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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第133話 〈黒翼〉の侵入

 神の光が差し込む聖堂の奥、その隣に控える審問官たちの詰所にて、セリーヌ・クローデルは一冊の帳簿を開いていた。

 それは、〈神の沈黙〉──禁書庫への出入りを記した古い閲覧記録。


「おかしい……また、記録が抜けている」


 澄んだ瞳が細くすぼめられる。

 この数ヶ月、彼女は淡々と、だが執念深く“禁書庫の異常”を洗い出していた。

 最初に疑念を抱いたのは、禁書庫周辺の結界に記録されていた“魔力の歪み”だった。

 調査を申し出ようとした矢先、報告を握り潰された。理由は明らかだった。

 ──上層部の誰かがこの件に関わっている。


「閲覧許可の署名……これは、ラザフォード枢機卿のもの……でも、同日付の巡礼記録では、あの方は北部視察に出ていることになっている」


 ページをめくる指先が止まる。


「これは誰かが代理で書いた?  それとも……」


 セリーヌは立ち上がると、審問官の印を懐に収め、黒衣のマントを纏った。

 既に彼女の中では、仮説が形成されつつある。


 “何者かが禁書庫の記録を意図的に改ざんしている”

 “その背後に、ラザフォード枢機卿がいる可能性がある”


 禁書庫へ向かう足取りは、音もなく静かだった。



 夜の禁書庫。

 聖堂の地下をさらに潜ったそこは、白い石壁と古の封印に守られた神域。

 昼間とは違い、結界の光が弱まるこの時間帯こそが、何者かの出入りが可能な唯一の隙だった。

 セリーヌは、持ち込んだ簡易結界を周囲に展開し、他の審問官や守衛の目を欺くと、中央の閲覧台へと進む。


(帳簿上では、ラザフォード枢機卿がこの禁書庫に入ったのは三度。しかし、魔力残滓は七度分……辻褄が合わない)


 彼女は結界の痕跡を調べながら、一冊の古びた本に目を留めた。

 『黒陽の記』──表紙には、微かに“封”の印があったが、今は解かれている。

 慎重にページをめくる。あるべきはずの中盤の頁が、一枚……消えていた。


「誰かが、故意にページを引き裂いた……?」


 ページの端には、指先の圧痕。鋭い爪痕のような破れ方から、普通の人間とは異なる力が働いたとセリーヌは直感する。


 瞬間、微かに響いた気配に、彼女は身を翻した。

 背後の通路に、気配が一つ。薄闇の奥に潜むその存在に、彼女の表情は変わらない。


「出てきなさい。……あなたが誰であれ、禁書の閲覧記録を抹消した時点で、罪は確定しています」


 ゆっくりと闇から姿を現したのは、司祭服を纏った男──かつての禁書庫守の代理とされていた人物だった。

 だが、セリーヌは既にその男の素性を洗っていた。存在しない履歴。司祭としての記録すら虚偽。


「……あなた、“神の使徒”ではないわね。そう、〈黒翼〉ね。違うかしら?」


 男は一瞬の間を置き、笑った。

 その笑みは、もはや人のそれではなかった。


「貴女のような者がいるとは……聖教国も、まだ捨てたものではないかもしれませんね。だが、近づきすぎた」


 影が揺らいだ次の瞬間、男の形が変質する。黒い霧のような瘴気に包まれ、その場を一瞬で掻き消した。

 ──逃げられた。


「やはり……〈黒翼〉が禁書に手を伸ばしている。ならば、狙いは“封印された神”……!」


 セリーヌは震える指先で頁の余白に書かれた、かすれた記述を見つける。


「……神は、封じた。ベリアナの名と共に、〈門〉を──」


 それきり、続きはない。


「ベリアナ……“神に封じられた存在”。禁書に刻まれた唯一の証左……」


 セリーヌは震えるほどの興奮と、底知れぬ恐怖を覚えていた。

 自分が今、何に触れたのか。

 そして、ラザフォード枢機卿が、どれほどの危険を孕む存在であるかを。


(これ以上は、私一人では追えないかもしれない……。だが、放ってはおけない)


 信仰に生きる異端審問官は、神の沈黙の中で──その沈黙の意味を問い直し始めていた。



 禁書庫の静寂を後にし、セリーヌは聖都の夜を歩いていた。

 石畳に落ちる月影が、彼女の心の揺らぎをそのまま映すようだった。


(……もう確信している。枢機卿ラザフォードは〈黒翼〉と通じている)


 だが、それを他の枢機卿に告げることはできなかった。

 否、告げるべきではないと彼女は判断していた。

 理由は単純だった。


 ──彼らも、信じられない。

 いかに敬虔を装っていようと、枢機卿会議は長年、利権と保身に染まっていた。

 中には清廉な者もいるかもしれない。聖教国の現在の在り方に疑問を抱いている者も、きっといる。

 だが、それを見極めるには時間が足りなかった。


(下手に動けば、私も“異端”として裁かれる)


 何より、ラザフォードという男はあまりにも巧妙だった。

 禁書の記録を消し、監視をすり抜け、痕跡を偽装する技術は、単独では到底不可能だ。

 内部に協力者がいる。複数いる。そう考えるのが自然だった。

 そして──


「レオン・アルテイル」


 彼の名を呟いた時、セリーヌの足が止まる。

 スキルを持たない者として蔑まれ、追放されたという記録の残る者。

 そのレオンが、ベリアナの復活を目論む〈黒翼〉を討伐したという話を聞いた。

 さらに、枢機卿会議の二度にわたる暗殺計画をも退けたという。


(たしか最初に彼の暗殺を提案したのも、ラザフォード。……偶然のはずがない)


 セリーヌは、〈聖女〉付きの侍女から聞いていた言葉を思い出す。


「レオン様が命を狙われたと知って、セラフィーナ様は……本当に、心を痛めておられました」


 その時の侍女の表情が、今も焼き付いている。

 〈聖女〉セラフィーナ。

 聖教国の象徴であり、神の声を聞くとされる巫女。

 だが、セリーヌにとっては、それ以上の意味を持つ存在だった。


(あの方だけは……まだ、“信じられる”)


 結論は出ていた。

 もう、自分一人で背負える領域ではない。

 だが、誤ればすべてが終わる。

 〈黒翼〉が潜んでいる以上、〈聖女〉の側にさえ、敵がいないとは限らない。


(それでも、動かねばならない。真実に近づくには、あの方の助けが必要)


 月光が、冷たく照らす聖堂の尖塔。

 セリーヌは決意を胸に、ゆっくりと歩を進めた。

 向かう先は、〈聖女〉セラフィーナの居室。

 今なお神の沈黙の中で祈る少女の元へ──


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