第100話 力に溺れる者、力を制する者
次の瞬間、空気が破裂した。
エリオットが咆哮とともに地を蹴った。
その動きはもはや人の域を超えていた。黒き雷光を纏った拳が、弾丸のごとくレオンに向かって突き出される。
「うおおおおおおおおッ!!」
広間の空気が押し潰され、床石が砕け散る。その一撃は建造物すら穿つ、凄絶な力を秘めていた。
だが──
「……遅い」
レオンの姿が、ふっと掻き消えた。
刹那、黒い拳は空を切り、風圧が柱を吹き飛ばす。
「なっ……!?」
エリオットの目が見開かれた直後、背後に気配が現れる。
「どこを見ている? こっちだ」
レオンの掌が、兄の肩口に向けられる。
その瞬間、見えざる力が爆ぜるように拡がり──重力が反転したかのように、エリオットの身体が宙に弾き飛ばされた。
「がっ……あああああッ!!」
壁に叩きつけられた黒き巨躯が、岩を粉砕しながら地に落ちる。
「また飛んだな」
レオンは冷たく呟いた。
だがエリオットはすぐに立ち上がる。血を吐きながらも、狂気を帯びた目でレオンを睨む。
「クソッ……何なんだ……お前……! なぜ……スキルも与えられなかったお前が……!」
「──努力したからだよ」
レオンの言葉に、エリオットの顔が激しく歪む。憎しみ、嫉妬、後悔──全てが混ざり合い、もはや理性を保っていない。
「ふざけるなぁああああああああああああッッ!!」
構わず二度、三度と、レオンはエリオットに手をかざす。
その度にエリオットは岩壁に叩きつけられた。
「貴様あぁぁぁああ!!」
「うるさい」
レオンは一言呟くと、今度は上から何かがエリオットを圧し潰す。
「どうした? 勇ましいのは口だけか?」
「おのれぇえええ!!」
エリオットの身体がさらに変貌を遂げる。
黒き炎が体中から噴き出し、髪は白銀に変わり、目は赤く輝きを放った。その身はもはや、人ではない──“闇の加護”すら超えた、呪われた存在へと至ろうとしていた。
その異形を目にし、レオンはわずかに目を細める。
「……醜いな」
吐き捨てるように呟いたその声は、侮蔑でも怒りでもない。純粋な“呆れ”だった。
「力に溺れて、ここまで成り果てるとは……つくづく救いようがない」
広間の隅、震える〈黒翼〉の幹部たちが青ざめて言葉を失う。
「……これは……制御が……」
「〈門〉を通さず……ここまでの力を……」
だが、レオンの眼差しは微動だにしない。
「……止める」
彼はそう呟き、足を踏み出し、静かに剣を構える。
「来い、エリオット」
そして──
兄弟の、最初で最後の、真の戦いが始まった。
◆
雷鳴のような音が、広間に轟き、二つの力が正面から激突する。
レオンの剣は、純粋な意志と研ぎ澄まされた技。
対するエリオットは、暴走する黒炎と呪力に身を包み、破壊本能のままに拳を振るう。
「死ねぇぇええッ……!!」
エリオットの拳が地を砕き、巨大な破砕波がレオンを襲う。
だがレオンは寸前で跳び、空中で身を翻すと、弧を描いて切り結ぶ。
「おおおおおッッ!!」
「はあああッ!!」
斬撃と殴打が交錯する。
二人の衝突の度に、空間が軋み、古の封印が軋みを上げる。
レオンの剣は容赦がなかった。一撃、また一撃と、容赦なくエリオットの肉体を切り裂いていく。
肩、腕、脇腹──血飛沫が広間に舞い、エリオットの叫びが響く。
「ぬううううッ……ぐああああああああッ!!」
さらに二度、三度とエリオットは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。そのたびに床石が砕け、柱が倒れ、広間は破壊され尽くしていく。
「くそっ……くそっ……!!」
それでも、なお立ち上がるエリオット。その姿はもはや原形を留めぬ怪物だった。
幹部たちは、遠巻きにただ呆然と戦いを見つめるしかない。誰一人として、もはや介入する余地すらないことを悟っていた。
「こんな力……スキルもない奴が……!」
エリオットが血を吐きながらも吼える。
「己は与えられただけで努力せず、与えられなかった者の努力は認めない、か……」
レオンの声には怒りも昂りもなかった。ただ、静かな決意の色だけがあった。
「だから駄目なんだよ、お前のように、選ばれたと思い込んでいる奴は」
「黙れええええええッッッ!!」
再びの突進。
だがその拳は、レオンの視線の先にはなかった。見切られていた。完全に。
レオンは一歩踏み込み、渦巻く黒炎を強引に断ち切るように、剣を振るった。
「ぬうッ……!?」
斬撃が、エリオットの肩を裂く。血飛沫が宙を舞い、鎧が砕ける音が響く。
「っ……くそ……!」
「まだ終わらないぞ、エリオット」
レオンは息を整える暇も与えず、畳み掛けた。
まるで嵐のように──一撃一撃に、確かな意志が込められている。
エリオットの瞳に、わずかに迷いが滲んだ。その隙を、レオンは逃さなかった。
「──〈原初・封光刃〉」
光が瞬き、封印の力が剣に宿る。その剣が、今度こそ兄の胸を穿たんと、一直線に突き出された。
「──!!」
だが、エリオットもまた叫ぶ。
「〈黒翼顕現〉ッ!!」
瞬間、黒き羽根が爆ぜるように広間に広がり、凄まじい衝撃波が二人の間を引き裂いた。
視界が闇に包まれる。埃と羽根の舞う中、二人の影が、再び対峙する。
「フフ……ハハハハハハハッ!! これだ……これこそが力……! 誰であろうと、俺の邪魔は許さない……!」
その様子を、レオンは冷ややかに見つめた。
「今度は羽虫になったか」
「うるさい、死ねッ!!」
そして次の瞬間、咆哮とともにその腕から黒き雷光が放たれた。
それは闇の呪力を帯びた雷──すべてを貫き、塵に還す“災厄の雷槍”だった。
「くらええええええええッ!!」
闇雷が一直線にレオンへと放たれる。
だが──
レオンは無造作に手をかざす。
雷光は彼の目前で、まるで透明な壁に衝突するかのように、弾け飛んだ。
「なっ──!?」
弾かれた雷は方向を逸れ、広間の奥にいた幹部たちのほうへと弾き飛ぶ。
「ひっ──!?」
そのうちの一人、魔導の腕を持つと評された男が悲鳴を上げる暇もなく、闇雷に貫かれた。
「ぐあああああッ!!」
稲妻に焼かれ、男の肉体は一瞬で崩壊する。黒焦げとなって崩れ落ち、残されたのは炭化した骸だけだった。
「馬鹿な……味方を……!」
「制御すら、もう効かぬのか……」
他の幹部たちも恐怖に震えた。エリオットは、自らの放った一撃が味方を殺したことすら意に介していない。むしろ、その凶行に陶酔しているかのように、狂った笑みを浮かべていた。
「お前が何を知ろうと……俺は止まらない……! ここで、お前を殺して……俺が神になる!!」
エリオットの声は、もはや人のものではなかった。
だが──
「……やめておけ」
レオンの声は低く、冷たかった。
「神だ? そんなもの、争いと憎しみを生むだけの“諸悪の根源”に過ぎない」
その言葉に、幹部たちも戦慄を覚え、広間の空気が凍り付く。
だがレオンは、ただ一人、揺らぐことなく静かに言い放った。
「俺は、それを止める者で在り続けよう」
その瞳には、微塵の迷いもなかった。




