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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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135/169

第135話 情報

 ラドニア──三国と国境を接する自治都市。

 交易と技術の拠点として、様々な情報と人が交差する「灰色の都市」。

 王国、帝国、聖教国の三大勢力がそれぞれ目を光らせている、外交の最前線でもあった。

 その街に、フードを目深に被った女が、一人、馬車から降り立った。

 聖教国異端審問官──セリーヌ・クローデル。

 〈聖女〉セラフィーナの名において、聖教国枢機卿会議より「対帝国諜報」の名目で派遣された特使。

 だが、その本当の目的を知る者は、〈聖女〉ただ一人だった。


「……人の声が、溢れている」


 舗装されきらぬ石畳の道、呼び込みを叫ぶ行商人、鋳鉄の煙を吐く工房、酔客の笑い声──聖都とはあまりにも異なるこの喧騒に、セリーヌは内心わずかに眉をひそめながらも、表情は変えなかった。


(この混沌の中に、彼はいる。どこかに)


 ラドニアの街は広い。

 だが、セリーヌには宛てがあった。

 一人、かつて異端審問官として地方で活動していた頃に繋がりを持った“情報の売人”が、この街にいるはずだった。

 まずは情報の足場を固める──

 そう考えた彼女は、さりげなく宿を確保し、街の主要な出入口に設けられた兵の配置、通報体制、監視の様子を調査しながら、街の構造を頭に叩き込んでいった。

 商業区、鍛冶屋通り、旧鉱山跡、傭兵が集う酒場、そして裏通りにあるスラム地区。


(目立たぬが、静かに潜む何かがある……)


 王国軍、帝国の密偵、聖教国の隠密──この街には、あまりに多くの“目”があった。

 だが、その中で、彼女の目が最も異質だった。

 純白の信仰に裏打ちされた冷厳な眼差し。

 だがその奥に宿るのは、確かなる“意志”。


 ある晩、セリーヌはとある裏路地に潜むスラムの少年に金貨を渡し、囁いた。


「“あの男”の居場所を、知っている者を探して」


 少年は目を見開き、躊躇いながらも頷いた。

 その情報は、数日後、意外な場所から返ってきた。

 ──鍛冶屋通り裏の工具店、その地下に“目利きの情報屋”がいる。

 彼は、誰にも所属せず、ただ金と「面白さ」だけで動く変わり者。

 だが、その男の口から漏れた情報が、王都の粛清を左右したこともあるという。


(やはり、彼を頼るしかない)



 翌日の夜、セリーヌは白衣を脱ぎ、黒ずくめの外套に身を包んだ。

 腰には、細身の銀製の短剣と〈浄化の印章〉が仕込まれている。

 彼女は工具店の奥の扉を叩いた。


 ──コン、コン、コン……一拍おいて、コン。

 決まったリズムの暗号。

 やがて、ギギ……と軋むように扉が開く。


「……“あの男”に会いたい」


 セリーヌの低い声に、闇の奥から喉の奥で笑うような声が返った。


「おやおや……異端審問官殿が、こんな場所に何の御用で?」


 彼女の瞳が、一瞬だけ光を灯す。


(この先に、レオンの行方を知る者がいる──)


 セリーヌは、静かに歩を進めた。

 地下への狭い階段を降りると、鼻を刺す油と鉄の匂いが立ち込めていた。

 魔石灯が天井から吊るされ、赤錆びた棚と帳簿の山、そして中央の古びた机。

 その向こうに、猫のような目をした細身の男が腰を下ろしていた。


「久しいな、“白き審問官”」

「……口が軽いな、情報屋。ルサール、と呼ばれていたか?」

「情報の価値は言葉にある。寡黙では食っていけなくてね」


 ルサールは、爪先で机を軽く叩いた。

 まるで取引を始める音のように。


「さて……王国の勇者の噂でも聞きに来たのかい? それとも、枢機卿会議からの御命令かな?」

「……どちらでもない。私はある男の行方を追っている。名はレオン・アルテイル。元は王国の貴族の子息だ」

「レオン……なるほど。君が来たのはそういうことかい?」

「最初に断っておくが、私は彼と争いに来たのではない」

「ほぅ……まあ、いいさ。実はちょうど昨日、一つ面白い報せが入ってね」


 ルサールの笑みが、細く、鋭くなる。


「街の旧地下水路……数日前の深夜、そこで“何者か”が激しい戦闘を繰り広げた形跡が見つかってね。破壊された石壁、斬撃の痕、魔力の残滓。そして、異質な“気配”」

「異質な“気配”? 〈黒翼〉か?」

「可能性はある。だが――」


 彼は指を一本立てた。


「それ以上に興味深いのは、その場にいた“もう一方”の存在だ。数少ない周囲の目撃証言によると、争った跡はあっても、戦闘中、そして戦闘の後も誰もその顔を見ていない。ただ、圧倒的な剣気と精密な気配遮断……多分、結界の魔法や、何らかの魔道具を使用しているのだろうな」

「……その者が、レオンかもしれないと?」

「確証はないが、可能性は高い。私は“あの男”と直接、接触したことはないが、話を聞く限り、相当な使い手らしいじゃないか」


 セリーヌは目を細めた。

 空気が、冷たくなる。


「ならば、彼はまだラドニアのどこかに……?」

「ああ、既に気配を絶って動いているよ。だが一つだけ、君に伝えておこう」


 ルサールは口元を拭うように指を動かした。


「君がこの街で動き出した、その直後から、向こうも“警戒”を始めたようだ。直接争いを避けようとしながらも、確実に“目”を張っている」

「もう……見られている、ということか」

「当然だろう? そして、奇妙な話がもう一つある」

「なんだ?」

「その“目”は、君を敵とは見ていない。少なくとも、今はね。“自分を探しているが、殺しに来た者ではなさそうだ”と、向こうも分かっているらしい。……さて、どういうことだろうね?」


 一方──ラドニア旧市街から少し外れた宿屋。

 レオンは、剣の手入れを終えると、静かに顔を上げた。


「聖教国の者が、俺を探している……しかも、襲いに来る気配ではない、か」


 傍らで椅子に腰かけていたレティシアが、眉をひそめた。


「奇妙ねぇ。前の刺客たちとは明らかに違うの? 今度は“探ろうとしている”感じ?」

「……カルドの話だと、聖教国の高位の者らしいな」

「じゃあ、暗殺者じゃないのかもね。それなら枢機卿じゃなくて、〈聖女〉の命で動いているのかもしれない。もしくは、何か別の意図か……」


 レオンは窓の外に目を向けた。

 夕暮れの空に、煙突の煙がゆらめいている。


「念のため、しばらくは動きを抑えるか。こちらからは接触せず、相手の出方を見よう」

「了解。私も結界の再構築をするよ。もし場所が知られていても、すぐには踏み込ませないようにね」

「そうだな……それと、俺の方からも、別の情報網に連絡を取ってみる。もしかすると、王国や帝国も動いているかもしれない」


 それは、鋭く張りつめた緊張。

 だが同時に、目に見えぬ希望の光が、セリーヌとレオン、両者の間に生まれつつあった。

 ──次に動くのは、どちらか。


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