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FirstLight ファーストライト  作者: ふじさわ北透(ほくと)
1/3

全三部(前編・中編・後編)のうちの前編

2016年に書いたフィクションです。書いちまったお話し。眠らせておくのももったいないと思い、こちらに投稿いたします。


1・水彩画


【二〇一六年四月二十八日】

 窯変ようへんの天目茶碗をひっくり返して大地に伏せたような桜島が、海と空の間で煙を上げている。

 薩摩半島側から見上げるその姿は、子どもが画用紙に大胆な線を引いて描いた「海に浮かぶ火山島の絵」そのままにダイナミックだ。

「あぁ、あのあたりは、この島に倭の国が生まれたよりも、人が腰蓑つけてイノシシ狩いちょったころよりも、もっともっと、ずーっと昔から、海も空も煙の色も、今とちいとも変わっていもはん」

 そう言われても不思議は感じない。

 

 二〇一六年四月下旬、晩春の明るい午後の空の下、鹿児島市内の高校に通う山科愛が、錦江湾を見晴らす市域南郊の丘の中腹にある自宅へと続く緩やかな坂道を上っている。

 少しだけ風が強い。愛は、制服のスカートの裾をきゅっと押さえた。

 駅名でいうならJR九州指宿枕崎線五位野駅。南州の雄都・鹿児島市の市街地が、海と山とに狭められ、中心街区からずっと連なってきた家並みは、市域の南郊に近いこの付近でのどかな山辺と海辺の景色に変わりはじめる。

 山手は緑が深かったが、海辺には住宅街の屋根瓦が連なる。陽光を明るく跳ね返す硬質な波の上を、大きな口から南風を飲み込んだ鯉のぼりたちが勢いよく泳いでいた。

 坂道を登りながら、愛は、ときどき錦江湾を振り返った。風のある日には、北東に望まれる桜島の噴煙もゆったりと大空に弧を描く。見慣れた景色がまだ早い午後の光の中に広がっていた。

 愛は、その景色を、どこか新鮮な気持ちで眺めていた。学校が早く終わって帰れる解放感があったからかもしれない。

「あらぁ、お帰りなさい。早かったわね」

 イヌマキの生け垣の門をくぐって自宅の庭に入ると、花壇に咲いているイチリンソウに如雨露で撒水していた母の浩子が愛に声をかけた。

「うん。今日は午後から臨時の職員会議があって部活もなし。友だちとちょっと本屋さんに寄ってすぐ帰ってきたの」

「明日から物置の片付けするで、愛も自分の分、チェックしときやんせね」

「うん、わかった」

 愛は、庭のはずれに立っている木造の古い物置の方を見た。

 物置とはいっても、旧家である山科家のそれは、ちょっとした蔵ほどの大きさがある。

 実際、戦前は蔵もあった。この地区は空襲の被害はなく、母屋も蔵も無事だったが、江戸末期に建てられたという蔵は、終戦を迎えたころにはすでに百年近い星霜を経て、南国の太陽と風雨と台風に晒され、叩かれ、修繕費が新築費を上回るというほど傷んでいた。

 そして戦後、今の物置が建てられたのだが、それも早や築七十年である。

 ゴールデンウィーク明け、物置は解体され、すぐに建て替え工事がはじまる。愛が、どれぐらいの工期なの? と父の政彦に訊くと、最近はユニットを組み上げるだけだから、ほんの一週間ほどで新しい物置ができあがるのだと聞かされ、驚いた。

 子どものころには兄とかくれんぼして遊んだ木造のその物置が、わずか一週間で建て替えられてしまうことに、愛は、少し寂しさを感じていた。

 建て替え工事は、高校三年生である愛の大学受験が終わってからにしようかという議論も家族で交わされたが、今度また台風が来たらもうダメかもしれんという、祖父・耕太郎のひと言で建て替えが決まったのだ。

 物置の中に積み重ねられているものたちは、母屋の空き座敷へ運び込まれ、いったん〝保管〟される。母屋もまた明治後期に建てられたもので、幾度か改装・補強工事や増築工事が行われ、リビング、ダイニングキッチンなどは現代風の意匠と仕様になっているが、奥座敷、前座敷、中座敷などには、いかにも明治期の古民家らしい面影が残る。

 中座敷の柱には、代々この家に生まれた子どもたちが背比べをしてきた傷が何本も残っていた。いちばん低い位置の、いちばん新しい傷は「平成十三年五月五日」とある。愛が三歳のときのものだ。

 

 愛は、離れにある自分の部屋へ行き、ジャージに着替えた。それから早速物置へ行き、二重になっている入り口の、やや厚みある板戸を開けた。

(そういえば、中に入るのって・・・・・・二年ぶりぐらいかな?)

 少し懐かしい気持ちだった。入ってすぐ左側の柱にある電灯スイッチをパチンと押す。

 裸電球の光と、かび臭い匂いが愛を包む。

 子どものころ、この中で遊んだ情景が蘇ってきた。かくれんぼ、宝探し、箱を積みあげた秘密基地ごっこ・・・・・・。

 物置には、文机、文箱、額、巻物、掛け軸といった年代物の古道具類から、戦前の雑誌、「古文書」と書かれた箱、父が学生時代に使ったノートや教科書、参考書、昔の国語辞典、兄と一緒に遊んだおもちゃがまとめられた箱、さらには古着、食器、鉄瓶などもあった。

「いらないものはこの際捨てよう」ということになっていた。愛は、子ども時代の洋服や、ボロボロになるまで抱いていたぬいぐるみなど、もう着ることも使うこともないだろうものも、まだ、しばらく残しておきたかった。父や母の勝手な判断で捨てられてしまうのが寂しくて、一日早く、片付けにかかろうと思ったのだ。

 愛の中学時代の教科書が束ねられて入っている段ボール箱をどかして、その奥にあった「愛/衣類」と書かれた茶箱を手前に引っ張り出す。よいしょっと動かしたその箱の、さらに奥を見ると、「重太郎/遺品」と張り紙された、古い大きなトランクが現れた。

 大きい。高校生の愛が、そのまま中に入れてしまいそうなほどだった。がっちりとした四角い茶色の革製で、指で叩くとコンコンっという硬質な音が跳ね返ってきた。

(ひいじいちゃんの遺品?)

 愛は立ち上がって、物置左側にあった窓の板戸を開けた。

 差し込んできた光が、舞い上がったホコリを照らしながら矢のような光跡を描いて、壁際のトランクを浮かび上がらせた。

 愛の曾祖父・山科重太郎は、大正十五年生まれだ。今も生きていれば九十一歳だったが、愛がまだ幼稚園の年長さんだった五歳のとき、ガンを患い、まだ若い七十七歳で亡くなった。

 幼いころのことだったから、愛は、曾祖父について、あまり多くの記憶が残っていない。ただ、愛は、父や祖父よりも重太郎にとてもよく懐いていたのだと聞かされていた。

 重太郎もまた、散歩に行くときや近くの商店へ出かけるときは、いつも愛の手を引いていた。ふたりの仲のよさは近所でも評判になるほどで、父が曾祖父に嫉妬していたという話しも聞かされた。

 確かに、愛は、いつも重太郎のあとを追いかけて、くっついてばかりいた。

(――ひいじいちゃんのお膝に抱っこされいてる場面、覚えてる)

 それほど大好きだった曾祖父のことを、愛はずっと忘れてしまっていたことに気付いた。

 愛は、そのトランクが、ずっとひとりぼっちで物置の中に置き去られ、家族のみんなからも忘れられていたのかなと思い、申し訳なく、悲しくなった。

(ひいじいちゃん。ごめんなさい)

 そうつぶやいて、愛は、そのトランクを壁際の奥から引っ張り出した。そして、トランクに向かってそっと手を合わせ、三カ所にあった留め具を外した。

 トランクを開けると、物置の中に漂っていた空気とはまた違う、どこか懐かしい匂いが、その中からふわっと立ち上った。

 古いはがきや封書の束、メガネ、帽子、軍隊で使われていたらしい双眼鏡、二眼カメラ、愛用品だったらしい文箱や筆や硯、万年筆などが、大小の小箱や包みに分けられ、丁寧に詰められていた。

 それらのいくつかをトランクから取り出していくと、底の方に少し大きめの紙箱があった。

 愛は、その箱に、なにかとても大切なものが入れられている気がした。

(なんだろう? 絵とか写真とか、表彰状とか?)

 箱を取り上げ、フタを開けてみた。

すると、古びた額に入れられた、B4サイズよりひとまわりほど大きな紙に描かれた風景画が出てきた。

 

 野原にタンポポが咲き乱れる、どこかの山里の春の景色だった。

 丁寧に下描きされた鉛筆画の上に、水彩絵具がやわらかな筆の運びで載せられている。

 美しい濃淡。透明な、見えない春風が絵の中に吹き渡っていた。

 山辺には茅葺き屋根の民家、明るい花色のタンポポ、桜。微かに萌えはじめた淡色の緑に滲む木立。青く刷かれた空の中に残雪の山があり、若草に縁取られた水張りたんぼの中に、上空の青色よりも濃い空色が湛えられていた。

 構図やタッチ、色づかいが秀逸であるばかりでなく、描いた人の大切な想いがそこに込められているように感じられた。

(きれいな風景――)

 愛は、この絵の中に入って行って、この場所に立ってみたいと思った。

 絵の右隅に「sato」というサインが、赤い絵の具で描かれていた。

(佐藤さん・・・・・・?)

 

「ありゃ、愛ちゃん、あんた片付けするならマスクせんと、ヤンメ(病気)になるよ!」

 その声に振り返ると、物置の入り口に、手ぬぐいを姉さんかぶりにしてマスクとゴーグルと割烹着で身を固めた祖母の法子が立っていた。

「あっ、おばあちゃん。ねえ、この絵、知ってる?」

「えっ? 絵っ? なに?」

「これ、ひいじいちゃんのトランクから出てきたんだけど、この絵ってなんだろう?」

「ああ」

 法子がゴーグルを外し、絵を覗き込んで言った。

「あんたのひいじいちゃんが海軍にいたちゅうこちゃ、聞ぃちょっじゃんそ?」

「うん、鹿屋にいたって」

「そう。で、そんとき、特攻に行きしやる隊員さんからもろたもんだとかって聞かされたわ」

 重太郎は、太平洋戦争の時代、海軍の工機学校に入り、その後、鹿屋の海軍飛行場で整備士をしていたとき終戦を迎えた。

「隊員さん、東北の人じゃったとかおっしゃっちょった」

(東北――)

 愛も、きっと東北地方のどこかなんだろうなと思っていた。とはいえ、小さいころ、家族旅行で北海道へ行ったことと、高校の修学旅行で東京へ行ったこと以外、九州から出たことがなかった愛が、雪山とタンポポと桜と田んぼで東北を連想したのは、テレビなどで知った、かの土地のイメージでしかない。

「東北のどこだろう?」

「さあ。あたしもこの絵は何回かしか見たことがなかったし、重太郎さんも鹿屋にいたときのことはあんまいお話しなさらんかった。もしかしたら辛い思い出でもあったんかも分からんね」

「そうかぁ・・・・・・」

 愛は、じっと絵を見ている。この絵をもう一度、壁に飾ってあげたいと思った。

「おばあちゃん、この絵もらってもいい?」

「ああ、そやかまわんよ。ひいじいちゃんも喜びしやるわ。気に入ったと?」

「うん」

 法子は、愛ちゃんもマスクしいよ、と言いながら、古布が入った箱を開け、中身を要不要とに選別する作業をはじめた。

 愛は、重太郎のトランクから取り出した品々をもう一度丁寧に中へ戻したあと、絵を持っていったん自室へ戻った。

 それからマスクをかけて、また物置に入って、自分の子ども時代の衣類やおもちゃを、新しい段ボール箱に詰め替えはじめた。

 

 その日の夕食のあと、愛は、祖父や父にも絵のことを尋ねてみた。

「特攻隊員だった人のこと調べてどげんすると?」。祖父の耕太郎が言う。

「なんいうか、ちっと気になう・・・・・・」

 リビングのテーブルを囲んで、祖父と父、祖母が座っている。

 愛は、台所で食事の後片付けをする母を手伝ったあと、壁際のソファーの上に上がり込み、クッションと膝を抱えて座った。

「ふみさんならなにか知っちょったかもしれんけど、でも、絵の話はふみさんからも聞かされたこちゃなかった」

 曾祖母のふみは、曾祖父よりも七年も早く、六十九歳で亡くなった。あまり丈夫な人ではなかったという。愛は、曾祖母の顔は写真でしか知らない。

「重太郎さんは、鹿屋の基地で、特攻で飛んで行く飛行機の整備ばしちょった。それは愛も知っちょっじゃろ?」

 父の政彦が、お茶を飲みながら言った。

「立派に整備しても敵艦に突っ込む飛行機じゃ。整備士としても辛れことじゃったろ。そん時代のこと、まあ何度か聞いたことはあったが、特攻のことやらを自分からしゃべり出す人じゃなかった」

「どちらかと言えば寡黙な人じゃった」と耕太郎。

「おっかない人ではなかったが、なんちいうか威厳があって・・・・・・」

「そう。お義父さんはいつもピシッとしてた」。法子のひと言に、祖父と父が思い出したように背筋を伸ばした。

「私にはすごくやさしかったよ」。愛がクッションをぎゅっと抱きしめた。

「そりゃ、曾孫でやっとかっと生まれたおなごん子(女の子)じゃっで。重太郎さんもきっとかわいかったろう」。そういう耕太郎も目を細めて愛を見た。

「重太郎さんは男兄弟ばっかりで、その重太郎さんの子、つまりワシの兄弟も、みんな男ばっかりじゃ。ワシ、耕太郎じゃろ。で、大二郎、龍三郎。男が三人」

 それを受けて政彦が続ける。

「そしてオレの兄弟も、オレと、和彦、俊彦と、また男ばかり三人だ」

 政彦が、さっきまで読んでいた新聞をバサバサとたたんで床にほいっと放り投げながら、オレは妹がほしかったと言うと、法子がそれを拾ってたたみ直し、そりゃあたしもこげながさつな息子よっか、かわもぜ(かわいい)娘の方がよかったわいと言って政彦をにらんだ。

