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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第203話 坑道への前奏

 広場に戻った静寂は、長くは続かなかった。再び空気の底──石畳の目地から滲むような、冷たく鈍い“圧”がじわりと這い上がってくる。

 遠く第七採掘区画の方向、夜霧の層が一筋だけ逆巻き、星光を歪ませた。


「……感じるか?」


 レンが目を細める。

 セレナも無意識に息を止め、肌を撫でる嫌な粘性に眉を寄せた。


「まだ……終わっていない。今のは“外殻”だったのかもしれないわね」


 溶け落ちた建材の残骸は、黒い煤の縁を薄く燻らせながら、再び気配に引かれるように粉へ崩れて消える。

 支部長が吐息を鋭く切り、決断の色を瞳に宿す。


「──突撃部隊を編成する。これ以上、街中心で迎え撃つのは消耗戦だ。源を断つ」


 周囲の冒険者がざわめく。


「〈遥かなる暁星〉主力、先導にレオンとレティシア、補助観測に斥候二、結界要員を一名追加──」

「待て」


 支部長の言葉を、レオンの静かな声が遮った。

 彼は粉々になった剣の残骸を一瞥し、支部長へ視線だけを向ける。


「……何か勘違いしているようだが、勝手に決めないでもらおうか。それはそっちでやってくれ」


 その冷たい言葉に、ゴディスが声を荒げる。


「おい、どういうつもりだ! お前途中で放り出す気か?」


 レオンは呆れたように、ほんの少しだけ口角を下げた。


「だから勘違いするな。俺たちはもう冒険者じゃない。冒険者ギルドの指揮系統に従う義務はないんだよ」


 その一言で、広場の空気がわずかに凍る。

 ゴディスが眉を吊り上げ、さらに詰め寄る。


「この状況で指揮に従えないとでも──」

「その義務はない、と言っている」


 レオンの声音は、一切の感情を排した冷たさを帯びていた。


「帝国に譲渡した区画の魔物の排除という指名依頼を受けたのは、俺たちじゃない。俺たちは、街に現れた魔物を排除しただけだ。この街が壊滅しては困るからな。それだけだ」


 支部長は一歩前に出て、レオンを真っ直ぐに見据えた。


「待て。今、街を守れる戦力は限られている。君たちが抜ければ、この防衛線はもたないかもしれないんだ」


 セレナもまた、押し黙って二人のやり取りを見つめていた。

 レオンは深く溜息をつく。


「命令は受けない。……だが、条件付きでなら協力してもいい」


 支部長の目が険しく細まり、セレナが一歩前へ出る。


「レオン、今は交渉している場合じゃ──」

「逆だよ。ここで適当な命令系統に入って動きを縛られたら、本当に手遅れになる」


 支部長が短く息を呑む。


「……聞こう。“条件”は何だ」


 レオンは指を三本、静かに立てる。


「第一。坑道内での判断は俺たちの裁量を最優先する。途中の撤退判断も含めてな」

「第二。目的は原因の追及と主となる魔物の排除。それ以上の事には関与しない。他に調査が必要ならそちらでやってくれ」

「第三。今回の一件──“影”の正体、封印、帝国の動き、得られた解析結果と後処理方針。これら“事件の真相”を余すことなく、俺たちとイングラード代表に共有すること。どこかで握りつぶすような真似はやめてもらおうか」


 場の空気が一層張り詰め、ざわめきが走る。拘束中の帝国兵の存在を思い出した冒険者たちが、互いに顔を見合わせた。

 支部長はしばらく黙したまま、レオンを鋭く見据える。


「……それは、帝国との軋轢をさらに──」

「火種はもう着いているんだ。あとはどう燃え広がるかの問題だぞ?」


 レオンの声は低く、しかし一切の揺らぎがなかった。


「既にこの街の住人は、何が起こっているのか把握しつつある。これだけの騒ぎだ。隠蔽しようとすれば、余計にイングラードの心は連盟やギルドから離れるぞ?」


 数秒後、支部長は渋く息を吐き、頷いた。


「……わかった。その三条件を受け入れる。私が連盟窓口と正式な記録を交わし、改竄を防ぐため複製を三箇所に保管する。虚偽はないと誓おう」

「それならいい」


 レオンは指を下ろし、レティシアと視線を交わした。


「交渉成立、だね」


 レティシアが軽く笑みを浮かべる。

 しかし、ゴディスが渋く唸り、盾の縁を鳴らした。


「……勝手なことを言いやがって! なんでそこまで──」


 レオンはゴディスに一瞥をくれ、冷ややかに言い放つ。


「勝手か……そこまで言うのならば、あとは自分たちでなんとかしろ」


 突き刺すような冷たさに、ゴディスは一瞬言葉を失った。

 周囲の冒険者たちも思わず息を呑み、場の空気が張り詰める。


「お前、イングラードの街の人々を、ちゃんと説得してくれるんだろうな? それができないのなら、ごねるような真似はしないことだ」


 セレナが眉をひそめ、二人の間に割って入るように声を上げた。


「……やめなさい、ゴディス。支部長も納得している。今は言い争っている場合じゃないわ」


 ゴディスは無言で肩を震わせ、やがて舌打ちを一つして視線をそらす。


「……ふざけるな。おれは間違っちゃいねぇぞ」


 レオンは一瞥をくれたが、それ以上は何も言わず、再び坑道の方角を見据えた。

 レンは大きく溜息をつく。どう見てもレオンの言い分が正しい。


(ゴディスにの頭では到底、理解できないだろうけどね)



