第29話 男爵の怒り
厚い扉の向こう──男爵の書斎で、怒気を帯びた声が響いた。
「……説明しろ、エリオット。あのレオンが、〈剣聖〉を超える力を身につけて戻ってきた。五年前、お前の進言で“あの出来損ない”を追放したが……結果はこれだ!」
重厚なデスクを拳で叩きつける音が部屋に響く。書類がばさりと崩れ落ちるが、父の怒りはそれに構わず続く。
(……自分だって反対しなかったじゃないか……なぜ俺だけ責められる?)
「〈聖騎士〉のスキルを授かりながら、この六年間、お前はいったい何をしていた? 王都に行けば貴族や商人と茶会ばかり。領内においては、盗賊狩り? 弱い魔物退治? 地元の村で褒められて、それで満足していたのか!」
「……それは……私なりに努力は……」
「努力だと? ふざけるな!」
父の怒声が室内を震わせる。額には青筋が浮かび、まなじりを吊り上げた目は、まるで獣のように息子を睨みつけていた。
「挙句の果てに、辺境伯爵からの要請──“魔の森”での魔物討伐任務の放棄だ。あれほどの戦力を預けてやったのに、魔物の群れに全滅させられ、貴様一人、這う這うの体で真っ先に逃げ帰ってきた! あれで辺境伯爵に直接詫びを入れたのはこの私だぞ!」
「あ、あの時は仕方なかったんだ……あんな魔物、どうにもならない……」
「……他の寄子貴族はしっかりと戦果を出した……そして……あの、レオンも生きて戻ったのだぞ?」
「……!」
「……あれ以来、辺境伯爵家からは完全に見限られた! 貴様はその顔に、男爵家の名を刻む資格があるとでも思っているのか!!」
言葉を詰まらせたエリオットは、ただ唇を噛みしめるしかなかった。
「……レオンは、スキルがなかったのだぞ。それでも、五年のうちに〈剣聖〉以上の力を手に入れたというのに……! 貴様は何を成した? 何を変えた? 何も……何もないではないか!」
父の叫びに、エリオットの心はひび割れていく。握った拳が震え、爪が掌に食い込む。だが、その痛みよりも、焼けつくような羞恥と嫉妬が彼を内側から蝕んでいた。
「辺境伯爵から王都に報告がなされる。これで我がアルテイル男爵家は終わったも同然だ。今後中央では相手にもされなくなるのが目に見えているッ!」
「父上、落ち着いてください。レオンが多少強くなったと言っても、それは辺境伯爵が勝手に言っているだけのこと。所詮スキルなしの落ちこぼれであることには変わりありません。それに比べて私は〈聖騎士〉の高位スキル持ちです。今後いかようにもやりようはあります。まずは中央の貴族に根回しをして後ろ盾をつくっていけば──」
エリオットは自分のスキルの有用性を説くが、男爵は即座にこれを否定する。
「ふざけるなッ! 今まで何ら実績を上げていない〈聖騎士〉の言葉に、わざわざ動く連中がいるものかッ! ……ああ、もう終わりだ……」
男爵は頭を抱え、絶望する。
「父上……」
「うるさいッ! 出ていけッ!」
今はこれ以上何を言っても無駄だと判断したエリオットは、無言で父の書斎を後にした。
(なぜ……なぜ、あんな奴が……)
エリオットの視線の奥には、悔しさと憎悪が渦巻いていた。
親子の会話を廊下の柱に潜んで窺っていた者がいる。その影はエリオットが自室へと入ったのを確認したのちに、エリオットの母親の部屋へと向かっていった。