「オレの兄弟は、オレのところが先に子どもができて、それがまた男の穂高だった。そのあとやっとおなごん子、愛が生まれたんじゃ。だけど、和彦んとこはがくりょうで、俊彦んとこも星也せいや北斗ほくとさくじゃろ。おなごん子は愛だけじゃ」

(うん、従弟はみんな男の子ばっかり)

 親戚が集まるときなど、愛は、同い年ほどの女の子がいないことが少し寂しかった。でも、かわいい弟分の従弟たちが「お姉ちゃん」と言って慕ってくれたのは、それはそれで嬉しかったのも本当だ。

「穂高が生まれたとき〝山科家は呪われとるわ〟言うて笑っちょったところに愛が生まれた。とうとう娘が生まれたぞぉ言うて親戚一同だいそど(大騒ぎ)じゃった」

 浩子が、切子の小鉢にいちごを盛りつけて、台所から持ってきた。

「愛っていう名前を付けてくれたのもひいおじいちゃんよ」。小鉢を、それぞれの前に配りながら浩子が言った。

「うん。それは知ってる」

「穂高の名前もひいおじいちゃんが付けたのよ。高千穂峰から採ったって言ってたわ」

 高千穂峰は霧島連山の第二峰。一五七四mの山の頂には、天照大神の孫であるニニギノミコトが降臨したとき、峰に突き立てたとされる青銅製の天逆鉾が立っている、神話の舞台となった山だ。

「ねえ、どうして私の名前は愛になったのかな?」

「そういえば由来は聞いてないわ」

「初めっ生まれたおなごん子じゃったから付け方がわからんで、それらしい名前を〝あ〟から順番に考えたとき、あ、い、言うて最初に浮かんだんじゃなかろうか」

(おとうさん、それはいくらなんでも悲しすぎる――)

 愛がふくれて政彦をにらんだ。

「あたしはいい名前だと思ったわ」

 浩子が、小鉢とフォークを愛に差し出しながら、フォローしてくれた。

「うん、私も気に入ってう」

「そ、そうじゃ、たしか全員賛成じゃった。穂高も愛も、よか名前をもろた」

 政彦が、サイドボードに飾られていた写真を振り返りながら、とってつけたように繕う。

 フォトフレームの中で幼い穂高と愛が一緒に庭先で絵を描いている。

 その庭先でオートバイの音がした。穂高が帰ってきたらしい。

「おお、ウワサをすれあ、じゃ」

 

「おかえり、遅かったね。ご飯は?」

 ただいまと言いながらリビングのドアを開けた穂高に、浩子が声をかけた。

「学食で食べてきた。うちの大学の学食は七時半までやってるから」

「お勉強、忙しいん?」。立ったままの穂高を見上げながら、愛が訊いた。

「まだ四月だし、本格的な授業はGW明けからだな。今日はどっちかといえばこっちがメイン」と、肩から提げていたカメラバックをぽんっと叩いた。

「写真サークルの友だちと会ってきたんだ。・・・・・・じいちゃん、ごめん、物置の片付けは明日から手伝うな」

「まってか(ところで)、お前、ひいじいちゃんの絵のこと、ないか知っちょっか?」。政彦が訊いた。

「重太郎さんの絵?」

 穂高は、曾祖父のことを重太郎さんと呼ぶ。

「今日、物置を掃除していたら、遺品の中から絵が出てきたの」

 愛が、この座で話されていたことを簡単に説明した。

「どの絵?」。穂高が部屋を見渡した。

「今、私の部屋に置いてあるの。持ってくる」と愛が立ち上がろうとすると、

「あとでいいよ。着替えて、風呂に入ってからお前の部屋へ行く」

 穂高がリビングのドアを閉め、パタパタというスリッパの音を立てながら旧家の長い廊下の先に増築された離れにある自室へ向かった。穂高と愛の部屋は離れにある。

 

 二つ歳上の兄・穂高は、一年前の春、地元の大学の理学部に合格した。

 福岡や東京などのもっと上の大学も狙える成績だったが、いずれ鹿児島にずっと暮らすのだから地元で勉強して地元で就職するといい、高校時代の先輩や同級生も多い市内の国立大学を選んだのだった。

 小さいときからずっと妹思いで、愛は、穂高にはやさしくされた記憶しかない。成績も優秀で、絵や写真も上手い。自慢の兄だった。

 

 愛が自室の学習机の上に英語の参考書を広げていると、穂高がドアをノックした。

「愛、さっき話しちょったその絵、見せてみ?」

 愛の目線が、本棚の上段に立てかけられていた絵に向いた。

 穂高は、こげなとこ置いといたら、なえ(地震)のときに危っねじゃろ、と言いながら、額を手にとった。

 絵にじっと見入る穂高。考え込んでいる表情が動かない。

「おにいちゃん、なんか知ってう?」

「うん。確かこん絵じゃったと思う」

「見たことあるの?」

 座るぞ、といって穂高がフローリングの上に胡座をかいて、絵を本棚の下段に立てかけた。

 愛もイスから降りて並んで座り、一緒に絵を見た。

「ひいじいちゃんが亡くなってすぐ、遺品として整理して物置にしまったって、おじいちゃんも、おばあちゃんも()ちょったよ。いつ見たの?」

「オレがまだ小さかったころだ。重太郎さんが亡くなる前。つまり〝遺品〟になる前だな。重太郎さんはオレが七歳のときに亡くなった。でも、亡くなる前の一年間は入院しちょって、そのまま病院で亡くなった。じゃっで、絵を見たんはオレが六歳になるよっか前かな」

 曾祖父は、中の間の横にある八畳ほどの小間を書斎にしていた。もちろん愛も入ったことはあるが、その部屋に曾祖父がいた風景は、記憶の中ではあまり鮮明ではない。

「オレな、重太郎さんの部屋でこん絵を見せっもろた。そして、それとおんなし日の記憶かどうかはわからんが、オレ、重太郎さんに『将来、絵を描く人になりたか』って言ちょった場面を覚えてる」

 穂高が部屋の壁を見つめた。でも、見ているのは壁ではなく、もっと向こうに浮かんでいる光景なのだろう。いつもどこか遠くを見るように話すのがクセで、愛は、そんなときの兄の表情が大好きだった。

 っと、穂高が愛の方を振り向いた。黒い大きな瞳に、愛は、少し驚いて頭を後ろに引いた。

「居間にオレとお前の子どんころの写真が飾ってあるだろ。ふたりで絵を描いている写真」

「うん。あの写真がどうかした?」

「あの写真も、重太郎さんが撮ったものだと思う」

「えっ?」

 愛は、きっとお父さんが撮ったのだろう、ほどにしか思っていなかった。撮影者が誰かなんて、そもそも考えたこともなかった。

「オレもお前も絵を描くのが好きだったよな」

 穂高は、中学と高校でずっと美術部だった。市や県のコンクールで賞をもらったことも何度かある。

「大学では、こっちに入ったけどな」

 右手の人差し指をくいっと曲げてシャッターを切る真似をした。

 絵も趣味で続けるけれど、風景を瞬間的に切り取れる写真もおもしろいからと言って、穂高は写真サークルに入った。

「重太郎さんとオレとお前とで市内へ行ったとき、ショッピングモールで絵の具を買ってもらったことは覚えちょっか?」

「そんなことあったっけ?」

「場面を繋げると、こうだ」

 穂高の視線がまた遠くなり、小さな身振りを加えながら話しはじめた。

「絵の具を買ってもらい家に帰ってきた。オレが『買ってもろたよー』って母さんに見せた。そして早速、庭でお前と一緒に絵を描きはじめた。重太郎さんが筆洗を使けなさいと言った。・・・・・・筆洗っていう言葉を、オレはたぶん、そのとき初めて知ったと思う」

「・・・・・・」

「オレがパレットをひっくり返した。絵の具がついたといってお前が泣き出した。母さんがお前を連れて縁側から上がった。・・・・・・そげな感じかな?」

「おにいちゃん、すごいね」

「それと、重太郎さんが花壇の写真を撮っている場面も覚えている。オレとお前が並んで絵を描くなんち、きっとあのときぐらいじゃったろから、あの写真はそのとき撮ったのかもしれん」

 愛も、懸命にその情景を思い出そうとしたが、穂高の記憶と重なるような映像は浮かび上がってこなかった。

「話しをまとめると、オレが絵を描く人になりたかって言ったら、重太郎さんが絵を見せっくれた。そして、それと前後するあたりにオレに絵の具を買てくれたのかな、とも考げられる」

 穂高は、右手で筆を持つような仕草をした。

「五、六歳の子どんに水彩絵の具っていうのはちっと早い。普通はクレヨンだ。重太郎さんは、オレが絵を描く人になりたかって言たことを、わぜ(すごく)大事に思てくれたんかも知れん」

 架空の絵筆が、ひいじいちゃんの絵をなぞる。

 愛は、小学校に入ってからの図画工作の授業で絵の具を使って絵を描いたとき、びちょびちょの絵筆を画用紙に走らせてひどく色が滲み、先生に注意されたことを思い出した。確かに子どもにはちょっと難しい。

「あと覚えてるこちゃ、重太郎さんが『椰子の実』を歌っていたことかな」

「島崎藤村の?」

「そんときは曲名もなんも分からんかった。詞の一部を覚えてて、大きくなってから、ああ、あんときの曲はこれじゃったんかって知った。オレも好きになって、ときどき海を見ながら歌ったりする」

 愛は、穂高が遠く海を見ている場面を思った。おにいちゃんがロマンチストなのは、ひいじいちゃんゆずりなのかな。ほかの家族はあまりロマンチストとは言えない。

(・・・・・・なにが、あいうえお順につけた名前よ)

 政彦のセリフを思い出した。

「重太郎さんは、ずいぶんとお前をかわいがっちょった。一年入院していたから、お前の場合は、ほぼ四歳までの記憶だな」

「ひいじいちゃんのお見舞いに行たんは覚えてるよ。そいかあ、亡くなるときも病室にいて、ひいじいちゃん、私のことをじっと見てた。こん家でのひいじいちゃんとの思い出っていうと、家の前の坂を一緒にお散歩したり、庭でお花を摘んだり、ひいじいちゃんの腕ん中に走って行ったり、いたえん(縁側)でお膝にのせられて・・・・・・。あれ?」

「どうした?」

「ひいじちゃんが『あいはかわいかね』って言ってくれたのに、私、『そのひとだあれ?』って言ちょった気がする」

 穂高が笑った。

「お前らしか。昔から天然じゃ」

「・・・・・・おにいちゃん。美大、残念じゃったね」

 〝天然〟と言われたことに対する愛の仕返しらしい。穂高は腕試しのつもりで東京の美大を一校だけ受験したのだった。

「せからし。お前の受験勉強はどうなん?」

「あ、そうだ。英文の解釈でちょっと分からんところがあるの。いっかせっもろてもいい?」

 

 次の日、穂高は「やさしい絵じゃ。お前がこの絵にひかれるのが分かる気がする」。そう言いながら、吊り金具を使って、絵を愛の部屋の壁に飾ってくれた。

 ――やさしい絵。そう。私がこの絵を好きになったのも、初めにそう感じたからだった。

 そして、この絵が描かれた場所に、いつか私も立ってみたい。

 でも、私がこの絵にひかれる理由は、まだ、ほかにもありそうな気がする。

 

 そういえば「魔性の絵」っていう話を友だちから聞いたことがある。

 ある人が、画廊で見つけた絵に一目惚れして買って帰ったら、その人は仕事もやめて、一日中、その絵ばかりを見続けていたって・・・・・・。

 受験勉強、やめちゃったらどうしよう。

 

 そんなことを思いながらも、愛には怖さなどまったくない。

(むしろ逆―――)

 〝見守っていてあげるから、がんばって勉強しなさい〟

 そんなふうに言われている気がした。

 


2・『椰子の実』とハーモニカ


【二〇一六年八月四日】

「いいかぁおまんら、高校三年生にとって夏休んは、勝負んときぞ!」。

 学校からの帰り道で、三年E組の西田葉百合が叫んだ。

「・・・・・・って、愛のクラスの山下センセ、()てなかった?」

「言ちょった」。愛がくすくす笑った。

「あー。こげん暑か夏じゃって、山に星見けも行かならんわ(行けない)」

 葉百合と同じE組の南柚香が、ハンカチで顔をパタパタと扇いだ。

 今日は高校の終業式だった。HRでは、きっとどのクラスでも同じ言葉を先生が言っていたに違いない。

 学校から鹿児島中央駅へ向かう長くて緩い下り坂を、下校する生徒たちが三々五々の影を連ねて歩いていた。通学路には、マンションやオフィスビルが建ち並び、それらの谷間を片側二車線の幹線道路が南北に貫く。学校側の歩道は、生徒たちのために、反対側のそれよりも少し幅広に造られていた。

 愛が通う高校は、学年によって夏休みがはじまる日が違う。夏休みが終了するのは八月二十日で、これは同じだが、一年生の夏休みは七月二十三日から、二年生は七月二十九日からだった。しかし三年生は、受験に向けた授業が続き、八月五日からやっと夏休みに入り、さらに十日までは補講が行われる。選択制だが半数以上の三年生が受講する。そして、夏休み明けには特別時間割が編成され、すぐ前期末考査がはじまる。

