表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

313/340

第313話 折れた刃、残された絶望

「レンリ、しっかりして!」


 レティシアは崩れ落ちたレンリの身体を抱き起こし、その名を何度も呼んだ。細い肩がぐったりと力を失い、頭が彼女の腕の中で不自然に揺れる。

 顔を覗き込んだ瞬間、レティシアの表情が強張った。血の気が引いたように蒼白で、唇の色も悪い。額には冷たい汗が浮かび、呼吸は浅く、不規則だった。


(これは……)


 脳裏に、先ほどの戦闘の光景がよぎる。ゾンビの腕が振り抜かれ、レンリが咄嗟にかわしきれずに受けた、あの一撃。


(傷だけじゃない。毒……おそらく、あの時に)


 アンデッド特有の腐毒。恐怖や痛みも彼女を蝕んでいるだろうが、今もっとも優先すべきはそれではない。


「まずは解毒……」


 レティシアは即座に判断し、腰のポーチを探った。指先が迷うことなく小瓶を掴み出す。透明な液体が揺れるそれは、常に携行している解毒薬だった。

 レンリの顎をそっと支え、口元に瓶を当てる。


「大丈夫、飲めるわね……」


 慎重に、しかし躊躇なく薬を含ませる。喉がかすかに動き、液体が飲み下されたのを確認してから、レティシアは小さく息を吐いた。


「イル、もう少し耐えて!」


 背後で魔物を食い止めているイルに、振り返らず声を投げる。戦況を気に掛けながらも、手元の作業に集中するその声は、揺るぎなかった。

 次は止血だ。

 レティシアは布と包帯を取り出し、傷口を素早く露わにする。裂けた衣服の下、赤黒く滲む傷を確認すると、迷いなく圧迫し、止血薬を振りかけた。

 レンリの身体がびくりと震えるが、意識はまだ戻らない。


「……ごめんね。でも、今は我慢して」


 呟くように言いながら、包帯をきつすぎず、しかし確実に巻いていく。血が止まり、傷が塞がれていくのを確認するその動きは、長年の経験に裏打ちされたものだった。

 解毒、止血、固定。

 一つ一つを的確にこなしながら、レティシアはレンリの顔色を何度も確かめる。まだ安心はできないが、最悪の事態は避けられるはずだ。


(大丈夫……助かる)


 そう信じるように、彼女は最後まで手当ての手を止めなかった。



 倒しても、倒しても──闇の奥から新手が湧き出すように押し寄せてくる。砕かれ、焼き払われ、地に伏したはずの魔物の向こうから、また別の影が姿を現す。その数は減るどころか、じわじわと包囲を狭めていた。

 背後では、レティシアが必死にレンリの名を呼び続けている。その声が、途切れそうで途切れない希望の糸のように、イルの耳に届いていた。


(近づけさせない……絶対に)


 イルは歯を食いしばり、両手を突き出す。迸る雷光が空を裂き、一直線に魔物を貫いた。焦げた匂いとともに、影が崩れ落ちる。間髪入れず、次の詠唱。今度は幻影──幾重にも重なったイル自身の姿が周囲に散り、魔物たちの視線を惑わせる。敵は一瞬、標的を見失い、虚空に爪を振るった。


「今だ……!」


 その隙を逃さず、彼女は複数の火球を同時に放つ。赤熱した塊が弧を描き、次々と魔物に叩きつけられる。溶ける音、肉の焼ける音。容赦はなかった。倒れるか、燃え尽きるか──その二択しか与えない。


 だが、それでも追いつかない。

 魔力はまだある。威力にも自信はある。それでも、同時に相手取る数が多すぎた。雷を放てば背後が疎かになり、幻影に集中すれば前線が崩れる。火球を連射すれば、詠唱の一瞬が致命的な隙になる。


(まずい……)


