第13話 謎の声と不思議な力
石造りの階段を何度も下り、レオンは既に十層目の深さにまで到達していた。通路の構造は階層を追うごとに複雑さを増し、遭遇する魔物も次第に強力なものへと変わっていった。
しかし、レオンはそのすべてを乗り越えてきた。たった独りで。
直前の戦闘では、二体同時に現れた鎧を纏った騎士のような魔物と渡り合い、わずかな隙を突いて撃破していた。全身に細かな傷と汗をにじませながらも、レオンの目は濁ることなく、むしろ研ぎ澄まされていた。
そして今、眼前に広がる広間には、魔物の気配がまったくなかった。空気は静かで、埃っぽく、時折天井から砂がぱらぱらと落ちる音がするだけだった。
「……いない、か」
気配を探ることに慣れてきたレオンの感覚が、それを断言していた。それでも剣は手から離さず、警戒を緩めることはなかった。静寂は時に、もっとも恐ろしい罠の前触れだ。
広間の隅に身を寄せ、背を壁に預ける。革の水筒を取り出し、一口飲む。乾いた喉にわずかばかりの潤いが戻る。
「十階層か……これがどこまで続くんだ?」
独りごちる声が、広間に小さく響いた。ふと、額に汗がにじむのを拭おうとした時──
(……る……だ……)
何かが聞こえた。
「……っ?」
レオンは瞬時に立ち上がり、辺りを見回す。が、誰もいない。 ただの空耳かと思い、再び座り込もうとすると──
(……へ……来……)
今度は、はっきりと脳内に響いた。
「……何だ?」
誰の声なのか、どこからなのかも分からない。けれど、それは確かに“言葉”として、彼の頭の中に流れ込んできた。
しばし沈黙。広間は変わらず、何の変化もないように見える。だが──
(……誰かが、僕を……呼んでいる?)
そう思った時、レオンの背筋に微かな寒気が走った。この遺跡の最深部には、何かがある。ただの魔物でも、財宝でもない、“何か”が。呼ばれているのか、試されているのか。
いずれにせよ、ここまで来た以上、簡単に引き返すつもりはなかった。レオンは静かに立ち上がり、剣の柄を再び握る。
「……進むか」
彼は、再び闇の奥へと歩き出した。
◆
どのくらいの時間が経ったのだろうか。数日か、それとも数週間? 数ヶ月? レオンはもう時間の感覚を失っていた。何度階層を下ったのか、どこまで進んだのかも定かではない。遺跡内部の暗闇の中で彼の心は疲れ、身体も限界に近づいていた。
水も食料も尽き果て、空腹を覚えた時には、倒した魔物の肉──生肉に火を通して食った。お世辞にもうまいなんて代物ではなかったが、それでも飢えをしのぐためには仕方なかった。幸いにも湧き水が遺跡内で見つかり、それが唯一の命綱となっていた。
それでも、疲れ果てた身体を休める暇もなく、レオンは探索を続けていた。時折、頭の中に自分を呼ぶような声が響く。その声はもはや気のせいではないと、彼は確信していた。何度も振り払おうとしたが、その声は消えることなく続いていた。何かが彼を呼んでいる。いや、もっと深い場所に誘っているのかもしれない。だが、そんなことを考えている暇はなかった。
再び魔物が現れ、彼の前に立ちはだかる。黒い皮膚に鋭い爪、そして異常なまでに大きな身体。ゴブリンよりも一回り大きく、獰猛な姿をした魔物がレオンに迫ってきた。
「またか……!」
レオンは冷静に剣を抜き、構える。だが、体力はもう限界だった。これ以上長く戦えば、無事では済まないだろう。
魔物は猛烈な勢いで彼に襲いかかり、鋭い爪が空を切る。その爪がレオンの身体をかすめ、何度も傷をつけた。反撃を試みても、体力の限界が彼の動きを鈍らせる。
その隙をつき、魔物が鋭い爪を振り下ろしてきた。その一撃がレオンの剣を弾き飛ばし、鋼の刃が地面に転がる。剣を失ったレオンは、無防備な状態で立ち尽くすしかなかった。
「しまった……!」
だが、何かが彼の中で変わった。恐怖と絶望の中で、ふと彼は両腕を突き出していた。何かを無意識に感じ、どうにかしようとしたその瞬間、異変が起きた。魔物がまるで弾き飛ばされたかのように岩壁に激突した。激しい衝撃音が響き、魔物の体がぐったりと落ちる。
死んだ?
レオンはその光景を呆然と見つめるしかなかった。何が起こったのか、全く分からない。ただ、間違いなく剣を失い、両手を突き出した瞬間に、魔物が吹っ飛び、叩きつけられ、命を落とした。
「今の、僕がしたことなのか……?」
頭の中は完全に混乱していた。確かに両手を突き出した。だが、その先にあった力は一体何だったのか。今までに感じたことのない、強大な力の感覚。恐怖と驚きが入り混じる中、レオンはただその場に立ち尽くした。先程のことが何であるのかはわからない。ただ一つ、確かなことがあった。あのままでは確実に死んでいたところだったのが、助かったということ。
何が起こり、さらに何が起きつつあるのか。それを知るためには、もっと深く遺跡を進んでいかなければならないのか。レオンは恐る恐る剣を拾い直し、再び歩き出した。疲労で足取りは重いが、それでも新たに見えた道を進んでいった。いや、前に進むしかなかった。
あれは一体、何だったのか。先ほどの戦闘で起きた異常。両腕を突き出しただけで魔物が吹き飛び、岩壁に叩きつけられたあの瞬間。信じられないが、あれは確かに自分が引き起こしたこと。そうとしか思えない。けれど、あれが本当に自分の力なのか、まだわからない。
もう一度できるのか。そもそも、どうやって発動したのか。疲労困憊の頭では、考えもまとまらなかった。それでもレオンは進んだ。遺跡の深層へ、さらに下へと。
あれからも何度も階段を下り、何度も魔物と戦った。階層が深くなるにつれて、魔物の強さも増している。一撃でも受ければ命に関わるような強敵ばかり。だが、死力を尽くし、剣を振るい、あの不思議な力に助けられながら、彼は生き延びてきた。
そう、あの力、どうやらやはり何か掴んだらしい。
まだうまく使えるとは言えない。だが、戦闘の中で何度か使っていくうちに、わずかだがその正体が見えてきた。あれは、「何かを動かす」力のようだ。見えない“手”のようなものを伸ばして、対象を押したり、吹き飛ばしたりできるようだ。
ただし、何でも自由に動かせるわけではなかった。試しに巨大な岩に向けて力を使ってみたが、浮かせることはおろか、ぐらつかせる事すらもできず、無反応に終わった。重すぎるものには効果がないのか、それともまだ力の扱いが未熟なのか。
とはいえ、戦闘は確実に楽になってきた。剣による攻撃だけでは対応しきれない場面で、この力は命を救ってくれた。もっとも、毎回うまく発動するわけではないし、体力の消耗もかなり激しい。そして効果も弱い。確実性のないことに頼ってはいけない。だから乱発できるものではない。
それでも、レオンは少しずつこの力を扱えるようになってきていた。
深く、静かに、自分の中で何かが目覚めていく感覚。
この力の正体も、なぜ自分に宿ったのかも、まだ何一つわからない。けれど、レオンは確信していた。この遺跡の奥に進めば、必ずその答えがあるはずだと。
彼は、剣と力を携えて、なおも薄暗い道の奥へと歩を進めていった。




