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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第204話 坑道の最奥

 坑道に足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わった。

 熱気も冷気もなく、ただ濁った血の匂いが鼻を突く。壁の岩肌は黒く染み、どこからか水滴のような赤黒い液体が滲み出ていた。


「……嫌な場所だな」


 ゴディスが低く呟く。

 闇の奥から獣の爪音が響いてきた。

 ガリ、ガリ……と岩を爪で掻き、嗅ぎ回るような低い唸り声。


「来たわ、構えて!」


 セレナの声と同時に、闇から黒い犬のような群れが現れた。

 毛並みは漆黒で、体表に血の膜がまとわりつく。赤く光る眼が一斉にこちらを睨み、牙を剥き出す。


「これが〈血を啜る犬〉って魔物か?」


 最初の一匹が飛びかかるも、レオンは剣を抜き放ち、横薙ぎの一閃でその首をはね飛ばした。血飛沫ではなく、黒い霧のような液体が散り、犬は苦悶の声を上げて崩れ落ちる。


「……一応物理攻撃は効くんだな」

「でも、何かおかしい……!」


 レティシアがすぐに風の魔法で二匹目を吹き飛ばすが、霧のような血が舞い、周囲の空気をさらに淀ませた。


 セレナは剣で三匹目を貫き、ゴディスが盾で四匹目を叩き伏せる。

 だが、倒したはずの犬の肉が再び蠢き、骨が音を立てて再構築されていく。


「再生するだと……!」


 ゴディスが目を見開いた。


「こいつも“影”の分体ってことか……」


 レオンが呟き、二本目の剣を抜いて連撃を繰り出す。

 だが、その一撃ごとに彼の息は荒くなり、剣筋も重くなる。


「……ちっ、疲労が早いな。こいつら、周囲の魔力や生気を吸ってやがるのか」


 レティシアの額にも汗が滲んでいた。

 魔力を込めた矢を放つが、血霧が広がり、視界が悪化していく。


「あと十数発……これじゃ持たない」

「無理はするな。こいつらは長引かせたら消耗戦だ」


 レオンは犬の群れを斬り払うが、息遣いが荒い。

 背後ではレンが短剣で一匹を仕留め、セレナが援護に入る。

 しかし、〈血を啜る犬〉の群れは減る気配を見せず、次々と坑道の奥から湧いてくる。

 ゴディスの盾も傷だらけになり、呼吸が荒くなる。


「……これじゃジリ貧だぞ!」

「わかってる、でも下がる場所もない!」


 セレナが叫ぶ。

 血霧の濃度がさらに増し、視界が赤黒く染まる。このままでは、前進する前に全員が力尽きるのは時間の問題だった。

 血霧はさらに濃さを増し、視界はわずか数メートル先すら霞んでいた。

 〈血を啜る犬〉の群れは一体倒すごとに黒い液体を撒き散らし、それが周囲の影と混ざって蠢く。攻撃と妨害。まるで坑道そのものが敵意を持って生きているかのようだ。


 ゴディスが盾で犬の顎を打ち砕きながら、苛立ちを滲ませる。


「……このままじゃ埒があかん!  後続部隊も消耗しきるぞ!」

「わかってるって言ってるでしょう!!」


 セレナも苛立ちを隠せない。


(まったく自分では何も考えられないの……?)


