第192話 交渉
自由都市連盟評議会──各都市の代表による合議制で運営され、外交交渉や関税協定、防衛協力といった連盟全体の課題が持ち寄られる場である。
今日も幾つもの議題が卓上に並ぶ中、最も注目を集めていたのは帝国との関係だった。
自由都市連盟は、帝国からの先端技術の提供と引き換えに、鉱山都市イングラードが抱える高山地帯の一部採掘権を譲渡する契約を既に結んでいた。
その結果、帝国からは鉱山労働従事者が派遣されていたものの、採掘作業は一向に進んでいない。原因は明白だった。譲渡予定の鉱区には、常人では太刀打ちできない凶悪な魔物が巣食っていたのである。
帝国は現地からの報告を受けるや否や、即座に特殊部隊を派遣し、魔物を排除して採掘を進める方針を打ち出した。そして、その計画を連盟評議会に正式通告した。
だが、評議会はこれを拒否する。
背景には、鉱山都市イングラードの激しい反発があった。もともとイングラードは、自国の鉱山資源を外部に渡すことそのものに反対していた。しかし、他都市の『帝国技術が得られる』という甘言に押され、少数派として譲歩せざるを得なかったのである。
それでも、イングラードは今なお反発を続けていた。
『いざとなれば、連盟を脱退してでも帝国から鉱山資源を守る』
その強硬な姿勢は、評議会内でも一つの火種となりつつあった。
◆
円卓の上で油皿の炎が微かに揺れ、評議室の空気は湿りを帯びて重かった。帝国からの通告文が読み上げられ終わった瞬間、イングラード代表が椅子をきしませて立ち上がる。
「──ふざけるな!」
雷鳴のような声が石壁に反響し、低いざわめきが一瞬で押し潰された。
「そもそも“技術提供”とやら、いまだ一つとして影も形もない。成果ゼロのまま採掘権だけ確保し、今度は武装部隊で鉱脈を掌握する気か?」
代表は卓上に置かれた封蝋付きの書簡を指で弾く。乾いた音。
「約束も果たさず採掘権だけ奪い、そのうえ“凶悪な魔物がいるから”と特殊部隊の派遣? そんなもの『はい、そうですか』と、受け入れられるわけがなかろう!!」
ヴァレク・クロス代表が、汗を拭いながら反論の姿勢だけは保とうと口を開く。
「……誤解だ、あくまで魔物討伐。魔物の排除には専門戦力が──」
「専門戦力?」
イングラード代表が鋭く遮る。
「それならこちらにもギルドがあろう!! 帝国が欲しいのは我らの鉱区の地脈と脈石の位置情報、それが本音であろうが!」
沈黙。視線が次々と逸らされる。
ヴァレク・クロス、アスラン・ヘイブン両代表は苦い顔で唇を結んでいた。彼らの胸中に、押し殺していた疑念がじわりと形を取る。──帝国は初めから南の大陸全体に足場を築くつもりだったのではないか。採掘停滞も、口実を積み上げる時間稼ぎだったのではないか。
「……イングラードの意見にも、もっともな部分はある」
沈黙を破ったアスラン・ヘイブン代表の慎重な言葉。
「では、もっともでない部分とはどこだ? 言ってみろ」
即座に突き刺さる声。
「……」
返答は喉で崩れ、唇だけが閉じる。
イングラード代表は円卓をゆっくり見回し、宣告するように言い放った。
「とにかく我々は断固反対する。もし帝国の特殊部隊など送り込んで来るなら──街をあげて敵としてこれを排除する。よいな?」
「そ、そんなこと認められるか!」
アスラン・ヘイブン代表が声を裏返らせる。
「そういうことは、もう少しまともな交渉ができるようになってから言え! 帝国との協議は、貴様らが勝手に進めたのであろうが!!」
再び紛糾。怒声と罵声が幾筋もの煙のように絡み合い、決議の糸口は霧散した。
最終的な議案の採決は見送られ、この日の評議は物別れのまま閉会を余儀なくされる。
重い扉が閉まる鈍い音だけが、残った者たちの胸に“亀裂の始まり”を刻んだ。
◆
後日、自由都市連盟と帝国の間で正式な交渉の席が設けられた。
連盟側の代表を務めるのは、鉱山都市イングラードの代表である。
「貴様らに交渉など任せておけるか!」
先日の評議会でのその一言が決定打となり、他の二都市──ヴァレク・クロス、アスラン・ヘイブン──も渋々イングラードに交渉権を委ねたのだ。
帝国側の要求はただ一つ。
「譲渡された区画に、我が特殊部隊を派遣させよ。それが帝国の要望だ」
イングラード代表は冷笑を浮かべて応じる。
「それはできない。他国の武装部隊を鉱区に入れることなど、到底認められん」
帝国側は苛立ちを隠さず反論する。
「ならば貴様らの戦力で魔物を排除せよ。それが義務というものだ」
「断る」
イングラード代表の声は一層低く鋭い。
「そもそも帝国からの“技術提供”とやら、いまだ一つとして果たされていないではないか。権利を主張する前に、そちらこそ、まずは義務を果たしてもらおう」
帝国の使者がわずかに顔を曇らせる。
「……」
イングラード代表は畳みかけた。
「あの区画だけではなく、鉱山全体に魔物が棲むことは、最初からわかっていたはずだ。それでも“よい”といったのは、そちらではなかったか?」
交渉の主導権は次第にイングラードの手中に収まっていく。
そして最後の一撃。
「いいか、帝国が特殊部隊など送り込んできた場合には、敵対行為としてこれを全力で排除する。採掘従事者を装ったところで、すぐにわかる。鉱山都市イングラードの実力を舐めてもらっては困る。気に入らなければ採掘権の話は白紙に戻してもよいのだ」
帝国側の使者が鋭く問い返した。
「それは、我が国と敵対すると宣言するのか?」
「こちらとしてはそのつもりはない。しかし、貴国の出方次第だ。それとも──帝国は多方面に戦争を仕掛けるつもりか?」
イングラードは既に、帝国と聖教国は全面戦争に突入していることを情報として掴んでいた。
交渉は一見、イングラードの勝利で幕を閉じた。
しかし、帝国は決して諦めてはいなかった。使者が帰国したその日から、帝国は次の一手を練り始める──




