第2話 持たざる者
一年後。嫡男エリオットが十歳の誕生日を迎え、スキルを授かる儀式が、教会で執り行われた。
エリオットに与えられたのは、上級職が約束されるであろう〈聖騎士〉という高位スキル。
それを聞いた瞬間、屋敷中が歓喜に沸いた。父は無言で頷きながらも、その目には確かな誇りが宿っていた。これでエリオットも、男爵家自体も、将来は約束されたも同然なのだから、当然だろう。どこぞのクソババアなどは甲高い声ではしゃぎまわってうるさいほどだ。ちょっと異常なくらい喜んでいる。使用人たちも、まるで自分のことのように浮かれていた。
「〈聖騎士〉だってよ! 本当にすごい子だ」
「やっぱりエリオット様は違う。将来は王の近衛にでもなるんじゃないかしら」
そんな言葉が、家中のあちこちで飛び交う。男爵家はまるでお祭り騒ぎのようだった。
それからというもの、レオンに対する兄の態度はさらに高慢になった。以前にも増して、事あるごとに己を自慢し、レオンを見下し、侮蔑の言葉を口にした。
「お前なんか、どうせスキルをもらえないに決まっているんだ。せいぜい今のうちに剣でも振って将来の身の振り方でも考えておけよ」
「まあ、俺は上級騎士の職に就くから、すっごく忙しいけどな。従者との調整とか、騎士団の教官との訓練とか。全く貴族の後継ぎってのは何かと大変なんだよ」
「王都にも顔を出さないといけないだろうしな。ああ、全く忙しいぜ」
うるさい、黙れ。その思いを言葉にも顔にも出さず、レオンはいつものように無視して取り合わない。
騎士団の訓練か。だが、兄はその訓練を本気でやれるのだろうか。いや、今までだってまともにやっていなかったのに、今更真面目にやるはずもないだろう。どうせ全てを従者任せにし、教官の話にも耳を貸さないに決まっている。しかし、それでも誰も咎める者はいないのだろう。スキルがすべてを証明しているこの国では、それが当たり前だった。
レオンは、家中の浮かれた様子を、ただ静かに、むしろ冷ややかに見ていた。
何も言わず、誰にも告げず、変わらず独りで剣を振り続けた。
自分は自分、やるべきことを為すだけだと、割り切っていたのである。
彼にとっての審判の時まで、あと一年。
◆
そして一年後、レオンの運命を決める日が来る。
さすがのレオンも、今日ばかりは気持ちが昂っているのだろう。はやる気持ちを抑えようとするかのように剣を振り続けていた。
朝食後、スキル授受の儀のために、教会へ向かう。周囲では同い年の子供たちが、家族や使用人同伴で集まっている。もちろんレオンは一人だ。付き添いなどいない。
時間になると、教会の大扉が、重々しく軋む音を立てて開かれた。
年に一度、十歳になった子どもだけが足を踏み入れることを許される、神殿の最奥。神官たちが神聖な祈りの言葉を唱え、澄んだ香の煙が白く立ちのぼる。
歓喜と失望の声が渦巻く中、レオンの番になる。彼は正装のまま石の床に膝をついた。その背に神官の手が置かれ、儀式が始まる。
「神よ。我らがこの子の魂に、ふさわしき天命を授けたまえ」
目を閉じたレオンの脳裏に、いくつもの情景が浮かぶ。
毎朝の訓練、誰にも見られぬまま続けてきた努力。
あの日、兄にバカにされても歯を食いしばった記憶。
そして、今日に向けて積み重ねた日々。
(何でもいい。努力が報われる証を……)
祈るような気持ちで、目を閉じ続けた。
やがて、神官の声が静かに宣言する。
「……スキルの兆候、確認できず」
まるで時が止まったようだった。
自分の心臓の音だけが、耳の奥で鈍く響く。
「この子には、神より授かるべき“職能”は与えられなかった」
神官は厳粛な声でそう言い切った。その背後で、もう一人の神官が手帳に何かを書き込んでいるのが見えた。