 一年生と二年生にも補講や補習があるが、それも同じく今日で終わりだ。補習も補講も受けなかった一、二年生は、部活でも旅行でもプールでもカラオケでも、三年生よりも早く長く夏休みを楽しむことができる。

 大学受験がリアルに迫りつつあることを実感させる高校三年生の、いまひとつ晴れ渡らない夏休みがはじまろうとしていた。

 駅までの緩やかな下り坂を並んで歩く三人。

「最後の夏休みなのになぁ」。柚香が空を見上げた。ところどころに綿雲が浮かぶ。

「ゆず、遊ぶ予定ってなにもないの?」と葉百合。

「あさって、串木野の従兄弟たちと一緒に、照島で海水浴すっこぐることぐらいかな?」

「串木野?」

 柚香が口にしたその地名に、愛が反応した。

(ひいじいちゃんは串木野にある中籠小学校という学校で、終戦直後の二年間だけ先生をしていたって聞いている)

「えー。いいなー海水浴」

「じゃ、はゆも一緒に行く? 従兄弟のおにいちゃん、ちっとイケメンなんよ」

 葉百合が面食いだということを知っている柚香がからかった。

「えーっ! 行こごちゃっかも(行きたいかも)? 何時に行くの?」

「ちょっと早めの列車で行こうかな、とだけ。時間はあとで調べる」

 柚香は、よく言えば落ち着いているし、悪く言うとおおざっぱ。いずれにせよ、のんびりした性格なのだが、ときどき全体を俯瞰して、どすんといった感じのひと言を放つ。本人にしてみれば「ゴチャゴチャ言うな」なのだけれど、男子の間では、なぜか〝柚香大明神〟とあだ名されて、奉られている。

 ちょっとせっかちな葉百合と、しっかり者の愛と、いいトリオを組んでいる。

「先生は、夏休みははじまってすぐの過ごし方が勝負の分かれ目だって言ってたけど、あたしは前半に遊ぶ派なんだ」

「ゆずは、勉強のエピメテウスやね」。葉百合がハンカチをパタパタさせながら言った。

「遊びのプロメテウスって言て」

 聞いていた愛が噴き出した。

「ふたい(二人)とも、さすが天文部ね。ギリシャ神話、よく知ってる」

「そういう愛だって、よく知っちょっよね」

 

 プロメテウスはゼウスから火を盗んで人類に与えた。ゼウスは、火を手に入れた人類が、神々より強くなるのを恐れ、人類に厄災をもたらすため、炎と冶金の神であるヘイパイストスにパンドラという美女を作らせて、プロメテウスの弟・エピメテウスに与えた。

 プロメテウスは「ゼウスからの贈り物など受け取ってはいけない」とエピメテウスに警告したが、エピメテウスはパンドラを妻に迎えた。

 そしてパンドラはゼウスに与えられた箱を開けて、その箱の中にあった〝厄災〟を解き放ってしまう。

 

「プロメテウスには先見の明があった。このことから〝先に考える人〟っていう意味になった」柚香が言った。

「プロローグの語源ね」と、愛。

「そしてエピメテウスは後悔したから〝あとで考える人〟って言われるようになったんだよね。・・・・・・って、ちっと、はゆ。よく考げたら、ひでこと言てない?」

「愛も天文部に入ればよかったのに」

 愛と一緒に部活したかったなぁ、と葉百合は自分のカバンを、愛のカバンにとんっ、とぶつけた。

「だって、恵美先輩には断りにくかったし・・・・・・」

 

 高校に入学してきた愛を、同じ中学出身でひとつ年上だった山本恵美が「愛ちゃんはマネージャー体質よ」という、よく分からない言葉で、自分がいたバスケット部にマネージャーとして強引に勧誘した。

 世話好きで、やさしくて、よく気がつくという意味らしかったが、愛にはそんな自覚はなかった。

 しかし、その後の愛の活躍ぶりは他の運動部でも評判になるほどだった。

 アップのときに使うラダーの準備、ドリンクボトルや救急箱やタイマーの用意、ストレッチの時の背中押し、ダッシュの時のホイッスル、ジャージたたみ、ボトルへの飲み物補充、スコア書き、コートのモップかけ、掃除、片付け、日誌。さらには他校と練習試合するときの申し込み、打ち合わせ、出迎えや控え室の確保・・・・・・。雑多煩雑なマネージャーの用事を、愛はそつなく、完璧にこなしていった。

 背の高いバスケ部員の間を小柄な愛がリスのように駆け回る。体育館を使わない野球部の女子マネに「いつも勉強させていただいています」と言われて驚いたこともある。

 真面目で一生懸命で、穏やかな性格で、誰に対しても丁寧に接する。よくしゃべる方ではないけれど、暗いとか明るいといった図式には当てはまらない。ときどき誰かの話を真に受けて落ち込んだりすることもあったけれど、それは好意に基づいていじられているということに、愛自身は気付かない。

 愛は、面立ちも仕草も言葉遣いもちょっと古風だった。あごのラインが緩やかで、大きな目は切れ長。鼻筋が通っていて、いつも嬉しそうな表情を浮かべている口角。よく揺れるこけしカットが瓜実顔を包んでいた。同性からも好かれるその性格のよさもあり、愛は、男子の間で、実は絶大なる人気があった。

 一年生のとき、愛は、ひとつ上の先輩から告白されたことがあった。イヤな人ではなかったけれど、男性と付き合うということの意味が分からず、泣きながらごめんなさいを告げた。泣き出してしまったのは怖かったからなどではなく、お断りすることで相手を傷つけてしまうかもしれないという気持ちからだった。

 以後「山科さんを泣かせたワロ(ヤツ)はコロす」という暗黙の了解が男子の間にできた。愛は、その後は誰からも告白を受けたことがなかった。

 柚香も葉百合も、今、付き合っている人こそいないけれど、過去、複数の男子から告白されたということを愛は知っている。

「私は異性から人気がないのかな――」とは、愛は考えたこともなかったが、愛のあずからぬところで、男子が〝停戦協定〟を結んでいる、などということは、もちろん知るはずもなかった。

 

「愛も、もうマネージャー引退だよね」

 卒業かぁ、と少し気の早いことを葉百合がつぶやく。

「でも、天文部にはレギュラーとかないし、いつでも望遠鏡を覗きに行けるんじゃない? 運動部みたいに、はい、ここまでって線はないよね」

 愛は、ギリシャ神話を読んで星の世界に興味を持った。夜、ときどき空を見上げる。

 自宅は、市街地の南の郊外にある。北の夜空には六十万都市の街の灯りの靄がかかっていたけれど、南は案外暗く、大気がよく澄んだ冬ならば、オリオンやシリウスが、錦江湾の上にはっきりと輝く。

 十二月には、見た者に長寿をもたらすと言われるりゅうこつ座の一等星カノープスも見える。夏の天の川は、北に行くほど地上の灯りのために淡くなるけれど、南には、さそり座やいて座周辺の銀河がぼうっと白んで見えた。

 愛は、大好きなペルセウスの神話の登場人物たちが、北の空から南の空へ、掛け軸に描かれた絵のように次々と登場していく秋の夜空が見晴らせる真っ暗な場所に行ってみたいと願っていた。

「ところで、はゆ、どーする、あさって?」

 中央駅から電車に乗って帰宅するのは柚香と愛だけで、葉百合の自宅は、駅に着く手前の交差点を右に入って行ったところにある。そろそろ三人が別れる場所が近付いていた。

「ねえ、ゆず。私もついて行っていい?」

 愛の突然の申し出だった。柚香が驚いた。

「愛って面食いじゃったっけ?」

「いいねー。行こよ、愛。三人で。楽しそう」と葉百合。

「あ、でも、私は海水浴じゃなくて・・・・・・」

「えっ?」

「串木野に、私のひいじいちゃんが、昔、先生をしていた小学校があるの。そこへ行ってみようかなって」

「あー。愛、言てたね。ひいじいちゃんって小学校の先生だったって。ゆずも聞たよね?」

「うん。へえ、串木野の小学校だったの。で、その小学校になんかあっと?」

 このふたりに、いきさつを話し始めると長くなりそう、と思った愛は、

「・・・・・・ひいじいちゃんの歴史を、ちょっと調べているの」とだけ答えた。絵のことは、友だちにはまだ内緒にしておこうと思った。

「ふーん。えらいねー。愛って孝行娘じゃっど」。

 信号をひとつ渡った角のビルの陰で、葉百合がスカートのポケットからスマホを取りだしてなにかを検索しはじめた。

「じゃあ、明後日はちょっと早めに出ようよ。貴重な夏休みの貴重なアバンチュール。長ご楽しんたいもの」

 アバンチュールになるかどうかはまだ分からないでしょう、と、柚香と愛が心の中でツっこむ。

「えーと。こいがよかな? 中央駅午前五時五十二分発の上り串木野行き」

「ごじごじゅうにふん!? 早すぎ!」

 愛と柚香が、今度は声に出して同時にツっこんだ。

「わや(冗談)っよ」

 〝げらっぱ〟というあだ名で呼ばれる葉百合の、きゃははという個性的過ぎる笑い声が弾けた。

「串木野までって一時間もかからんもんね。じゃあこっち。中央駅八時二十九分発で、串木野に九時五分に着くヤツ。帰りは夕日を見てからもどっこようよ。照島の夕日は感動的よ。遊べる日は目いっぺ楽しまないと損だよ」

「いいねー」。柚香ものってきた。

「そうしよ。じゃあ決定ね。念のため天気も調べるね。えーと薩摩地方は・・・・・・っと」

(このてきぱきさが、はゆの恋愛の小さな障害になってるよね)

 柚香と愛が顔を見合わせた。

 葉百合のもうひとつのあだ名は〝トイレの一〇〇ワット〟。つまり明るすぎるという意味だ。やはりみんなから人気があるけれど、でも、少し〝仕切り屋〟なところがあって、男子からすると〝オレに着いてこい〟感が薄い。もちろん、それが葉百合の長所でもあることは間違いないのだけれど。

 葉百合がスマホ画面を見ながら小さくガッツポーズした。

「串木野、よう晴るっみたいだよー」

 

【二〇一六年八月六日】

「あれ、今日も補講だって言てなかった? 私服でいいの?」

 八月六日、朝七時過ぎ、長袖のTシャツにジーンズというラフな恰好で、玄関に腰掛けてスニーカーの靴紐を締めている愛の後ろ姿に、母の浩子が声を掛けた。

「今日は予定変更。図書館で、ゆずとはゆと、三人で勉強してくる」

「お弁当は? 学校って聞いてたからいちおう作っておいたけど?」

「ありがとう。でも、バーガーかなんかで済ませる。ごめんね」

 立ち上がった愛の様子が、浩子にはいつもとは違うふうに見えた。

「・・・・・・?」

 行ってきまーす、と言ってトートバッグを肩に引っかけて足早に駆けていく愛。見送る浩子。

「・・・・・・ひょっとしてデートとか? あらまあ、おとなしいと思ちょったあの子が」

 浩子は、心配よりも乙女心がうずいた。

「じゃったら、もちっとおしゃれして行けばよかて」

 

 愛は、鹿児島中央駅の鹿児島本線上りホームで待っていた葉百合と柚香と合流し、川内行きの列車に乗った。串木野までは四十分ほどだ。

 鹿児島本線の上り列車は、いったん南に向かったあと進路を西に変える。最初のトンネルを抜けると市街地の密集は消え、車窓には南国らしい深緑の鮮やかな照り返しが踊りはじめる。海辺で育った愛には、トンネルや山辺の景色がちょっと珍しかった。

 市の中心街にある高校を選んだのは、ひとつには列車通学が楽しみだったこともある。しかし、五位野駅から鹿児島中央駅までは、ほぼ住宅地の中を通る。桜島や西部の山並みは見晴らせたけれど、深緑を縫うように串木野へ向かって走る列車からの眺めは新鮮だった。

「知っちょっ?  小松くんが朝釣りに行って、海に落ちたちゅう話」

「まってか、西川センセと上釜センセが城山公園でデートしちょったのを蜂須賀くんが目撃したってホント?」

 車内ではとりとめのないおしゃべりが続いていた。愛はもっぱら相づちを打つ役に徹する。おしゃべりの合間には、青空の中に曲線を描いて続く緑の天末線を眺めたりしながら、この小さな旅を楽しんだ。

 伊集院駅に着いたとき、三人の会話がふと途切れた。愛は視線を空に転じた。

 雲ひとつない夏空が広がっている。

 今日は八月六日。広島に原子爆弾が落とされた日だ。

(あと一ヶ月でも、一〇日でも早く戦争が終わっていれば、亡くならなくてもよかった人はたくさんいたはず。広島や長崎に原爆が落とされることだって・・・・・・)

 七十一年前の八月六日の空も、こんなふうに青かったのだろうか。

 特攻隊員はどんな気持ちで、この空を飛んで行ったんだろう・・・・・・。

「誰が飛んで行ったって?」

「えっ?」

 振り向くと、すぐそばに柚香の顔があった。

「愛ってさぁ、ときどき独い言が漏るっこと、あるよね」

(またやっちゃった)

 愛は、柚香の顔を右手で制止しながら、恥ずかしそうに顔をそらした。柚香には、以前も独り言を聞かれてしまったことがあった。

「ごめん。なんでもないの」

「なんでもないって言えばさぁ、B組の彩花、大野くんとキスしたとかしてないとか『なんでもないのぉ』っていうあのビミョーな態度、ゆずはどう思も?」

 葉百合がガールズ・トーク第二ラウンド開始の鐘を鳴らした。

 

 串木野駅には、柚香がイケメンだと言っていた従兄弟が車で迎えに来てくれていた。福岡市内の大学に行っていて、昨日帰省したばかりだという。

(ちょ・・・・・・、ゆず、よかにせ(いい男)じゃっどな!)

