第172話 準備の朝、広がる世界
翌朝、レオンとレティシアは軽く朝食をとった後、街の探索に繰り出した。
通りの向こうに、ギルド本部の巨大な石造りの建物がそびえていた。
そこには、まだ見ぬ強者たちと、未知なる依頼が待っていることだろう。
「……じゃあ、今日はまずギルド本部だね」
「活動拠点の登録変更。それと、依頼掲示板も確認しておきたいな」
「うん。あと、地図も手に入れておきたいな。街の周辺にどんな魔物がいるかも含めて」
「……やること、多いな」
レオンが小さく苦笑した。
だが、その表情に迷いや憂いはなかった。むしろ、それらが“新しい日常”の始まりであることを、確かに受け入れていた。
通りの先には、冒険者ギルド本部の巨大な石造りの建物が聳えていた。
重厚な扉、衛兵のように立つ屈強な受付係、そして出入りする無数の冒険者たち──。
門をくぐった瞬間、その熱気が肌を刺すように感じられた。
「……ヴァレク・クロスの支部とは、やっぱり違うな」
レオンが目を細めて呟く。
「うん。ここの空気は、ちょっとピリピリしてる。でも……それがいい」
レティシアの目も鋭く、しかしどこか楽しげだった。
「ヴァレク・クロスからの活動拠点の変更申請ですね? 登録証をお預かりします」
受付嬢は淡々とした口調ながら、てきぱきと手続きを進めてくれた。
水晶板に登録証をかざし、魔導式の端末にいくつかの情報を入力していく。
「確認できました。これで、あなた方のギルド活動拠点は“アスラン・ヘイブン”に変更されました。依頼の優先表示や、昇格試験の案内もこの街基準になります。それと、あなた達二人でパーティーを組んでいるんですよね?」
「ああ、それが何か?」
「一応それも登録の必要があるんです……はい、登録、と。パーティー名はありますか?」
「いや、考えてない」
「そうですか、もし、決まったら教えてください。えっと、あなた達のパーティーのランクはCです」
更新された登録証が返される。
カードの裏面には、新たに“拠点:アスラン・ヘイブン”の文字が刻まれていた。
「──ようやく、ここが“自分たちの街”になるんだね」
レティシアがカードを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「ああ。ここからが本番だ」
「楽しみだね」
「──ああ。きっと、面白くなるさ」
胸に宿るのは、恐れではなく──ただ、冒険への高揚だけだった。
二人はギルドの一角にある広い掲示板へと向かった。
金属製の枠にびっしりと貼られた依頼票は、討伐、探索、護衛、搬送、調査──そのどれもが多様で、難度も千差万別だった。
掲示板の左側には、難度ごとに色分けされたプレートがある。
【青】=D〜Cランク:街周辺の魔物討伐や物資運搬
【紫】=Bランク:小規模の魔窟調査、強力な魔獣の討伐、未知領域の探索
【赤】=Aランク以上:最重要討伐対象の駆除や、重要人物の護衛任務など
「この辺りが、今の私たちが受けられるランクね」
レティシアは青の区画を目で追う。
掲示板の右手には、街の周辺地図と生息魔物の簡易リストが設置されていた。
──アスラン・ヘイブン周辺の地理と魔物情報──
・北東にはヴァスト草原地帯が広がっている。難易度的には比較的安全だが、早朝や夜間にウルフ、草蛇が出現。補給路も通っているため、護衛依頼が多い。峡谷への通り道にある。
・西はシェイル荒野が遠くの山脈の山裾まで続いており、岩場と乾いた谷が点在する。サンド・マローダー、岩喰いムカデなどの強靭な魔物が出没。時折、未確認種の魔物が目撃されており、調査依頼が増加中。
・南側はジャングルや湿原などが続いておりそのほとんどが未開の地。視界不良地帯が多く、出現する魔物も手強いものが多い。霧喰い、ぬめる亡者、などが生息。毒・瘴気への耐性が必要。一部は古代遺跡に接しており、探索者向けの依頼もある。