 必死に寄せ付けまいと踏みとどまっていたが、気付けば魔物の影はすぐそこまで迫っていた。腐臭と殺気が、肌を刺すほど近い。


「来ないで!」


 叫び声が、恐怖と必死さを帯びて弾ける。それでも、手を休めるわけにはいかなかった。叫びながら、詠唱を続け、魔力を絞り出す。

 イルはただ一人、二人を守る壁となって、押し寄せる闇に立ち向かい続けていた。



 一方、レオンもまた、その闇の波を浴びていた。

 胸の奥に直接触れられたかのような嫌悪感と、理性を削り取るような恐怖。足がすくみ、視界が一瞬歪む。


(……っ、まずい)


 それでも、彼は歯を食いしばった。完全に呑み込まれる寸前で踏みとどまり、剣を地面に突き立てて体勢を支える。

 だが、そのわずかな動揺が致命的だった。魔物たちが、その隙を逃さず距離を詰めてくる。


「──くそっ!」


 レオンは再び剣を強く握り直した。腕に力を戻し、乱れた呼吸を強引に整える。

 切り裂く。退ける。守る。

 そう自分に言い聞かせ、態勢を立て直そうとした、その瞬間だった。


 ──気配が、消えた。


(なに……?)


 次の刹那、視界が歪む。

 気付いた時には、リッチが目の前にいた。

 音もなく、滑るように距離を詰めてきたその姿に、背筋が凍る。空間そのものを歪めたかのような移動だった。

 骸骨の顔が、至近距離でこちらを見下ろしている。


「──っ!」


 リッチは何の詠唱もなく、杖を振り下ろした。

 黒い魔力を纏った一撃が、真っ直ぐレオンに叩き込まれる。


「ぐっっ!!」


 咄嗟に剣を構え、なんとか受け止める。

 金属が悲鳴を上げ、衝撃が腕から肩、全身へと走った。足が地面を削り、後方へと押し込まれる。


(重い……!)


 それでも、耐えた。

 反撃に転じようと、剣に力を込め、踏み込もうとした──その瞬間。

 骨ばった手が、伸びた。

 リッチの指が、がっちりとレオンの腕を掴む。

 冷たく、嫌な感触。生き物とは思えぬ力で、逃げ場を奪うように。


「──なっ……!」


 反撃の動きは、完全に止められていた。

 レオンは反射的に腕を引こうとするが、びくともしない。骨ばった指が食い込み、まるで鉄枷で拘束されたかのように、振りほどくことができなかった。


「……はっ、離せ!」


 焦りを押し殺し、空いている左手を前に突き出す。

 ──【原初の力】。

 内奥から湧き上がる力を展開し、この状況を打破しようとした、その瞬間だった。

 ゾクリ、と。

 氷水を背骨に流し込まれたかのような、冷たく不快な感覚が、レオンの全身を貫いた。


「──っ!」


 喉が引きつり、声にならない息が漏れる。

 四肢から、力が抜けていく。筋肉が自分のものではなくなったかのように、踏ん張りが利かない。視界の端が暗く滲み、意識が遠のいていくのがはっきりとわかった。


(まず……い……)


 目の前で、リッチがわずかに首を傾けた。

 骸骨の顔に表情などあるはずがない。それでも──気のせいか、嘲るように、笑ったように見えた。

 このままでは、終わる。

 その恐怖が、レオンの意識を強く引き戻した。


「……まだだ……!」


 歯を噛み締め、必死に踏みとどまる。震える身体に残った力をかき集め、腰を捻る。

 そして──渾身の一撃を放った。

 鈍い衝撃音。

 レオンの蹴りが、リッチの腹部を打ち抜く。


 不意を突かれたのだろう。さすがのリッチも体勢を崩し、掴んでいた手が離れた。骸骨の身体がふらりと後方へと下がる。

 その隙を、レオンは逃さない。

 彼は一歩踏み込み、手をかざした。

 左手の先に、【原初の力】が奔流となって集束する。


「──吹き飛べ!」


 解き放たれた力が、衝撃波となって炸裂した。

 リッチを中心に、周囲の魔物ごと巻き込み、空気を引き裂きながら吹き飛ばしていく。闇と肉片が宙を舞い、地面が震え、視界が白く弾けた。

 束の間、前線に──大きな空白が生まれた。


「──【原初・空間同調──破刃の導】!!」


 一瞬の隙を、レオンは逃さなかった。

 踏み出した足と同時に、意識を鋭く一点へと収束させる。

 虚空に、幾何学的な輪が浮かび上がった。

 重なり合う複数の円環は、ゆっくりと、しかし確実に回転を始める。それは単なる魔法陣ではない。レオンの精神と完全に同調し、空間そのものを“斬撃”へと変換するための、原初の儀式陣。