 葉百合のテンションが上がっている。どストライクだったらしい。

 帰りは別々だねー、と言って、愛は、ゆず&はゆコンビと別れ、駅前でバスの時刻を確認した。目的地は「中籠」という海辺の街。市街地からは少し離れている。

 朝のバスはもう出発し、次の便は午前十時五十分発だった。ちょっと時間を持てあます接続。駅でもらった地図を見ていたら、少し離れたところに市立図書館を見つけた。

(もしかしたら、ひいじいちゃんが勤めていた小学校の卒アルとか記念誌とかがあるかもしれない)

 歩けば十五分ほどかかりそうだったが、愛は行ってみることにした。

 ところが歩きはじめた図書館までの道は、ちょうど南東に向かって延びていて日陰が少ない。フレンチハットを深めに被り直す。まだ九時台なのに、気温はもう三十度に近付いていた。

(暑い――)

 図書館に着いて館内に入ると、冷房の風が心地よかった。普段は冷房が苦手な愛だったが、助かったという気持ちで帽子を脱ぎ、ハンカチを取り出した。

(こんなことで中籠まで行けるかな・・・・・・?)

 少し不安になった。

 

 書架に『中籠小学校百年誌』という本を見つけて、ページをめくった。

 昭和二十一年から二十二年まで、曾祖父が代用教員として勤めていた小学校。記念誌の後半の方に、各年度の卒業生の集合写真が掲載されていて、愛は、若き日の重太郎の写真を見つけた。

 愛の思い出の中に浮かんでくるひいじいちゃんの顔は、白い頭髪と白い眉、黒いメガネフレームに縁取られたやさしい目尻、そしてシャープな頬のラインだった。

 写真の中の重太郎先生も、同じようなメガネをかけていた。眉はきりりと持ち上がり、頭髪は黒々と分厚くて、目にはやさしさと強い意志が感じられた。

(ひいじいちゃんとおにいちゃん、やっぱり似ているかも?)

 

 一九四五年(昭和二十年)、終戦を迎えた日本は窮乏していた。食料や物資ばかりではなく、各界各分野の人材もまた不足していた。

 戦時後半には、教師も戦地にかり出され、そのまま帰ってこなかった先生たちも少なくない。さらに満州や朝鮮半島など外地からの復員や、学童疎開が解除されたことで、児童数は特に都市部で急激に増加。教員不足とあいまって、子どもたちの教育環境は一気に悪化した。

 空襲などで校舎を焼失した学校も多く、校庭で〝青空教室〟による授業が行われたこともある。また、校庭の一部は耕され、野菜が栽培されていたりもした。雨が降った日、他の建物を借りられない場合は臨時休校となった。

 なお〝青空教室〟は、一九九五年、「阪神・淡路大震災」が発生したときも、一部の学校で行われた。

 そんな終戦直後の教員不足解消のため、日本各地では、旧制中学や兵学校卒業の者が、戦後の数年間、小学校の「代用教員」として採用された。十代で教師となった者も多く、児童たちと年齢が近かったこともあり、おにいちゃん先生、ねえさん先生として慕われ、教員を辞したあとも、教え子たちとの親しい交流が続いたという逸話が多い。

 

 串木野駅前へ戻ると『藤沢経由 中籠行』というバスが、もう停車していた。発車時間まではまだ数分の余裕があったが、愛は置いて行かれそうな気がして、慌てて飛び乗った。

 走り出したバスは、川を渡って市街地を抜け、間もなく出合った海に沿って北西を目指した。左側の車窓に、錦江湾では望むことができない大きな水平線が広がっている。

 どんな場所なんだろう。私はなにを探して、なにに会いたくて、今、バスに揺られているんだろう・・・・・・。

 バスが坂道にさしかかった。

 

 終点のひとつ手前で降りた。目の前に小学校があった。

 花崗岩を使って立てられた古めかしい校門に、陶製の校名表示板が嵌められていた。

(『中籠小学校』――ここが、ひいじいちゃんがいた学校)

愛は、学校の四囲を見渡した。

 小高い丘の上に、こぢんまりとした校舎が建っている。生徒数はそれほど多くはなさそうだった。校門の前から南を見晴らすと、小さな街のような集落の家並みがすぐ下に見え、瓦屋根の連なりの向こうには小さな漁港もあった。その先には、真夏の逆光の中に眩しい海がずっと広がっている。

 校舎の背後には、深緑をたっぷりと身にまとったクスノキの巨木が、大柄過ぎるほどの樹影を夏空のなかに立ち上げていた。

(――大きい)

 校門には鉄柵さえなく、すぐ校庭に立ち入ることができた。グラウンドを縁取るように並んだ桜の木が、風もない暑い日射しの中で動かない。

 夏休みの田舎の小学校。校庭には誰もいない。学校前の道を歩く人もいない。時間が止まったような景色。

 

 愛は、着いたばかりだというのに途方に暮れた。

(このあと、どうしよう・・・・・・)

 ブランコに腰掛けて、被っていたフレンチハットをとって、バッグから取りだしたハンカチでとんとんと額の汗を叩いた。

 ひいじいちゃんがいた場所へ行ってみよう、なんて飛びだして来たのはいいけれど、でも、ここでなにかが見つかったわけじゃない。どこで、なにを探せばいいんだろう? 特攻隊の基地があった鹿屋へ行った方がよかったのかな?

 かつての海軍鹿屋飛行場は、今は自衛隊の基地になっている。特攻隊、自衛隊・・・・・・。愛は、なんだか行きにくい気持ちがあった。

(これじゃエピメテウスだわ)

 ブランコに乗った自分の影が小さく揺れている。

 

「エピメテウスがどうかしましたか?」

 愛が、はっとして顔を上げると、帽子のつばの先に、白いポロシャツと紺色のジャージ姿の若い男性が、心配そうな顔で愛を見下ろして立っていた。

「あっ、いえ、あの・・・・・・」

「本校の教員ですが、ご気分でも悪いのですか?」

 先生? どうしよう。勝手に校庭に入り込んだことを咎められるかもしれない。

「すみません、なんでもありません。大丈夫です」

 愛はブランコから立ち上がり、帽子をとって、その先生にお辞儀した。

「この辺の方ではなさそうですね?」

 先生の顔が、愛を訝しむ表情に変わった。どきっとした。

(家出人って思われたかも?)

 夏休みになると、福岡や大阪、東京などの都会から〝どこか遠く、日本の端っこへ行ってみたい〟という、曖昧な感傷気分で鹿児島までやってくる高校生や中学生がときどきいるのだということを、愛も聞かされたことがあった。

「えーと、あのぅ、実は・・・・・・」

 愛は、大きく息を吸い込んだあと、昔、曾祖父がこの学校で代用教員をしていたこと、そして、曾祖父について少し調べていることがあって、今日、鹿児島から串木野まで訪ねて来たのだと話した。

 自分の名前、通っている高校の名前も告げた。三年D組三十九番ですと、どうでもいいことまで言ってしまった。

「そうでしたか」

 先生は、少しおかしそうに、でも、ほっとした表情を浮かべた。

「家出少女かと思いました」

「・・・・・・」

「ひいおじいさんの、どんなことを調べていらっしゃるのですか?」

 先生は、ちらっと校舎の方に視線を向けた。なにか分かる資料があるかもしれませんよ、と言いたげだった。

 愛は一瞬ためらったけれど、

(今はまだ、なにもかも手探りのままだ。思い切って、この先生に話してみよう)

 そう思って、愛は先生の顔を見上げながら、わけを話しはじめた。

 曾祖父の名前、その曾祖父が昭和二十一年から二十二年までの二年間、この小学校に代用教員として勤めていたこと、そして曾祖父が大切にしていた絵について知りたいと思っているのです、といった事柄を、簡潔に説明した。

 先生は、首にかけていたタオルでときどき顔の汗を拭いながら、愛の話しをゆっくり聞いてくれた。

 話しながら愛は、こんな暑い日に女の子がひとりでブランコを揺らしてうつむいていれば、確かに不審だと思われても仕方ないなと思った。

「山科重太郎先生ですか。この学校で代用教員をなさっていた・・・・・・。私の大先輩ですね」

 先生は、少し姿勢を正し、そして、

「名乗りが遅くなり失礼しました。本校で四年生の担任をしている永留聡と申します」と、愛に対して丁寧に頭を下げた。

「あっ。こちらこそ、すみません。山科愛と申します」

 愛もあわてて、もう一度お辞儀を返し、二度目の名乗りをしてしまった。

「実は私の祖母もこの小学校の卒業生なのです。昭和二十一年から二十二年って、もしかしたら山科先生に教えていただいた年齢かも知れません。よろしければ祖母に会って訊いてみますか?」

 思ってもいなかった申し出だった。愛は、息が止まりそうになった。

 聡は、校舎の裏手で草むしりをしていて、それが終わって昇降口の方へ戻ってきたとき、ブランコ少女の姿が見えたのです、と言って笑った。

「もうお昼だし、終わらせて帰るつもりでした。どうぞ、うちに寄って行ってください」

「でも、いきなりおじゃましては、ご迷惑をおかけすることになりませんか?」

 家出少女かと思っていた女の子の律儀すぎるほど丁寧な言葉遣いと真面目な顔。それが永留先生にはおかしかったらしい。聡が笑い出した。

「・・・・・・?」

「すみません。いや、ちょっと」

 まだくすくす笑いながら、聡は愛の背後を指して言った。

「片付けを済ませてまいりますので、あちらの桜の木陰で待っていてください。家はここから歩いてすぐです。うちのばあちゃんもきっと喜びますよ」

 校舎へ向かって歩いて行く聡の後ろ姿を見送って、愛は木陰に飛び込んで深呼吸した。

 

 愛は、聡に連れられて、グラウンド下の瓦屋根の家並みに入った。焦がされるような真夏の太陽の下、路地を歩く人影はなかった。

「田舎でしょう?  赴任先がたまたま母校でした。東京の大学へ通った四年間以外は、ずっとこの街に暮らしているんですよ」。聡が笑った。

 集落を横切ると、よく耕された畑の先に、屋敷林に包まれた大きな家があった。蔵、農具小屋、畜舎もある。永留家は土地の旧家であるらしい。

 

 唐突な来訪者を、聡の祖母は喜んで迎えてくれた。

「ほお、重太郎センセの曾孫さんかえ」

 名前は永留かなえ。真っ赤なアロハシャツが若々しい。昭和十一年生まれだという。

(ビンゴ――)

 昭和二十一年から二十二年の間に中籠小学校に在籍していた一年生から六年生は、昭和十年から昭和十六年の早生まれの人。現在の年齢では七十六歳から八十二歳である。

 かなえは、さっき図書館で見たのと同じ百年誌を持ち出して来た。

「やさしいセンセじゃったよー。亡くなったときはみんなで五位野までおんぼ(お葬式)にも行ったんだよ」

 愛は、串木野にやって来た理由を話し、スマホで撮影しておいた、あの風景画の写真を見せた。

「・・・・・・さあてねぇ」

 覗き込んだかなえは分からないという。

「あたしが六年生になる年の春に、重太郎センセ 辞めてしもたから。センセが担任してなさったのは六年生じゃったんだよね」

「そうですか・・・・・・」

「でも、ちょっと待って。一つ上の学年のコらもまだ近所にゃ、ずばあ(たくさん)住んどる。どりゃ、ちっと集合をかけようか」

 かなえがスマホを取りだした。細い指が鮮やかなスピードで画面を滑る。何かをサクサクと打ち込んでいる。

(・・・・・・?)

 ピッという送信音のあと、かなえが言った。

「十年、十一年生まれでヒマなヤツは、永留かなえの家に来い、いうてグループLINEに一斉送信したったわ」

(・・・・・・!)

 さらに、

「おお、シゲかい? ちょっと忠一とノブちゃんも誘ってうちに来んかい?」

「もしもし。せっちゃん、今日ヒマかな? ちょっとお茶飲みに来んね?」

「あー。わしや。急いでうちまで来い。ああ、ごちゃごちゃ言な。早よ来い」

 続けざま、何人かに電話もかけはじめた。

(・・・・・・どうしよう、大ごとになってきた)

 

 座敷のふすまが開け放たれた永留家は広い。

 あっという間に九人も集まって来た。

「ほおかー。ジュウタロせんせの曾孫さんかね」

「ええ先生じゃった」

「口元あたりがちっと似とるわ」

 みんなが愛の顔を覗き込む。

 どこに目線を置けばいいんだろう。私、きっと引きつった顔をしている――。

 

「・・・・・・っちゅうワケで、誰か先生から、この絵のこと、なにか聞かさっいたもんはおらんか?」

 かなえが言った。

「うーん?」

 お年寄りが九人、スマホの小さな画面を覗き込んでいる。愛は、その様子がおかしかった。

「わからんのー」

 よく日に焼けたじいちゃんがアゴひげをさすった。

「見たことなか」

 メガネを外して目を細めていた姉さんかぶりのばあちゃんが言った。

「あ、みっちゃんなら、ないか知っっちょっかも?」

 ピンクの割烹着のばあちゃん。

「おお、みっちゃんナ。絵が上手だったナ。東京の美大に行って、そのまま教授になったナ」

 じいちゃん、ランニングシャツに穴空いてる。

「そうじゃ。山科センセにも、わっぜか(すごく)絵をほめられちょったわ」

 鼻毛が出てるよ、おじいちゃん。

「みっちゃんにもライン送ったけ、もいっき(もうすぐ)来るじゃろ」

 まだ、人が増えるの?

