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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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200/205

第200話 非常事態

 〈遥かなる暁星〉の三人は息を切らしながら、冒険者ギルド・イングラード支部へと駆け込んだ。扉を押し開けた瞬間、受付嬢の驚く顔が視界に入る。


「セ、セレナさん……! 一体何が──」

「第七採掘区画の封印が破られた! “黒い影”が街へ向かっている、時間がないわ!」


 セレナの怒号のような報告に、ギルド内が一瞬でざわめく。

 奥の執務室から支部長らしき壮年の男が飛び出してきた。


「なに!? “黒い影”だと? 詳細を話せ!」

「帝国の特殊部隊と思われる連中が対処していたが、まるで歯が立たなかった。“影”は次々と湧き出し、大きな塊になった。このままだと街へ侵入しかねない!」


 レンの言葉に、支部長の顔が険しく歪む。


「……わかった。今すぐ全冒険者を招集する! 鐘を鳴らせ、非常招集だ!」


 ゴォォォン──!


 重い警鐘が鳴り響く。街の通りにいる人々が何事かと顔を上げ、冒険者たちが武装を整えながらギルド前に集まり始めた。


「セレナ、詳細をまとめろ。レン、お前は鉱山宿から生き残りの鉱夫を連れてこい! ゴディスは防衛戦の布陣を確認だ!」


 支部長は矢継ぎ早に指示を飛ばした。



 支部長の指示に従って冒険者たちが動く中、ギルドの扉が再び開いて、ボロボロになった銀仮面の男──先ほどの帝国特殊部隊の隊長が、数名の生き残りを引き連れて入ってきた。


 それを見たゴディスが叫ぶ。


「お前ら! 帝国の者だな?」


 血と煤で汚れた鎧が、凄惨な戦いを物語っている。


「……帝国の兵士だと?」


 ギルド内の冒険者たちが一斉に剣を向けた。


「イングラードは帝国兵の立ち入りを許していないはずだ!」

「おい、お前ら……何を隠している!」


 怒声が飛び交う。

 セレナが鋭い視線を向ける。


「あなたたちは、なぜここに? 連盟に無断で動いていたのね?」


 銀仮面の隊長は答えを渋り、低く吐き出した。


「“影”にやられた……だが、これは帝国の機密任務だ。お前たちに説明する義務は──」

「黙れ!」


 支部長が机を叩き割らんばかりの勢いで声を張り上げる。


「貴様らが何を隠そうと関係ない。街を危険に晒した時点で、ここでの権限は私が持つ!」


 冒険者たちが隊長たちの武器を奪い、縄で拘束する。

 隊長は不服そうに睨みつけるが、抵抗する気力はなかったようで暴れることはしなかった。


「お前ら……あの“影”の正体を知っているんじゃないのか?」


 ゴディスの問いに、隊長は唇を噛みしめる。


「……あれは、“深層”の封印が解けたせいだ。我々の任務は……いや、これ以上は言えん」

「言えない? この状況で? ふざけるのもいい加減にしなさい!」


 セレナの声が低く鋭く響いた。



 ギルド前の広場では、冒険者たちが即席の防衛陣を作り始めていた。バリケード用の木材、矢弾の補給、魔術師による結界の展開。続々と陣が作られていく。


「第一区画に前衛を配置! 第二、第三は遠距離支援に回れ!」

「医療班は宿屋の広間を臨時の治療所に! 急げ!」


 鐘の音とともに、街全体が緊張で引き締まっていく。

 セレナは、拘束された銀仮面の男を睨んだまま、呟いた。


「“影”の正体を知らないまま戦うなんて……危険すぎるわ」

「どうする?」

「無理にでも吐かせるしかない。──街を守るためなら、どんな手でも使うわよ」


 石造りの応接室を半ば物置に改造した簡易の“取調室”に、銀仮面の隊長は両腕を後ろ手に縛られ、膝をつかされていた。仮面は外され、額には汗と煤が貼り付き、鋭い灰色の眼だけが頑なに光っている。


