第174話 感染核の討伐
異形の魔物たちを斃し、村の奥へと進んだレオンとレティシアは、朽ちかけた祠の前に立っていた。
かつては土地神を祀っていたらしい小さな社。今は屋根も崩れ、黒い苔のようなものが柱を這っている。扉は半ば腐って開かれていた。
中に踏み込んだ瞬間──
濃密な瘴気のようなものが、ズン、と空気を重くする。
「……中心は、ここね」
レティシアが低く呟いた。魔力の流れが歪み、皮膚の裏を這うような感覚がある。
「ああ、いるな……来るぞ」
レオンの声と同時に、闇の奥から“それ”が姿を現した。
高さ三メートルを超える異形。
腐りきった巨人の死体を、さらに異常に膨張させたかのような姿。
腕は複数に裂け、各々が触手のように蠢いている。
背からは黒い瘴気が漏れ、足元には無数の眼球のような肉塊が蠢いていた。
「あれは、〈感染核〉……? レオン、そいつに触れない方がいい!」
──〈感染核〉
こいつが村を滅ぼした元凶。
「そうだな、レティシア、【原初の力】と魔法で片付けるぞ!!」
「任せて! 来るよ……ッ!」
異形が咆哮をあげた。瘴気が吹き荒れ、木々の葉が吹き飛ぶ。
レオンは一歩も動かず、右手をそっと掲げた。
「【原初・空間衝圧】」
空間が一瞬、歪む。
次の瞬間、異形の胸部に見えざる衝撃が炸裂した。
肉が凹み、異形が呻き声を上げてのけぞる。
「まだだ。【原初・空間圧縮──断層】!」
レオンの右手が印を切るように動くと、空中に揺らぎが走る。
それは目に見えない“刃”となり、異形の右腕を斬り落とした。
ブシュッ、と濁った体液が噴き出す。
「動きが鈍い……なら、こっちは止まらず削るだけだ」
「〈風障壁〉! レオン、触手が来る!」
レティシアが素早く渦巻く風を展開し、襲いかかる触手を逸らす。
その隙に、レオンはさらなる構えを取る。
「【原初・空間反転──衝解】」
レオンの周囲、数メートルの空間が一瞬、反転するように揺れる。
その圏内に侵入した触手の一本が、内部から破裂した。
空間そのものに干渉し、対象を破壊する力──それが【原初の力】の一端。
「まだ終わらない……!」
異形は吼え、瘴気をさらに拡散させてきた。視界が濁り、肺が焼けるような圧がかかる。
「……まずい、あれ以上吸い込むと魔力が乱されるから!」
「なら、一気に止める」
レオンの瞳が鋭く光る。
──“力の流れ”を、完全に掴んだ。
「【原初・空間同調──破刃の導】」
レオンの前に浮かび上がる、虚空に浮かぶ幾何の輪。
それは彼の精神と完全に同調し、空間を“斬撃”として放つための儀式陣。
──刹那。
輪が回転し、目に見えぬ刃が放たれた。
その刃は、空気も何もかもを斬り裂いて、異形の胴を貫く。
次の瞬間──異形の身体が、内側から“裂けた”。
グチャリ、と崩れ落ちた肉塊。
呻きは断ち切られ、瘴気の流れも止まる。
「……倒した、の?」
「ああ。奴の核を断った。もう動かないだろう」
レオンが剣を収める。
祠の空気が、わずかに澄んだ。
腐臭も薄れ、外の風がようやく流れ込んでくる。
「……この村は、きっとこうして滅びたんだね」
レティシアが呟いた。
「感染して、変異して、そして喰らい合って……」
「ああ。だが、今度は終わった。あれ以上はもう、拡がらない」
二人はしばらく、その場に佇んだ。
やがて、レオンが口を開く。
「……依頼、完了だ。報告に戻ろう」
「そうだね。……でも、この土地は、誰かが浄化しないと、また何かが起きる気がする」
「ああ……いずれ、別の者が来るだろう。ひとまず俺たちは、やるべきことをやった」
そう言って、二人は静かに廃村カラムを後にした。
風が、どこか寂しげに吹き抜けていた。
◆
日が傾きかけた頃、レオンとレティシアはアスラン・ヘイブンの冒険者ギルドへと戻ってきた。
村からの帰還は順調だったが、どこか空気が重い。異形との対峙は、肉体よりも精神に堪えるものがある。
「……これが、“ただの討伐依頼”だったなんてね」
ギルドの扉の前で、レティシアが呟いた。
「ああ。だが、いい教訓にはなった。……何気ない依頼ほど、裏に何かある」
扉を開けて中に入ると、広間は相変わらず冒険者たちの声と熱気に満ちていた。
だが──彼らの視線が、ほんの一瞬、レオンとレティシアへと向けられる。
二人はまっすぐカウンターへと向かう。今朝と同じ、銀髪の受付嬢が目を上げた。
「……帰還したのね。ご無事でなにより。早速だけど、依頼の報告をお願いできるかしら」
「特に複雑な事情はない。村は完全に死んでる。ただ、〈感染核〉を潰した。改めて浄化が必要だな。それまでは迂闊に近づかないほうがいい」
「……〈感染核〉、ね」
受付嬢の表情がわずかに強張る。
「その件は、別途報告書として処理されるでしょう。とはいえ、今回は完璧な対応だったわ。さすがね」
彼女は報告書に手早く記入しながら、小さな袋を手渡す。
「報酬、銀貨二十枚。依頼完了を確認したわ。お疲れさま」
レオンがそれを受け取り、確認もせずに腰袋へと仕舞った。
「じゃ、これで任務終了だな」
「ええ。依頼の処理はこれで完了よ。……ただ、一つ」
受付嬢は声を潜めるように続ける。
「今回の依頼、内部で“再調査対象”に指定されるかもしれないわ。内容の割に、危険度の判断が甘すぎた。次からは、もっと上のランク指定になるでしょうね」
「そうだろうな。村人だけじゃなく、冒険者らしい感染者もいたからな」
レオンがあっさりと言うと、周囲から小さなざわめきが広がった。
それは、ほんのささやかな波紋だったが、確実に広がっていた。
「カラムの依頼、完了……? 信じられん……」
「本当にあの二人だけで行ったのか?」
「いや、見てたやつはいない。だが、あの村はおかしいって話だったんだぞ。腐った獣の死体が歩くとか……」
「どうやって倒したんだ……? 剣士の男が一人で叩き潰したのか、魔法使いの女が炎で焼き尽くしたのか……」
「まさか……あの剣士、ただのCランクじゃねぇな……」
──誰も、真実は見ていない。
ただ、廃村カラムで何が起きたのかを知る者は、今やレオンとレティシアの二人しかいなかった。
「……レオン、少し目立ってない?」
「気にしても仕方ない。口がある以上、人間は喋るからな」
その言葉に、レティシアは苦笑しながらも頷いた。
「じゃあ……今夜は少し良いものでも食べに行かない? せっかく無事に終わったんだし」
「ああ。腹が減ったよ」
二人は静かにギルドを後にした。
その背を見つめていた者の中には、ほんの興味本位の者もいれば、明確な興味を抱き始めた者もいた。
──静かに、だが確実に。
彼らの名は、アスラン・ヘイブンの街に刻まれ始めていた。