 上座に座らされた愛の身体が、いっそう小さくなった。

 

 白髪のじいちゃんと、パープルメッシュのおばあちゃんが遅れてやって来た。

 じいちゃんが「かなえちゃん、これ、今朝の漁で捕まえたキビナゴじゃ」と言って、持ってきたビニール袋をかなえに渡した。

 漁師さんなのかな、と愛は思った。漁船メーカーの名前が入った作業用シャツの袖から、よく日焼けした太い腕が伸びている。とても八十歳を過ぎているようには見えない。

 おばあちゃんの方は、少し細面で鼻が高い美人。どこか垢抜けた感じだった。

「山科愛と申します。今日は突然に申し訳ございません」と、ふたりにあいさつした。

「ほぉ、重太郎センセの。鮫島仁兵衛です」。漁師が名乗った。

「山科先生の曾孫さん。愛さん? 初めまして。長谷川美千子です」。

 美千子の声は、訛りのない東京の言葉だった。

「愛さん、私ね、山科先生のおかげで絵を描く職業に就けたの」

 美千子の意外な言葉に、愛が驚いた。

「絵を描く職業、ですか?」

「そう。先生が励ましてくださったのよ」

 美千子は、小さなころから絵を描くことが大好きで、ある日、重太郎に、美術学校という絵のための学校があるから、いつかそこへ行くといいと勧められたのだという。

 絵を専門に学べる学校がある、ということを初めて知った美千子は大いに喜び、やがて本当に東京の美大に入学。そしてその大学の教授にまでなった。

 六十代で伴侶を亡くし、その後、郷里である串木野に帰ってきた。次男も鹿児島についてきて、今は鹿児島市内の会社に勤めているという。美千子は串木野の街で小さな絵画教室を開いて、子どもたちに絵を描く楽しさを伝えているのだと言った。

 

 愛が、絵の画面をふたりに見せた。

「ああ!」

 美千子の目が輝いた。

「この絵! そう、たしかに山科先生に見せてもらいました。仁ちゃん、あなたも一緒じゃなかった?」

「うむ。思い出したわ」

 メガネをずらして目を細めていた仁兵衛が言った。

「ワシも絵が好きじゃったから、この絵を見て、水彩絵の具だけでこげんキレイに描けるんかってびっくいしたんじゃ」

 愛も驚いた。

「絵のこと、ご存じなのですね ?!」

 美千子は、昔を思い出すふうに、しみじみとした声で言った。

「『美千子は絵が上手だな』って、山科先生いつも私をほめてくれたわ。私、先生が教えてくれた、絵の学校に行きたいって言ったの。すると先生が、ある日、この絵を見せてくれたわ」

「そこんとこのいきさつは、ワシは覚えちょらんけれど、絵を見せっもろたのは、天気のいいよろいもて(夕方)じゃった。たしか音楽室じゃった。ワシが驚いて『センセっ、これセンセが描いたのじゃっとな?』って聞いたら、違うって言うて、んで、そのあと急にしんみりしんさって、特攻隊のこと話しはじめなさったんじゃ。・・・・・・なあ、みっちゃん?」

 美千子は小さくうなずきながら、目を細めてじっと絵を見つめている。

「この絵、鉛筆画に柔らかく彩色してあるでしょう? 私、下描きがすごいなーって思ったのよ。先生は『スケッチやクロッキーはたくさん描くほど上手くなれる。だから美千子もいっぱい描いて上手くなれ』って」

 愛は、この絵について、ほかになにかご存じでしょうか? と、美千子に尋ねた。

「私の家族に聞いても分かりませんでした。その作者の方のこと、この絵がどこで描かれたのか、私、知りたいんです」

「そうでしたね」

 美千子は、細めていた目を閉じた。

「この絵にまつわるお話し、山科先生から聞かされました」

 美千子がうつむく。

「先生は、とても丁寧にお話しくださいました。よく覚えてます」

 

 ◇   ◇   ◇

 

 昭和二十年、夏―――。

 山科重太郎は、海軍の戦闘機の整備士として鹿屋の海軍航空隊の基地にいた。そこで、ぼんやりと空を仰ぐ同い年ぐらいの青年と出会った。

(あの人も故郷の空を見上げているのかな)

 基地にいる海軍飛行隊の兵士――パイロットたちは故郷を離れて、ここ、日本の南の端にあたる鹿児島にやってきている。だから彼らは、北や東の空を見上げていることが多かった。

 青年もやはり北の空を見上げていた。が、視線は低い。重太郎が青年の目線の先を追うと、椰子の木があった。

 重太郎の視線に気付いたのか、青年が重太郎のほうを振り向いた。

 青年は、腰に下げていた手ぬぐいで顔の汗を拭きながら重太郎に近付いてきた。

「・・・暑いなヤ」

「は?」

「鹿児島は暑い。もう夕方だっつうのにヤ 暑いごだぁ。それにあんな木がおがってる(生えてる)なんて、鹿児島は異国だナ」

 重太郎は、訛りを隠さないその青年の話し方に好感を持った。

「一整曹(一等整備兵曹)の山科です」

「ヤマスナさん? アンダはどごの生まれっしゃ?」

「わが(自分)は、かごっま(鹿児島)です。舞鶴の工機学校を出て、たいかなこて(たまたま)さと(故郷)に配属されもした」

「したれば今日っくれえの暑さはなんつぅごどねえべナ。オレは岩手の生まれなんダ。夏はヤマセ(冷夏をもたらす真夏の北東風)の風っコ吹いでナ、こんな暑い日はながながねぇ」

 青年は人懐っこい笑顔を重太郎に向けた。重太郎から見てもけっこうな美男子だった。どこかかわいらしく響く方言とのギャップがおもしろいと思った。

 重太郎が返した笑みに、青年はいよいよ懐っこく重太郎に話しかけた。

「とうほぐ弁、おもっせぇスか?」

「おもしろいというか、新鮮です」

「オレは、こっちの鹿児島弁の方がおもっせぇナ。空気も言葉も、おがってる木も、もうすっかりヨソの国サきた感じだぁ」

 

 ◇   ◇   ◇

 

「その岩手出身の方はサトウさんというお名前だったでしょうか?」

 愛がスマホ画面の絵を拡大し、絵の中の「sato」というサインを指さしながら美千子に尋ねた。

「うーん。先生は名前をおっしゃってたかもしれないけれど、でも、さすがに、もう・・・・・・。ね? 仁ちゃん?」

「うーん。名前は言ておらんかったよな気がする。岩手の人だちゅうことは言ちょった」

「美男子だったって言ってたことは、はっきり覚えてるわ」

 美千子の顔にちょっと笑顔が戻った。

「先生とその隊員の方はすぐ仲よくなったそうよ」

「そう。そん人がハーモニカを吹いて、センセもいっどき(一緒に)歌とたって言ちょった」

 

 ◇   ◇   ◇

 

 休憩時間、青年が吹くハーモニカに合わせて重太郎が歌ったこともあった。青年はハーモニカが上手だった。ふたりは、島崎藤村が作詞し、大中寅二が作曲した叙情歌『椰子の実』が大好きだった。

 焼いた芋をこっそり差し入れたり、ラムネを回し飲みしたこともあった。

「やっぱり今日も暑いなヤ、重さん」

 標準語も普通にしゃべることができた青年が、あえて方言を交えて話してくれるのは、自分に好感を抱いていてくれているからなのだと重太郎は思った。

 青年は飛曹長で、重太郎よりひとつ年上の大正十四年生まれだった。

 両親が早くに亡くなったあと、ひとつ違いの妹と一緒に、盛岡に住む伯父の家に引き取られ、そこで育ったという。

 

 ◇   ◇   ◇

 

「伯父さんちゅう方は、わぜ(凄く)いい人じゃったらしい。そん人を旧制中学にも行かせっくれたそうだ。でも、やっぱし、やどかい(居候)ちゅう引け目みたいなのがあったんだとか?」

「伯母さんとの折り合いがどうとかって。それで学校を辞めたって」

「冷害もあったらしい。食糧難やら物価高騰で、居候の身としては居づらかったことじゃんそ」

 美千子と仁兵衛の話を聞きながら、愛は、七十年前の岩手の情景を懸命に思い描いていた。

 

 ◇   ◇   ◇

 

「伯父の家にも子ども三人いだんダ。台所事情は楽デねがった(楽じゃなかった)サ。伯父は何も言わなかったけど、あるとき伯母が、台所で『なして(なんで)自分の子でもないのに』ってつぶやくのを聞いた。それと妹が、年上の従姉がきつく当たるって言って泣くこともあった。だんだん居づらくなってサ。んで、三年生の終わりで中学を辞めて、生まれた家サ戻ったんだ」

 自分たちが生まれた家といっても、両親はもういない。家の壁やふすまなどはもうボロボロになっていたけれど、自分たちで直した。

 青年は、近くの材木店で事務の仕事に就いた。現場の仕事もこなした。中退とはいえ、県下で一番と言われた中学にいた青年を採用できたことを社長は喜んだ。青年も懸命に働いた。妹も町の旅館で仕事の口を見つけた。

「貧乏は相変わらずだったけんト、それでも兄妹だけの暮らしは気楽だったし、楽しかったナ」。

 両親が他界し、この世に残された、それぞれにとってのたったひとりの肉親。

「妹さんとは仲よしなんですね」

 重太郎がそう言うと、青年が照れくさそうに笑った。

「んだナ。あいつとはなんでも半分コしてた。あいつ自身が、オレの半分みでなもんだった」

(半分だった――)

 重太郎は、青年が、妹をひとりぼっちで残してきてしまった現在の状況をそういうふうに言っているのだろう、と思ったが、しかし、次の瞬間、その言い方に、もうひとつの違うニュアンスを感じて、心臓が一瞬すぼんだ。

 つい訊いてしまった。

「・・・・・・妹さんは、息災でいらっしゃるのですか?」

 青年の、さっきまでの照れ顔がふと凍った。そして、少しニヒルに歪んだ笑みが口元に浮かんだ。

 昭和十七年の初冬、十六歳になったばかりの妹は、急な病に伏せてしまったという。

「もともと丈夫ではねがった(なかった)んダ」

「えっ――?」

「あっけなかったナ」

 青年は、詳しくは語らなかった。

 

 ◇   ◇   ◇

 

「肺結核とかじゃろか。あのころは、結核はテーベー(TB)いうて、かかったら治らん死の病じゃったち。陸海軍は軍隊内で感染すっこっを特に気にしちょったから、身内に結核患者がいたちゅうことを、そん人は語らんかったかもしれんの」

 

 ◇   ◇   ◇

 

「妹の葬式が終わって数日後、勤め先だった材木店の先輩に召集令状が届いたンだ。そンときに思った。自分もいずれは徴兵される(十七年当時は二十歳以上に赤紙が届く)。だったら、いっそ自分から志願して海軍サ入るべって思った」

「なぜ海軍に?」

「空を飛んでみたいと思ったのサ。そしてどうせ飛ぶなら、上も下も、世界が全部青色になる海の上がいいって、単純にそう思ったんダ」

 重太郎にもその気持ちが分かった。海の果て、空の彼方には、何かわくわくする世界がきっと待っている・・・・・・そんな思いがあった。

 それに、海の彼方には、不老不死の理想郷とされる「常世の国」もあるというではないか。そんな国があるのなら、自分も海と空を越えて飛んで行ってみたい。

 重太郎は、高等小学校一年生のとき、指宿の長崎鼻で、錦江湾と違って遠く広がる水平線を初めて見て、そんなことを思った。

「ンでがら(それから)横須賀サ行った。そンとき、生まれて初めて海を見たんだ。海の水があんなにしょっぺぇなんて知らねかったヤ」と笑った。

「んだけんト、まあ、やっぱり甘い世界ではながったサ。ケッツ(尻)を棒で叩かれだり、何回もビンタされだりナ。操縦だって簡単でねぇし。んでも飛行機が浮かび上がった瞬間は、やっぱワクワクしたもんだ」

 昭和十八年、岩国海軍航空隊を経て、丙種飛曹となり鹿屋へやって来た。

「鹿屋サ来たのは特攻隊サ」

 重太郎が青年の顔を見た。削ったような横顔を夕日が照らしていた。笑顔はもうなかった。

 青年は、空を見上げて、東北弁のまま言った。

「重さん、補陀落渡海(ふだらくとかい)って知ってっか?」

 昔々、紀州の熊野では、苦行僧が渡海船と呼ばれる笹舟のような小型の木造船を浮かべて乗り込み、そのまま南の沖を目指して出て行ったという。伴走船が沖まで曳航し、途中、綱を切って見送ることもあった。

 死を恐れず、それどころか死を歓喜であると捉え、その歓喜に憧れて漕ぎ出した者もいれば、一方ではなかば強制されたこともあったという。舟はやがて潮に流され、風に運ばれ、死に向かって大海原をただ漂流する。

 重太郎も補陀落渡海のことは知っている。しかし、青年がなぜ、今、それを言うのか。

(こん人は、死にたがっているのじゃろか?)

