第193話 二人の意志と旅立ち
二人はギルドの応接室にいた。厚い扉が閉じられると、外の喧騒はぴたりと消える。
「……で、俺たちに話とは?」
レオンが腕を組み、無造作に椅子へ腰を下ろす。隣でレティシアも静かに視線を向けた。
向かいに座るギルド長が、おもむろに口を開く。
「二人には、ぜひランク昇格試験を受けてもらいたい」
「またその話か」
レオンは少し眉をひそめた。
「そこまで言ってくるのには何か訳があるんだろう?……理由を聞いても?」
ギルド長は表情を変えずに答える。
「Bランクともなれば、より困難な依頼や、他都市の上級者用の依頼を受けることも可能だ。今、ギルドにはそういった依頼が多く舞い込んでいる。君たちには、ぜひとも活躍してもらいたい」
「それはそうだが……本当にそれだけか?」
レオンはまっすぐギルド長を見据えた。その視線は、まるで相手の心を覗くかのように鋭い。
「Bランクともなれば、指名依頼も出てくる。それをやらせたいのだろう?」
ギルド長はわずかに息をつき、肩を落とした。
「……否定はしない。もちろんそれもある」
一拍置いてから、低く続ける。
「評議会からの依頼が来ている。魔物の駆除依頼だ」
ギルド長は一息つき、机の上に置かれた書類を軽く叩いた。
「今回の話は、帝国と自由都市連盟の対立に端を発している」
レオンとレティシアが視線を交わす。ギルド長は続けた。
「帝国は連盟に対して最新の技術提供を約束した。その見返りとして、鉱山都市イングラードが管轄する採掘区画の一部を譲渡する、という取り決めだ。しかし──」
そこでギルド長は眉を寄せた。
「問題の区画は長らく手つかずだ。理由は簡単だ。魔物が巣食っていて、まともな採掘ができない。結果、採掘は一切進まず、帝国からの技術提供も宙に浮いたままだ」
「……なるほどな」
レオンは短く相槌を打つ。
「帝国は痺れを切らし、自国の特殊部隊を派遣してでも片を付けると主張してきた。しかしイングラードの連中は、鉱山を帝国兵に荒らされることを断固拒否している」
ギルド長は手を広げ、困ったように首を振った。
「交渉は暗礁に乗り上げた。このままでは採掘権の話は白紙になり、帝国との関係も悪化するだろう。そこで、連盟評議会は冒険者ギルドに話を持ちかけてきた」
「つまり、俺たちが片を付けろってわけか」
レオンの口調には皮肉が滲む。
ギルド長は小さく頷いた。
「そうだ。問題の鉱山に生息している魔物を駆除し、採掘ができる状態に戻す。それが依頼の目的だ。しかし──」
ギルド長は少し声を低める。
「噂に聞く限り、魔物の強さは並ではない。通常の冒険者では討伐は不可能だろう。そこで、実力のある君たちに白羽の矢が立った、というわけだ」
レティシアが静かに息を吐いた。
「結局、昇格試験というより、実質は指名依頼ね」
ギルド長は鷹揚に頷く。
「否定はしない。だが名誉なことではある」
レオンはしばし黙り込み、視線を落とす。
「……仮に俺たちが魔物を駆除したとして、その後はどうなる?」
「どう、とは?」
ギルド長が目を細めた。
「採掘が始まり、帝国から技術が提供される……本当にそうなるのか? そもそも、帝国はこの大陸をじわじわと呑み込もうとしているんじゃないのか? イングラードだってそれを警戒してるんじゃないのか?」
レオンの言葉は鋭く、まるで針で突くようだった。
ギルド長は短く息を吐き、背もたれに体を預けた。
「君の考えは間違っていない。帝国が狙うのは単なる資源だけではないだろう。イングラードはそれを見抜いている。だからこそ、帝国の特殊部隊を入れることを拒んでいる」
「じゃあ連盟は?」
レティシアが静かに問いかける。
「気付いていながら、それでも帝国に採掘権を渡すの?」
ギルド長は苦い表情を浮かべた。
「……連盟にとっても、帝国との繋がりは無視できない。技術は確かに有用だ。都市間の利害も絡む。もはや単純な善悪の問題ではない」
「そして俺たち冒険者は、その駒として動けというわけか」
レオンの声には苛立ちが混じる。
「駒ではない」
ギルド長はきっぱりと否定した。
