第205話 光と蒼の刹那
「【原初解放──“始まりの刃”】」
レオンは低く呟き、奥義の発動に向けて力を一点に収束させる。
周囲の空間が軋むような異音を立て、圧倒的な重圧が仲間たちの肌を刺した。
「お、おい、大丈夫なのかよ?」
ゴディスが一歩後退する。
「ねぇ、少し黙っていてくれないかな」
レティシアが彼を窘める。
「だが、巻き込まれるのはごめ──」
「黙りなさい! これ以上レオンの集中の邪魔をするなら、私が許さないわよ?」
レティシアが珍しく怒りを見せる。やはり腹に据えかねていたのだろう。
「……わかったよ」
レティシアの剣幕に圧されたのか、ゴディスがおとなしく盾を握り直す。
その間にも、レオンの全身に光の輪が走り、力の奔流が剣へと注ぎ込まれていく。
剣は淡く蒼い輝きを放ち、揺らめく光が彼を中心に広がる。
「──準備完了だ」
レオンは足を踏み込み、剣を舞うように振るった。
「【奥義・原初:断罪閃】」
地上の時と同じように、光はが“影”を包囲し、複数の封鎖層・魔法干渉・擬似肉体化の“偽装”を次々と剥ぎ取っていく。そして黒が薄絹のように剥離し、内奥から脈動する赤黒い球体が露わになった。表面を走る細い亀裂が、心臓の鼓動めいて明滅する。
「やったか?」
ゴディスが一歩踏み出し、息を呑む。
「まだよ!」
レティシアが弓を引き絞り、矢に精霊の力を重ねる。
風が矢を導き、雷が閃光の刃と化す。
レンが息を殺し、腰の短剣を抜き放つ。
「当てるぞ……!」
“影”の奥で不気味に脈打つ球体めがけて、一閃の軌跡を描きながら投擲した。
ほぼ同時に、レティシアが弓を引き絞り、矢を放つ。
「──落ちろっ!」
風と雷を纏った矢と、レンの短剣が赤黒い球体に同時に到達した──かに見えた。
だが、次の瞬間。
ゴォォン……と低い振動が坑道に響き、球体の表面が波打つように震えた。
その反動で、短剣と矢が反射弾のように弾き返され、こちらに猛スピードで跳ね返ってくる。
「危ない!!」
セレナが叫び、身をかがめる。
弾かれた短剣が壁に突き刺さり、レティシアの矢はゴディスの盾をかすめて金属音を響かせた。
「な、何だ今のは……防御結界か!?」
ゴディスが驚愕する。
「危なかった……」
短剣と矢が返ってきた衝撃に、レンが額の汗を拭った。
「なんて奴だ……」
ゴディスが盾を構え直しながら呟く。
「さすがに本体は違うってことね」
レティシアが鋭い眼差しで球体を睨む。
レオンが一歩踏み出した。
「──ならば叩き割るしかないな」
レオンは砕け散った剣を躊躇なく投げ捨て、ギルドから受け取った二本目の剣を構え直し、視線をセレナへと向ける。
「セレナ、いくぞ」
「わかった!」
二人は息を合わせるように踏み込み、球体へと同時に連続攻撃を浴びせた。
レオンの剣撃が蒼い光の軌跡を残し、セレナの鋭い剣閃が交錯する。
球体は抵抗するかのように震え、周囲の黒い霧が渦を巻いて防御しようとしたが、徐々に振動が弱まり、動きが鈍くなっていく。
「これで──終わりッ!」
セレナが渾身の一撃を叩き込んだ。
金属を砕くような音と共に球体が亀裂を走らせ、ついに崩れていった。
粉砕された球体の残滓が蒼い火花となって散り、黒霧が一度だけ引いた。
その刹那に、ゴディスが肩で息をしながら振り返る。
「よし、やったか?」
レオンは視線を動かさず、短く答えた。
「“影”はな」
「どういうことだ? やったんじゃなかったのかよ!」
「ゴディス! いちいち騒ぐな。まだあれが残っているだろう!」
レンが叫び、前方を指差す。
全員の視線が、“影”の本体が蠢いていた奥──ぽっかりと空いた漆黒の“穴”へ吸い寄せられた。
そこだけ空間が抜け落ちたように黒く、縁は熱で歪んだガラスのように揺らぎ、周囲には潰れた封印柵と、半ば溶けた掘削機械の塊が散乱している。
(……ここから湧いたのか)
レオンは奥歯を噛む。
「だが、こんなものどうすんだよ?」
ゴディスが苛立ちを隠さず吐き捨てる。
「また封印柵を施して──」
セレナが言いかけたところで、レンが素早く周囲を見渡し、散乱した金属片を拾い上げ、即座に首を振った。