 重太郎は波間を漂う椰子の実を思った。

 青年は、重太郎の答えを待つことなく、空を遠く見つめたまま、言った。

「オラ、軍神だの英霊だのって言われデ奉られるのは嫌ンだな。ただの霊でいい。とうちゃん かあちゃん 妹のそばサ並んでいられる霊がいいナ」

 

 ◇   ◇   ◇

 

「神風特別攻撃隊」のことは、愛は小さいころから、周囲の大人たちに何度も聞かされてきた。飛行機に爆弾を抱えたまま敵艦に体当たりする、文字通りの特別な攻撃。

 基地を飛び立つときの飛行機の燃料は片道分だけ。生きて帰って来ることはかなわない決死の旅。それなのに、戦果を挙げた例は決して多くはなかったのだと教わった。

「山科先生が、その隊員の方からこの絵をもらったのは、その方が特攻隊で出撃する前の晩だったって言ってたわよね?」

 美千子の問に仁兵衛がうなずく。

「特攻隊は、みんなと違ご宿舎にっんだ。それぞれ遺書をたり、田舎に宛てた手紙に、わが(自分)の爪や髪の毛を切って入れたり・・・・・・」

 

 ◇   ◇   ◇

 

 特攻機が出撃する前夜、重太郎は、青年が乗り込む飛行機の整備を続けていた。

 特攻隊員たちが最後の夜を過ごす特別宿舎は、作業している整備士たちからは少し離れた場所にあった。

 出撃前夜の特別宿舎には、司令官さえ立ち入ることを避けていた。特攻隊員たちは、それぞれの気持ちのままに〝最後の夜〟を過ごす。

 重太郎は辛かった。乗員と一緒に敵艦に突っ込む機体。それを整備する。整備兵が思うべきは、第一には機体である。それが整備兵の本分。それが務め。それが戦時である。

 だからこそ、完璧に整備しなければいけない、とも思う。

「誠心整備スベシ」。

 だからこそ、やるせない。

 

 整備が終わったとき、重太郎に大柄な影が近づいてきた。暗がりの中で、重太郎はあの人だと直感した。

「飛曹長どの?」

「重さん、ちょっといいか?」

 青年は、少し離れた外灯の下に重太郎を連れて行った。そして、

「これを重さんサ預けたい」

 スケッチブックの紙を破いて描いた二枚の絵だった。

 

 ◇   ◇   ◇

 

「二枚? ――ですか?」

 愛が美千子に尋ねる。

「先生は二枚だって言ってた。そうよね。仁ちゃん」

「そうそう。じゃっでワシはあのとき『もういっめ(もう一枚)も見ろごちゃっ(見たい)』ってセンセに言た記憶がある。結局、見せっはもらえんじゃったが、確か、そん人の妹さんを描いた絵だとかって言てなさった」

 

 ◇   ◇   ◇

 

「これはオレの田舎の景色なんだ。岩手を出る前に描いたンだ」

 風景画の下に、もう一枚絵があった。

「そしてこっちはオレと妹だ」

 盛岡の伯父の家から遠野の実家へ帰る前に、伯父に勧められて写真館で撮った、最初で最後の兄妹の記念写真。それから絵に描き起こしたのだという。

 青年は、胸ポケットから写真を取り出して見せてくれた。絵と同じ構図で、青年と女の子が並んで写っていた。ぶっきらぼうな表情の兄。はにかむように微笑む少女。

「妹が写っている写真はこれだけだ。この写真は明日オレが連れて行く。一緒に飛んで行く。ンでも、写真が消えでしまったら、こいつがこの世にいたときの姿も消えてしまう。だから写真から絵サ描いた」

「なぜ自分に?」

「重さん。重さんも、うすうす気付いてンだろうけど、この戦争、日本は負ける。広島と長崎には新型爆弾も落とされたっていうでねえが。特攻なんかで、もうどうにかなるようないくさでねえ。ンでも重さんは、この戦争では死なない。死んではダメだ。戦争が終わったあと、この国をもう一回、立派な国に作り直してくれる人になる、きっとなる」

 

 ◇   ◇   ◇

 

「特攻隊員は、飛び立った飛行機ン中で、けね(家族)の写真やら、きっとなんべんも見とったんじゃろな」

「この世にいた姿が消えてしまうから・・・・・・って、重太郎先生がおっしゃっていた言葉。私、人物画を描くたびに思い出すの」

 

 ◇   ◇   ◇

 

「今度生まれでくっとぎ(来るとき)は、こんなにやんたことばり(いやなことばかり)あるよな時代でねえばいいナ」

 青年は、絵のなかの少女に語りかけるように言った。

「特攻だのって、こんな残酷なことは、もうさっさと終わらせだほうがいい。こんなこと、このままずっと続けたら、日本という国が消える。日本の国民が消える。誰もいなぐなったら、この国の文化だの歴史だの、この国の人たちがずっと作ってきたモノは子孫サ伝えられねぐなる」

「・・・・・・」

「国も文化もなぐなったら、未来サなンにも残んねえ。一億総玉砕だのって・・・・・・んなのダメだ」

 重太郎はなにも言えない。

「オレはもう、この戦争を終わらせたい。ンだから明日飛んでいくんダ」

「えっ・・・・・・?」

 重太郎は、青年が放ったその言葉の意味が分からない。

「飛曹長どのが出撃することで、なぜ戦争が終わるのですか?」

 青年は、外灯に背を向けて、ゆっくり歩きだした。人目を避けるようなそぶりだった。そのあとを重太郎も追う。

 重太郎の反問に、青年からの答えは返って来なかった。背後から外灯に照らされて前方へ伸びた二人の細長い影が、やがて暗闇に溶けて消えた。

「オレな、ホントは美術学校サ行って画家になりたかったンだ。戦争が終われば、ワラス(子ども)たちは、兵隊にならねえで、自分がなりたいものになれる。だから重さん、あんだは戦争が終わったら偉ぐなれ。偉くなってワラスたちサ教えてやってくれ。日本をもっともっと立派な国にしろって言ってやってけろナ」

 押し殺した感情が、それでも高く低く往き来する声を、重太郎は生涯忘れられなかった。

 

 今夜も暑いなヤ。なあ、重さん。

 青年が、夜空を見上げた。重太郎も夜空を仰ぐ。

 はくちょう座、わし座、こと座。夏の大三角形・・・・・・天の川がふたりの真上を流れていた。

「戦争なんかさっさと終わって、またみんなが平和に暮らせんのがいい。早く終わらせるためにオレは行く。そのためならオレの身体なんか、燃えでもかまわねぇサ」

 

 ◇   ◇   ◇

 

 座敷が静まりかえっていた。美千子と仁兵衛が泣いている。

「早よいっさ(戦争)を終わらせるため――。そうじゃ。あと一ヶ月でも一〇日でも早よにいっさが終わっちょったら、亡くならんでもよかった人は、ずんばいいたじゃろに。原爆だって・・・・・・」

 立ち上がりながら仁兵衛が言った。

「先生は――」

 美千子がハンカチで鼻を包んで、短く息を吸い込んだ。

「『絵は、言葉では伝えられない想いを描くこともできる。美千子はそういう絵を描ける人になれ』っておっしゃってくださったのです」

 

 愛は、何も言えなかった。

 七十年前、日本は、世界は、非情な戦争のまっただ中にあった。ひいじいちゃんも、そしてこのお座敷にいるおじいちゃんやおばあちゃんたちも、そんな戦争の時代に生きていたんだ――。

 平成生まれの女子高生が、その時代の出来事を、まして戦場のことや兵士たちの心中を想像することは容易ではなかった。しかし、歴史の事実は消すことも、なかったことにもできない。ただ、今、この座にいるお年寄りたちが、あのころを思い出して泣いている。愛は、それだけで胸が詰まった。

 座敷の向こうには、午後の光に照らされた紺碧の海が広がっている。水平線に溢れる光が、愛の目の中で淡く歪んだ。

 

 鼻毛のじいちゃんが口を開いた。

「しかし、センセはないごて(どうして)、わが(自分)のご家族には、こんことをお話しされなかったのじゃろ?」

「まあ辛れ話じゃっで。センセもあのとき泣いてなさった」

 隣室へ行って、電話台の隣に置いてあったティッシュの箱を持って戻ってきた仁兵衛が、紙を数枚引き抜いて鼻をかんだ。

「話すたびに涙が出っようでは、だいか(誰か)に話すのも辛れじゃんそ」

「じゃあ、ないごてみっちゃんと仁ちゃんには?」

 仁兵衛からティッシュの箱を受け取ったピンクの割烹着が、目を拭いながら訊いた。

「みっちゃんが、絵の学校に行こごちゃ(行きたい)って言たからかもしれんな」

 仁兵衛が言った。

「ほうじゃ。そん特攻隊の人も〝絵の学校に行こごちゃった〟って、言てなさったんじゃろ?」

 と、ランニングシャツ。

「センセは、『じっぱ(立派)な絵描きになれ』って、みっちゃんに伝えたかったんじゃな」

 あごひげがつぶやく。

 かなえが、お茶を入れ替えながら言った。

「『こいかあの、じで(時代)は、お前らは、お前らのなりたかもんになれる。お前らはわが(自分)のさっざっ(将来)を()って行っがなっ』って、センセの口癖じゃった。みっちゃんは、しっかいと重太郎センセの思いを受け止めたんじゃ」

 

 美千子と仁兵衛の話から、作者の名前は分からなかったが、岩手県出身の特攻隊員が、自分の故郷を描いた絵だということが分かった。曾祖父が青年からもらった絵が、二枚あったということも初めて知った。青年と、青年の妹が描かれた肖像画。でも、ひいじちゃんの遺品の中にあった絵は風景画だけだった。もう一枚の絵はどこにあるんだろう?

 美千子が、ハンカチで涙を拭いたあと愛に尋ねた。

「愛さん。でも、なぜ?」

「はい?」

「どうしてこの絵の場所を探しているの?」

 ―――どうして?

(どうしてなんだろう)

 曾祖父の遺品のなかから絵を見つけて、その絵にひかれた。そして描かれた場所を知りたいと思った。初めは、ほんとうにそれだけだと思った

 しかし、今は、もう少し違う思いが、実は胸の奥のどこかにあったのかもしれないと思いはじめていた。

 その思いがなければ、こんなに暑い夏の日、強い日射しに打たれていることを後悔しながらも、鹿児島から中籠までやって来ることはなかっただろう。

 けれども、愛は、それがなんなのか、自分で自分に説明ができなかった。ただ、改めて「なぜ?」問われた愛の脳裏に、幼い日、縁側で曾祖父の膝にのせられていたときの場面が、ふと浮かんだ。

「私が、この絵が描かれた場所に行くことで、ひいじいちゃんが喜んでくれるような気がするんです――」

 とだけ答えた。

 

「長崎に〝新型爆弾〟が落とされたあと、八月十二日、鹿屋基地から出撃して行った特攻隊員の名簿があります」

 やっと言えるタイミングになったという感じで、部屋の隅でタブレットを開いていた聡が、検索して出てきた画面をみんなに見せた。

「ほーお、そげなこっが、いっき(すぐ)分かっのか。エライじで(時代)じゃの」

「岩手県出身の方がおひとりだけいらっしゃいますね。でもサトウさんじゃなくて〝なかやしき てつ〟さんという方です」

「どらどら、見せっみろっ」

 爺婆たちが、ドヤドヤと、聡の前に駆け寄ってタブレットの画面に食いついて大騒ぎになった。

 見えん 読めん 暑いわ 足踏むな 手ぇどかさんかぁ あっ ほれ、お前がかかった(触った)から画面が消えたぞっ

 聡は、もう一度画面を呼び出し、指で拡大して見せた。

「おお、すごいのぅ」

「ワシの折いたたみ携帯ではこげなこちゃでけんぞ」

「えーと、あー、こん人じゃな。〝中屋敷哲〟さん」

「サトウさんちゅう名前じゃなかったか」

「・・・・・・いや、待て。この字なら〝てつ〟のほかに〝さとし〟とも読んぞ。漁協にひとい(一人)おんぞ。」

「おお、そうじゃ。わしのきょで(従兄弟)にも、哲と書いて〝さとし〟ちゅうヤツがおる」

「そうか。ほしたや、こんサイン、サトウじゃねじ、さとしの〝さと〟かもしれんナ」

「さとちゃんと同じ名前じゃな」

 爺婆たちが、聡の顔を見た。

「いつまでも子ども時代の呼び方をしないでください」

 聡が、少しむすっとしたテレ顔で言った。

「でも、〝さとしさん〟だった可能性はありますね。〝てつさん〟だったら〝さと〟ってサインはされないでしょうから」

 聡は、画面を自分の方に向けて持ち直した。

 

 岩手県出身の特攻隊員――。曾祖父が鹿屋の基地で出会ったという東北出身の人は、きっとその〝中屋敷哲〟さんだ。愛はそう思った。

 でも、生まれたところが、岩手のどこなのか、絵が描かれた場所がどこなのか、それを知ることはできなかった。そして、もう一枚の絵――。

 ひとつを知ることができたけれど、新しい疑問も増えた。しかし、

(〝ひいじいちゃんが喜んでくれる気がします〟――)

 愛は、美千子の質問に対する自分のその答えはきっと間違っていないと思った。まだそれだけじゃない、という気持ちもあったけれど、自分に対する自分の疑問にも、ひとつ答えが見つかったような気がした。

 ――ひいじいちゃん、串木野まで来た甲斐があったよ。

 

 愛は、かなえ、美千子、仁兵衛、鼻毛、割烹着、ランニングシャツ、姉さんかぶり、アゴひげといった面々に、丁寧にお礼を述べて永留家を辞した。

 午後三時を過ぎていた。串木野駅へ向かうバスはまだ一時間以上もあとだということで、聡が駅まで送ってくれるという。愛はその申し出に甘えることにした。少し疲れてもいた。

 友だちが照島へ海水浴に来ていることを伝えると、聡は、じゃあそこまでお送りしましょうか、と言ってくれたが、葉百合と柚香は夕日を見てから帰ると言っていたことを思い出し、ふたりに付き合っていたらさすがに遅くなると思い、駅で降ろしてもらえるようにと聡にお願いした。

「愛さん、絵の場所が見つかるように、重太郎先生の教え子さんたちと一緒に応援していますね」

 駅前で、わざわざ車から降りて見送ってくれた聡に、愛は握手を求め、何度も頭を下げた。

 聡の言葉がとても嬉しかった。

 

 五位野の自宅に帰ると、浩子が、ねえ、どうだった? 楽しかった? うまくいった? 今日は夕空がキレイでいい感じだったわね? と、愛の〝デート〟の結果を知りたがった。目のなかに乙女星が光っている。

(・・・・・・?)

