第195話 鉱山都市
レオンとレティシアは、目の前に広がる街を見下ろしていた。
アスラン・ヘイブンを西に発ち、荒野を抜け、ドラヴァイン連峰を越えて──ようやく鉱山都市イングラードに辿り着いたのだった。
旅路では多くの魔物と戦い、悪天候にも悩まされ、予定より三日も遅れた。多めに用意した物資も底をつきかけ、節約を強いられながらの行軍だった。
二人は外壁に囲まれたイングラードの門へと歩を進める。
「鉱山都市っていうから、もっと無骨な感じかと思ったけど……意外とそうでもないんだね」
列に並ぶ間、レティシアが素直な感想を漏らす。
「それは昔の話さ。最初はそうだったが、今じゃ他都市から人や物が流れ込んで、だいぶ洗練されてきた」
前に並ぶ商人風の二人が振り返って笑う。
「だが職人たちは変わっちゃいない。無骨で頑固だが、その分腕も確かだ」
「鍛冶師が多いと聞いたが?」
レオンの問いに、商人が肩をすくめて答える。
「ああ、昔から鍛冶師の街だ。そして今でも、鍛冶師になりたい若者が全国から集まる。……まあ、腕のいい鍛冶師になるのは至難の業だがな」
「スキルを持っていても、結局は厳しい修行が待ってる。スキルなんてあろうがなかろうが、同じことだ」
もう一人の商人が付け加える。
「いい店が多そうだな。楽しみだ」
レオンが軽く笑い、会話はそこまでとなった。
やがて二人の番が回ってくる。
「身分証はあるか?」
門番の問いに、レオンが懐から一枚の札を出した。
「連盟の登録証がある。これでいいか?」
「ああ……見たところ、冒険者のようだが。ギルド証じゃないのか?」
「廃業した」
レオンが軽く笑って答えると、門番は意外そうに眉を上げた。
「へぇ、そいつはまた珍しいな。まあいい、通っていいぜ」
「ありがとう」
レティシアがにこやかに礼を言い、二人は門をくぐった。
「やはり身分証がこれしかないのは厳しいか?」
「使えないわけじゃないから構わないとは思うけれど……いずれ何か考えてみようか」
門をくぐると、石畳の大通りが目の前に広がった。鉱山都市の名に相応しく、通り沿いには鍛冶場や工房らしき建物が並び、金属の打ち合う高い音がそこかしこから響いてくる。だが、その音が騒がしく感じないのは、職人たちの動きがどこか整然としているからかもしれなかった。
レティシアは小さく息を吐き、長旅の疲れを振り払うように背伸びをした。
「まずは、宿と……まともなご飯だね」
「そうだな。干し肉と黒パンの生活にはうんざりだ」
レオンは通りの先を見やり、匂いを嗅ぐように鼻を動かした。香ばしい肉の匂いが、街の空気に混ざって漂ってきていた。
通りを進むと、〈鉄炉亭〉という木造二階建ての宿兼食堂が目に入った。表には炭火焼きの大きな鉄板が置かれ、店先で串に刺した肉や野菜を豪快に焼いている。
「レオン、レオン! ここにしようよ!」
「いい匂いだな。ここは当たりかもしれないな」
レオンが無言で扉を押すと、店内は既に鉱夫や職人たちで賑わっていた。厚手の木のテーブルには泡立つ黒ビールと焼き立てのパン、肉料理が並び、活気に溢れている。
二人は空いていた隅の席に腰を下ろし、店の娘に料理を頼んだ。
「おすすめの肉とパン、スープを二つ。それからビールもね」
レティシアが注文を終えると、テーブルに肘をついてほっと息をつく。
「……ようやくまともな椅子に座れた気がする」
「岩の椅子はきつかったからな」
レオンの言葉に、レティシアはクスッと笑う。
