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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第183話 危機迫る南方森林

 数日後の昼下がり、レティシアは市場の雑踏を歩いていた。通りには果物や香辛料の匂いが漂い、露店の呼び込みの声がひっきりなしに飛び交っている。

 彼女は手にした袋の中身を確認しながら、耳に飛び込んできた言葉に足を止めた。


「……聞いたか? 南の方で魔物の動きが妙に活発になってるらしい」

「本当かよ? あの辺りは最近は静かだったはずだろ」

「だから妙なんだ。ギルドも警戒してるらしいぜ」


 背後で交わされる噂話に、レティシアは小さく眉を寄せる。買い物を早々に切り上げ、足早に宿へと戻った。


 宿の扉を開けると、レオンは窓際の椅子に腰をかけ、剣の刃を磨いていた。


「お、もう戻ったか。ずいぶん早かったな」

「……ちょっと気になる噂を聞いたの」

「噂?」

「うん。なんか、魔物の動きが活発化してるって」


 レオンの手が止まる。彼は目を細め、低く問い返した。


「魔物? 南方面か?」

「そうらしい。詳しいことはわからないけど、街の空気がちょっとぴりついてる」

「……ギルドに行ってみるか」

「うん、詳しいことがわかるかもしれないね」


 二人は短く頷き合い、それぞれ支度を整え始めた。レオンは剣を鞘に収め、レティシアは軽装のローブの紐を結ぶ。その表情には、先ほどまでの穏やかな空気はもうなかった。

 二人は宿を出て、街の中心にそびえるギルドへと向かう。


 ギルドの重厚な扉を押し開けた瞬間、二人は異様なざわめきに包まれた。

 広いホールには、依頼を終えて戻ってきた冒険者や、新たな依頼を求める者たちが集まり、いつもの喧騒以上の緊張感が漂っている。

 レティシアは視線を巡らせ、掲示板に目を止めた。そこにはぎっしりと紙が貼られ、どれも赤い印が付けられている。


「……駆除の依頼ばっかりだね」

「ああ」


 レオンも無言で頷きながら、貼り紙を一枚引き抜く。


『南方森林地帯、群れを成すフォレストウルフの排除』


 横には、似た内容の紙が幾つも重ねられている。

 その隣には、太い筆致で書かれた一枚の張り紙が目を引いた。


『〈討伐隊編成中〉南方面にて異常発生につき、討伐参加者を急募。詳しくは受付まで』


 レティシアが息を呑んだその時、背後から冒険者たちの会話が耳に届いた。


「おい、これ本当に大丈夫なのかよ。駆除依頼、こんなに一気に増えるなんて……」

「それだけギルドも焦ってるってことだ」

「……Aランクの連中が戻ってきたのは、もしかしてこれのせいか?」

「さあな。だが、あの連中が途中で依頼切り上げて帰ってくるなんざ、ただ事じゃねえ」


 不安げな声があちこちから漏れ聞こえる。レオンは険しい表情で受付へと歩み寄った。

 受付前には既に数人の冒険者が並び、職員に詰め寄っていた。


「一体どうなってるんだ? フォレストウルフだけじゃねぇんだろ!」

「詳しいことはまだ……」


 職員の額には薄い汗がにじんでいる。

 やがて順番が回ってきたとき、レオンは低い声で切り出した。


「南で何が起きてる?」


 職員は一瞬ためらい、周囲を見渡してから小声で答えた。


「……魔物の活動が急激に活発化しています。最初は群れ単位での異常行動でしたが、最近は──種類を問わずです。森や平原の魔物が、一斉に動き出しているようで」

「原因は?」

「不明です。ただ、発生源が南方の奥地であることだけは確か。討伐隊を組織して調査を進めていますが、危険度は急速に上がっています」


 レティシアが小声でレオンに囁く。


「……この状況、ちょっとただ事じゃないね」

