7
トンネルの奥深く、重く反響する轟音の中、電車はただひたすら進む。外界との隔絶は続き、時間だけが、閉ざされた空間に満ちていた。
次の瞬間――。
ゴオオオオという唸りの音色が、わずかに、しかし確かに高まった。遠く、一点に、灰色がかった光の塊が現れる。それは急速に大きくなり、形を成し、やがて閃光となって、窓外の闇を切り裂いた!
バァン!
音と光の洪水。電車は、トンネルから現実の世界へと、まるで弾丸のように飛び出した。それまでの闇が嘘のように消え失せ、視界を圧倒的な情報が埋め尽くす。走行音は一気に開けた音に変わり、車内の空気も、閉じ込められていた重苦しさから解放されたように感じられた。
そして、窓の外には、二つの全く異なる世界が広がっていた。
電車の進行方向、左側。
そこには、息を呑むような夜景があった。山腹を縫うように、あるいは山の裾野から平野部へと、無数の光が滝のように流れ落ちている。一つ一つの明かりは、人の営みの証。それぞれの光が、遠くで小さく瞬き、あるいは連なって線をなし、広大な夜の海を創り出していた。それは、この都市の、あるいはこの町の、生きていることを示す眩しい標識。静寂な山の上から見下ろすその光景は、ただただ美しく、どこか現実離れした絵のようだった。輝き、広がり、そして人間の世界が持つエネルギーを象徴するような景色。
一方、電車の右側。
そこには、山があった。夜の帳に沈んだ、巨大な暗い塊。光はほとんどなく、かろうじて稜線が夜空との境を成しているのが見えるだけだ。木々や岩肌は、輪郭を曖昧にした影となり、近づかなければその存在も気づかれないほどだ。闇の中にひっそりと佇むその山は、人間の光とは無縁の、原始的で静かな力を秘めているかのようだ。深い闇、沈黙、そして自然の圧倒的な存在感。
左には、人間の光の綾。右には、自然の深遠な闇。
電車は、その対照的な二つの世界の間を、再び速度を上げて走り出した。
この劇的な変化、そして左右に広がる光と影の二重奏は、車内の乗客たちの意識に、それぞれの形で触れた。ある者は、左側の夜景に目を奪われ、感嘆のため息を漏らしそうになる。ある者は、右側の山の闇に、何かを見出すかのように視線を固定する。またある者は、相変わらずスマホの画面から目を離さず、この壮大な光の劇に気づきもしない。
同じ景色を見ているのに、彼らの心に映るものは全く違う。
左側の夜景の輝きに、希望や夢を見る者。
右側の山の闇に、安らぎや孤独を感じる者。
あるいは、その両方の対比の中に、自らの内面を見出す者。
この光と影の二重奏の中で、それぞれの「君」は、どのように響き合うのだろうか。
その中で、窓の外の景色に、じっと何かを読み取ろうとしている男がいた。壮年の木村和夫だ。彼は座席に深く腰掛け、その視線は、左側の夜景からゆっくりと右側の山の闇へと移っていく。その目には、ただ景色を見ているだけではない、遠い追憶の色が宿っている。
光の海だ。山の斜面を這い下り、遠くの平野へと広がっていく。若い頃、この辺りに来たことがある。あの頃は、こんなに光は多くなかった。もっと闇が深く、星がよく見えた。あの闇の中に、俺たちはいた。
故郷の景色を思い出す。田んぼばかりで、夜は本当に何も見えなかった。あの頃、この都会の光景は、テレビの中の別の世界の出来事だった。憧れもあったし、怖いとも思った。結局、俺はあの村を出て、光の方へ来た。たくさんの光の中で、暮らしてきた。成功もあった。苦い思いもした。光は、全てを明るく照らしてくれるわけじゃない。光があるところには、必ず濃い影ができる。
右を見る。トンネルから続いている山肌。夜に沈んで、黒々としている。何も語らない。ただ、そこに在る。あの山を見ていると、故郷の裏山を思い出す。秘密基地を作って遊んだ山。年をとって、だんだん、こういう何も変わらないものが、ありがたく感じるようになった。都会の光は、いつも形を変え、増えたり減ったりする。でも、山は、何十年経っても同じ形で、そこに鎮座している。
俺の人生は、あの山の闇を出て、この光の海に入ってきた旅だった。正しい道だったのだろうか?間違っていたのだろうか?今となっては分からない。ただ、どちらも俺の一部だ。光の中で得たものも、闇の中に置いてきたものも、全てが今の自分を形作っている。窓ガラスに映る、光と闇の両方を見つめる自分の顔。あれが、今の俺自身だ。
木村和夫という存在を編み上げているのは、過ぎ去った闇と、手に入れた光、そして二つの景色を繋ぐ、静かで終わりのない時間の流れそのものだった。その心の中には、夜景の輝きと、山の静けさの両方が息づいていた。