第184話 迎撃準備
第一会議室には、数十名の冒険者が集まり、重苦しい空気が漂っていた。中央の作戦卓には大きな地図が広げられ、赤い駒で示された魔物の群れが、南から北へとゆるやかに進んでいることを示しているのがわかる。
壇上に立つギルド幹部が、よく通る声で告げた。
「──確認された魔物の群れは、南方の密林地帯から街に向けて北上を続けている。速度は遅いが、数は既に数百。フォレストウルフ、ゴブリン、オーガ……複数の種が入り混じっている。原因は不明だが、おそらく食糧不足と見られる、典型的なスタンピードだ」
会議室のあちこちでざわめきが起きる。
「やっぱりスタンピードか……」
「くそ、あれに巻き込まれたら終わりだぞ」
幹部は続ける。
「やる事は単純だ──南方でこれを止める。街にまで押し寄せさせるわけにはいかない! そのため、ギルド総力を挙げる!」
壇上の脇で控えていた屈強な男が一歩前に出る。背中に槍を背負った、〈雷槍の牙〉のリーダー、ガイウスだ。
「俺たちAランクは先陣を張る。だが、全員の協力なしに前線は維持できない。油断したら死ぬと思え!」
その声に、場の緊張がさらに高まる。
続いて、白銀の鎧を纏った女剣士──〈遥かなる暁星〉のリーダー、セレナが続けた。
「Bランクは側面の殲滅と連携を。C・Dランクは補給、偵察、負傷者搬送。持ち場を離れないこと、命令を無視しないこと──以上を守れば、生きて帰れる可能性は高い」
幹部が地図を指し示し、手短にまとめる。
「戦場は南方の森と草原の境界だ。防衛線を張り、順次殲滅していく。一時間後に街を出発する。装備と物資の不足は今のうちに補え!」
そう告げられると、会議室は一気にざわめきに包まれた。
「一時間……急がねぇと」
「ポーション足りるか?」
「矢も追加で買っとかねぇと」
レオンは腕を組み、短く息を吐いた。
「……普通のスタンピードだが、油断できないな」
「うん。たとえ普通でも、相手は群れだし……」
「ああ。準備しておくか」
二人は視線を交わし、会議室を後にした。
ギルドを出ると、街は既に慌ただしさに包まれていた。鍛冶屋や魔道具店の前には、ポーションや矢を求める冒険者たちの列ができている。通りのあちこちでは、荷馬車に物資を積み込む姿も見えた。
「……完全に戦の前の雰囲気だね」
レティシアが呟くと、レオンは短く頷きながら視線を巡らせる。
「時間は限られてる。必要な物だけ揃えるぞ」
二人はまず、武具の補修屋に立ち寄った。レオンは剣の刃を点検し、オイルを追加で購入。レティシアは予備の矢を手に取る。
「これで足りるかな……」
「足りなくても何とかするしかない。ポーションはいいのか?」
「自分の傷薬があるからね。レオンの分もちゃんとあるよ」
「それはありがたい。下手なポーションよりも助かるからな」
そう言って通りに出たところで、背後から聞き慣れない声が飛んできた。
「おう、珍しい顔じゃねぇか」
振り返ると、そこに立っていたのは屈強な男たち──Bランクパーティー〈鉄顎の咆哮〉の面々だった。先日のギルドでの騒ぎの張本人たちだ。
リーダー格と思しき大柄な男が、ニヤリと笑う。
「Cランクの坊主と嬢ちゃんが、スタンピードに駆り出されるとはな。無理すんなよ?」
レオンは面倒そうに片眉を上げただけで、特に反応しない。だが、レティシアの表情がわずかに硬くなる。
「心配には及ばない。自分の役目は果たす」
淡々と答えるレオンに、男が肩をすくめた。
「へっ、生意気な口叩くなよ。戦場じゃランクがすべてだ」
その瞬間、通りの奥から声が飛んできた。
「おい! お前ら! 荷物は積み終わったのか!? 怠けてないでさっさとしろ!」
ギルドの職員らしい若者の声だ。どうやら先日の騒ぎのせいで、ギルドの雑用係をさせられているらしい。これでよく、人に絡めるなと感心すらしてしまう。
〈鉄顎の咆哮〉の面々は舌打ちしながら振り返る。
「ちっ、今行く!」
彼らは最後にレオンを睨みつけるような視線を送り、肩をいからせて去っていった。
それを見てレオンが軽く手を動かす。
〈鉄顎の咆哮〉のリーダーが派手に転んだ。
「おい、何やってる!! さっさとしろと言っただろう!!」
「いや、何かにつまづいた……何だ? 今のは」
その背を見送りながら、レティシアが小さく呟く。
「……感じ悪いね、あの人たち」
「気にするな。ああいう馬鹿は、腕より声がでかいだけだ」
そして冷たく続ける。
「魔物にランクの威光がどこまで通用するか、存分に見させてもらうとしようか」
レオンは肩をすくめ、視線を前に戻した。
「レオン……やったでしょ?」
「……さて、こっちも準備を終わらせるぞ」
二人は最後にポーションを追加購入し、街を駆け抜ける喧騒を背にギルドへと戻っていった。
◆
正午前、街の南門は異様な熱気に包まれていた。門前の広場には、鎧の軋む音や武器の打ち合わせる音、そして緊張を押し殺した声が満ちている。
冒険者たちが列を成し、馬車や荷車に積まれた物資が次々と整列していく。
「……本当に総力戦だね」
レティシアが小さく呟く。彼女の視線の先には、冒険者たちの多彩な装備と顔ぶれがあった。
