第207話 帝国の暴挙と連盟の決意
この世界には、凶悪な魔物が数多く生息している。通常、それらは冒険者や国家の兵力によって討伐・駆除される。しかし、魔物の中には“災厄”と呼ばれる存在がいる。それらは、単体で都市どころか国家すら滅ぼしかねない力を持つ、破滅の象徴だ。
歴史書には、数度に渡り、それらの出現と大災害の記録が刻まれている。最近では、レオンが討ち倒した“五首のヒュドラ”が、その災厄級に分類された例だ。
そして今回、イングラードの坑道深くで現れた“影”──それもまた、間違いなく災厄級と断じてよいだろう。
ヴァレク・クロスの自由都市連盟評議会。
そこでは今、冒険者ギルド・イングラード支部からもたらされた緊急報告を受け、三都市の代表による会議が行われていた。
いや──もはや“会議”と呼ぶには程遠い。場を支配していたのは、怒号と焦燥、そして帝国への不信だった。
「……帝国の特殊部隊だと? 奴らには、交渉の席で派遣を正式に拒否したはずだ!」
「拒否はした。だが、裏で動いていた。イングラードの鉱山に潜り込み、密かに採掘を進めていたと……ギルドからの報告にそうある」
「くそっ、奴らが余計なことを……!」
会議室に重苦しい空気が広がる。
本来、帝国との会談における交渉の中で、彼らが主張していた“特殊部隊の派遣”は、自由都市連盟として拒否したはずだった。
だが、完全に門を閉ざすのも得策ではないと、ヴァレク・クロス、アスラン・ヘイブン両都市の代表は、冒険者ギルドを通じて上級冒険者への指名依頼を出すことで妥協点を見出した。
依頼の内容は、鉱山の帝国譲渡区画における魔物排除。帝国との交渉を辛うじて繋ぎとめるための、苦肉の策だった。
しかし今、イングラードからの緊急報告がその前提をすべて打ち砕いた。
帝国の特殊部隊は密命を受けて、坑道深部で採掘を行い、その最中に封印を破壊してしまった。
その結果、災厄級の魔物──“影”が姿を現し、街を襲い、冒険者にも多数の死傷者を出したという。
「イングラードに派遣されたAランク冒険者パーティーと、一部の協力者が、“影”と、それが出現した空間を消滅させた……という報告だ。貴様ら、これでもまだ、帝国の機嫌を取るというつもりなのか?」
もたらされた報告書を、イングラード代表は机の上に乱暴に投げ出した。硬い紙束が木の机にぶつかり、乾いた音を立てる。その低く抑えた声は、逆に烈火のような怒気を孕んでいた。
ヴァレク・クロス、アスラン・ヘイブン両代表は、苦々しい表情で顔をしかめ、言葉を探す。
「……帝国が、このような暴挙に出るとは思わなかった」
「我々は裏切られたというのか、それとも最初から、我々を欺くつもりだったのか……」
「何を寝ぼけたことを言っておる!」
イングラード代表の声が、雷鳴のように会議室を震わせる。
「これは明確な侵略行為だ! 自由都市連盟を愚弄し、我々を蹂躙しようとした証拠ではないか! この状況でまだ目を逸らす気か!」
二人の代表は、言葉を詰まらせてうつむいた。
イングラード代表は椅子を軋ませて立ち上がる。
「ワシは帝国に正式な抗議の場を設ける。いや、会談などでは済まさん、場合によっては──」
「待て、会談には我らも臨むつもりだ」
「貴様らには何も期待はしとらん」
イングラード代表の視線は、鋭い刃のように二人を射抜く。
「会談への同席をしたければ勝手にしろ。だが、事ここに至ってはワシが主導する。文句は言わせんぞ?」
一瞬の沈黙の後、二人の代表は渋々頷いた。
「……承知した」
「……わかった。だが、落ち着いて会談に臨もう」
「ふん、言われるまでもない。わかったら、さっさと会談の手配にかかれ!」
評議会が終わるや否や、イングラード代表は重々しい足取りで会議室を後にした。
だが、その瞳には疲れの色はなかった。むしろ、獣が獲物を狙う時のような鋭い光が宿っていた。
代表執務室に戻ると、彼は秘書官に短く命じた。
「……帝国への抗議文書の草案をすぐに用意しろ。遠回しな言い回しは要らん。奴らが犯したのは国際的な条約違反だ、明確に“侵略”と書き記せ」
「はっ……承知しました」
