第180話 蒼雷の尾
東の渓谷地帯──アスラン・ヘイブンから徒歩で半日、風が吹き抜ける切り立った岩壁と、霧のかかる谷底が続く地形。
〈黒晶尾〉という魔物が生息するその場所は、常に微弱な雷気が発生しており、足元の石に触れた瞬間に“ビリ”とくる程度の刺激が走ることもあった。
「地形は複雑……樹木がほとんどなくて、逃げ場も少ないね」
レティシアが警戒の視線を走らせる。
「ああ。それに、空気が湿っている。雷気が集まりやすい証拠だ」
二人は崖沿いを進みながら、斜面の陰に注意を払い、時折足を止めては、気配を探る。
やがて──。
「……いた。動くな、レティシア」
レオンの声と同時に、岩陰から姿を現したのは、四つ脚の魔物だった。尾の先に黒く輝く結晶体を備えた獣。
〈黒晶尾〉──外殻は黒曜石のように硬質で、攻撃魔法すら跳ね返すことがあるという。
その個体は低く唸り声を上げ、雷のような火花を尾から散らしながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「こいつが……〈黒晶尾〉か」
レオンは剣を抜いた。だが即座には斬りかからない。
「外殻が堅いなら……どうする?」
「“動き”で隙を作る。レティシア、雷を誘導できるか?」
「できる。尾の結晶を中心に雷気が集中してる。そこを逆に利用しよう」
次の瞬間、魔物が跳躍。鋭い爪がレオンに迫る。
が──レオンはその動きを見切っていた。
「──【加速】」
空間を歪ませるようにして距離を詰め、魔物の死角に回り込む。斬撃は放たれない。代わりに、尾へと突き込むように素早く魔力抑制符を貼りつけた。
それとほぼ同時に、レティシアの詠唱が完成する。
「〈風縛陣〉──裂け!」
雷気を纏った尾が、魔法の陣に囚われ、〈黒晶尾〉の動きが鈍る。
「今だよ!」
レオンは素早く解体用のナイフを抜き、隙を突いて尾の結晶部を剥ぎ取った。激しい火花が散るが、レティシアが展開した〈風障壁〉がそれを受け止める。
魔物は唸り声を上げながら後退し、やがて逃げるように岩陰へと姿を消した。
「……よし、まず一つ回収完了だ。品質も上々だな」
レティシアが、魔力律動反応計に結晶を近づけると青く明滅した。
「共鳴型だね。うん、ひびもないし、高値が期待できるよ」
その後も、二人は慎重に探索と戦闘を繰り返した。
姿を現した〈黒晶尾〉はいずれも俊敏で、雷撃を尾に帯びていたが、二人の連携は巧みだった。空間を操るレオンの立ち回りと、レティシアの補助魔法による拘束と妨害は、確実に相手の隙を生んでいく。
結果として──
「……通常のものが四つ、共鳴型が三つ。どれも綺麗に剥がせたな」
「ひびも濁りもない。完璧じゃない?」
レティシアが反応計で一つずつ確認しながら微笑む。
だが、その安堵の余韻は一瞬で破られた。
──ヒュウ、と鋭く空気が震える音。
続けて、空間が“ビリビリ”と不規則に軋む。
斜面の奥、岩棚の向こうから、別の“何か”が現れた。
それは、確かに〈黒晶尾〉に似ていた。だが尾の結晶が青白く発光し、常に空気が震えている。
レティシアが息を呑んだ。
「……あれ、まさか……シルヴィアが言ってた“別種”?」
全身を走る外殻が、半透明のガラス質へと変質しており、その内側に雷のような紋様が脈打っていた。まるで生きた雷が体内を走っているかのように。
〈黒晶尾・変異体〉──通称〈蒼雷の尾〉。
動いた瞬間、空気が爆ぜた。雷撃を伴う超加速──目で追う暇すらない。
「──っ!」
咄嗟にレオンが【原初の力】を発動し、空間を圧縮して攻撃を逸らす。だが、それでも肩に掠った爪が、服を裂いた。
「こいつ、早いぞ……!」
レティシアは即座に詠唱に入る。だが、その詠唱が間に合う保証はない。
敵は次の攻撃動作に入っていた。