 おかあさんには、絵の場所を探していることも、朝、串木野へ行くっていうことも言わなかったのに、どうして〝うまくいったの?〟なんて訊いて来るんだろう。

 ひょっとして、もうバレバレだったのかな?

 串木野では確かに成果があった。そして〝いい感じ〟だった。愛は、その嬉しい余韻もあって、

「うん。ばっちり。最後は握手しちゃった」と答えた。

「あ、あくしゅ・・・・・・?」

 

 離れに行き、穂高の部屋をノックした。おう、という返事があった。

「おにいちゃん、あの絵のこと少し分かったよ」

 愛は穂高に、今日の出来事を報告した。

 穂高は、いつものように遠くを見るような目でうなずきながら、愛の話しを聞いてくれた。

「そうか、岩手の人だったのか」。

 分かってよかったなと、穂高も、愛の小さな旅の成果を喜んでくれた。

 ――と、穂高の目が少し潤んだ。愛が驚いていると、穂高は、

「オレも重太郎さんのことを思め出したんだ。あの絵にそげな思いが込められちょったのかって思もと、やっぱい重太郎さんは、オレが〝絵を描く人になりたか〟っていったことを、わぜ喜んでくれたんだな――」

 愛も思っていた。長い間、ひいじいちゃんのこと、忘れてしまっていたけれど、ワシのことを、あの絵のことを〝おまえたち、よく思い出してくれたな〟って、ひいおじいちゃん、今、きっと喜んでくれている・・・・・・。そう思った。

 泣き出しそうになった愛の顔に、穂高がタオルを放った。

「東京の大学にとおったら(合格したら)、岩手にも近こなるな。そんためにも、絶対にとおっように、がんばれ」

 絵の場所探しはそれから再開すればいい。そう言って穂高は愛を励ました。

 愛は自分の部屋に戻り、着替えを持って、足早に浴室に向かった。泣き顔を早く洗いたいと思った。

 汗ばんだTシャツとジーンズを脱ぎ捨てて、浴室に駆け込み、頭からシャワーを浴びた。

 

 部屋に戻って、タオルで髪の毛を叩きながら、改めて絵をじっと見つめた。

 串木野の永留家での大騒ぎを思い出した。

(さとちゃん、さとしさん―――)

 さとしさん。わたしは〝さとさん〟と呼ばせていただきます。

 さとさんが守りたかったこの国で、私は、自分の未来をきっと見つけて、さとさんに恥じないよう、しっかりと生きて行きます。

 そして、いつか、さとさんの故郷に近づき、訪ねることができるように、どうか私を見守っていてください。

 愛はタオルを机の上に置き、Tシャツの襟元を整え、さとさんの絵にそっと手を合わせた。


 


3・天文同好会


【二〇一七年四月十日】

 翌年の春―――。

 愛は、第一志望だった東京の大学の文学部英文科に合格し、鹿児島から上京した。

 アパートは、都心の大学まで地下鉄一本で通学できる千葉県の行徳という街に決めた。部屋から海は見えなかったけれど、街を渡る南風のなかに、ときおり潮の匂いが感じられた。

 ―――私、やっぱり海の近くがいい。

 自室には、さとさんの絵も持ってきた。穂高が言ったように、鹿児島からだいぶ岩手に近付いた実感もあった。

 絵が描かれた場所が岩手のどこなのかはまだ分かっていなかったけれど、でも、いつか訪ねる機会があったらきっと見つけたい。

 修学旅行以外で九州から出たことがあるのは、家族旅行での北海道と今回の上京だけ。東北は未踏の地だった。

 行きたい、きっと行きたい。そう思った。

 

 四月のキャンパスでは、さまざまなクラブやサークル、同好会が、新入部員を勧誘するために、あちらこちらに机を並べ、看板を立てかけたり、テントやタープを張ったりして、通りかかる学生に声をかけて勧誘ビラを手渡している。

 愛は、どこか楽しそうなサークルがあれば入ってみたいと思った。

 高校時代のバスケ部のマネージャーはとても楽しかった。誰かのために懸命になれることは、やりがいもあったし、自分を成長させてくれたとも思っている。でも、大学運動部のそれは、もっともっとたいへんで、自分にはきっと務まらないだろうなとも思った。

 大学では、あまり忙しそうじゃなく、自分のペースも大切にできて、その活動に長く付き合っていくことができて、仲間たちと一緒に楽しめる部活がしたいと思っていた。

 ふと、賑やかな勧誘の波が途切れ、ほっと静かな場所に出た。すると、木漏れ日を降らせる葉桜の並木の下に、ちょっと遠慮気味に新人を勧誘しているサークルの勧誘ブースがあった。

 横の立て看板には「天文同好会」とあり、机のそばには天体望遠鏡や双眼鏡などが並べられている。

 天文同好会――。

 愛は、高校時代の同級生で、ふたりとも天文部員だった大親友の葉百合と柚香を思い出した。

 はゆは、福岡の大学の工学部に進んだ。いつか天体望遠鏡に関わる仕事がしたいから光学を専攻するのだと言っていた。

 ゆずは、「あたしは地元がいい」と、穂高と同じ大学の理学部の後輩になった。卒業文集には「夢はプラネタリアン」と書いていた。

 星空、神話、宇宙――。

 愛は、天文同好会に入りたいと思った。

(でも、私は、それほど星に詳しいわけじゃない)

 ギリシャ神話を通じて星座の物語はいくつか知っていたけれど、でも、例えば宇宙の大きさはどれくらいだとか、太陽の質量はどれくらいなのだとか、ビッグバンとはなにか、ワーム理論とはどういうものかとか、そういう科学の知識は愛にはなかった。

 みんなが科学者みたいな人たちだったらどうしよう・・・・・・。

 木漏れ日の下に立ち止まって、あれこれ考えているうちに、愛は、ペルセウスの物語を思い出していた。

 

 エチオピア王ケフェウスとカシオペア妃の娘であるアンドロメダ姫は、たいへん美しい娘でした。

 カシオペアは、ことあるごとに娘の美しさを自慢し、ついには海神ポセイドンの娘よりもアンドロメダの方が美しいと言ってしまいます。

 その言葉がポセイドンの怒りに触れました。カシオペアは両腕を「W」の字にしたまま上げ続けるという罰を受け、そしてアンドロメダ姫は、エチオピアの海岸に鎖で繋がれ、化けクジラのいけにえにされることになってしまいました。

 そして、アンドロメダ姫が化けクジラに飲み込まれようとしたそのとき――。

 魔女メドゥサとの戦いに勝利した勇者ペルセウスが、倒したメドゥサの首を持って、天馬ペガサスに打ちまたがって飛んで来ました。

 ペルセウスは、メドゥサの首を化けクジラに突きつけて石に変え、アンドロメダを救い出したのです。

(そしてペルセウスとアンドロメダは・・・・・・)

「幸せに暮らしました、とさ。――どんど晴れ」

 

「!?」

 愛の後ろから、いきなり男の声がした。

「それってペルセウスの神話だサね」

(・・・・・・え? えっ!)

 愛が振り向くと、背の高い男子学生が立っていた。驚いてその顔を見上げた。一八〇㎝はありそうだった。愛との身長差は二十㎝以上あるだろう。

「うちの同好会の看板を見ながら、なにかをぶつぶつ言ってる子がいたから。ごめん。つい後ろから聞いてしまいました」

「うちの?」

「そう。天文同好会」

 男子学生は、ぽかんとしている愛の背中をぽんっと叩いて、勧誘ブースへ促した。

 愛は、今、なにが起きているのか分からない。

 同好会のブースに行くと、女子会員たちがくすくす笑いながら迎えてくれた。

「見てたわよ、北条くん」

 先輩らしい女子が言った。彼の名は北条というらしい。

「ありゃ。見られてましたか」

 北条と呼ばれた学生が頭を掻いた。

 別の男子が言った。

「北条が、女の子の後ろに立って匂いを嗅いどるわー言うて、みんなで笑っとったんや」

 会員たちがどっと笑った。

 

 愛は、やっと声が出た。

「聞こえていたのですか?」

(愛って独り言が漏れるよね)。柚香に何度か指摘されていたのに。

「うん。つぶやきにしてはちょっと大きな声だったよ」

「・・・・・・どのあたりから聞いていらしたのですか?」

 愛は、自分の顔が赤くなるのを感じた。

「メドゥサの首を持って天馬ペガサスに打ちまたがり、ってところからかな?」

「――立ち聞きなんてひどいじゃないですか!」

 愛が北条に抗議すると、同行会の会員たちが、愛の味方に付いてくれた。

「そーよ、そーよ。北条くん、ヒドイ」

「ホンマや」

「ストーカーじゃねえんだから」

「ここはまず、きちんと謝らなアカンで」

 部員たちが、笑いながらはやし立てる。

「しかし、昼行灯のお前が女の子をナンパするとはな」

 昼行灯?

 愛が北条を見上げた。

「そう。コイツ、でかくて、どこかぼーっとしてるから、付いたあだ名は『昼行灯』」

 部員たちがまたどっと笑った。

(昼行灯。・・・・・・たしかにそんな感じ)

 ブースには笑いがあふれていた。みんな楽しそうな人たち、と愛は思った。

「気を悪くしたらごめんなさい。謝ります」。北条が深々と頭を下げた。

「あっ。いえ、いいんです。どっちみち入会しようかなって思っていたところでした」

 愛がそう言うと、部員たちが歓声を上げた。

 おー! よっしゃ! やったね。ようこそ天文同好会へ!

 宇宙に関する物理学の知識はまったくありませんが大丈夫でしょうか? と愛が恐る恐る尋ねると、会員たちがまた笑い出した。

「法学部も経済学部も文学部も体育学科の学生もいるわよ」。女子会員がにこにこしながら教えてくれた。

 よろしくお願いいたします、と言いながら、愛が入会希望カードに名前や連絡先などを記入している間、北条は、色若い葉桜から漏れてくる陽光の下で、天気でも心配しているような顔でぼーっと空を見上げていた。

 

【二〇一七年四月二十四日】

 天文同好会の新年度第一回ミーティングが行われた。

 愛が通う大学には、三〇〇以上もの部や同好会やサークルがあった。すべての団体が部室を持っているわけではない。天文同好会に部室はなく、ミーティングは、開催の都度、教室の使用許可を得て行われる。望遠鏡などの機材は、BOXと呼ばれる学内のロッカールームに保管してある。

 同好会は新入会員八人を加え、今年度は四〇人となった。男女比では、やや女子が多い。

 週一回のペースで行われるミーティングで、活動報告や予定連絡、観測会や合宿といった各種活動やイベントへの出欠確認などが行われる。

 週末などを利用して郊外へ出かけて行う観測会、観望会、学園祭の出展と出店、プラネタリウムや科学館、天文台など天文関連の施設を訪ねるツアーなどが主な活動内容だ。

 メインイベントは合宿だ。夏合宿と第一次冬合宿と第二次冬合宿がある。

 夏合宿は、大学のセミナーハウスがある山梨県で行われるのが恒例なのだが、四年に一度だけ、ちょっと遠出する。同好会では、これを「遠征」と言っていた

 ちなみに、同じく山梨県の合宿所がベースになる冬合宿も、やはり四年に一度は山梨県以外への遠征がある。夏合宿と冬合宿の遠征はそれぞれ二年ずれていて、つまり四年間の学生時代で、二回はどこか違う場所へ行ける。

 今年の夏合宿は、その四年に一度の「遠征」だった。

 

「こらぁ、北条、寝るなぁ! まだミーティング中だぞっ」

 窓際の席で、机にほおづえをついてうつらうつらしかけていた北条に、天文同好会の会長・浜野賀津也が、やや呆れた声で怒鳴った。

「あ。すんません」

 北条が、のそっと顔を上げた。会員たちが小さく笑っている。

 浜野が教室の演壇に立った。

「さて、夏合宿の場所をそろそろ決めたいと思います。宿の手配とかもあるからね。

 えーと、今年はちょっと月齢に恵まれなくて、夏休みがはじまる八月一日以降は月が明るいので星空ウォッチングにはちょっと不向きです。月が沈むのが夜半になります。でもまあ、月は月でいいし、昼間は黒点観察もするし、例年どおり、夏休み開始の翌日から行いたいと思います。いいですか?」

 いいよー。仕方ないさー。星と月のめぐりが相手の同好会だしね。月面もいいじゃん。といった声があがり、異議なしでまとまった。

 浜野が言った。

「じゃあ、日程は八月二日から七日まで、予備日含む五泊六日。晴れの日が続いたら八月六日に撤収ということにしますね。

 えーと、さて、今夏の合宿は四年に一度の『遠征』です。前回は、長野県の阿智村で行われました。さあ、今夏はどこがいいか? 推したい場所がある人は手を挙げて」

 四年生の佐藤有紀が手を挙げる。

「北海道の大沼を推します。風がない夜は、水面に星空が映るんです」

 おおー、という声が上がった。

 次に、挙手したのは四年生の小林俊彦。

「高知の桂浜。龍馬が仰いだでっかい星空があるぜよ」

 教室が湧いた。

 次に、三年生の小泉美雪がそっと手を挙げた。

「小笠原の父島での合宿って、天文同好会の永年の夢ですよね? 片道だけで、船で二泊三日もかかりますが、今夏こそ思い切って行ってみませんか?」

 会員たちがざわめく。

「――静粛に」

 浜野がホワイトボードに、大沼、桂浜、父島・・・・・・と書いて振り返った。

「はーい、ほかに誰か?」

 天文同好会の夏合宿は、夏休みに入ってすぐ行われるのが恒例で、今年の夏休みは八月一日からだ。

 帰省の都合もある学生は、自分の出身県をアピールしたりする。今年度のメンバーは都内と近郊、関東地方出身者が多い。彼らは、どこでもいいから街の灯りにジャマをされない星のきれいな場所へ・・・・・・と考える。

 ただし、例えば知床とか沖縄とか、あまりに遠すぎる場所は行けないという雰囲気もある。もちろんその一方では、小笠原いいねと思っている者もいた。

「いいスか?」と、北条が手を挙げた。

「岩手県の種山ヶ原はどうでしょう? 宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』のストーリーを思いついたって言われている場所です」

(岩手県?)

