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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第144話 証拠

 砦は既に廃棄されたはずの古い国境警備の防衛拠点だった。かつては聖教国の防衛線の一角を担っていたものの、戦略上の再編で打ち捨てられていた。だが、〈黒翼〉はそこに目をつけた。外見は朽ちており、監視もない。潜伏にはうってつけだった。

 クラリスは灰色の僧衣を纏い、夜の闇に紛れるようにして砦の外縁部へと接近した。結界探知用の符をかざすと、微弱な魔力の波が表層に揺れる。偽装結界──だがそれは“侵入者を弾く”ものではなく、“存在そのものを隠すための”結界だった。


「なるほど……」


 クラリスは結界の弱点を探ると、慎重にその一端をくぐり抜ける。魔力を抑え、気配を殺しながら石造りの外壁を回り込み、かつての地下倉庫への扉へと辿り着く。

 扉は錠こそついていなかったが、内側に結界封印が施されていた。だがクラリスは、過去に異端審問官として数々の結界を解いてきた。解除術式を囁くように唱え、静かに結界を解体すると、わずかな隙間から中へと身体を滑り込ませる。


 地下は静かだった。だが空気には僅かな血の匂いと、魔術薬の澱んだ臭気が漂っていた。通路の先には、複数の扉があり、奥には儀式用と思われる魔法陣と、それを記録した書物、巻物の類が積まれていた。クラリスは即座に魔力の痕跡を確認し、最も濃い部屋を選んで潜入する。


 その部屋には、ラザフォードの筆跡による文書があった。さらに、〈黒翼〉の印章が刻まれた書簡の複写も。そこには「聖都での内通者」「老修道士のすり替え完了」「次なる標的:神託の間」といった内容が綴られていた。

 クラリスはそれらの文書と印章を魔力封印袋に収納し、さらに数点の小型魔道具──記録水晶、儀式の触媒──を証拠として持ち帰る準備を整えた。

 だがその時、扉の向こうで足音が響く。


「……誰かいるのか?」


 〈黒翼〉の見張りか。クラリスは一瞬で灯りを消し、気配を消して壁の陰に身を潜める。扉がわずかに開き、魔法の光が部屋を照らす。が、気配を感知される前にクラリスは隠された通気口から抜け出し、裏手の通路を使って砦の外縁へと戻る。

 息を殺しながら結界を再通過し、山林へと戻った時、夜明けの鈍い光が空を染め始めていた。


「……間に合った」


 魔力袋を握りしめ、クラリスは聖都への帰還路を急いだ。



 夜明け前の聖堂、奥の謁見室──クラリスは一刻の猶予もなく、密かに〈聖女〉セラフィーナの元へと戻った。長い夜を駆け抜けたその顔には疲労の色が滲んでいたが、その眼差しは鋭く、覚悟に満ちていた。

 謁見室に通されると、セリーヌと数名の高位神官が控えており、〈聖女〉セラフィーナは静かにその場に立っていた。神託の場であれば通常は慎重に儀式が行われるが、今夜は例外だった。

 クラリスは黙礼し、封印された魔力袋を両手で差し出す。


「すべて、確かな証拠です。〈黒翼〉の連絡拠点である旧砦に潜入し、ラザフォード枢機卿直筆の文書、〈黒翼〉の印章、接触の記録、儀式道具の一部を回収しました。ここに、反逆の証が揃っています」


 セラフィーナは一つ一つ丁寧に確認し、書簡に目を通す。枢機卿会議の者でなければ知るはずもない内部情報、封印に関する知識、神の結界に対する干渉……すべてが、彼が〈黒翼〉と通じていたことを明白に示していた。


 部屋に沈黙が満ちる。

 やがて、〈聖女〉はゆっくりと顔を上げ、清らかで揺るぎない声音で告げた。


「……もはや疑いの余地はありません。クラリス、貴女の働きに感謝します。そして、この瞬間から、私たちは動きます」


 彼女は従者に命じ、聖教国直属の聖騎士団第一隊の隊長を呼び出させた。さらに、枢機卿会議には正式な報告を伏せ、まずは必要最小限の者にのみ知らせるようにと指示する。


「ラザフォード枢機卿を、本日付けで聖堂騎士団により拘束します。彼がどこにいても、逃がしてはならない。必要とあらば、聖都全域を封鎖してでも捕らえる覚悟で」


 セリーヌが一歩前に出て確認する。


「包囲網の発動を。宰相府および内務庁にも信頼できる者を通じて通達します。情報が漏れれば、彼はすぐにでも逃亡を図るでしょう」

「……構いません。既にこちらには、逃がす理由も、情けをかける余地もありません。彼が行っていたことの意味……この神の国を、神そのものを、裏切っていたということを、私たちが忘れてはなりません」


 〈聖女〉セラフィーナは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

 そして改めて命が下される。


「ラザフォード枢機卿を、本日付けで拘束します。聖都内に潜伏している〈黒翼〉の拠点についても、同時に摘発を開始してください。クラリスが報告した旧砦のほか、禁書庫周辺、いくつかの修道会施設にも潜伏の可能性があります。複数部隊で、同時に制圧するのです」


 セリーヌが手早く命令文をまとめ、聖騎士団の伝令へと託す。


「了解。外部に情報が漏れる前に、動きます」


 セラフィーナは再び神聖印に手をかざし、静かに祈った。


「神の名において命ずる。裏切り者ラザフォードを拘束せよ。そして、信仰を汚す〈黒翼〉の影を、この聖都から払い去りなさい──」


 命令が下った瞬間、沈黙していた室内に鋼の意志が満ち、部屋の空気は張り詰めたものに変わった。動き出す神官たち、密かに指令を伝える聖騎士たち。静かに、しかし確実に、聖教国の中枢に生じた“病巣”が、白日の下に引きずり出されようとしていた。


 枢機卿会議にはまだ公式な通達はしていない。だが、その動きはすぐに一部の高位神官や、勘の鋭い枢機卿たちの耳に届きはじめていた。

 別室──。

 高齢の枢機卿が、側近の神官を伴って密かに聖女のもとを訪れる。


「……セラフィーナ殿。この早朝に騎士団を動かすとは、尋常ではありませんな。まさか、我らの中に裏切り者でも?」


 鋭い問いに、セリーヌが前へ出て言う。


「申し訳ありません、枢機卿猊下。詳細は追ってご報告いたしますが、現在、信頼できる者だけで迅速に対応する必要がございます。ご理解を」

「……異端審問か? 誰だ……いや、むしろ、今動かなければならぬほどの“者”か」


 セラフィーナは静かに頷く。


「信仰を裏切った者への裁きは、神の名において迅速でなければなりません。しかるべき時に、しかるべき手段で説明いたします。それまでどうか、私に預けてください」


 枢機卿はしばし沈黙した後、溜息を吐いて頷いた。


「……その目に、嘘はない。わかった。私も信じよう。ただし、過たぬように」


 セラフィーナは神聖印に手を置き、静かに誓う。


「はい。必ずや」


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