「だが、ギルドは政治に直接口を出せない。できるのは、依頼を遂行し、街や人々を守ることだけだ。今回の件も、表向きは“魔物駆除”という依頼に過ぎない」
「……なるほど、物は言いようだな」
レオンはしばし目を閉じ、深く息を吐いた。そして、きっぱりと言い放った。
「悪いが、昇格試験は受けない。馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
ギルド長の眉がわずかに動く。
「……理由を聞いても?」
「単純な話だ」
レオンは真っ直ぐにギルド長を見た。
「俺は誰にも縛られるつもりはない」
ギルド長が低く言う。
「Bランクともなれば、避けられない責務も出てくる。冒険者である以上、ある程度は連盟の意向に従わねばならん。街の安定、各都市との均衡、そのための調整役として──」
「冒険者なら、か」
レオンは遮った。声は冷たく、刃のようだった。
「俺は権力者のために冒険者になったわけじゃない。それを強制するって言うんなら、冒険者なんて辞めてもいい。俺たちはこれから“自分たちの意志”で動くことにする」
レティシアが小さく頷き、レオンの言葉に重ねる。
「そうね、これは最初に二人で決めたことだから」
応接室の空気がピシッと張りつめる。
ギルド長は目を見開き、わずかに身を乗り出す。
「ま、待ってくれ、それは困る。優秀な冒険者は必要なのだ。──君たちが抜ければ、戦力の空白が生じる。評議会への顔も立たん」
レオンは肩をすくめ、椅子からゆっくり立ち上がった。
「それは俺たちの責任ではないな。ギルドがそこをうまくやるべき事だろう。俺たちはこれからイングラードに行く。これは依頼を“受けた”わけじゃない。もともとイングラードには行く予定だった。ついでに現地で何が起きているのか、この目で確かめることにする」
それに、と続ける。
「──権力者の思惑で動くために昇格する気など毛頭ない。どうしても指名依頼をさせたいなら、他の“やる気”のありそうな連中にでも受けさせればいいだけの話だ」
レティシアも椅子から立ち上がり、ギルド長を見下ろすように言った。
「BランクでもAランクでも、他に動く人がいるでしょう? 彼らに任せます」
「おい、ま、待て」
重い扉が開き、外のざわめきが一気に流れ込む。そのまま二人の背は応接室から消え、静寂だけが残った。
ギルド長は深く息を吐き、机上の書類を指で揃えると、苦く呟いた。
「どういうつもりだ、昇格を嫌って冒険者を辞めるなど、前代未聞だ……」
◆
そしてレオンとレティシアは受付のカウンターに立っていた。
レオンが無言でギルド証を取り出し、カウンターに置く。
「これを返却する。世話になった」
「……え?」
受付嬢は一瞬言葉を失い、硬直する。その様子に周囲の冒険者たちが気付き、たちまちざわめきが広がった。
「おい、あいつら……」
「辞めるって、冒険者をか?」
「何があった? ギルドと揉めたのか?」
「いや、あの二人が揉めたくらいで辞めるか?」
ひそひそとした囁きと憶測が飛び交うが、レオンもレティシアも振り返らない。受付嬢が何か言いかけた時には、もう二人は静かにギルドの扉を押し開けていた。
外の光が差し込み、ざわめきが遠ざかっていく。
二人は何も言わず、並んでギルドを後にした。ギルドの扉が背後で閉まると、通りのざわめきと夏の風が二人を包んだ。しばらく無言で歩いた後、レティシアが口を開く。
「あーあ、本当に辞めちゃったね。あの場であんなことを言うなんて、レオンらしいけど」
レオンは肩をすくめて笑った。
「別に冒険者という肩書きが欲しくてやってるわけじゃないからな。それに権力者のために動かされるくらいなら、ただの旅人でいい。その方が気楽だ」
「うん、分かってる。……でも、ああいう空気になるとは予想していたけど、やっぱりその通りで笑っちゃいそうだったよ」
レティシアは小さく息を吐くと、横顔を見つめた。
「で、イングラードに行くって決めたのも、鍛冶師のことがあったから?」
「ああ、どのみち、いずれ行くつもりだった」
レオンは即答した。
「でも今は、あの鉱山がどういう状況なのか、見ておきたくなった。帝国も連盟も結局は自分たちの利益しか考えちゃいない。なら、俺が信じるのはこの目で見たものだけだ」