「……なるほど。安全そうな草原、手強そうな荒野、そして難関の未開地ってとこか」
「それぞれ特色があるね。最初は北東あたりが無難だけど……」
「いや、依頼の中身と報酬を見て決めよう。魔物と戦うだけが仕事じゃない」
二人は掲示板の札をいくつか手に取り、慎重に目を通していく。
依頼内容を確認しながら、必要な装備や魔法、戦術を頭の中で組み立てていく──。
やるべきことは山ほどあった。
だが、それこそが──冒険者という生き方だった。
「さて、今日は情報を集めきって、明日、明後日辺りからは、本格的に動けるようにしようか」
「うん。装備の見直しもしたいし、補給も忘れずにね」
二人はギルドを後にし、街の地図を手に入れると、再び探索の足を進めた。
武具屋、薬草屋、地図屋、そして古書の並ぶ魔導具店──すべてが、彼らの力になる可能性を秘めていた。
アスラン・ヘイブン。
この街での冒険が、いま始まろうとしていた──。
◆
日が傾き始める頃、レオンとレティシアは宿に戻ってきていた。手には地図屋で手に入れた一枚の詳細な地域地図がある。
「……この街を中心に、西は山脈、南は未開の地、北と東は比較的整備されたルートって感じか」
レオンが手元の地図を広げながら呟いた。
アスラン・ヘイブンの西方には、濃い茶色で塗られた等高線が密に重なり合っていた。
それはまるで巨大な壁のように、大地を縦断している。
「この山脈……“ドラヴァイン連峰”っていうんだ。古い言葉で“眠れる巨人たちの背”って意味らしいよ」
レティシアが脇から地図に目を落としながら説明した。
「ふぅん……うつ伏せで寝てるってことかな? なんか寝苦しそうだな」
レオンが変な感想を述べる。
そして、その連峰の中心部──
そこに記されていたのが、“鉱山都市イングラード”という名だった。
「ここだ。イングラード……噂の鍛冶師がいるっていう街」
レオンの声が少しだけ低くなる。
「例の鍛冶師ね」
街の店で聞き込んだ情報によれば、イングラードはその名の通り鉱脈の上に築かれた要塞都市であり、金属や魔鉱石の流通拠点でもあるという。
戦士たちが己の武具を鍛えるために向かい、名工に見初められれば“真の装備”を得ることもある──と語られていた。
「ただし、行くには山越えが必要。寒冷地装備も要るし、道中に魔物が出ることもあるって」
レティシアが地図の横に書き込まれた注意書きを指差す。
──〈ドラヴァイン連峰を越えるには最低七日は必要。気候の変動が激しく、凍結や崩落による通行不能も発生。出没する魔物は主に氷属性・地属性〉──
「それに、標高が高いから体力の消耗も激しくなる。今のうちに対策を考えておいたほうが良さそうね」
レオンは次に地図の南へと視線を向けた。
地図の下部、アスラン・ヘイブンの南方に広がる、名も無き空白地帯──。
「こっちは……本当に未開の地、って感じだな」
「うん。いくつかの探索隊が入ってるけど、完全な地図はまだないみたい。沼地、密林、古代遺跡……噂はたくさんあるけど、はっきりしたことは誰も知らない」
それでも、一部には“発見された地”もあった。
〈獣人の隠れ里〉、〈沈んだ神殿〉、〈瘴気の谷〉──と、ギルドの報告文書には、いくつかの名前が記録されていたが、いずれも危険度が高く、基本的に上級者向けとされていた。
「……こっちは、準備と実力が揃ってからだな」
「でも、その分、得られるものも大きい。未知の魔法素材とか、失われた文献とか……」
レティシアの目には探究者としての興奮が滲んでいた。
「西には伝説の鍛冶師。南には未知の遺産……どっちに向かうにしても、アスラン・ヘイブンが中継点になるってわけか」
「だから、まずはこの街でしっかり実績を積む。……それが、第一歩だね」
二人は再び地図を見つめ直し、ゆっくりと頷き合った。
この街から、広がる大地。眠る力。秘められた叡智──
そのすべてが、二人の歩む先に待っていた。




