第196話 遭遇
二人は引き続き街の探索と、魔物の状況、そして帝国の情報を集めるべく動いていた。
夜、イングラードの一角にある古びた酒場。その隅の席で、レオンとレティシアは周囲の声に耳を澄ませていた。
酒場の中央付近では、分厚い腕をした鉱山労働者たちが木製のジョッキを打ち鳴らし、愚痴をこぼしている。
「まったく、魔物騒ぎが大きくなってきたせいで、仕事もまともに出来ん!」
「今に始まったことじゃないが、最近は数が多すぎるな」
「お前のところもか? こっちは坑道の奥が完全に閉鎖だ。しばらく仕事にならんぞ」
やはり魔物の被害は、冗談では済まないほど拡大しているらしい。
「だが、帝国の連中も騒いでいるらしいぞ?」
「ふん、あいつらのことなんぞ知るか!」
「ギルドがどうも動いたようだな。最近は妙に冒険者が増えた」
「どうせ帝国の機嫌を取ろうと、連盟が裏で指示したんだろうよ」
レオンは無言で肩を竦めた。彼らの言葉の端々から、イングラードが連盟や帝国に対して良い感情を抱いていないのが伝わってくる。冒険者も歓迎されているわけではなさそうだ。
酒場の扉が開いて外の冷たい風と共に、見覚えのある顔ぶれが入ってくる。
「レオン、あれ……」
「ん? ああ、見たことあるような、ないような。誰だ?」
「……アスラン・ヘイブンにいたAランクパーティーだよ。〈遥かなる暁星〉っていったかな?」
「ああ……酒場で暴れていた──」
「違う。絡まれていた方だよ、むしろ」
「そうだったか? まあ、どっちでもいいさ」
「怒られるよ? 彼らもギルドの指名依頼で来たのかな?」
「おそらくそうだろう。……ギルドも最初からそうしていればよかったものをな」
レオンが鼻で笑い、グラスを揺らした。
〈遥かなる暁星〉の面々は、酒場内の視線や空気を感じ取ったのか、一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた。だが何も言わず、静かに空いている席へ腰を下ろし、淡々と酒を頼んでいた。
〈遥かなる暁星〉の一行は酒を頼んでしばし静かにしていたが、やがてその視線がレオンたちのテーブルに向けられた。
「セレナ、あそこ……」
「ん?」
リーダーらしき女性──セレナが軽く振り返り、レオンたちを見やる。
「あら、イングラードに来ていたのね」
「詳しいことは知らないけれど、ギルド長と揉めたって噂は……どうやら本当だったようだね」
「どうする気だ?」
「そうね、少し話してみましょうか」
椅子が軋む音とともに、セレナが立ち上がる。艶のある黒髪が肩を揺らし、周囲の客たちが一瞬だけ動きを止めた。彼女は何の迷いもなくレオンたちの席へと歩み寄る。
「久しぶりね」
セレナは軽やかにそう言い、レティシアの対面に腰を下ろす。
「……久しぶりと言うほど知った仲ではないがな」
レオンの声は淡々と、かつ抑えたものだった。会ったことはある。だが話をしたことはない。彼ら〈遥かなる暁星〉の実力は、スタンピードの際に戦場で見ている。しかし、セレナの方はレオンとレティシアをただのCランク相当と見ているに違いない。
何の用か。
レオンは自然な表情を装いながらも、内心わずかに警戒心を強めていた。酒場のざわめきが遠のいたように感じる。
──こいつらがこの場で何を持ちかけてくるのか。
その真意を、目の奥で測りながら。
セレナはテーブルに肘をつき、軽く指で縁をなぞりながら口を開いた。
「……噂は耳に入っているわ。あなたたち、冒険者を辞めたって?」
その声は驚きというよりも探るような響きを帯びていた。
「……知っているなら、確認の必要はないのでは?」
レオンがグラスを揺らし、琥珀色の液体が微かに波打つ。
「詳しいいきさつまでは知らないわ。何があったの?」
レオンは一度溜息を吐き、視線をセレナに向ける。
「別に大したことじゃない。……連盟がギルドに圧力をかけたんだ。帝国の機嫌を取るためにな」
セレナの眉がわずかに動く。
「ギルドは、その連盟からの指名依頼を受けさせるために、俺たちを昇格させたかったらしい」
ジョッキを軽く机に置き、レオンは鼻で笑った。
「だがそんなことで昇格させられ、無理やり依頼を押し付けられるなんてごめんだ。馬鹿馬鹿しいだろ。だから辞めた。AランクだのBランクだの、俺にとっては何の意味も持たん」
セレナは一瞬だけ言葉を失い、レティシアの方を見る。
「あなたも、そうなの?」
レティシアは短く息をつき、頷く。
「ええ。レオンと一緒にいたいし、あのギルドのやり方に縛られるのは、なんだか性に合わないから」
その答えに、セレナは無言で頷き返し、少しだけ真剣な眼差しを二人に向けた。
「……なるほどね。確かに、ギルド長の態度は妙だと思っていたけれど」
セレナは腕を組み、少し首を傾げながら言った。
「で、ここへは何しに来たの? 冒険者を辞めたってことは、魔物の駆除に来たわけではないんでしょう?」
レオンはグラスを指先で転がし、淡々と答える。
「別に冒険者でなくても魔物の駆除は出来る。……今はこの街の状況を見ているだけだ」
鍛冶師のことは口にしなかった。余計な情報を与える必要はないと思っているのだろう。
代わりにレティシアが口を開いた。
「あなたたちは指名依頼で来たのでしょう?」
「ええ。ギルド長がしつこくてね。アスラン・ヘイブンにいたのが仇だったわ」
セレナが肩をすくめ、苦笑を浮かべる。
「嫌なら断ればいいだけのことだろう?」
レオンは冷たく言い放った。
「俺たちはそうした。それだけだ」
セレナは一瞬だけ目を細めたが、反論はしなかった。ただ、その視線には興味と警戒が入り混じっていた。
「……何か情報が入ったら教えてね。こちらも協力するから」
セレナはそう言い残し、静かに立ち上がると、自分たちの席へ戻っていった。〈暁星の誓約〉の仲間たちが彼女を出迎え、何か短く言葉を交わしている。
レティシアが小声で尋ねる。
「どうする?」
「別に無視しても構わないだろう?」
レオンはグラスを回しながら、淡々と答えた。
「向こうは向こうで依頼を果たせばいい。俺たちは俺たちで動くだけだよ」
「……そうだね。もう、冒険者ではないんだし」
レティシアはゆっくりと息を吐き、微笑にも似た、けれど少し寂しげな表情を見せた。