「無理だ。焼けて符が切れてる。母材の魔術回路も溶け落ちてる……再構成どころか応急枠すら組めない! 時間がかかるってレベルじゃない。材料から運び直しだ……」
「それだって用意までに時間がかかるだろうが! その前にまたこいつらが出てきたらどうするんだ!!」
ゴディスの怒鳴り声が坑道に反響し、黒い穴の縁が脈打った。嫌な反応だ。
レオンが冷たく振り返る。
「……うるさい、ギャーギャー喚く前に少しは自分でも考えろ。自分は何も意見を出さず、人の意見にケチ付けるだけがお前の仕事か?」
「なんだと、貴様!!」
ゴディスが一歩詰め寄る。盾の縁がギリ、と軋む。
「何もないなら引っ込んでいろ」
「喧嘩は後!」
セレナが割って入り、黒穴を指差す。
「今はあれを封じる手を考える!」
レティシアが頷く。
刹那、揺らめく闇から細い触手状の影が伸びかけた。坑道の空気が冷たく収縮する。
「……俺がやってみよう」
レオンが前に出て、漆黒の縁の正面に立つ。周囲の霧が漆黒の空間に吸い寄せられるように集まっていく。
「だが──あと一回。剣も、俺も……これが限界だ」
声は低く、額から滴り落ちる汗が止まらない。
「レオン、大丈夫?」
レティシアが心配そうに問いかける。
「正直ヤバい」
レオンは苦笑し、唇の端をわずかに吊り上げた。
「だが踏ん張るさ」
その瞬間、彼の全身がわずかに震え、次いで蒼白の光が噴き上がる。
「──【原初・封光刃】」
剣身が光を放ち、封印の力が刃に宿った。空気が重く圧縮され、周囲の影が光を避けるようにざわめく。レオンの身体と剣に、想像を絶する力が満ちていく。
「早くやれって!!」
「ゴディス! 黙りなさい!」
セレナが鋭く叱責する。
ゴディスが焦れるのを無視して、レオンは〈原初の力〉を高め、剣に融合させていく。
「ぐっ……【真奥義──空無穿界刃】!」
レオンの瞳に蒼い閃光が宿った。
──世界の境界すら切り裂く“無”の一閃。
剣は時の流れを断ち、存在の根幹をも焼き尽くすかのように周囲の空間を歪ませる。
空気が静まり返り、音が消えたかのような錯覚が全員を包んだ。
次の瞬間──レオンが剣を振り下ろす。
「ぬおぉぉぉッ!!!」
眩い閃光が視界を満たす、だが一切の音はない。
ただ、漆黒の空間が悲鳴を上げるかのように軋み、歪み、ゆっくりと縮んでいった。
「ぐっ……」
耐えきれず、レオンが片膝をつく。
最後の一閃が収束した時、漆黒の空間はついにその姿を消した。
「これで、なんとか……おさまったか……」
レオンは剣を支えにしながら、荒く息を吐いた。
先ほどの真奥義の反動で、全身の力が抜け落ちる。
握っていた二本目の剣も、床に触れた刃先がカチリと音を立ててバラバラに砕ける。
「レオン!」
駆け寄ったレティシアが肩を支えると、彼はわずかに笑みを見せる。
「……はは、立っているのがやっとだな。これだけ乱発すれば、さすがに身体が悲鳴をあげる」
額から流れる汗は、まるで滝のようだった。
「無茶しすぎだよ……」
レティシアの声が震える。
「そう言うな……これで一息つけるなら、安いもんだ」
そう言いながらも、レオンの膝はがくりと落ち、地面に手をついてしまう。
「レオン、しっかり!」
セレナも駆け寄り、背を支えながら顔を覗き込む。
レオンは苦笑しながら、かすれた声で呟いた。
「……心配するな。死ぬほどじゃない。ただ、しばらく……動けないだけだ」
坑道最奥の漆黒の空間は、完全に沈黙を取り戻していた。
レオンは剣を投げ捨て、肩で息をしながら立ち上がる。
「……これで、終息か」
誰にともなく呟くと、レティシアが小さく頷いた。
地上へ戻る道すがら、後方で戦っていた冒険者たちの元へ向かう。
かつて〈血を啜る犬〉の群れが跳梁していた坑道も、今は不気味なほど静まり返っていた。
“影”の本体が消滅したことで、従属していた魔物たちも跡形もなく消え去ったのだろう。
「……後は後方部隊に任せればいいわね」
セレナが呟き、ゴディスが黙って頷いた。
「やれやれ、長い一日だった」
レンも軽く肩を回し、小さく笑う。
地上への階段を上がると、遠くから朝の光が差し込んでいた。
全員が、その光をしばらく無言で見つめていた。




