第32話 裁定
王都よりもたらされた正式な通達──
その裁定の文面を前に、アルテイル男爵エドワードは蒼白な顔をしていた。
「……っ、馬鹿な……これは……これは一時の処分などではない……!」
震える手で書状を握り潰すようにしながら、彼は呻いた。
その場には、使者として派遣された男が静かに佇んでいた。王都の文官、ルシアン・マクスウェル。厳格で知られる冷徹な官吏であり、王命を淡々と伝えることで有名な男だ。その目には、一切の情けも私情も浮かんでいない。
「これにて通達は完了しました。……御身、ご自愛くださいますよう」
礼儀正しく頭を下げる一方、声には氷のような冷たさがあった。それは“情けをかけられる立場ではない”と告げるに等しい態度だった。
「ま、待て……! ルシアン殿、何かの間違いでは……! 我が家は、王家に忠義を尽くしてきた……! 息子も〈聖騎士〉の誉れを得ておりますぞ……!」
エドワードは縋るように叫ぶ。だが、ルシアンは一瞥すらくれず、淡々と告げた。
「裁定は既に決しました。今さら覆ることはありません」
「ふ、ふざけるな……! あのガキの讒言か……それとも……あの、辺境伯爵か……!」
憎々しげに吐き捨てたその声に、ルシアンはようやく目を細めた。
「──他者のせいにしている間は、何も変わらぬでしょうな。では、失礼」
それだけを告げて、ルシアンは静かに執務室を去った。
(愚かな。己の罪を自覚できぬとはな。あれではさらに失態を重ねることになろうな)
ルシアンだけではなく、皆がそう考えるであろう。
王の名のもとに下された裁定は、まさしく“釘を打つ”ものであった。
・領内における政治活動および軍務での権限の一時的な制限
・王都での公式行事や軍務への参加に制限
・貴族としての地位は維持する
──つまり、「罰は与えるが、家そのものは残す」
それは恩赦のようにも見えるが、実質的には、アルテイル家の影響力を抜き取る“冷却処分”に他ならなかった。実際には王都中央での影響力など、アルテイル男爵家には端からないに等しいのだが、エドワードはそうは思っていなかった。
「……我が家が……王都での発言権を失う……?」
元々そんなものはない。だが、喉から漏れたのは、獣のような呻きだった。
「すべて……あの小僧のせいだ……レオンめ……!」
エドワードはその場に崩れ落ちるように椅子へ沈み込み、虚ろな目で天井を見つめた。
「なぜだ……なぜ我らが……我が息子が……あの、出来損ないのせいで……!」
自分たち親子がレオンにしてきたこと、エリオットの日頃からの職務怠慢など、数え上げればきりがないのだが、この期に及んでもまだそれを認めない、いや、どうしても認めたくないのだろう。
「辺境伯爵ギルベルト……あの老獪な狐め……王と結託して、我らを陥れたか……!」
唇を噛みしめ、ついに咳き込み始める。年齢以上に疲弊した身体が悲鳴を上げていた。
侍医が呼ばれ、慌ただしく診察が行われる。エドワードはそのまま高熱に倒れ、床に伏すこととなった──。
執務室に一人残されたエリオットは、何も言わず、ただじっと父が握り潰した裁定書を見つめていた。
──全身を焼き尽くすような、怒りと屈辱。
王都での活動停止。軍務の剥奪。行事の参加制限。
それは即ち、“王国の表舞台からの退場”を意味する。
「……辺境伯爵……そしてレオン……」
低く、呟いた。
「すべて、奴らの策略だ。王も、老いで判断を誤ったか、あの狐に唆されたか……」
父とは違う意味で、エリオットもまた、自己の非を認めなかった。
「……なぜだ。俺が……この俺が、罰せられるなど……あいつが……レオンが、王に迎えられ、俺は処分される? ……ありえない」
拳が震える。血が滲むほどに握りしめた。
「俺は、〈聖騎士〉だぞ……あいつより優れている……俺が、正統な後継者だったのに……!」
闇の中、狂気じみた笑いが漏れる。
嫉妬と憎悪──それらが再び、エリオットを飲み込もうとしていた。
「……いいだろう。ならば俺は、王都で正すまでだ。俺こそが“英雄”にふさわしいと、証明してみせる」
冷たい決意が、吐き捨てられた。
机の奥に隠していた文書を取り出す。記されたのは、有力貴族の名と、かつての縁──“利益の繋がり”。
「力を持つ者は、常に“旗”を求める。……その旗に、俺がなればいい」
エリオット・アルテイルは、再び王都への道を進む決意を固めた。
名誉を、復讐を、そのすべてを取り戻すために。