ほどなくして、鉄板で焼かれた分厚い肉と、根菜の煮込みスープが運ばれてきた。肉には香ばしい焦げ目がつき、ナイフを入れると肉汁がじわりとあふれ出る。
「……いい匂い」
レティシアは一口齧り、思わず目を細めた。
「うん、これはおいしい!」
「ビールも悪くないな」
レオンは大ジョッキを片手に豪快に喉を鳴らした。
食事を終えた二人は、そのまま二階の部屋を借りることにした。
「今日はもう動きたくなーい」
ベッドに身を投げたレティシアが、天井を見上げたまま笑う。
「ああ、ゆっくり寝よう。明日からは情報集めだ」
レオンも隣のベッドに腰を下ろし、外の夜風を感じるように窓を少し開けた。街の遠くからは、まだ鉄を打つ音が微かに響いていた。
◆
翌朝、陽が山の稜線から顔を出す頃、イングラードの街は早くも活気に包まれていた。宿〈鉄炉亭〉の窓から差し込む光は白く澄み、昨夜の喧噪が嘘のように静かな空気が漂っている。
レオンとレティシアは簡単な朝食を終えると、街の探索に出かけた。
通りには金属を扱う店や職人の工房が軒を連ね、開店準備の音や火花の匂いが混ざり合っていた。
「本当に鍛冶師の街って感じだね。どこを見ても火と金属だ」
レティシアが呆れたように言うと、レオンは頷く。
「鍛冶師が鍛冶師を呼ぶんだろうな。こういう環境で腕を磨けば、自然と名が上がるってのも頷けるな」
中央広場へ向かうと、青い布を張った露天が並ぶ市場が開かれていた。
肉や野菜のほか、鉱山から掘り出された原石や、加工前の金属インゴットまで売られている。
「見て、この魔鉄の塊……これ一つで何本の剣ができるんだろう」
レティシアは興味深そうに目を輝かせる。
「だが値も張るぞ。ほら、こいつなんか──」
レオンが示した銀色の金属は、確かに普通の鉄の三倍はしそうな輝きを放っていた。
「うっわぁ、すっごいね!」
そんな二人の横で、屈強な男たちが大声で交渉をしている。
「二割引きだと? せめて三割くらいにしてくれよ!」
「冗談言うな、こっちは命懸けで掘り出したんだ!」
市場の喧騒はどこか荒々しくも、鉱山都市ならではの活気を感じさせた。
その後、二人はひと際大きな鍛冶場に立ち寄った。
壁一面に剣や斧、鎧が吊るされ、炉の前では大柄な職人が真っ赤に焼けた鉄を叩いている。
「おお、客か? 見ていけ。こいつは昨日仕上げたばかりの剣だ」
鍛冶師はごつい腕を誇示するように剣を掲げた。
レオンは刃を軽く眺め、柄を握って重さを確かめる。
「悪くない。だが、もう少し切先のバランスを軽くしてもいいかもしれないな」
職人の眉がぴくりと動く。
「……分かるのか?」
「まあな」
レオンはニヤリと笑い、剣を返した。
レティシアはそんな二人を横目に、壁に並ぶ装飾的な短剣を見ていた。
「こういうのもいいな……でも、値段見てびっくりだ」
短剣一つで冒険者の報酬が飛ぶほどの値がついている。
その後、二人は一通り市場と鍛冶場を見て回った。
「情報はまだまだだけど、昼は少し贅沢してもいいんじゃない?」
レティシアが提案すると、レオンは頷いた。
「昼は……あの市場の奥にあった炙り肉の屋台にしようぜ?」
市場の奥にある屋台街は、昼時ともなれば人でごった返す。炙り肉の香ばしい匂いがあちこちから漂い、鉱山帰りの鉱夫や職人たちが豪快に食事をしていた。
「ほら、あの串、すごく美味しそう」
レティシアが目を輝かせる。
「腹も減ってるし、迷う必要はなさそうだな」
レオンは炙り肉の串と山盛りの蒸し芋、そして蜂蜜酒を二人分注文し、屋台の脇にある木のテーブルに腰を下ろした。
