第122話 手紙と魔道具
扉が静かに閉じられ、宿の一室に静寂が満ちる。
レオンは部屋の様子を軽く見渡しつつ、振り返って問いかけた。
「……それで、どういうことなんだ?」
レティシアはベッドに腰を下ろしながら、どこか気の抜けたように笑った。
「せっかちだねぇ……まあ、がっつくのは若い証拠。うんうん、特権だね」
どこか意味ありげに呟くと、懐から小さな木箱を取り出してテーブルの上に置いた。木目の走るその箱は掌に収まるほどの大きさで、簡素ながら丁寧に作られている。
「師匠からの手紙。まずは、それを読んで」
そう言って、箱の蓋を開け、中から丁寧に折りたたまれた便箋を一枚取り出してレオンに差し出した。
レオンはそれを受け取り、開く。
「……リューシャ様から……?」
「そ」
レティシアは脚を組んで頷いた。何気ないが、相変わらず様になっている。
蝋燭の明かりのもと、レオンの目が手紙の文字を追っていく。リューシャの筆跡は変わらず流麗で、淡々とした文面の中に確かな緊張感が滲んでいた。
──〈黒翼〉と思われる組織が再び密かに動いている。
──エルフの隠れ里周辺にも不審な影が散見される。
──おそらく、レオンとエルフたちとの関係性を察知し、エルフ自体を監視し始めたのだろう。
──これを考慮し、結界を強化した。
──レティシアを再び協力者として送り込むことにした。
──彼女には、こちらで用意した魔道具を持たせてある。必要に応じ、使用を推奨する。
──身体には十分気をつけるように。
手紙を読み終え、レオンはそっと息をついた。思った以上に状況は深刻だ。〈黒翼〉の動きは、既に自分の周辺だけでなく、エルフたちの生活圏にまで忍び寄っている。
「……やはり、動いているのか」
「みたいだね」
レティシアが笑う。その笑みの奥には、かつて見せたことのない冷静さが宿っていた。
「魔道具ってのは、これのことか?」
レオンが視線を向けると、レティシアは再び木箱を指さした。
「そう。それ、ちょっとすごいわよ? さすが師匠、というべきかな」
その箱の中には、いまだ布に包まれた何かが静かに収められている。
「じゃーん」
レティシアが木箱の中からそっと取り出したのは、布に丁寧に包まれたもの。包みを解くと、中から現れたのは、装飾を抑えたシンプルな銀の鎖。細身のネックレスだった。その中心には、小さくも澄んだ青い宝石が一つ、控えめに輝いていた。
「これは?」
レオンが手に取ると、冷たい金属の感触が掌に伝わってくる。
「これはね、認識阻害の魔法が付与された魔道具。今、あたしが付けてる物と同じやつ」
「認識阻害?」
レティシアは頷き、軽く鎖骨のあたりを指差した。そこにも同じようなネックレスが、衣の下から僅かに覗いている。
「そう。これを付けると、顔──というか、外見の印象が微妙に変わって見えるの。実際に変化するわけじゃなくて、“少し違う人”だなって周囲に思わせるだけ。イメージの上書きって感じかな」
「……じゃあ、今のレティシアがなんだか違って見えるのは……」
「そう、レオンには“そう見えている”だけ。この魔道具の効果で、ね。でも本当のあたしは、何も変わってないの」
ふっと微笑む彼女は、確かに見覚えのあるレティシアとはどこか違って見えた。これが魔道具の効果なのだろう。
「とんでもない代物だな」
「でしょ? 昔、師匠が知り合いの魔導士に頼んで特別に作ってもらったんだって。あたしがまだ弟子になったばかりの頃だったかな」
「……エルフの外見は目立つからか?」
「うん。特にこの世界じゃ、エルフってだけで目を付けられるし、危険も多い。聖教国みたいな“清き者”しか認めない連中にとっては、異端そのものだからね」
「でも、前はそのままだったよな?」
「王国内だったし。でもここは違う。聖教国に最も近い場所だからさ」
