第11話 応えた壁
夜が明け、まだ空が白む頃。レオンは街を発った。
まず向かう先は、“魔の森”。地元の者でさえ近づきたがらない、呪われた森とも呼ばれるその場所は、常に厚い霧とどこか湿った空気に包まれていた。
(空気が重いな……)
木々は高く、太陽の光はほとんど届かない。足元は不安定で、ぬかるみや苔に覆われた岩が点在している。野生動物の気配も薄い。それだけ、この森が何かを拒んでいるようだった。
レオンは時折立ち止まり、耳を澄ませ、周囲の気配を探る。
(……何かに、見られてる?)
錯覚か、それとも──。
だが進むしかない。前に出る一歩を止めてしまえば、恐怖に呑まれて動けなくなる。いくつかの目印を頼りに、森の奥へと分け入っていく。地図に記されていた地点までは、まだ相当な距離がある。
途中、瘴気のような冷気が吹き抜け、鳥肌が立つ。
(これは……ただの自然じゃないな)
この地が“魔の森”と呼ばれる所以を、肌で感じながら、レオンは慎重に足を運び続けた。森の奥へ進めば進むほど、空気は濃密さを増していった。木々は空を覆い隠し、昼だというのに周囲は夕暮れのような薄暗さに沈む。小鳥のさえずりもなく、ただ自分の足音と草を踏む音だけが響く。
「……!」
空気が変わった。湿った風に混じって、鉄のような臭い。血と獣の臭いが鼻を突く。
何かがいる。
レオンは身を低くし、剣に手をかけた。茂みの奥で何か大きなものが動いた気配がある。音を立てずに剣を抜いた瞬間、茂みをかき分けるようにして現れたそれは、一体のオーガだった。
「っ……!」
巨躯。濁った赤黒い皮膚。人間の二倍はある図体に、棍棒のような丸太を握っている。森に棲みつく下位の魔物とは違い、明らかに格上の相手だった。オーガはレオンを見つけると、目をぎらつかせながら吼えた。
「グォォオオオ!!」
次の瞬間、丸太が振り下ろされる。レオンは横に飛んで躱す。地面が砕け、土煙が舞い上がった。
(一撃でもまともに食らえば終わる……!)
体勢を崩さず、一気に踏み込む。オーガの懐へ──その巨体の下へ滑り込み、太腿を狙って斬りつける。剣が皮膚を裂き、血が噴き出した。しかし、オーガは怯まない。振り返りざまに丸太を振るう。レオンは間一髪で後方に跳ぶが、地面に叩きつけられた衝撃で耳鳴りがした。
「──っ!」
その隙を見逃さず、オーガが飛びかかってくる。巨体に似合わぬ速度。
(くっそ……!)
レオンは一呼吸で間合いを詰め、渾身の突きを繰り出した。狙いは喉元。オーガが叫ぶより早く、鋭い金属音と共に剣が肉を貫いた。
「グォ、ガ……」
体勢を保ったまま剣を引き抜くと、オーガは膝をつき、そのまま崩れ落ちた。しばらくその場に立ち尽くし、レオンは荒い呼吸を整えた。
「……まさか、こんな場所でオーガに出くわすとは」
ポーションを取り出し、手の甲についた切り傷に軽く振りかける。 痛みが引き、肌が再生していくのを確認すると、ようやく一息ついた。
オーガの死骸を横目に見ながら、レオンは再び歩き出す。
だが、魔物との戦いはこれで終わらなかった。むしろこれからが本番だった。
“魔の森”
その名前の由来を、レオンは嫌というほど思い知らされることとなる。
◆
“魔の森”に入って五日が経った。その間、何度となく魔物との戦いを経てレオンはかなり疲労していた。話には聞いていたが、まさかここまで魔物が多いとは予想外だった。
だが目的のものは唐突に姿を現した。地図と情報を頼りに進んだ末、ようやく、苔むした石造りの構造物が現れたのである。それは地面の一部が盛り上がっているような、小さな丘のような姿をしていた。
「……これがその遺跡か?」
周囲には崩れた石柱や、刻まれていたはずの模様が風化した石板が点在しており、間違いなく人工物ではある。だが、ギルドで聞いていたように、明確な“入口”はどこにも見当たらない。レオンは周囲を回り込み、雑草をかき分け、地面を軽く叩いてみるが、どこも同じように朽ちており、明らかな開口部はない。
「資料では、この辺りに入口っぽいものがあるはず……なんだけれど」
時間だけが過ぎていく。風が一瞬止み、森の中に沈黙が広がる。苔に覆われた壁を手でなぞりながら、レオンは呟いた。
「……何か、見落としているのかな?」
そう思いなおして辺りをよく観察すると、壁の一部がわずかに窪んでいることに気付いた。不自然な線。半ば崩れた装飾。そこだけ、苔が何故か薄く、表面に擦り傷のような跡が残っていた。
(ここ……扉か?)
しかし開く仕組みも、取っ手もない。ただの石壁にしか見えない。それでも、何かがある、そう感じさせる違和感があった。
「ちょっと休憩しよう……」
レオンは腰を下ろし、小休止を取る。この遺跡、どうやら簡単には入れてくれそうにない。どうしたものか。
目の前にあるのは、時を忘れたようにひっそりと佇む遺跡だった。石で造られ高く積み上げられた壁、苔が所々に生え、薄暗く古びた廃墟のような雰囲気を放っている。その姿からは、二百年どころかそれ以上もの歳月が感じられる。
だが、遺跡の最も謎めいた点は、入口がまったく見当たらないことだった。レオンは遺跡を一周してみたが、どこにも人が通れるような道や扉は見当たらない。壁面には一部、傷やひび割れが見られ、不安定な様子も見受けられる。しかし、それらもまた何の手掛かりにもならなかった。
「……やっぱりこれが入口かな? 他にそれっぽい場所は見当たらないし、うーん……」
声を漏らしながら、レオンは再び壁を見つめる。他にも入口があるかもしれないと、何度も歩き回り、石を押したり叩いたりしてみたが、無反応だ。
「ったく、どうやって入るってのさ……?」
何度も試しているうちに、ふと気付く。壁の一部が、他の部分と少しだけ色合いが違うことに。
「これは……?」
レオンが遺跡の壁に触れた瞬間、突如として手のひらが冷たく、重い感覚に包まれた。まるでどこかに引き寄せられているような、そんな感覚だった。
「なっ……!」
驚いて手を引こうとしたが、なぜか、ぴったりとくっついたまま動かない。まるで何かに吸い寄せられているかのように、レオンはその感覚に逆らえなかった。
しかし、力が急に抜けると同時に、手を放した。息を呑み、何度か深く呼吸をしながら、壁を見つめた。周囲を見回すも特に変化はない。しかし、今の出来事がただの偶然ではないことは、確かに感じ取れていた。
「……今のは一体、何だったんだ?」
不安と興奮が入り混じった中で、再度壁に触れてみる。しかし、今度は慎重に。ゆっくりと手を伸ばし、壁の表面を探るようにしながら、何かしらの反応を待った。
そして、数分後、また何かに引き寄せられるような感覚が手に伝わってきた。その瞬間、頭の中に突如として光が溢れ、全てが白く包まれた。眩しさに耐えきれず、思わず目を閉じるが、その光はどこまでも続くように感じられる。
次の瞬間、何かが頭の中で弾けた。視界が暗転し、体がふわりと浮かんでいるかのように感じる。意識が遠のき、レオンはそのまま倒れ込んでしまった。
意識が遠く、時間が過ぎていく感覚の中で、遺跡の奥からは何かが動き始める。