白銀の鎧を身に付けた〈遥かなる暁星〉、槍を背にした〈雷槍の牙〉──Aランクの二大 パーティーが並ぶ姿は、周囲に無言の安心と、同時に緊張を与えていた。
その後方に、Bランクの〈鋼の熊爪〉と、やや肩身が狭そうな〈鉄顎の咆哮〉が控える。さらにその後ろに、レオンとレティシアを含むC・Dランクのパーティーやソロ冒険者たちが整列していた。
「隊列を崩すな! 補給車は中央だ!」
ギルド職員の怒声が飛び、冒険者たちはざわつきながらも隊列を整えていく。
やがて、ギルド幹部が高らかに声を上げた。
「──全軍、進発!」
号令とともに、列はゆっくりと街を出発した。
南門を抜け、延々と続く街道を進む。道を外れると、次第に草原の風が強まり、遠くに広がる森が見え始めた。
「……静かだね」
レティシアが呟く。その声には、どこか落ち着かない響きがあった。
「ああ。だが、この先は血の匂いしかしない。油断はできないな」
レオンの言葉に、彼女は小さく唇を引き結ぶ。
遠くから、魔物らしきものの鳴き声が響いた。
まだ距離はあるようだ。だが、確実にこちらに向かっている。ゆっくりと、だが絶え間なく──。
冒険者たちの列に緊張が走る。小さなざわめきが伝播し、やがて誰もが口を閉ざした。
指揮官役のガイウスが、槍を肩にかけたまま声を張る。
「第一防衛線は森の入口だ! Aランクは前衛に展開、Bランクは左右に散開! C・Dランクは補給線と後方を固めろ!」
冒険者たちが指示に従い、動き始める。
「……いよいよだな」
レオンは静かに剣の柄を握り、低く息を吐いた。
その隣で、レティシアの瞳が決意に燃える。
「うん……やるしかないね」
やがて一行は森の手前にたどり着き、野営の準備と防衛線の構築が始まった──。
◆
森の入口に到着した冒険者たちは、すぐに防衛線の構築に取りかかった。
簡易バリケードを組み、荷車を盾に並べ、杭を地面に打ち込む。後方では補給用のテントが張られ、ポーションや食料が運び込まれていく。
「……本当に戦場って感じだね」
レティシアが呟いた。緊張を隠しきれない声に、レオンは無言で頷く。彼もまた、剣を膝に置き、砥石を走らせていた。
周囲では、冒険者たちがそれぞれに準備を進めている。
前線で指示を飛ばしているのは〈雷槍の牙〉のガイウスだ。
「第一陣は俺たちが受ける! 左右の防衛は〈鋼の熊爪〉と〈鉄顎の咆哮〉、補助班は後方を離れるな!」
その指示に応じて、各パーティーが所定の位置へ散っていく。
そんな中、レオンとレティシアも、後方に近い防衛位置に腰を落ち着けていた。その横を、Bランクパーティー〈鉄顎の咆哮〉が通りかかる。リーダーの大柄な男が、鼻で笑いながら声をかけてきた。
「おい、そこの坊主と嬢ちゃん。まだ生きてるか?」
レオンは剣を拭きながら視線を上げた。
「まだ何も始まっていないだろうが」
「へっ、まあ後ろで震えてりゃ、そう簡単には死なねぇか」
挑発的な笑みを浮かべる男に、レティシアの表情が硬くなる。だが、彼女が言葉を返す前に、レオンが静かに口を開いた。
「……さっさと持ち場についた方がいいんじゃないか? また職員に怒鳴られるぞ?」
その淡々とした一言に、男は一瞬、口の端を引きつらせた。
「……ちっ、調子に乗るなよ」
吐き捨てるように言い、〈鉄顎の咆哮〉の連中は去っていった。
離れたところでまた派手にスッ転ぶのが見えた。
「レオン……」
「なんだ? 具合でも悪いのか?」
「……いや、そうじゃなくて」
「そうか、よかった。さ、準備、準備」
レオンの声は静かだったが、その奥には微かに茶目っ気が宿っていた。
(これだけ余裕なら問題なさそうだね。ま、レオンのことだし、心配はしてないけど)
遠くで号砲が鳴った。森の奥から、木々を揺らす不気味なざわめきが近づいてくる──。
防衛線の準備がほぼ整った頃、森の奥から鳥が一斉に飛び立つのが見えた。
ざわめきが走る。
「……来るぞ」
誰かが呟いた声に、場の空気が一気に緊張で満たされる。
レオンとレティシアは、後方の簡易バリケードに身を預けていた。その隣で、同じく後方支援に回されたCランクやDランクの冒険者たちが、不安を押し殺しきれずに言葉を交わしている。
「おい、スタンピードってどれくらいの数が来るんだ?」
「さあな……百? 二百? でも、あの地図見ただろ? もっといるぜ」
「はっ、笑わせんなよ。俺たちの持ち場にまで押し寄せる前に、Aランクが全部片づけるさ」
「……お前、本当にそう思うか? 前に西の山で起きたスタンピード、どうなったか知ってるか?」
「……あれか。街一つ、消えたやつ」
小声のやり取りが重く沈み、笑っていた男も口を閉ざす。
さらに別の冒険者がぼそりと漏らした。
「……スタンピードで一番怖ぇのは、魔物じゃねぇんだよな」
「は? 何言ってんだ」
「逃げる味方だよ。パニック起こして後ろを崩す奴が出たら終わりだ」
沈黙が落ち、誰も軽口を叩かなくなった。
レティシアが、ちらりとレオンを見上げる。
「……なんだか、みんな怖がってる」
「当然だ。死ぬかもしれないんだからな」
レオンは淡々と答えながら、剣の柄に手を置いた。その横顔は、静かな決意に満ちている。