「ああ」


 二人は視線を交わし、静かに頷いた。その背後では、なおも冒険者たちの不安げな声が飛び交っていた──「原因不明」「広がってる」「討伐隊が間に合うのか」──。

 職員とのやり取りを終え、レオンとレティシアが掲示板近くで情報を整理していると、ギルドの扉が勢いよく開かれた。

 入ってきたのは五人組のパーティー──〈鋼の熊爪〉と呼ばれるBランク冒険者たちだ。 彼らの鎧や武器は泥にまみれ、息を切らしている。


「おい! 緊急で報告だ!」


 大柄な男が受付へ駆け込み、職員に声を荒げた。その声に、ホールの空気が一気に張り詰める。


「南の森で確認した! 魔物の群れが……集まってやがる! フォレストウルフやゴブリンだけじゃねえ、オーガまで混ざってる!」

「集まって……?」


 職員の声が震える。

 リーダーとみられる男性が補足する。


「しかもな、奴ら……北に向かって動いてる。今はまだ速度は遅いが、間違いない」


 ギルド内にどよめきが走った。


「おいおい、それって──」

「スタンピードじゃねぇか!?」

「でも遅いんだろ!? じゃあ──」

「やばくねぇか? こんなもん、放っといたら街まで来るぞ!」

「緊急依頼、絶対かかるだろ!」


 冒険者たちのざわめきは一瞬で騒然となり、あちこちから怒号と質問が飛び交った。


「ギルドはどう動くんだ!?」

「討伐隊だけじゃ足りねぇぞ!」


 掲示板の前には人だかりができ、討伐隊募集の張り紙に群がる者も現れる。

 レティシアは蒼ざめた表情でレオンを見上げた。


「……スタンピードって、あの……」

「ああ。魔物が一斉に北上すれば、街が戦場になるだろうな」


 レオンは低く答えながら、ホールの混乱を鋭い眼差しで見渡した。

 そして、ギルドの奥から別の職員が駆け出してくる。


「緊急会議だ! 上からの指示を待て!」


 だが、その声すら冒険者たちの不安と怒声にかき消されていった──。

 ホールは騒然としていた。あちこちで冒険者たちが声を荒げ、掲示板の前には人垣ができている。


「スタンピードじゃねえか!」

「どんだけの規模になるんだよ……」

「ギルド、早く討伐隊編成しろ!」


 怒号と不安げな声が入り混じり、空気はぴりついていた。そんな中、レオンとレティシアは少し離れた柱の影に腰を下ろし、静かに会話を交わしていた。


「スタンピードか……“魔の森”で経験済みとはいえ、面倒なことになりそうだな」


 レオンは低くつぶやき、眉間に皺を寄せる。


「あ、経験してるんだね」

「ああ。修行を終えたばかりの頃だったか。辺境伯爵の依頼というか、無理やり付き合わされたというか。一緒に魔物を間引いていたことがある。あの時は防衛線の維持が厄介だった」

「……そうなんだ」


 レティシアが小さく息を呑む。レオンの視線は、なおもざわつく冒険者たちを冷静に追っていた。


「今のうちに準備しておくか……といっても、そんなにやることはないか」

「常に臨戦態勢っていうのも考えものじゃない?」

「……そうだな。今後は、少し気を抜くことも考えるよ」


 そう言ってレオンはわずかに笑みを見せ、剣の柄にそっと手を添えた。

 ギルドの喧騒は、さらに大きくなっていく──



 街には冒険者召集の鐘が鳴り響く。緊急依頼発令の証である。既にギルドにいたレオンとレティシアは複雑な気持ちで待機していた。


「緊急依頼だ!」

「討伐隊に参加するぞ!」


 ギルドのホールは異様な熱気に包まれていた。続々と集まる冒険者たち。レティシアはその空気に思わず息を呑む。

 掲示板の中央には新たな張り紙──黒い枠で囲まれた太い文字が、すべての視線を釘付けにしていた。


 〈緊急依頼発令〉

  対象:南方地域で発生中の魔物集結現象(スタンピード予兆)

