澄んだ眼差しで王だけを見つめる。
「私が欲するものは、ただ一つの情報のみ。これだけは、どうかご容赦いただきたく」
宰相がふっと目を細め、僅かに頷いた。
王は暫しレオンを見つめ──やがて、感心したように深く頷く。
「……正直者よな、貴殿は。筋を通し、欲に溺れぬ心。まことに見上げたものだ」
「過分なお言葉、痛み入ります」
「だが、それでも何か、国として報いる道はないものか……」
(これでも諦めないか……まだ“何かを与えよう”と考えているあたり、結局この国の在り方は何も変わらないのだろうな)
王は腕を組み、思案するように呟いた。
「まあ、よかろう。ならば後日、密かに時を設けるとしよう。余と宰相だけで構わぬな?」
「……はい。それで十分です」
「よし。では、今日のところはこれまでとしよう。貴公の望みに応じられるかどうかは、その場で見極めさせてもらう」
レオンは深く一礼した。
話が一段落したところに、待っていたかのように、騎士団長を務める壮年の男──セルヴィウスが声をあげ、冷ややかな目でレオンを睨みつける。
「陛下、そしてレオン殿。騎士団一同よりお願いがございます。模擬戦の場を設け、貴殿の実力を皆に示していただきたい」
「……模擬戦、だと?」
場内がざわめく。だが、騎士団長セルヴィウスは嘲るように口元を歪め、あからさまな敵意を隠そうともしない。
「当然でしょう。遺跡の探索で手柄を立てたとはいえ、所詮は辺境の放蕩息子──どれほどの腕か、皆も確かめたがっております」
その言葉に、すぐさま貴族たちが乗った。
「ふん、確かに成り上がりの戯言ばかりでは、信用に値せぬ」
「小細工だけでのし上がったのなら、今ここで化けの皮を剥いでやればよい」
「……どうせ口だけだ。剣の実力など、たかが知れている」
ひそひそとした声ではなく、もはや半ば聞こえるように、貴族たちはレオンを貶める言葉を口々に放つ。露骨な侮蔑、歯を剥くような敵意。
セルヴィウスはさらに言葉を重ねようとした──だが、その瞬間、宰相が厳然とした声を放つ。
「騎士団長、言葉を慎め。陛下の御前での無礼、看過はできぬぞ」
その叱責に、騎士団長はわずかにたじろぎ、渋々頭を下げた。
だが、レオンは冷ややかにそのやり取りを眺めたあと、静かに口を開く。淡々とした口調の裏には、鋭く冷たい皮肉がしっかりと込められている。このくらいはいいだろう。
「宰相閣下、私ならば気にしておりません。私は“持たざる者”です。このように侮られ、蔑まれ、敵意を向けられるのは、この国においては、今に始まったことではありませんので」
そこまで言って、レオンはちらりと周囲を見渡し、さらに毒を込めて続けた。
「……それに、どうやら、ここには他人を貶めることでしか自尊心を保てぬ方々が、多くお集まりのようですから。少しばかりの皮肉にも、慣れておかねばなりません」
堂内に、冷たい沈黙が落ちる。
「貴様……!」
「言わせておけば……!」
貴族たちの怒りと狼狽が露わになる中、レオンはあくまで冷静なままだった。
王はそんな空気を静かに制し、騎士団長に向き直る。声は厳しく、しかし毅然と響く。
「騎士団長。貴様の振る舞いについては、後ほど厳しく対処する。……だが、これだけの騒ぎだ。騎士として模擬戦を望むというのならば──その職位をかけて、言葉よりも実力をもって示せ。よいな?」
堂内に緊張が走る。まるで氷の刃のような宣告だった。
「すぐに準備を整えよ」
騎士団長は青ざめた顔で、しかし引くに引けず、気迫を込めて応じた。
「……かしこまりました、陛下」
王はレオンに向き直り、今度は柔らかくも力強い声で告げた。
「思う存分に力を見せよ、レオンよ。お前の強さが国の未来を照らす光となることを、余は心から期待している」
その王の言葉が、謁見の間に静かに、しかし重く響き渡った。