その瞬間、上空から紫の閃光が降り注いだ。
雷光を打ち消すような、別種の魔力の流れ。
地面を砕きながら、魔物が一瞬ひるむ。
振り返れば──そこにいたのは、漆黒のローブを纏った女だった。
「……ったく。貸した検知器が壊れでもしたら目も当てられないから、見に来てやったのに。やっぱり出たわね、〈蒼雷の尾〉」
シルヴィア・ノクト。手にした杖の先には、淡い星光がきらめいていた。
雷撃と共に閃く青白い残光。その瞬間に姿が消えるほどの超加速。
〈蒼雷の尾〉は、ただの魔物ではなかった。存在そのものが、“雷”の概念に限りなく近い。
地面を掠めるように走り、空気を砕くように飛ぶ。
レオンは目を細め、右足を軸に一歩、静かに重心を落とした。
「レティシア、足を止めろ。来るぞ」
同時に、空間が“軋んだ”。
──次の一撃を感知。
〈蒼雷の尾〉は崖を走るように斜面を滑降し、雷の刃となって飛来する。
「【原初・空間圧縮】──」
レオンの声と共に、空間が歪む。
青白い魔物の突進が直前で弾かれ、衝突音と共に土煙が舞い上がった。
だがそれは、ほんの一瞬の足止めに過ぎない。
〈蒼雷の尾〉は即座に跳ね起き、別の角度から襲いかかる。
その瞬間──レティシアが風の陣を描いた。
「〈風壁展開〉、加速妨害、同時に転圧! 止まりなさい!」
風の盾が巻き起こる。空間を螺旋状に削る突風が、魔物の進行を一瞬だけ阻む。
その間隙を逃さず、レオンが踏み込んだ。
「──【原初・空間圧縮──断層】」
剣は振られていない。空間が、“裂けた”。
見えない斬撃が、大気ごと敵を断ち割るように伸びる。
雷の魔物が回避を試みるも、その片脚の外殻が深く抉れ、青白い電光が散った。
「効いてる……!」
そう思った矢先、魔物が咆哮する。
空間がまた震え、今度は一帯に雷が拡散する。雷撃の嵐──。
その中心に、シルヴィアが立った。
「……ふむ。雷精との融合型、しかも自律律動……面白い個体ね」
紫の瞳が淡く輝いた。
指先に小さな光球を生み出し、それをつまむようにして弾く。
「〈星弾――位相断絶〉」
小さな光が魔物に触れた瞬間、爆音すらなかった。
雷が、風が、音すらも──すべてが“消えた”。
一瞬の静寂の後、〈蒼雷の尾〉の動きが止まった。
その身体を走っていた電光が消え、ガラス質の外殻にひびが走る。
レオンが呼吸を整えながら、剣を構えたまま言う。
「……今の、どういう……」
「“相殺”よ。雷気と空間振動を逆位相で打ち消したの。まあ、教えたってすぐには真似できないけど」
シルヴィアは肩を竦めながら、ゆっくりと前に出た。
「レティシア、もう一発で仕留めなさい」
「了解──〈風槍・断層貫穿〉!」
空を裂くように生まれた風の槍が、〈蒼雷の尾〉の胸部を貫いた。
数拍遅れて、魔物の身体が崩れ落ちる。雷光はもう、灯っていない。
静寂が戻る。
やがて、レオンが剣を収めた。
「……なんとか倒せたな。助かった、シルヴィア」
「礼はいいわ。助けに来たのはついでよ。雷晶石、無事確保できてるんでしょ?」
レティシアが頷き、小袋を掲げた。
「通常が四つ、共鳴型が三つ。どれも品質は問題なし」
「ふうん。悪くないわね。約束通り、それ相応の金額は出してあげる。店に戻りましょ」
シルヴィアは、軽く魔法で傷を癒しながら先に立って歩き出す。
その背で──誰にも見せぬように、ほんの一瞬だけその瞳が揺れた。
(あの“力”……あれは……まさか)
【原初の力】。ただの魔法でも、武技でもない。
それは、遥か昔から存在する根源の力──。
かつて、己も共にあった“彼”の系譜を感じさせる、異質の力。
(まさか、またこれを使う者がいたとはね……)
灰銀の髪が風に揺れる中、シルヴィアの表情には読み取れぬ感情が走っていた。