“それにただでさえ、あたしの魅力、だだ洩れじゃん”と笑う。
レオンはネックレスを見つめながら、思案の表情を浮かべた。
「……なるほど。これがあれば、本来の姿を隠して、別人として動けるってわけか」
「ま、完全に騙せるわけじゃないけどね。魔法に強い人とか、相手の“本質”を見抜くスキルを持ってる奴には通じない。けど、一般的な街中を移動したりする分には十分ってわけ」
「なるほど……リューシャ様の配慮か」
レティシアは「うん」と頷いてから、少しだけ声を低くした。
「多分ね。あの人、あたしたちの動きが誰かに読まれてる可能性も考えてる。だから、こうして対策を講じてるのよ。エルフの結界の強化も、きっとその一環」
部屋の空気が少し張り詰める。〈黒翼〉の影が、静かに、しかし確実に忍び寄っている──その現実を、二人は改めて実感していた。
「……ありがたく使わせてもらうよ」
レオンがネックレスを再び見つめながら呟くと、レティシアはどこか満足げに笑った。
「あと、師匠からのアドバイス。今後はなるべく力を抑えて行動するように、って」
そう言いながらレティシアは軽く顎を引き、視線をレオンに向ける。
「特にレオンの【原初の力】。せっかくこのネックレス付けてても、派手にぶっ放したらすぐに“あ、あれレオンだ”ってバレちゃう可能性高いでしょ」
「……それは確かに。魔法と誤魔化すとしても、目立ちすぎるか」
レオンは肩をすくめた。
「まあ、でも、使うなとは言われてないし、使ってこそだってのもあるし。あまり深く考えなくてもいいかもね」
「心得た。もう、既に聖教国の連中に目を付けられてるからな」
「やっぱりね。来た?」
「ああ。ここへ来る途中、二度ほど暗殺部隊と接触した。とりあえず返り討ちにしたけど……命は奪ってない奴もいる。情報が漏れててもおかしくはないか」
「へぇ〜。けっこう情け深いところあるじゃん」
レティシアは面白そうに口元を緩め、からかうような目を向ける。
「王国の第一王子をボコボコにして、ぶち殺そうとした人物とは、とても思えないわねー」
「……おまっ、何だその微妙に歪んだ情報は!?」
「え? 違うの? あんた王都じゃ結構有名よ? “第一王子にムカついたレオンが、容赦なくフルボッコにして、なぶり殺そうとした”って噂」
「……」
レオンはこめかみを押さえながら深い溜息をついた。
「……なんだろう? 間違ってはいないけど、誇張されてない箇所が一つもないっていう、このモヤモヤ感……」
ちょっと切り刻んで脅しただけ。それもレティシアが作った傷薬で治してやったのに。
「ほんとのことって、往々にして伝言ゲームの末に面白おかしくなるものなんだよ」
レティシアはクスクスと笑いながら、椅子の背にもたれた。
「まあでも、それだけ“もう目立ってる”ってこと。つまり、レオンが何かを動かしはじめてるって証拠でもある。敵にとっても、味方にとってもね」
「……目立たないようにしろって言われた後に、それを言うのかよ」
「大丈夫、ちゃんとあたしがサポートしてあげるからさ。しっかり、お姉さんらしく、手取り足取り、ね?」
「いやお前、昔っから姉でも姉っぽくもなかっただろ……ん? 手取り足──」
「レオン、あんたそれ女の子相手に言っていいセリフじゃないわよ〜?」
そう言いながら、レティシアはひらひらと手を振って笑った。どこか懐かしく、そして頼もしいその笑みに、レオンもまた肩の力を少し抜いた。
「……ありがとう、レティシア」
「どういたしまして、レオン。さて、そろそろ本題に入ろっか。〈黒翼〉もそうだけど、聖教国の動き――少々厄介なことになってきてるよ」
雰囲気が静かに切り替わる。冗談の裏に潜む緊張と、戦いの予感。
それでも、再会した二人の絆は確かに、これからを支える力となるだろう──。