炭火で炙られた肉は、口に入れた瞬間に肉汁があふれ、スパイスの香りが鼻をくすぐった。
「……やばい、これはおいしすぎるよ」
レティシアは夢中で頬張りながら、満足げに目を細める。
「この街、飯も酒も悪くないどころか、うまいぞ」
レオンも満足げに言い、蜂蜜酒で喉を潤した。
隣のテーブルでは鉱夫らしき男たちが大声で話している。
「……また坑道が封鎖されたって話だ」
「おいおい、今度は北の第六坑か?」
「そうだ。何でも“魔物の巣”になってるって噂だ。前に討伐隊を出したが、全滅だったらしいぞ」
「全滅だと? Bランクの冒険者が混じってたって聞いたぞ」
レティシアがレオンと視線を交わす。
「魔物の巣、って言ってたよね……」
「ああ。気になる話だが……」
さらに男たちの会話は続く。
「このままだと鉱山の稼働が止まっちまう。あの辺の鉄鉱は上質だし、街の鍛冶師も困るだろう」
「帝国の採掘職人も文句を言い始めてるらしいぞ。ギルドが動くかもな」
「ヘッ、あいつらのことなんか放っておけばいいんだ」
レティシアは肉の串を置き、低い声で呟いた。
「ギルドが動く……つまり、討伐依頼が出るかもしれない」
「間違いなく出るだろうな。しかも、腕の立つ連中を求めるだろう」
レオンは蜂蜜酒を飲み干し、空のジョッキをテーブルに置いた。
「どうする?」
「少し様子を見る。だが、俺たちはもう冒険者ではないからな」
レオンの言葉に、レティシアは頷いた。
◆
夜、イングラードの街は昼間とは別の顔を見せていた。
昼の市場の賑わいが落ち着くと、職人や鉱夫たちは酒場へと集まり、夜のひと時を騒がしく楽しむ。街の中央通りにある大きな酒場〈黒鉄の杯〉も例外ではなかった。扉を開けた瞬間、熱気と笑い声、そして酒と肉の匂いが押し寄せる。
レオンとレティシアは人波を縫って奥のテーブル席に腰を下ろした。
「なんだか……昼よりさらに賑やかだね」
レティシアがあたりを見回しながら呟く。
「鉱山で命張ってる連中だからな。生きて帰れた夜は、こうやって派手に飲むんだろう」
レオンは淡々とした声で答えた。
「だが、そんな雰囲気こそ、生きてる証とも言える気がするよな」
店員に黒ビールと山盛りの燻製肉を頼むと、隣のテーブルで大声を張り上げる鉱夫たちの会話が耳に入ってきた。
「聞いたか、第六坑の話!」
「ああ、あれだろ? 〈血を啜る犬〉とかいう化け物が出たってやつか?」
「いや、犬どころか影みたいな塊だってさ。剣も通らないらしい」
「冗談言うなよ。前に派遣された連中、Bランクの冒険者もいたんだろ?」
「いたさ。だが戻ってきたのは三人だけ……しかも全員半死半生だってよ」
レティシアは眉をひそめ、レオンに小声で言った。
「〈血を啜る犬〉? 影の塊? どっちもただの噂話っぽいけど……」
「実際に何か起きてるのは確かだ。問題は、それがただの魔物か、それとも……」
レオンは黒ビールを一口飲み、言葉を濁した。
さらに別の鉱夫が、やけに深刻な声で続けた。
「それだけじゃない。第七坑も封鎖されたって話だ。中で誰かが襲われたらしい」
「やめろ、そういう気味悪い話は!」
場が一瞬だけ静まり返るが、すぐに誰かが「酒だ、酒をもっと持ってこい!」と叫び、空気は再び賑やかさを取り戻した。
レティシアは椅子に背を預け、小さく息を吐く。
「どうやら、この街の魔物は手強そうだね」
「ああ。得体が知れない魔物ってのは油断ならないからな」
レオンは低く呟き、黒鉄のジョッキを軽く鳴らした。




