第124話 内情
翌朝、レオンとレティシアは街の商業区に足を運んでいた。目的は、聖教国に関する情報を得るための事前準備──レオンの装備の見直しである。
「まずは武器だね。レオンの剣、もう限界なんでしょ?」
レティシアが指したのは、レオンが腰に下げていた古びた剣。エリオットとの戦いで負った損耗は激しく、全体に細かなひびが入り、刃こぼれはひどく、鍔も歪んでいた。ここまでの戦いに耐えてきたが、今や名残惜しさの欠片すら感じさせないほどの消耗ぶりだった。
「……そうだな。もうこれも、潮時か」
「で、何にする? この際、新しい武器にしてもいいと思うけど。槍とか、斧とか、弓とか……」
「いや、俺は剣にする。槍は昔、兵士の訓練を真似して振ったことがあるが、所詮は子供の遊びレベルだ。弓は触ったことすらない」
「斧は?」
「やたら勧めてくるけど、木こりじゃないんだから」
「なによー、面白味のない答えだね。ま、レオンらしいけど」
レティシアはそう言いながら、鍛冶屋の店主と手際よく交渉を進めていた。しばらくして、重厚な棚の奥から取り出されたのは、装飾のない実戦用の長剣だった。鍔も鞘も簡素で、使い手を選ばぬ汎用性重視の一品。
「悪目立ちしない、けど質は保証する。これでいい?」
「ああ、丈夫ならいい。十分だ」
武器の次は防具。だが、こちらは選択が早かった。
「鎧はいらない。重くて動きが鈍くなるだけだ。どうせ当たらなければ問題ない」
「まあ、あんたの回避と動きならそれでもいいか。でも完全な無防備はダメ。せめて、これくらいはつけておきなさい」
彼女が差し出したのは、硬質な皮でできたグローブだった。拳を守るだけでなく、手元の滑りを防ぐ工夫も施されている。試しにはめてみると、意外なほど手に馴染んだ。
「へぇ……思ったより悪くないな」
「でしょ?」
一方、レティシア自身の装備に変更はなかった。エルフの象徴ともいえる民族衣装は避け、代わりに革の鎧と呼ばれる軽装の防具を纏い、細身の双剣と携帯用の短弓を背に装備していた。武器のバランスに隙がなく、彼女の戦闘スタイルをそのまま体現しているかのようだった。
「それと、最後に外套。レオン、黒はやめておいたほうがいいよ」
「〈黒翼〉と被るからか?」
「そう。今後、正体を隠して動くなら色は重要。目立つ色でも構わないけど、“黒”は最も警戒される色。白にしなさい、清廉な旅人風にね」
「まぁ、その方が無難かもな」
新調した外套は、淡い白地に灰色の縁取りが施され、簡素だがどこか凛とした印象を与えた。着てみると、意外にも馴染んでいる。
「お似合いですぞ、“旅の青年”」
「……その軽口がなければ完璧だったのに」
「それ、褒めてると受け取っていい?」
◆
レオンの武器以外にも、様々な買い物を一通り終え、二人は軽く荷物を整理すると、店を後にした。陽は既に高く、街の喧騒が本格的に動き出している。
表通りの明るさが嘘のように、裏通りは静かだった。壁と壁の隙間にわずかに差し込む光と、擦れた足音。露店の声も、子どもの笑い声も届かないこの一角は、まるで別世界のようだ。
「……ここまで来ると、さすがに雰囲気が変わるな」
「“表”の人間は滅多に来ないからね。けど、情報はいつだって“影”から流れるものなの」
レティシアの足取りは迷いがなく、手慣れた様子でいくつかの曲がり角を抜ける。やがて、小さな看板のかかった店が現れた。看板には、古びた銀の鍵が彫られている。
〈銀の鍵亭〉──この辺りでは珍しい、情報と物資のやり取りを専門とする店だ。
「ここか?」
「そ。エルフの中でも、“旧き血”に繋がる者たちだけが知ってる店。表では忘れられた一族でも、こういう場所では根を張ってるの」
軋む扉を押して入ると、店内は薄暗かった。棚には雑多な品が並び、薬草、古い巻物、封蝋された手紙などが積まれている。店の奥にはカウンターがあり、その向こうにいたのは痩せた中年の男だった。白髪交じりの頭に、獣皮のコート。鋭い目元には知恵と用心が滲んでいた。
「……おや、これは珍しいお客さんだ」
男は口元を吊り上げた。まるで罠にかかった獲物でも見たような笑いだったが、その目は一瞬でレティシアに向けて柔らかくなる。
「レティシアか、久しぶりだな。……五年ぶりか? いや、それ以上かもしれんな」
「うん、カルド。あんたは相変わらずっぽいね」
