第211話 形式の外交、冷酷なる処罰
自由都市連盟から帰国した使者は、皇帝のもとへ直行し、会談の詳細を報告した。
すべてを聞いた皇帝は、少しの間沈黙をしていたが、すぐに口を開いた。
「……つまり、密かに投入した特殊部隊は捕らえられ、証人となり、現場には数々の証拠を残し……」
皇帝は低く呟いた。声は静かだが、空気を凍らせるような怒気が滲む。
「連盟にいいように言われ、挙句……差し押さえ?」
机を拳で叩き、部屋に鈍い音が響いた。
さらに連盟の強硬な態度と抗議文が怒りを増長させる。
「我が帝国を侵略国家として世界に発信するだと? 脅迫のつもりか!」
使者は青ざめ、口を動かしかけては押し黙る。膝の上で握りしめた手が震えていた。
宰相が皇帝の怒りを鎮めるかのように口を挟む。
「陛下、今回ばかりはこちらの失敗です。早急に手を打ちませぬと……」
「わかっておる」
皇帝は鋭い視線を使者に向ける。
「それにしても交渉の席でこちらの非を認めるなど、あってはならぬ。知らぬ存ぜぬで通すこともできたはずだ。証人も証拠も連盟の捏造だと白を切ればよい。なぜやらぬ?」
冷たい声が低く響く。
「さすがにあそこまで周到に用意されては──」
「もうよい」
皇帝の冷たい声が遮った。
宰相は軽く頭を垂れ、言葉を選びながら続ける。
「陛下、今は聖教国との戦に全力を注ぐべきかと。領内には不穏な動きもあることですし、連盟など所詮は小国。資源は後からいくらでも手に入ります。周辺勢力に影響が出る前に、いったんここは連盟をなだめておくのが得策かと」
「では、どうするのだ?」
「外務卿の名で形式的な謝罪といくばくかの見舞い品を贈答しましょう」
「納得すると思うか?」
「……詫びに何かしたという“記録”を残すのです。内容などは問われません。“帝国は誠意を見せた”という体裁さえ整えばよい。さすれば連盟も満足するでしょう」
「資源はどうする?」
「兵器の研究には遅れが出ることは避けられませんが、別の方法を探るよう、指示しましょう」
少しの沈黙の後、皇帝は短く息を吐く。
「……わかった。そのようにせよ。任せる。失敗は、繰り返すな」
「ははっ」
宰相が頭を下げたまま一歩下がると、チラリと使者を見やる。
「下がれ。後の報告は文書にてよい」
「は、はっ……失礼いたします!」
使者は一礼し、足音を極力立てぬようにして謁見の間を後にした。扉が静かに閉じられ、重苦しい沈黙が戻る。
皇帝は玉座にもたれ、一つ息を吐く。
「……奴の失敗は、許せぬ」
低く落ちたその声に、剣より冷たい鋭さが宿っていた。
「お任せを」
宰相が一歩進み、軽く頭を垂れた。
「責任は……しかるべき形で取らせます」
そう言って、彼は玉座の間の柱の陰に控えていた黒衣の男に、ごくわずかに視線を送る。
その一瞬の合図に、男は頷きもせず、静かに扉の外へと滑るように姿を消した。
宰相の表情は変わらぬまま、まるで何事もなかったかのように再び皇帝へと向き直る。
帝国とは、結果がすべてである。
命も、誇りも、その重さを天秤にかける価値はない──失敗した者には。
◆
廊下を進む足取りが、次第に鈍くなっていく。
外気は冷たいはずなのに、背中には冷や汗が張り付き、皮膚の上を這うような粘ついた感触がまとわりつく。
(……違う。これは、ただの汗じゃない)
彼は歩きながら、ふと視線だけを後方へ滑らせた。
誰もいない。衛兵の姿すらない。
──いや、それが不自然だ。
皇帝陛下の謁見の間の外で、衛兵が一人もいないなど、本来ありえない。
その違和感が、不安を確信へと変えていく。
(見られている。いや──狙われている)
脇腹の辺りに、まるで刃物の先を押しつけられているような感覚が走る。
無意識に足が早まった。
曲がり角を抜け、視線の先にあった扉に手をかけた、その瞬間。
背後で、風が揺れた。
「ッ……!」
振り返る間もなく、首筋に何かが触れた感触。冷たく、鋭く、だが傷を負わせるそれではない。
次の瞬間、全身の力が抜け、視界がゆがんだ。
壁にもたれかかるようにして、ずるりと崩れ落ちる。その瞼が閉じきる寸前、黒衣の男の影が、静かに彼の前に立った。
声はない。ただ、その瞳だけが語っていた。
──「任務、完了」
その日のうちに、使者は「体調不良による休養」の名目で、記録上から姿を消した。
密かに移送された先は、帝都郊外にある情報局の封鎖施設。外部との接触は一切絶たれ、再びその名が公の場に現れることはなかった。
◆
分厚い書棚と黒曜石の机に囲まれた、重厚な執務室。
蝋燭の灯りが揺れる中、宰相は椅子に深く身を沈め、片手で紅茶のカップを傾けていた。香り高い液体が喉を潤すも、彼の瞳はまったく和らがない。
帳簿を手にした副官が、淡々と報告を続ける。
「──対象は、予定通り“処理”を完了。記録からも削除済みです。医務局には急性の心疾患と報告済み。遺族連絡の必要はございません」
しばしの沈黙。
やがて、宰相は静かに呟いた。
「……ふむ。それでよい」
机の端に置かれた銀製のベルを指で軽く鳴らす。すぐに別の副官が静かに入室し、次の指示を出す。
「外務卿を呼んでくれ」
宰相は外務卿を呼び出し、謝罪文草案と贈答品の選定を命じる。
提出されたそれは冷徹なまでに形式的で、完璧に整えられた外交礼式であった。そしてその文書には、こう添えられる。
『帝国は、誠意をもって対処する。過ちは改め、未来を見据える』
だが、その“過ち”を犯した者がどうなったかを知る者は、王宮のごく一部にしかいなかった。
「これでよい。連盟は小国だが、帝国という大国に一泡吹かせた気分でいる。ならばそこへつけこみ、適当になだめておけば、静まる」
宰相はそう呟きながら、もう既に次の仕事へと意識を向けていた。だが、その大国ゆえの傲慢な思考は、完全に裏目に出ることになる。