 セレナは机越しに腕を組み、低く切り出した。


「もう時間がない。正体不明の“影”を前に、情報を惜しむ理由は?」


 隊長は沈黙を貫く。代わりに背後の壁にもたれたゴディスが、淡々と巨大な盾の縁で床を“コッ”と鳴らした。重い音が室内に籠もり、隊長の肩が微かに揺れる。


「質問を変えるわ」


 セレナの声がさらに冷えた。


「あなたたちが“密かに”深層へ入った目的は──魔物の駆除じゃないわね?」


 レンが脇から一枚の汚れた金属片を投げた。欠けた刃のような形状だが、暗所でも微かに青白く脈動する。


「第七採掘区画の崩落現場から拾った。普通の魔鉱石じゃない。これは何だ?」


 隊長の瞳が、初めて明確に揺れた。唇が強情に結ばれる。沈黙が三呼吸続いた後、低い声が滲む。


「……〈アークリウム〉だ」

「聞いたことがないわね」

「当然だ。帝国内でも最上位秘匿指定。高密度の魔力導脈が“弧状”に配列した結晶構造を持つ。極めて不安定で……精錬が難しい」

「つまり、それを連盟には黙って掘ろうとしたってことか」


 ゴディスが眉をひそめる。


「連盟は安全確認とやらで許可を遅らせた。悠長に会議を繰り返す間にも、鉱脈は魔力の逆流で自壊する可能性があった。だから我々が先行し、“不要な魔物”を排除しつつ採掘を──」

「そこへ“影”が現れた、と」


 レンが遮る。

 隊長は苦い表情で頷いた。


「封鎖柵の奥──本来なら封印符が三重になっているはずの岩壁が崩れていた。内部から滲み出る冷気と、視界を歪める闇。最初はガスか幻惑だと思った。剣も槍も通らず、魔法は拡散され、聖別した銀符も焼けただれた。触れられた兵から“光”が抜け落ちるように崩れ、骨は粉末化する。……止めようがなかった」

「“影”の核、弱点は?」

「見つかっていれば、ここには来ていない」


 セレナが身を乗り出す。


「他に知っていることは?」


 隊長は視線を逸らし、唇を引き結んだ。


「……これ以上は“命令”が……。続きは、状況を見てからだ」


 ゴディスの指が嫌な音を立てて拳を鳴らしたが、セレナは片手を上げて制した。


「いいわ。十分、火種は分かった」


 支部長が入室し、氷のような目で隊長を見下ろす。


「帝国の独断行動は重大な規約違反だ。生き残り全員、武具の没収。手足を縛り、地下保管庫の第二鉄格子へ。監視を二倍に増やせ。後で吐かせる、どんな拷問をしてでもな」


 冒険者二人が無造作に隊長を立たせ、縄を引いた。


「ま、待て、我々は敵では──」

「今この街を脅かしている“影”に対して黙る者は、味方ではない。連れていけ」


 支部長は斬り捨てるように言い、踵を返した。

 銀仮面だった男は悔しげに歯を食いしばりながら、石段の奥へと連れ去られていく。レンはその背を、静かな憎悪ではなく冷たい計算の眼差しで追った。


(──口を割る“鍵”は別にあるか……アークリウム。あの異常な透過性、結晶が“影”を呼んだか、あるいは……)


 そこへ、泥と血に汚れた斥候が駆け込む。肩で荒く息をし、声を張り上げた。


「報告ッ! “影”、北西外縁の第三見張り台を通過! 速度は緩いが拡散しながら接近! 残り距離、およそ八百──いや、七百! 前衛斥候二名、反応なし!」


 空気が一瞬沈み、次いで張り詰める。

 支部長の号令が雷鳴のように落ちた。


「非常戦位“灰帯”を発動! 第一防衛線を北西側へ再配置、第二線は矢盾を組め! 魔術師班、干渉結界“層”を二重展開! 治療班は南側通りの臨時拠点準備、運び手確保! 鐘を三連打――街全域に避難誘導だ!」


 ゴォン、ゴォン、ゴォン──!


 重い鐘の連打が、夜気を震わせて広がっていく。家々の窓が一斉に開き、人々のざわめきと呼応するように、冒険者たちの靴音が石畳を鳴らした。


 セレナは腰の剣を確かめ、ゴディスとレンへ短く頷く。


「正体は不明、攻撃はまったく通じない。──でも止めないと、街が溶けるわ」

「打つ手がないわけじゃない」


 レンの目が微かに光る。


「通らない“事実”を逆手に取る。観察して、侵入経路と反応を測る。核も痕跡もないなら、発生条件を潰す」

「発生条件?」


 ゴディスが眉を寄せる。


「アークリウムが媒質か、封印の残滓か。どっちにせよ“どこに現れるか”を制限できれば足止めは可能かもしれない」

「くそっ! こんなことなら、残りの連中も連れてくるんだったぜ……」


 レンがその言葉を窘める。


「今更そんなことを言っても仕方ないだろう? あいつらは元々、他の依頼を受けているんだからな」


 セレナは息を吸い、張り詰めた夜気を胸いっぱいに満たした。


「──〈遥かなる暁星〉、北西外縁へ。最初の接触は私たちが行くわよ」


 三人は踵を返し、鳴り響く警鐘と逃げ惑う住民の波を逆走して、迫り来る“影”の線へと駆け出した。

 遠く、黒い“影”と赤い点の群れが、街灯の光を呑み込みながら海鳴りめいて迫ってくる──。


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