  全冒険者に参加を要請。ランク不問。拒否権なし。


 レオンは無言で張り紙を一読し、眉をひそめる。


「……あーあ、やはりこうなったか」

「強制……だもんね」

「仕方ない。街が落ちれば、全員終わりだしな」


 ホールのあちこちで冒険者たちが騒いでいる。


「マジかよ、拒否できねぇって……」

「Dランクまで全員だと!? ふざけんな!」

「やらなきゃ自分らの首が飛ぶってことだろ!」


 そのざわめきを切り裂くように、ギルド幹部が壇上に立ち、声を張り上げた。


「静粛に! 本件はギルド総力を挙げて対応する!  指示があるまで待機しておけ!」


 その言葉と同時に、ホールの扉が再び開き、全身を鋼と革で固めた集団が姿を現した。


「……〈雷槍の牙〉だ」

「〈遥かなる暁星〉もいるぞ……」

「あいつらも参加か……やべぇな、こりゃ本当にやばい」


 冒険者たちの間にざわめきが走る。堂々とした歩みで進む彼らの気配は、周囲の空気を圧倒するほど重かった。

 さらに、その後ろから昨夜報告をした〈鋼の熊爪〉のメンバーも現れた。疲れの色を残したまま、彼らは受付に報告書を渡しつつ、低く言葉を交わす。


「……集まり方が速くなってやがる。もたもたしてる暇はねぇぞ」

「もう完全にスタンピードだな」


 レオンは腕を組み、壁際でその喧騒を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「……面倒なことになったな」

「でも、やるしかないね」

「ああ」


 その声に迷いはなかった。


「静粛に!」


 壇上に立つギルド幹部の前で喧騒が収まり、場に緊張が走った。幹部は広げた羊皮紙を手に、よく通る声で告げる。


「これより、編成を発表する! Aランクパーティー、Bランクパーティーは指揮および前線任務!  C・Dランク以下は補助・索敵・殲滅を担当する!」

「続いて、緊急依頼に参加するパーティーを発表する!」


 ホールの空気が一気に張り詰める。レティシアは息を呑み、レオンは無言で壇上を見据えた。


「まず、Aランクパーティー〈雷槍の牙〉、そして〈遥かなる暁星〉。両隊は前線にて指揮を執り、魔物殲滅の要となる!」


 その名が告げられると、周囲からざわめきが起こる。


「やっぱり〈雷槍の牙〉だ……」

「〈遥かなる暁星〉もか、こりゃ本気だな」


 壇上の脇で、槍を背負った精悍な男と、白銀の鎧を纏った女剣士が無言で立っていた。その存在感だけで、周囲を圧倒する。


「次にBランクパーティー〈鋼の熊爪〉、そして……〈鉄顎の咆哮〉!」


 その名が出た瞬間、微妙なざわめきが起こった。


「おい、〈鉄顎の咆哮〉って……」

「先日酒場で揉めてた連中だろ?」

「追い出されてからも、ギルドの前で武器抜いて、職員に怒鳴ってたって噂だ」

「馬鹿なんじゃねぇのか? あいつら」


 数日前の騒ぎを思い出し、冷ややかな視線を送る者もいる。〈鉄顎の咆哮〉の面々は顔を強張らせ、居心地悪そうに視線を逸らした。


 幹部はさらに続ける。


「そして、Cランク及びD、Eランクの冒険者、全員。パーティー単位での割り当てを行う。索敵・補助・連絡を担当すること!」

「Fランク、Gランクは街に残れ。城壁周辺を警戒しろ!」


 その言葉にホールが再びざわつく。


「全員かよ……」

「拒否権なしってのは本当だったな」

「くそ、これは長丁場になりそうだ」


 レオンは腕を組みながら、淡々と状況を見つめていた。


「なるほど……確かに総力戦だな」

「うん……本当に、街を守る戦いになるんだ」


 レティシアは唇を引き結び、小さく頷く。

 壇上の幹部が締めくくる。


「全パーティーは一時間以内に装備と物資を整え、代表者は第一会議室に集合! 出陣前のブリーフィングを行う!」


 その声が響き渡ると、ホールは再び動き出した。冒険者たちが慌ただしく動き、補給品を求めて駆け出す者、仲間と打ち合わせを始める者──その中で、レオンとレティシアも静かに歩き出した。


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