レティシアはその言葉に頷き、わずかに笑みを浮かべた。
「……そういうところ、嫌いじゃないよ。あたしも同じことを考えてた」
「だったら決まりだな」
レオンは視線を前に向け、歩幅を少し広げる。
「イングラードを見て、必要なら動く。……ただ、俺たちのやり方でだ」
「うん。あたしたちのやり方で」
レティシアは静かに答え、二人は並んで通りを歩き出した。
◆
翌朝、二人はまず地図を広げ、進路を再確認した。
イングラードへ行くには西に向かう必要がある。乾いた低木帯と崩れかけた遺構が点在するシェイル荒野を抜け、その先で裾を引くように連なるドラヴァイン連峰へ入らねばならない。
最も無難な峠道を選んでも、連峰を越えるまで最低七日はかかる計算だ。峠を抜けた先、噛み合う歯車の隙間のように複雑に重なる山々の合間──雲の切れ間から光が落ちる窪地に、鉱山都市イングラードがあるという。
「街道って呼べるのは荒野の半ばまでだな」
レオンが指で線をなぞる。
「後半は獣道と崩れた鉱山跡の棚道……荷、軽くはできないね」
レティシアが苦笑した。
市場では旅装を“七日+予備”に組み直す。
保存食は干し肉と乾燥スープ塊を追加、硬質ビスケットを二袋増やし、水袋は余分に一つ。峠の寒暖差を考えて、薄手の毛織マントと替えの包帯、滑り止め付きの指なし手袋。
「連峰は朝晩冷える。湿気と粉塵とで弦が傷むぞ」
「じゃあ、予備の弦、三本追加。矢羽は耐湿加工の方で」
武器屋でレティシアが主人と会話している。
薬草に加えて高地で呼吸を楽にするという薄青の乾燥苔も買い足した。研ぎ石は小型の粗・中二枚組へ差し替え、ピトン代わりになる鉄杭を数本、麻縄を一巻き。油布は二人分で一束増し。
「こんなもんかな?」
「そうだね、予備も用意したし」
傾き始めた陽が連峰の方角を赤銅色に染めている。山稜は幾層も影を重ね、そこに続く道の長さと、まだ見ぬ鉱山の空気を予感させた。
「七日か……もっとかかるかも」
レティシアが呟く。
「足が遅れたら八……。まあ、問題ないだろう」
レオンは視線を遠くへ投げた。
◆
出立の朝、街はまだ朝霧の薄衣をまとっていた。
通りの石畳には夜露が残り、陽が昇るにつれて鈍く光を返す。レオンとレティシアは宿を出て、静かな通りを西門へと向かっていた。背には連峰越えに備えた荷をしっかりと背負っている。
市場の端を通ると、すれ違う冒険者たちがちらりと二人を見た。
「……あれが例の二人か?」
「ギルドを辞めたって本当か?」
「昨日、受付でギルド証を返したらしい」
「馬鹿な、あんな実力者が……」
小声のつもりの囁きが、耳に届かないはずもなかった。
レティシアは少しだけ眉をひそめるが、レオンは気に留めず歩みを止めない。
「気になる?」
「別に。俺は子供の頃から周囲の悪意の中で生きてきたからな。この程度、全然気にならないぞ」
「……そうだね、あたしもそういう意味ではもう慣れてるし」
レティシアは息を吐き、少し肩の荷を直した。
西門前は出立準備の冒険者たちや隊商で賑わっていた。馬が鼻息を鳴らし、荷車には干し草や布包みが山と積まれている。
すれ違いざまに、別の冒険者たちがまた噂を交わしていた。
「Bランク試験も受けずに辞めたって?」
「ギルド長と揉めたって話だぜ。連盟絡みの指名依頼を拒否したとか」
「……あの目つきだ。何か裏があるな」
レオンはそんな声に振り返ることなく、西門の検問を抜けた。
外には乾いた大地が広がり、遠くにはドラヴァイン連峰の影が青黒く霞んで見える。
「七日か。思ったより遠く感じるなね」
レティシアが小さく呟く。
「近づくにつれて景色はもっと険しくなる。だが、時間はある」
レオンは空を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。
「それに、後ろは振り返らない。俺たちはもうギルドの看板を背負っていない」
レティシアが横に並び、穏やかに微笑む。
「そうね。私たちの旅は、ここからまた始まるんだと思う」
朝霧を割る陽光が、二人の背を長く伸ばした。




