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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第194話 ラドニア併合

 ラドニア──西と東、信仰と力、理想と現実の狭間に生きる交易都市。

 この街は古来より中立を掲げ、東方の帝国と西方の王国、さらに南方の聖教国との間に橋を架けてきた。多民族が行き交い、神々の祠と軍神の像が隣り合って並ぶ特異な風景は、まさに“緩衝地帯”たる存在を象徴している。


 だがその均衡は、今、音を立てて崩れ始めていた。

 鉱山跡を巡る争いのため、聖教国の軍がラドニアを通過して帝国へ侵攻したことで、街は激しく揺れていた。その通行を黙認したことで、帝国からは「事実上の敵対行為」との非難を受け、聖教国からは「信仰の大義を理解する仲間」と持ち上げられ、ラドニア政府はその板挟みに喘いでいる。


「このままでは、我が国が戦場となる!」


 市政評議会の議場に怒号が飛ぶ。豪商、軍人、聖職者、そして各民族の代表者たちが顔を紅潮させ、声を張り上げていた。


「聖教国と手を切るべきだ!  奴らは我が地を踏みにじった!」

「だが帝国に肩入れすれば、教国の怒りを買う!  民は信仰を裏切るのか!?」

「中立を守らねばならぬ、いかなる圧力にも屈してはならん!」

「中立など、もはや絵空事に過ぎぬわ!」


 評議会議長は、頭を抱えながら黙して座していた。戦争の影は日に日に濃くなり、市民の間にも不安と不満が燻っている。街の各地では小規模な暴動や宗派対立が起き、軍はその都度介入を余儀なくされた。


 ラドニア市民もまた二分されつつあった。


「帝国の方が現実的だ。軍が強く、秩序がある。あちらに従えば戦争は終わる」

「ふざけるな!  聖地を奪われたまま、なぜ黙って従う!?  聖教国こそ神の国だ!」

「もう嫌だ……戦争なんて、よその国の話だったのに……」


 街頭ではそれぞれの主張が交錯し、帝国支持派と聖教国支持派の間に小競り合いが絶えなかった。


 そして、混乱の只中で、帝国の影が静かに蠢いていた。

 ラドニア市内にある酒場「百鍵亭」──一見すれば旅人や兵士の溜まり場に過ぎぬその場所の奥、地下室には、帝国軍情報部直属の諜報員たちが集っていた。


「西門の警備隊長が我々に協力する旨を確認。見返りは商人ギルドへの借款免除と、家族の国外脱出援助」

「市政評議会内、第三商業区代表が我らの主張に傾きつつある。“帝国庇護下の特別自治州”という条件をちらつかせたところ、反応は良好」

「問題は……“神殿通り”の影響力だな。あそこを抑えなければ、聖教国派の牙は抜けん」

「正面から潰せば、市民の反発は必至。だが……“火災”や“暴動”なら話は別だ」


 その場を仕切る男は帝国軍情報部〈第二策源局〉所属の影の将。冷徹に、着実に、都市の神経を一つずつ麻痺させていく。彼にとって、この都市は既に“戦場”だった。剣や砲弾が飛び交う戦場ではなく、情報と恐怖、そして選択を巡る“意志の戦場”。


「混乱を拡大しろ。市民を疲弊させろ。秩序の崩壊を恐れたとき、彼らは“より強い庇護”を求める。そこに帝国が“救済者”として現れるのだ」


 既に街には多くの“協力者”が動いていた。街の治安隊に潜り込んだ帝国工作員、買収された報道者、偽装した聖職者。破壊活動と扇動、そして偽情報の拡散により、都市の秩序はゆるやかに、だが確実に蝕まれていく。

 その一方で、帝国軍の先遣部隊が“ラドニア周辺における治安維持”の名目で北側の高地に進出しつつあった。


「このままでは……このままでは、帝国に飲み込まれる……!」


 議長は、震える手で文書を握りしめていた。それは帝国から届いた最後通牒──「中立を維持するならば、帝国軍の進駐を受け入れ、補給路と通行の自由を許可せよ。拒否するならば、非中立国としての措置を取る」という、事実上の恫喝である。


「帝国に屈するか、聖教国に縋るか……。いや、どちらに従っても、我らに未来はあるのか……」


 政庁の窓の外、街の広場では今日もまた、市民が叫んでいた。


「信仰を裏切るな! 神の道を進め!」

「戦争反対! 帝国も聖教国も帰れ!」

「我らはラドニア人だ! どこにも従わぬ!」


 ──だが、彼らの叫びは、冷たい鉄靴の足音にかき消されつつあった。



 黒き旗の下に集う帝国の兵が、次なる進軍の地として、ラドニアを見据えている。力なき中立に残された時間は、あまりに短い。

 鉱山跡での戦いは、ついに終止符を打たれた。

 帝国の黒鉄軍団──第七重装猟兵師団と第四戦魔団を中心とする主力部隊が三方からの包囲殲滅作戦を展開。地形を熟知した帝国軍は坑道網を利用した浸透戦術と、魔導機関を併用した火力投射を駆使し、聖教国軍の陣地を一点ずつ切り崩していった。