 ギルドの補給班が慌ただしく走り回る。

 支部長の指示で倉庫から選び抜かれた剣が二本、レオンの前に並べられた。いずれも鉱山都市イングラードの鍛冶師が鍛えたもので、黒鉄と銀鋼を組み合わせた重みのある剣だ。


「これが今出せる最上の剣だ。強度は保証するが……」


 補給係が言いかけると、レオンは静かに頷いた。


「いや、助かるよ。これで十分だ」


 一本は予備として背負い、もう一本は腰に。剣の柄を軽く握り、重心のバランスを確かめる。手にしっくりと馴染む感触に、わずかに口元が緩む。

 一方、レティシアは矢筒の中身を確認し、補給班から渡された束を慎重に詰め直していた。


「……これで最低限は足りるかな」

「魔力は大丈夫か?」


 レオンが隣から声を掛ける。

 レティシアは指先をひらひらさせて、少し困ったような笑みを浮かべる。


「かなり消耗しているけど、何とかして見せる。それよりレオンはどうなの?」

「正直かなりキツイな。今日だけでも、もう三回も奥義を放っているからな。それ以外にも消耗しているしな」


 レオンは淡々とそう言いながらも、瞳の奥にはまだ光が宿っていた。


「まあ、やれるだけやるさ。ここで倒れるわけにはいかないだろう?」


 〈遥かなる暁星〉のセレナたちも、各々の武具を整えていた。


「……私たちは後方支援じゃなく、完全に前線に立つことになるわね」


 セレナは鍔に指を添え、視線をレオンへ向ける。


「当然だろう? 本来お前たちが受けた依頼だ」


 ゴディスは大盾の革紐をきつく締め、低く唸る。


「……お前らの自由な戦い方がどこまで通じるか見せてもらうぞ」


 さすがに勝手呼ばわりはしなかったが、意味は同じだろう。

 しかし、その声に、レオンは特に反応を返さず、黙って刃を布で拭いていた。


 坑道の方角から、再び不気味な振動が伝わる。地面を這う黒い霧のような気配が、ゆっくりと広場へ迫ってきている。


「……時間切れだな」


 レオンが剣を腰に収め、レティシアに目で合図を送った。


「行くぞ。これ以上、“影”に好き放題させるわけにはいかん」


 支部長の合図とともに、突破部隊は街の外縁へと移動した。

 夜霧は濃く、月光がかき消されるほどの暗さだ。坑道へ近づくにつれ、空気が粘りつくように重くなり、耳鳴りのような低い振動が響きはじめる。


「……空気が揺れている」


 レティシアが息を呑み、視線を坑道入口へ向けた。そこには歪んだ蜃気楼のような揺らめきが漂い、岩肌に不自然な影が走っている。

 レンが先頭に立ち、短剣を構えながら辺りを警戒する。


「おかしいな。音が……遅れて聞こえる」


 足音を立てる度に、わずかに遅れて響くような感覚がある。

 レオンは周囲の岩壁に手を触れ、僅かな魔力の痕跡を感じ取った。


「結界の残骸か……いや、違うな。これは“何か”が空間を食っている」


 その言葉に、セレナとゴディスも表情を引き締める。

 坑道入口には、以前はなかった黒い痕が幾筋も残っていた。触れるとじわじわと石を腐食させるような感触があり、レティシアが思わず手を引く。


「……これが、あの“影”の跡?」

「間違いない。ここを通ったんだろうね」


 レンは低く答える。


 坑道の奥からは、不規則な鼓動のような音が響いていた。まるで巨大な生き物が岩の下で眠り、呼吸をしているかのようだ。


 支部長が声を張る。


「〈遥かなる暁星〉は中央突破。レオンたちは先行して“影”の源を探れ。後続は結界を張りつつ補助。撤退時は三点突破路を用意する」


 その言葉に、ゴディスが盾を掲げた。


「おい……行くならさっさと行くぞ」


 レオンは何も返さず、視線をレティシアへ向ける。


「行くぞ」

「ええ、準備完了」


 坑道の奥から、低い呻き声のような風の音が響いた。

 その瞬間、足元の黒い影がざわりと動く。


「来るぞ!」


 レンが鋭く叫び、突撃部隊が一斉に武器を構えた。


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