第107話 初日
王宮訓練場の石畳の上に、乾いた足音が響く。
「貴様が俺の“教師”だと? 笑わせるな!」
ラグナルが咆哮をあげ、剣が鋭く振り下ろされる。
殺意に満ちたその一撃は、ただの訓練ではない。怒り、羞恥、屈辱──すべてを混ぜ込んだ渾身の斬撃。
だが──。
キィンッ。
金属が触れ合う軽い音だけが、静かな訓練場に響いた。
レオンは一歩も動かず、その剣をわずかに傾けるだけで、ラグナルの斬撃をいとも容易く受け流す。
「……ぬっ?」
王子の顔が歪む。次の瞬間、再び踏み込む。
連撃が振るわれる。右から、左から、そして渾身の突き。
だが、どれも届かない。
「なぜ……っ、止めるな、止まるな俺……!」
ラグナルの動きが荒くなっていく。焦燥と怒りが混ざり合い、動きが徐々に雑になっていくのが、誰の目にも明らかだった。
「お前のような……成り上がりに……!」
さらに強く、速く、重く──憎悪に突き動かされるまま、王子は剣を振り続ける。
しかし、レオンはその全てを受け流す。剣を最小限に動かし、斬撃の力を外へ逃がし、体重を用いず、ただ「受けている」だけ。
戦っているのではない。
“処理している”──まるで、格の違いを見せつけるかのように。
「お前のその怒りの先に、何がある?」
レオンの声が、静かに響く。
「殺して満足か? 倒して、何を得る?」
「黙れッ!!」
ラグナルが叫び、振るわれた剣が、大きく軌道を外れる。
その瞬間、レオンの剣が初めて動いた。
一閃。
風を切る音。ラグナルの剣が吹き飛び、彼の体が仰け反る。
地面に落ちた剣が、乾いた音を立てた。
「……!」
王子の足元が揺れる。剣を失い、言葉も出ないまま、その場に立ち尽くす。
沈黙。
そして、静かに歩み寄るレオンが、冷ややかに言い放った。
「どうした。もう終わりか?」
その声は、情けも容赦もない。まるで、真実を突きつける刃のようだった。
「──拾え」
レオンの視線が、地に転がる剣を指す。
王子の顔が、怒りとも屈辱ともつかぬ色に染まる。
訓練場に、重苦しい空気が満ちていった。
ラグナルは歯噛みしながら、再び地に落ちた剣を拾い上げる。
「うおおおッ!!」
怒号とともに、執念を込めて打ちかかる。その剣筋は鋭く、しかし荒れていた。
「雑だな」
レオンの一言で、再び剣が軽く弾かれる。
ラグナルの攻撃はことごとく払われ、体勢を崩した彼は膝をついた。
「なぜだ……! なぜ俺では、届かないッ!」
悔しげに地を叩きながら、ラグナルは吠えるように叫ぶ。
「俺に……聖剣さえあれば! あれさえあれば、貴様などに……!」
その言葉を聞いたレオンの目が細く鋭くなる。
だが、彼はすぐに力を抜くように小さく息を吐いた。
「……少し待っていろ」
そう言って、レオンはゆっくりと背後を振り返る。
訓練場の片隅で静かに控えていた近衛騎士の一人が、無言のまま歩み寄る。
レオンは真っ直ぐにその騎士を見据えた。
「──あれを持ってきてくれ。王子殿下の聖剣を。大丈夫だ、陛下の許可は前もって貰ってある」
騎士は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、やがて静かに頷いた。
「かしこまりました」
その背に、ラグナルの息が荒く響く。
「まさか……本気で……!」
レオンは王子を振り返ることなく、ただ一言を返した。
「お前が欲しいと言ったんだろう?」
訓練場の空気が張り詰める中、やがて運命の剣が運ばれてくる時を、誰もが無言で待ち続けた。
数分後、訓練場の静寂を裂くように、重厚な足音が響いた。
騎士の手には、厳重な封印が施された黒革の鞘。その中には──王家に代々伝わる、選ばれし者にしか応えぬ聖剣。
「──お待たせしました」
無言でそれを受け取ると、ラグナルは一瞬だけ躊躇した。しかし次の瞬間、燃え上がるような怒りがその迷いを打ち消す。
「ようやく……取り戻したぞ」
鞘から抜かれた聖剣が、淡く銀色の光を放つ。王家の血に呼応するかのように、剣は鋭く震え、力を帯びていく。
その光景を前にしても、レオンは表情一つ変えなかった。
「さて、続きをやるか」
静かに構えるレオン。その声には、敵意も侮蔑もなく、ただ事実を受け入れるような冷徹な静けさがあった。
「ッ──うおおおおッ!!」
ラグナルは怒りをそのまま剣に乗せ、スキルを解放する。
光が迸り、風が唸る。〈聖剣〉の加護が雷のように周囲に奔り、彼の一撃はさながら天の裁きのような威力を伴っていた。
だが──
「甘い」
その一言とともに、レオンの剣が動く。
一振り。たったそれだけで、雷を帯びた〈聖剣〉の一撃が、無へと還った。
「……な、に……っ!」
信じられない、と言いたげな表情のまま、ラグナルは再び構える。
もう一度。スキルを限界まで解放し、雷刃が閃く。
だが──結果は同じ。
斬撃は受け止められ、弾かれ、無力化される。ラグナルの攻撃は、まるですべて見透かされているかのようだった。
三度、四度。
叫び、力を振り絞り、スキルを限界まで酷使してなお、結果は変わらない。
レオンは一歩も退かず、すべてを受け流し、打ち払う。
そして五度目の交差の直後──
「……終いだ」
レオンの剣が、聖剣ごとラグナルの手元を跳ね上げた。
聖剣は高く舞い、地面へと落ちる。ラグナルもまた、膝をつき、息を荒げる。
「今日はここまでにするか」
レオンは剣を納めながら、淡々と告げる。
「聖剣は──明日また、持ってきてやる」
その一言だけを残し、レオンは落ちた聖剣を拾い上げ、再び封印用の鞘へと収める。
「すまんが、明日また用意してくれ」
重々しい足取りで近づいてきた騎士に、それを手渡すと、背を向けた。
夕暮れの訓練場に、ただ、ラグナルの悔しげな呼吸音だけが響いていた。