 三日三晩に及ぶ熾烈な攻防戦の末、聖教国軍の防衛線は完全に崩壊。最後まで抗戦していた聖騎士団〈光の盾〉が壊滅し、聖旗は帝国軍の鉄槍によって引き裂かれ、戦場に打ち捨てられた。


「帝国の地に、異端の旗はもはや必要なし──」


 戦場に立つ帝国軍、前線部隊を率いるオリク将軍は、灰と血の降り積もる砦の頂に立ち、崩れ落ちた聖教国兵の亡骸を冷然と見下ろした。彼の命令の下、掃討戦は徹底された。逃げ延びようとする者も、祈りを捧げる者も、容赦なく地に伏した。


 これをもって、聖教国軍は帝国領から完全に駆逐された。

 だが、これは終わりではなかった。むしろ、真なる“始まり”だった。

 制圧の報はすぐさま帝都に届き、皇帝の玉座にて次なる命が下る。


「よくやった。あとは残骸を踏み越え、奴らの本国を脅かす。そのためには、次はラドニアだ」


 既に決定は下されていた。帝国はこの機を逃さず、戦線をそのまま南西に展開。ラドニアへと兵を進める。名目は「治安維持と補給路確保」、だが実態は完全なる軍事進駐だった。

 ラドニア政府は抗議を試みたものの、既に遅すぎた。帝国軍先遣隊は一日で国境の橋を渡り、市街地外縁部の戦略拠点を確保。ラドニア軍は為す術なく退き、いくつかの駐屯地は無血で帝国に明け渡された。


 しかし、すべてが静かに進んだわけではない。

 帝国軍の進駐に反発する親聖教国派──特に神殿騎士団出身者や敬虔な民衆、民族自警団らは、「帝国への服従は魂の売却」として武器を取り、街の一角で蜂起。数千名規模の暴徒が一時、市政庁舎と神殿通りを占拠した。

 だが、帝国はこの混乱すらも計算済みであった。


「──反乱は歓迎すべき“敵対の証”だ。鎮圧の大義を我らに与える」


 第十三制圧軍団〈灰狼旅団〉が街の境界線を越え、速やかに展開。戦闘魔導士による高位制圧術〈雷鎖網〉と〈焦土結界〉が神殿通りを封鎖し、逃げ場を断たれた反乱派はなすすべなく蹂躙された。

 爆炎の中、神殿は崩れ落ち、聖堂の尖塔は砲撃により折れ、市政庁舎は鎮圧後の“見せしめ”として三日間に渡って晒された。生き残った者たちは「矯正収容所」と呼ばれる帝国の再教育施設へと送られ、戻ってきた者はいなかった。


 反乱を鎮圧した後、帝国は直ちに“再建”と称して新政府の樹立に取り掛かった。

 表向きは「臨時行政評議会」、だが実態は帝国軍の民政局が直接指導し、帝国支持派の商人や学識者を中心に構成された完全なる傀儡政権である。

 その代表に据えられたのは、元評議員でありながら帝国に早くから接触していたユーベル・カスパル。表情から誇りを抜き取ったような男で、民衆の非難を無視し、淡々とこう宣言した。


「本日より、ラドニアは“帝国庇護下の準自治領”として、帝国と共に未来を築く。民の生命と秩序を守るための選択であり、断じて服従ではない」


 街中に貼られた告示には、「秩序回復特令」として以下の布告が記されていた。


  一、帝国軍は治安維持のため、無期限でラドニア市内に駐留するものとする。

  二、帝国の通貨および法制を段階的に導入し、交易・徴税を合理化する。

  三、聖教国との一切の接触は「敵対行為」と見なされ、反逆罪として処罰される。

  四、神殿は宗教機関として認可されるが、帝国の監督下に置かれる。

  五、報道・教育・言論は「公共秩序」に基づき統制される。


 この布告が掲示された翌日、ラドニアの国旗は降ろされ、代わりに帝国の双頭鷲が掲げられた。

 民衆の多くは沈黙したままそれを見上げ、ほんの一部が泣き崩れ、そして誰も声を上げなかった。


 ラドニアは──終わったのだ。

 中立都市としての誇りも、独立国としての意志も、信仰の自由も。

 今はただ、帝国の歯車の一部として動き始めた巨大な装置の小さな部品に過ぎない。


 だが、帝国にとってはこれこそが“理想的な統治”だった。反乱は鎮められ、資源は確保され、兵站は安定し、信仰の牙は折られた。そして、次なる目標──“聖教国本土”への侵攻作戦が、着々と整いつつあった。

 黒鉄の軍靴が、また一歩、信仰の地を踏みしめる。


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