第187話 第三波
風向きが変わった。
血と焦げと腐肉の臭いを孕んだ重い空気が森から押し寄せる。地面の震えは第一・第二波より長く、幅が広い。誰かが息を呑んだ。
「……帯が広がってる。面で来るぞ!」
森の影がまとまって揺れ、やがて血まみれの死骸の堆積線へ黒い波がぶつかった。止まる──かに見えた狼の群れは、一瞬ためらい、すぐさま死骸を踏み台にして乗り越えてきた。 押し出される後続が無理やり前列を押し上げ、崩れた屍山が滑り台となって前線に崩落する。
「第三波来る! 線を広げろ、胸壁下がるな!」
ガイウスが叫び、稲妻が縦に走る。しかし今回は広がりが大きい。雷で穿たれた穴を、その左右から群れが回り込む。
セレナが即断する。
「右・左同時防衛、死骸は押し返さず分けなさい! 溝を作って!」
〈鉄顎の咆哮〉は後備列から復帰、声を張る。
「ここは抑える! 抜かせるな!」
第一・第二波で叩きのめされた面々だが、今度はどうだろうか。
胸壁前、左寄せの裂け目から大型のフォレストウルフが三体、前脚で屍山を掻き分けて突入してきた。うち一体は頭骨片が右角に刺さったままの〈片角〉。その巨体に押されれば胸壁がめくれる。
「下がるなって言ってんだろ!」
〈鉄顎の咆哮〉の盾手が吠えるが、間に合わない。
レオンが跳ね出た。屍山の滑り面を一度蹴り、落下速度を利用した斜めの袈裟。〈片角〉の首筋が半ばまで割れ、そのまま二体目の前脚腱を断ち、転がった巨体を盾にして三体目の突進を逸らす。土砂と血飛沫。
「裂け目塞いだ! 砂嚢詰めろ!」
前線が一拍、持ち直す。
レティシアは矢筒を覗き込み、顔をしかめた。
「残り三本……拾い矢も状態悪い」
「節約したところで、無理そうだな」
「うん、仕方ないから以後、魔法中心で行く!」
弓を背に回し、掌を前へ。
彼女の足元で空気が巻き、前方に細長い圧縮気流が走る。突進してきたゴブリンの列が横倒しになり、その上に狼が折り重なる。
「〈精霊竜巻〉!」
第二射で泥蛇の頭部を削ぎ、粘液を散らして伏せさせる。
さらに、前列盾手の頭上に半透明の〈風障壁〉を展開する。渦巻く風で飛び石と骨片を弾く簡易防壁。
「防御上げた! 撃って!」
後列の弓兵が応える。
積み上げたオーガの屍を足場に、また別の個体がよじ登ってくる。
「高さ活かせ! 上から突け!」
〈鋼の熊爪〉の一人が槍で顎下を貫き、一人が側面から叩き込む。前波で崩れた〈鉄顎の咆哮〉とは別人のような連携だ。
「いい指示、いい連携。さすがだな」
レオンがオーガを斬り伏せながら感想を漏らす。
だが数が減らない。圧力がじわじわ増す。
レオンは周囲を一望し、静かに息を整えた。
(……少しだけ使うか)
足元に淡い揺らぎ。空気の層が歪み、前方の狭い帯域──ではなく、扇状に広い範囲で抵抗が生まれる。突進してくる狼の脚が半拍遅れ、泥蛇のうねりが鈍る。
見た目には風が重くなった程度だが、突撃速度が目に見えて落ちた。
「今だ、刺せ!」
〈鉄顎の咆哮〉のリーダーが叫び、仲間が一斉に踏み込む。遅れた狼を串刺し、泥蛇の首に斧が食い込む。
さらにレオンは左へ切り返し、局所的な【圧縮】で地面の土を硬化させる。さっきまで沼化していた泥区画が一瞬だけ踏み締められ、前列が下がらずに済んだ。
「押し返せ!」
〈鋼の熊爪〉の槍兵が叫ぶ。
その隙を狙うように、泥区画下からぬるりと巨体が隆起した。節状の皮膚に岩片を食い込ませた泥蛇が半身を露出し、前列を飲み込もうと口環を開く。
「泥蛇だ! 足下注意!」
レオンは踏み固めたばかりの地を逆手に取った。【圧縮】を縦軸に切り替え、硬化層を楔のように押し上げる。固まりきらない泥と共に泥蛇の腹面が捲り上がり、露出した柔組織へ刃が突き立つ。咆哮。のたうつ体を前線外に転がし出し、随伴していた小型個体を胸壁弩が串刺しにした。
「泥蛇止まった! 塞げ、砂袋追加!」
右側、オーガが棍棒を振り下ろす。
「レティシア!」
「〈土槍〉!」
大地からせり上がった土槍が、オーガの肘を打ち上げ、軌道がそれた瞬間レオンが跳躍。
喉へ一直線──切断。
巨体が前に沈み、後続の群れが詰まって転倒する。
救護所裏で血を洗っていた冒険者が絶句する。
「今、突進止まったよな……風か?」
「いや、あの剣士の前だけじゃない。広く鈍った」
「……Cランクで出来る芸当か?」
別の声。
「……魔法だろ? あのエルフの」
群れはなお続くが、帯状の先端が削がれ、左右に散り始める。死骸が積み重なり、自然の壁が形成される。
左後方、補給線沿いでCランクの冒険者たちが押し込まれていた。剣士二・槍一の三人組。
「支援行く! 〈大地の盾〉」
レティシアは彼らの前面に厚い土壁を即座に形成する。飛来する骨片と酸性唾液を外側へ撥ねると同時に、彼女が残り二本のまともな矢を放ち、突進ゴブリンの膝裏を正確に撃ち抜いた。
「助かる!」
槍使いが叫び、剣士二人が空いた頭部を叩き落とす。槍使いは息を継ぎながら態勢を立て直す。
「左補給路、保持!」
セレナが声を張る。
「押し返し成功域、中央五十! 補給線、今のうちに前出して!」
怒号、足音、金属音。戦場はまだ終わっていないが、崩壊の危機はひとまず遠のいた。 レオンは剣を下げ、短く呼吸を整えた。
「……持ったか」
「まだ……だけど、なんとか」
レティシアが汗をぬぐい、弓を背負い直す。
胸壁後方、指揮台に戻ったガイウスが額の血を拭いながら周囲を見渡す。
「さっき、魔物の速度が落ちた瞬間があったな。俺の雷、あそこまで減速はさせられないはずだが」
セレナも頷く。
「確認したわ。第三波中段、突進が一拍遅れた。風圧? 瘴気濃度? 地盤沈下?」
「どれも説明がつかん。」
「……誰かが面制御系の魔法でも放ったか、あるいは地形の偶然重複?」
視線の先に、血塗れのレオンと、魔力を使い過ぎて膝に手を突いているレティシア。だが距離と混乱で、二人が原因と断じる材料はない。
「今は詮索後回しだ。おい、持ち堪えろ!」
ガイウスの号令が再び飛ぶ。
戦場はなお燻り続ける。第三波は削がれたが、第四がない保証はどこにもない──。