 輪が加速する。

 次の瞬間──目に見えぬ刃が放たれた。

 空気が裂ける音すらなく、空間そのものが切り取られる。

 リッチの周囲を守っていた魔物が、抵抗する間もなくその身体を断ち切られ、原形を留めずに飛び散る。


 だが、レオンはそれで終わらせない。

 瞬時に後方を振り返る。

 そこには、なおもルに迫ろうとする魔物の群れ。

 魔法を連打し続けていた彼女の背中が、わずかに揺らいでいるのが見えた。


「──【原初・空間反転──衝解】!!」


 解き放たれた力に応じ、周囲数メートルの空間が、ぐにゃりと歪んだ。

  一瞬、上下も前後も失われたかのように、世界が反転する。

 その圏内に踏み込んでいた魔物たちは、次の瞬間、内側から破裂した。

 肉も骨も悲鳴も、空間干渉の前では意味を持たない。圧縮され、反転され、逃げ場を失った存在が、音もなく弾け飛ぶ。

 空間そのものによる、破壊。


(……これで、イルも少しは息がつけるはずだ)


 そう判断し、レオンは再び前方へと視線を戻す。

 衝撃で後方へ押しやられたリッチが、なおも闇を纏い、こちらを睨み据えていた。

 その瞬間、身体の奥に重石を詰め込まれたような感覚が走る。

 腕が、脚が、鉛のように重い。呼吸をするだけで、肺が軋む。


「……ちくしょうっ!」


 思わず膝をつきそうになる。

 だが、レオンは歯を食いしばり、倒れることを拒んだ。剣を地面に突き立て、震える身体を無理やり支え、再び構えを取る。

 視線は逸らさない。

 相手は、まだ──立っている。


(ここで、終わらせる……!)


 重い身体を引きずるように、それでも剣先をリッチへと向け、レオンは次の一撃に備えた。


「──【原初解放──“始まりの刃”・纏!】」


 レオンの叫びに応じ、剣が震えた。

 【原初の力】が溢れ出し、蒼白い光となって剣を覆うように纏わりつく。鋼そのものが光へと変質したかのように、剣は淡く、しかし鋭い輝きを放った。


 呼吸は荒く、足取りも覚束ない。

 それでも、レオンは剣を握る手だけは決して緩めなかった。

 その様子を見逃すほど、リッチは甘くない。

 ──止めを刺すつもりなのだろう。骸骨の身体がふっと宙に浮かび、空間を滑るように移動する。次の瞬間には、既にレオンの眼前まで迫っていた。

 振り下ろされる杖。

 黒い魔力を纏った一撃が、一直線に落ちてくる。


「──っ!」


 レオンは即座に剣を振り上げ、受け止めた。

 蒼白い光と闇がぶつかり合い、激しい衝撃が迸る。

 そのまま、両者は切り結ぶ。

 杖と剣が交錯し、火花が散る。レオンは踏み込み、斬り払う。リッチはそれを滑らせ、逆に打ち込む。


 一進一退の攻防。だが、時間が経つにつれ、差は確実に広がっていった。

 先ほどの攻撃で、体力を吸われている。

 剣を振るう度、視界が揺れ、脚が言うことをきかなくなる。


(……くそっ)


 ほんの一瞬。

 足元が、ふらついた。

 その隙を、リッチは逃さなかった。

 骸骨の身体が軋む音とともに踏み込み、杖を大きく振り下ろす。

 レオンは反射的に剣を重ねる。

 だが──


 バキィッ!!


 乾いた破砕音が、戦場に響き渡った。

 受け止めた剣が、蒼白い光ごと、無残に折れた。

 砕け散る刃の欠片が宙を舞い、レオンの視界を白く染める。

 彼の手には、半ばで断たれた剣の柄だけが残されていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