 セレナは鋭い眼差しで前方の闇を見据え、決断を下した。


「ここは後続に任せる。我々〈遥かなる暁星〉が中央突破を図る!」


 その言葉にレンが一瞬眉をひそめるが、すぐに頷いた。


「了解。俺が前を切る。セレナ、右を頼む。ゴディスは背中を任せるぞ!」


 さらに、レオンが冷静に間を詰める。


「俺たちも加わる。ここは突破しなければ先に進めん」


 レティシアも隣で頷き、矢筒の中身を再確認する。


「支援は任せて。私たちがやらなきゃ始まらない」


 彼らの動きは無駄がない。数多くの修羅場をくぐった者たちの、刹那の判断と連携だった。


「お前たちは下がれ!」


 ゴディスが後続の冒険者たちに叫ぶ。


「ここで足止めするのは得策じゃない。俺たちが道を開く!」


 後続のC・Dランク冒険者たちは一瞬迷ったが、状況の逼迫を悟り、後方で防御陣形を築く。


「前線は任せるぞ、〈暁星〉の連中!」

「死ぬなよ!」


 セレナは深呼吸し、剣の刃を血霧に突き立てるように振り払う。


「ゴディス、壁を開けて!」

「おうよ!」


 ゴディスが大盾で突撃すると、壁のように群がっていた〈血を啜る犬〉が一瞬散開する。

 その隙をレンが滑るように潜り込み、短剣で急所を突く。


「今だ、セレナ!」

「〈光刃閃〉──!」


 セレナの剣が閃光のような斬撃を描き、正面の犬をまとめて切り裂く。血霧が弾け、進路が一時的に開いた。


「レオン、抜けるぞ!」


 レンが声を掛ける。


「ああ!」


 レオンは二本の剣を構え、一気に前方へと踏み込む。

 レティシアは矢を番えつつ、背後から風の魔法で風圧を送り込む。


「行くぞ!  このまま一気に駆け抜ける!」


 レンの号令に、セレナ、ゴディス、レオン、レティシアの突撃隊が中央を一直線に駆け、血霧の中に消えていった。



 坑道を抜けた先──そこはもはや坑道とは呼べない異質な空間だった。

 視界はグニャリと歪み、壁も天井も溶けるように曖昧だ。足元は黒い霧に覆われ、踏みしめたはずの地面が波打つように揺れる。

 まるでこの空間そのものが、生き物の内臓の中に迷い込んだかのような錯覚を覚える。


「……ここが、最奥かしら」

「どうやらそうみたいだぜ」


 セレナが低く息を呑む。

 中心には、巨大な黒い影の塊が蠢いていた。

 その表面は粘液のように滑り、時折、無数の目とも口ともつかないものが浮かんでは消える。


「……あれが本体かしらね……?」


 セレナが剣を握りしめ、静かに呟く。

 レティシアが影を凝視し、声を張った。


「“影”の向こうに何かある! あれは……?」


 全員が目を凝らすと、“影”の背後に奇妙な空間があった。

 一部分だけ、まるで空間そのものが“穴”を開けたかのように漆黒の空白になっている。

 その周囲には、ひしゃげて潰れた鉄柵──封印用の柵の残骸と思しきものが散乱していた。

 さらに、半ば融解した採掘用の掘削機械が無惨に転がっている。


「……あれは、なんだ?  穴のようにも見えるが……」


 ゴディスが眉をひそめる。


「まさか本当に、あそこから湧いてきたってのか?」

「かもしれん。……とすると、あれを閉じる必要もあるな。厄介なことになった」


 レンが短剣を構えながら低く言う。


 セレナが歯噛みする。


「まさか、帝国の連中が……」


 レオンの視線が鋭くなる。


「……おそらくな、採掘中に開けちまったんだろう」


 黒い“影”が不気味にうねり、無数の触手のような霧を四方に伸ばした。

 空気が震え、低い呻きのような音が響く。


「来るぞ!」


 レオンが剣を構え、全員が一斉に武器を構える。

 “影”の塊が一際大きく波打ったかと思うと、無数の黒い触手が四方八方に広がり、壁や天井を這いながら襲いかかってきた。

 その速さは、視界で追うよりも先に殺気として肌を突き刺す。


「くっ──!」


 セレナが横に跳んで剣を振るい、迫りくる触手を斬り払った。だが、切り離された部分は霧のように分散し、すぐに再生して元の形に戻る。


「効きが薄い!」


 セレナが叫ぶ。

 ゴディスが大盾を前に突き出し、正面から迫る触手を防ぐ。


 ガンッ、ガガンッ!