レティシアは軽く頭を下げた。レオンはその隣で黙って様子を見ていたが、カルドと呼ばれた男の目が、すぐに自分に向けられるのを感じた。
「それで、そちらの若造は……客人か? それとも護衛か?」
「両方。……けど、あたしよりよほど厄介な存在だよ? 今は彼の方が、“主役”なんだから」
「ほう」
カルドの目が細くなる。まるでレオンの奥を覗き込むような目線だった。だが、レオンはそれに動じることなく、真正面から見返した。
「なるほど。只者じゃないな。いい目をしている……気に入った」
「必要なのは、聖教国に関する情報。それも“裏”の話。あんたなら、何か掴んでるんじゃない?」
「まあな。……ただし、タダじゃないぜ? 最近、この手の話は命を縮める毒に近い」
「ちゃんと対価は払うってば」
カルドは小さく鼻を鳴らし、カウンターの下から黒革の帳面を取り出すと、その場で何ページかめくった。指の動きは迷いがなく、まるで記憶と照合するかのようだった。
「まずは、聖教国全体の動きから話してやろう。……最近の奴らは、王国と帝国の動向に神経を尖らせている。だが、強気に出られない。両国を同時に敵に回すほどの度胸も戦力も、今の聖教国には残っていないからな」
「ふーん。意外と弱腰じゃん」
レティシアが皮肉交じりに言うと、カルドは苦笑する。
「威勢だけならいくらでも張れるさ。ただし、な──」
カルドは一瞬言葉を切り、帳面を閉じると、低く言葉を続けた。
「……先日、国境付近でちょっとした“騒ぎ”があった。王国と帝国、それに聖教国の部隊が入り乱れる形で起きた紛争だ。誰が仕掛けたかは明らかにされていないが、状況は今も継続中。聖騎士団は現地に残ったままだ。撤退どころか、いつでも火を噴きかねない一触即発の状態が続いている」
レオンの目がわずかに鋭くなる。
(あの鉱山跡の墳墓は、詳細は不明なものの、聖教国が管理するべき場所だと考えたから、聖騎士団を派遣したはずだ。そのまま前線に留まり続けているという事実。それは、交渉の余地すらないことを示しているってことか)
「……それって、すごく不安定な状況じゃない」
「ああ。三国協議中に強引に聖騎士団を派遣し、王国と帝国を怒らせた。しかも戦闘が起きちまった。仕掛けたのは聖騎士団だって噂もあるくらいだ。そしてなにより不可解なのは、あれだけ“神意”を振りかざしていた教皇が──この件について、何の声明も出していないことだ。まるで、何もなかったかのようにな。今も沈黙を貫いている。噂じゃ、外交的失敗による心労、とも言われているがね」
「それは……異常ね。教皇が動かないということは、意思決定が内部で止まっている可能性がある」
レティシアの分析に、カルドは頷いた。
「その通りだ。枢機卿会議でも意見が真っ二つに割れてるらしい。“神罰の使徒”を名乗る急進派と、“伝統保持”を重んじる保守派。どちらも譲らず、ただ時間だけが過ぎている」
「……ならば、一部が勝手に動く可能性も?」
レオンがぽつりと呟くと、カルドの目が一瞬だけ細まる。
「……勘がいいな。そうだ。裏部隊──暗殺や攪乱、情報収集に長けた連中が、最近になって再び動き出しているという話がある。しかも、標的は国内に限らず国外まで及んでいるようだ」
「国外……?」
レティシアが目を細めたが、カルドはそれ以上語らず、視線だけをレオンに向ける。
「詳しくはまだわからん。ただ、奴らの手口は昔と同じ。痕跡をほとんど残さない。そして“神の沈黙”の下、勝手に動くには──あまりに大胆すぎる」
「つまり、枢機卿会議の誰かが、裏で命じている可能性があるってことか」
「その通りだ。……ま、あくまで噂にすぎないがな」
カルドは帳面を仕舞い、椅子に深くもたれかかった。
「情報は以上だ。……気をつけろよ。街は平和に見えても、どこに“彼ら”の耳が潜んでいるか、分かったもんじゃない」
レティシアが数枚の金貨を置き、軽く手を振って店を出る。
レオンも一礼し、扉を開けた。
再び裏通りの空気に戻ると、店の中よりも肌寒く感じた。
「……どう思う?」
「想像よりずっと内部が不安定ね。おそらく、もうすぐ“何か”が動くかもね。しかも、聖教国の意思としてじゃなく、“誰かの”意思として」
「裏部隊が動いてるなら、またこっちに来る可能性も高いな」
レオンは白い外套の襟元を軽く引き上げ、足音を殺して歩き出した。
「……なら、こちらも備えておかないとな」