「次の者を」
それだけを言い残して、レオンの儀式は終わった。
レオンは立ち上がることもできず、しばらくその場に膝をついたまま動けなかった。足元に揺れる香の煙が、白く、冷たく彼を包んでいた。
教会から屋敷に戻る道すがら、レオンはただただ黙って歩いた。何も考えられなかった。すれ違う人の目が、どこか冷たく、遠く感じられたことだけは覚えている。
◆
教会から戻ったレオンは、屋敷に足を踏み入れると、すぐにその異様な雰囲気に気付いた。使用人たちも、家族も、誰も彼を迎えようともせず、ひっそりとした空気が流れていた。
レオンは仕方なく父のもとへ向かうべく足を運ぶ。廊下の奥、重厚な扉の向こうには父が座している部屋がある。その扉を開けると、そこには既に、父と兄エリオットが待っていた。
父はいつものように座っていたが、その顔には言葉では言い表せないほどの冷徹な表情が浮かんでいた。エリオットはソファにふんぞり返って、その顔に勝ち誇った笑みを浮かべ、レオンを見る。
「ようやく帰ってきたか。お前、本当に何も授からなかったんだってな」
おそらく既に教会から報告を受けていたのだろう。
その言葉を受けて、レオンは言葉を返せずに立ち尽くした。
父が静かに、しかし冷たく言い放つ。
「レオン、お前はもうこの家に、そしてこの領地にも存在する資格はない」
「……なっ……!」
「お前には、もう何もない。家を出ろ。そして、この領地を離れろ」
その言葉に、レオンは呆然とした。さすがに予想外だった。父がこんなに冷徹に、自分を追い出すとは思ってもいなかった。だが父はそれを、まるで事務的に告げた。エリオットはその隣で実に嬉しそうに顔を綻ばせている。
「おい、レオン。お前のせいでアルテイル家がどれだけ恥をかいたか、考えてみろよ」
その言葉に、レオンの胸は痛むが、何も言えなかった。自分がスキルを授からなかったことは紛れもない事実なのだ。
「多少の金はくれてやる。すぐに荷物をまとめて出て行け。この領地にいる限り、お前は領民たちの目にも触れ続け、いろいろと噂になるからな」
父はそう言い放ち、冷たく目を背けた。
レオンは、その父の言葉になんら反抗することなく、その場を後にした。家を出るということは、家族を失うということ、そして領地を離れることは、未来のすべてを失うことを意味している。
レオンは部屋に戻ると、ただ静かに足を踏み入れた。以前からここで過ごしていた時間が、まるで他人の物のように感じられた。家具も何もかもが、あまりにも冷たく、無機質に見える。無言で荷物をまとめるために手を伸ばすと、何もかもが手に余るほど簡素だった。
日頃から使っている剣を取り、柄に触れる。それがレオンにとっては唯一、誇りを持っていたものだった。でも今、その剣は単なる道具に過ぎない。ただ重さを感じるだけだった。
父から渡された袋を取り上げると、その中身は少しばかりの金貨。この程度の金で、これからの生活がどうなるのか、全く見当もつかない。かろうじて替えの服を一着、無造作に包み込んだが、それ以外に何も持つものはなかった。自分がこの家で、いかに何も与えられなかったかということを実感させられる。
「荷物をまとめると言っても、これで、全部だ……」
独り言が部屋に響いた。誰かに聞かせるつもりもなく、ただ自分に向けて呟いた言葉だった。何もかもが足りない。足りないものばかりで、次に何をすべきかもわからない。
それでも、レオンは無理にでも荷物をまとめ、静かに扉を開ける。外には、待つものがある。だが、それが何であるか、今はまだ想像もつかない。
部屋を出て廊下を進もうとすると、背後から声が飛んできた。
「おい、レオン」