 鋼鉄製の盾に触れた瞬間、触手がまるで酸に浸されたかのように金属を腐食させる音を立てた。


「な……っ、盾が……溶けるだと!?」

「後ろに下がれ! ゴディス、無理に受けるな!」


 レンが背後から短剣を投げ、触手の動きを牽制する。

 レティシアが矢を放つ。

 風と雷を纏った矢が触手を貫き、黒い霧を裂いた。

 一瞬、“影”の塊が後退するが──


「全然効いてない……!」


 レティシアの顔が歪む。

 “影”の塊はまるで意思を持つかのように触手を増やし、冒険者たちを包囲するように広がっていく。


「来るぞ! 正面突破する!」


 レオンが低く唸り、剣を握り直す。

 剣が閃き、レオンの渾身の斬撃が触手の一角を薙ぎ払った。


「うおおおっ!」


 “影”が一瞬後退するが、その後すぐに触手が増殖して戻ってくる。

 レオンは舌打ちをして、低く呟いた。


「こいつは……地上の時と同じか……やはり物理も魔法も決定打にならん」


 レオンは一歩後退し、冷静に観察する。

 その間にも、後方の〈遥かなる暁星〉の仲間が息を切らせながら応戦していた。


「セレナ、左!」

「わかってる!」

「ぐっ……くそっ!」


 ゴディスの腕力ですら、触手の押し込みに耐えるのがやっとだった。

 触手の一本が、まるで鞭のようにしなり、後方の壁を打った。


ドゴォォン!


 石壁が砕け、瓦礫が降り注ぐ。


「このままじゃ、押し潰されるぞ!」


 レンが叫ぶ。

 〈遥かなる暁星〉の三人も、レオンとレティシアも必死に応戦していた。

 セレナの剣は何度も閃光を描き、ゴディスの盾が触手を叩き返す。レンは背後から急所を狙い続け、レティシアの矢は雷鳴を轟かせるたびに一瞬だけ闇を裂いた。

 だが、それでも──“影”はじわじわと押し寄せ、全員の立ち位置を削っていく。


「おい、早くなんとかしろ! もう持たねえ!」


 ゴディスの声が荒ぶ。

 その言葉に、レオンが剣を受け流しながら冷たく吐き捨てた。


「……やかましい奴だな。できればとっくにやってる」


 彼の剣先は一瞬も止まっていない。だが分体の時とは違い、目の前の“影”は圧も速さも段違いだ。触手の一撃は石壁を砕き、盾ごと人を吹き飛ばすほどの質量を持ち、動きは獣のように予測不能だった。

 レオンと言えども迂闊に手を出せば、逆に一撃で呑み込まれかねない。


「くっ……押し切られる……!」


 セレナが歯噛みする。

 レティシアは額に汗を浮かべながら矢を番え、矢筒の残量を素早く確認した。


「レオン、このままじゃ……!」

「わかってる……だが、あと一歩踏み込めない」


 “影”の本体が不気味に膨れ上がり、触手の一群が波のように押し寄せる。

 ゴディスが盾を前に突き出した瞬間、ギギギッと嫌な音が鳴り、鋼鉄の縁がさらに溶かされていく。


「……冗談じゃねえ、もう盾が限界だ!」

「しんどいのは皆同じなんだがな……」


 レオンは低く呟き、呼吸を整えると、【原初の力】を解放した。

 蒼い光の輪が一瞬だけ身体を走り抜け、筋肉と神経が研ぎ澄まされる。

 剣を構える姿勢がわずかに沈み、その気配だけで周囲の空気が震えた。

 身体強化──速度を一段、いや二段上げる。

 なんとか“影”の隙を突かねば、ここで押し潰される。

 その意図をすぐに察したのはレティシアだった。


「わかった、足止めする!」


 弓を構え、矢に精霊の力を重ねる。

 風精霊が矢羽を導き、雷精霊がその矢尻に青白い電光をまとわせた。


「〈精霊連鎖・雷裂風〉!」


 放たれた矢が複数の触手を裂き、雷鳴とともに一瞬だけ動きを鈍らせる。


「ナイスだ、レティシア!」


 レオンはその隙を逃さず、一気に駆け込んだ。

 空間を切り裂くような踏み込み──その刹那、“影”の塊が触手を集中させて迎撃してくる。


「何かやるならさっさとしろ!」


 ゴディスが怒鳴った。


「おい、あいつを黙らせろ、集中できん」


 レオンは吐き捨てるように言いながら、【原初の力】をさらに高めていく。

 蒼い光がレオンの全身に帯状の軌跡を描き、空気がビリビリと震えた。


(……かなりキツイな。ここまで連発するのは初めてだ)


 額から滝のように汗が流れ落ち、視界の端が霞む。

 それでも、彼は一歩も退かない。


「……もう少し……」


 両手の剣を握る力がさらに強まり、周囲の空間そのものが軋む音を立て始めた。

 レティシアが息を呑む。


「レオン、無理は──」

「言うな。ここでやるしかない」


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