秘書官が去ると、代表は深く椅子に沈み、机上に置かれたギルドからの報告書を睨みつけた。
──だが、これだけでは足りん。
ただ抗議するだけでは、帝国は白を切るに決まっている。
証拠と証言、そしてそれを裏付ける者が必要だ。
しばし沈黙した後、彼は執務室の呼び鈴を強く鳴らした。
「……イングラードのギルド支部長に内密の文を送れ。こちらに来てもらう。証言をまとめ、会談に同席してもらう必要がある」
「ギルド支部長を……ですか?」
「そうだ。あの坑道で何があったのか、奴ら以上に正確に知る者はおらん。帝国の特殊部隊を捕らえたのもギルドの者たちだろう。連盟評議会は生ぬるいが、我らイングラードはこれ以上黙ってはおれん」
数日後、イングラードから駆け付けたギルド支部長が呼び出され、夜の執務室で二人きりの会談が開かれた。
「……わざわざ呼びつけてすまんな」
「なんの、この程度」
代表は重々しく口を開く。
「おぬしらの報告で、帝国が我らを裏切ったことは明白になった。しかし評議会の連中はいまだ動きが鈍い。私は直接、帝国に抗議を叩きつけるつもりだ。その場には、実際に坑道で何が起きたかを語れる者が必要だ。……おぬし、そしてあの戦いを目撃した冒険者たちを同席させたい」
支部長は眉をひそめる。
「帝国がそれを認めると? 奴らは必ず揉み消しを図るでしょう」
「だからこそ、動かぬ証拠がいる。捕虜にした帝国兵の供述、封印が破壊された跡、影の痕跡……すべてを集めろ。おぬしの裁量で構わん」
代表の声には、一片の迷いもなかった。
支部長はしばし沈黙したのち、口角を上げて頷いた。
「……なるほど。ようやく腹を括る者が現れましたか。よろしい、ギルドも全力をもって協力しましょう」
こうして、イングラード代表とギルド支部長は、帝国との次なる会談に向けて、秘密裏に動き出した。
それは、ただの抗議ではなく──
帝国を追い詰めるための戦いの火蓋でもあった。
◆
イングラード冒険者ギルドの支部長室。
扉が静かに開き、受付嬢に案内されて〈遥かなる暁星〉の面々が姿を見せた。
「まだ、疲れが抜けてないぜ……」
ゴディスが肩を回しながら呟く。
支部長は重い視線を三人に向けた。
「座ってくれ。……長話になる」
支部長の声には、疲労と苛立ちが滲んでいた。数日間でイングラードとヴァレク・クロスを往復している。そしてまたヴァレク・クロスに向かわねばならないのだ。机の上には分厚い報告書の束、そして帝国兵から押収した装備らしきものが並んでいる。
「──単刀直入に言う。お前たちに、帝国との会談に同席してもらいたい」
セレナが眉をひそめる。
「私たちが? 外交の席なんて、柄じゃないわよ?」
「わかっている。だが、今回の“影”の件、そして帝国特殊部隊の暴走について、最も詳細に知っているのはお前たちだ」
「……証人ってわけね」
「そうだ」
支部長は机を軽く叩き、深く息を吐いた。
「帝国は必ず否認する。だが、“影”の出現とその被害は事実だ。帝国兵から得た供述もあるが、あれだけでは決定打に欠ける。実際に現場で戦い、封印を施したお前たちの証言が不可欠だ。イングラード代表も、それを求めている」
「まあ、空間を閉じたのはレオンなんだけれどもね」
「彼はとても動ける状態ではない。しばらくは休養が必要だそうだ」
「俺たちも休養が欲しいところだがな……」
(こいつ、よく言うよ、文句ばかり言って、ほとんど何もしていないくせに)
レンが内心溜息をつく。
「……これはお前たちだけの問題ではない。イングラードだけでもない。自由都市連盟全体の未来がかかっている」
支部長の目には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「会談は五日後、ヴァレク・クロス本議場で行われる。お前たちは前日に同行する形で合流する。詳しい流れは改めて伝えるが……準備だけは怠るな」
セレナは溜息をつきながら、レンの横顔を見上げた。
「ほんと、戦いの後ってこういう厄介事が増えるわよね……」
「そうだな、実に面倒だ」
レンは面倒くさそうに肩をすくめたが、瞳の奥にはいつもの鋭い光が戻っていた。