 愛がノートから顔を上げた。同時に教室がどよめいた。『銀河鉄道の夜』という単語のせいだろうか。小笠原案のときよりも教室内のささやき合う声が大きくなった。

「えー。みなさん静粛に」

 浜野が再び言った。

「ほかに候補地を挙げたい人は?」

 挙手する者はおらず、会員たちのざわめきが、すぐにまた広がった。

「じゃあ、このまま二〇分間の検討に移ります。そのあと決選投票するよ」

 浜野のその言葉を合図に、教室が一気に騒々しくなった。

 どこの星空が美しいか。どこへ行ってみたいか。それぞれが、それぞれの〝星の旅〟に想いを巡らせる。

 四年間という短い時間、勉強にも遊びにも全力でぶつかる。みんな、それが楽しいのだ。

 

「大沼って函館の近くだよね」「イカ刺し食いてぇ」「函館山の夜景もいいよね」「北海道も憧れの地だな」「沼の水面に映る天の川を撮影したい」「新幹線も通ったし、そう遠くないよね」「北の大地の大空だな」

 

「龍馬好き」「〝月の名所は桂浜〟って『よさこい節』だっけ?」「おみやげはかんざしね」「カツオのタタキおいしいよな」「オレ大阪より西に行ったことないから行ってみたい」「海があるから空も暗そう」「空と海を渡る天の川かぁ」

 

「小笠原いいね」「南十字も見えるんでしょ?」「グリーンフラッシュも見られるらしいぞ」「ホシミストの聖地だよね」「でもやっぱり遠いかな? 往復で一週間以上ってのはちょっと」「台風が来たら欠航するリスクもある」「でも行きたい」「椰子の葉の向こうにきらめく夏の大三角形!」

 

「『銀河鉄道の夜』の舞台かぁ」「夏休みの宿題の読書感想文を書いたことがある」「岩手なら空気も澄んでいそう」「夜も涼しいんだろうな」「みんなで『星めぐりの歌』を歌いたい」「四時間ぐらいで行けるんじゃね?」「賢治が見た夜空、あたしも見たい」

 

「ねえ、愛ちゃん」

 隣の席にいた、愛と同じく新入会員の佐竹麻美が、愛の手をとんとんっとたたいた。

「愛ちゃんは、どこがいいと思う?」

 愛にとっては、北海道以外は、どこも行ったことがない土地ばかりだった。

「あたしは秋田の生まれだからさ、どちらかと言えば小笠原とか、高知とか、南に行ってみたいかな?」

「私は岩手がいいかな?」

 愛が北条の方を見ると、北条は、四~五人のグループで話し合っていた。

「岩手かぁ。うん。それはそれで実家に近いから、あたしの場合、そのまま帰省するのにはいいかも」。麻美がころころと笑った。

 麻美は明るくはきはきした性格で、整った顔立ちは、誰の目にも美人だと映る。ふっくらとした涙堂の上に、大きくて澄んだ瞳がある。ほんの少したれた目元がやさしくかわいらしく、すうっと結ばれた唇が全体の印象をきゅっと引き締める。

 でも、本人は自分が美人に分類されるなどいう自覚もなく、むしろタレ目がコンプレックスであるらしく、自己紹介のとき「秋田県の女性の誰もがササキノゾミだなんて思わないでください!」と、秋田出身の美人タレントの名前を出してウケをとり、一気にサークルになじんだ。

 愛ともあっという間に仲よくなり「愛ちゃん」「あさちゃん」と呼びあう仲になっていた。

 

「えーと。そろそろかなぁー。はーい。静粛に」

 浜野の声で、教室のざわめきが、少しずつ落ち着いていった。

「採決してもいいかな?」

「いいともー」と小林が叫び、皆がどっと笑った。

「遠くへ行きたい気持ち、帰省の都合、金銭的な事情など、まあ、みんなそれぞれだし、また、スケジュール的な問題とかも、やっぱりそれぞれあると思う。また、キャンプになる場合は、水場やトイレ、お風呂のことも考えないといけない。

 今、みんなが話し合っている間に、各候補地を調べてみました。どこもキャンプ場があるし、お風呂やコテージがあるところもある、種山ヶ原以外は旅館や民宿も近くにあって、宿泊に関しては四候補地とも基本的な条件はクリアしています。

 でも、大前提として、なるべく多くの会員が参加できる『遠征』にしたいと思います。それらを考慮しつつ、では採決に移ります」

 いいですね? という表情で浜野が教室を見渡すと、はーい、いいよ、いいでーす、異議なし、OK、ええよ、かめへん。いろんな返事が返ってきた。

「んじゃあ行きまーす。えー、大沼がいい人、手を挙げて」

 五人が挙手した。

「桂浜がいい人」

 これも五人。

「小笠原の人は?」

 麻美のほか、八人が手を挙げて、教室がざわめいた。

「んじゃ、最後に岩手がいいと思う人」

 二十人が手を挙げた。

 おお、という声と拍手が起きた。

 やっぱり『銀鉄』の勝ちかぁ。天気輪の柱。銀河すてーしょーん! アルビレオって停車場だっけ? 観測所じゃね? 輪になって回るトパーズとサファイア。赤い目玉のさそり。広げた鷲の翼・・・・・・!

 また教室がざわめきはじめた。

「いいんじゃない? 種山ヶ原。実はあたしもいつか行ってみたいって思ってたの」と、有紀も賛同した。

「『壬生義士伝』の吉村貫一郎の故郷だな」と小林。

「『種山ヶ原の夜』っていう作品もあったね。炭焼きの青年が夢の中で木の精霊と会話するお話」

 賢治好きー、と小泉が言った。

 有紀が窓際の北条の方を向いた。

「そっか。北条くんって岩手だったよね」

 

(北条先輩って――)

「岩手県だったんですか?」

 愛は声を出してしまった。麻美がびっくりした顔で愛を見た。教室が一瞬静かになった。

「どうした? 山科?」

 また北条に後ろから何かされたのか? という顔で浜野も驚いている。

「・・・・・・すみません。なんでもありません」

「こら、北条。言い出しっぺがあくびすな!」

 浜野が、パソコンを見た。

「えーと。一九八二年から始められた天文同好会の『遠征』。過去八回あったけど、岩手で行われたって記録はないね」

 よっしゃ。

 浜野が演段に両手を置いて、会員たちを見渡しながら言った。

「どうかな、みんな。岩手に決めちゃっていい?」

 意義なーし、という声と同時に、教室に拍手が広がった。

 愛が窓際の北条を見た。あくびをこらえているような北条と目があった。

 

 ミーティングのあと、愛は、北条と麻美を学食横にある喫茶店に誘った。

「北条先輩って」

「岩手県だよ」。向かいの席で、昼行灯がにこにこ笑っている。

「山科、なんだかずいぶん岩手に反応してたサ。岩手に何か思い出でもあンの?」

「思い出ではありませんが、絵が描かれた場所を探しているんです」

「絵?」

「先輩、それシャレですか?」

「えっ?」

 混ぜっ返した麻美が噴き出した。

 愛は、バッグからスマホを取りだし、撮っておいた風景画の画像をふたりに見せた。

「この絵の場所が、岩手のどこなのか知りたいんです」

 愛の隣の席に座っていた麻美が北条の隣に移り、北条と一緒にスマホの画面を見つめている。その様子に、串木野のお年寄りたちのことを思い出した。

 そして、曾祖父のこと、串木野でのエピソードを話した。

 特攻隊、戦争、連れて行った写真、岩手の人―――。北条と麻美は、黙って聞いてくれた。

 

 愛の話が終わって、北条がもう一度スマホの画面を見つめた。そして、スマホを愛に返しながら、小さくため息した。口元が少し引き締まっている。

「なんだかすごい話しだな」

「ホントですね。あたし、ちょっと感動しちゃいました」

 両手でカップを握りしめるように持ち上げた麻美が、冷めてしまった紅茶を口に運んだ。

「でもごめん。オレ、岩手の出身だけど、その絵の場所はちょっと分からない」

「そうですか――」

 愛が、鹿児島から上京してきて最初に出会った岩手県人。天文同好会に入ろうか迷っていたとき「ぽんっ」と背中を押してくれた人。映画の中のよくできたエピソードのように、もしかしたら絵の場所もすぐ分かるかもしれないという期待を膨らませていただけに、愛はちょっと残念だった。

「でも、それ、いい絵だナ。内陸の方には、そんな感じの景色はたぶんあると思う。何しろ岩手は広いから。日本一広い県だし」

「そういえば先輩って岩手のどちらですか? 盛岡のガンダイ(岩手大学)に進んだ友だちが何人かいるんです」

 麻美が北条に尋ねた。

「ああそうか。佐竹は秋田の出身だっけ? どこ」

「仙北市の角館です」

「へえ、角館か。中学ンとき、武家屋敷街のシダレザクラを家族で見に行ったことがある」

「ほんとうですか? あそこはあたしの散歩コースですよ」

 ふたりが、愛の知らない地名を挙げながら会話をはじめた。

 同じ地方に生まれた者同士は、すぐ了解しあえる風景や感覚を共有している。あっというまにうち解けた会話をはじめたふたりの会話に、ちょっとだけ疎外感を感じながらも、武家屋敷街の散歩と聞いて、愛は鹿児島県の知覧の街並みを思い出した。

「オレは釜石だよ」

 北条が答えた地名は、愛も知っていた。六年前からテレビで幾度も聞かされている地名だった。

「釜石って三陸海岸の街ですよね? 北条先輩は東日本大震災のときは大丈夫だったんですか?」

 北条は、愛が大丈夫だったかと尋ねているのが津波のことだとすぐ分かった。

「実家は山手の方だったから無事だった。でも、周りは、その・・・・・・まあ、いろいろあったんだけどナ」

 北条の顔が、少し暗くなった。いきなり直截すぎる質問だったかしら・・・・・・と、愛はちょっと後悔した。

「角館は震度五強で、ものすごい揺れでした。授業中で、ずーっと長く三分ぐらい揺れていて、あたし机の下で泣いてました」

 ほんとうに怖かったです、と、あの日のことを思い出したのか、麻美の目が少し潤んでいた。

「釜石は震度六弱だった。オレの中学校は、あの日、短縮授業だったから家に帰ってたんだ。そうしたら、すごい揺れと・・・・・・津波が来たんダ」

 そうか、ふたりは、あの日、東北地方に起きたあの大災害のなかにいたんだ。

 愛は、津波からの避難先だったらしい高台の公園で、当時の自分と同い年ぐらいの女の子がお母さんに抱きついて泣きじゃくっているニュース映像を思い出した。

「釜石の小中学生たちは、大津波警報を聞くまでもなく、自主的に高台に避難したんだ。おばあちゃんを連れて逃げる準備をしていた子や、病気で休んでいた子とか、五人が亡くなったけど。でも、釜石の子どもたちの生存率は九九.八パーセントだった」

 麻美が、それ知ってます、と言いながら中指で目の端をぬぐった。

「〝釜石の奇跡〟ですよね。でも高台から自宅が流されるところを見ていた子が『うわぁ』って言って泣きながらしゃがみ込むニュース映像を見て、あたしも大泣きして――」

 すん、と鼻をすすりながら、麻美がハンカチを取りだした。麻美も同じようなシーンを記憶していたらしい。

「オレはテレビなんて見られなかった。釜石は、あの日から長い間停電していてラジオばかりだった。釜石とか宮古とか大船渡とか・・・・・・。宮城や福島とか他の三陸沿岸の街がどうなっているのか、目に見えなかった」

 

 東日本大震災のとき、愛と麻美は小学校六年生。北条は中学一年生だった。

 愛は教室にいた。揺れは少しも感じられなかったが、家に帰ると、母と祖母が、取り込んだ洗濯物を手に持ったままテレビの前で立ちつくしていた。

「ああぁー」「こんなことって・・・・・・」

 テレビは、津波が押し寄せてくる仙台市の郊外を映していた。

 ヘリコプターが上空から中継していたライブ映像には、灰褐色に濁りきった大津波が、スライムの大きな化け物のように家や畑やビニールハウスや自動車を次々に飲み込んでいくシーンが映っていた。実況していたアナウンサーが「うぁ・・・・・・」と絶句していたことも覚えている。

 テレビは、その夜も、次の日も、ずっと大津波のニュースばかりだった。CMも放送されず、繰り返し映し出される津波襲来の映像。そして判明していく被害の大きさ。

 愛は、画面の中で泣いている人を見るのがとてもつらくて、自分も何度も泣いた。

 中学一年生になったある日、全校生徒でツルを折ったことがあった。先生が、宮城県の中学生たちに送るのだと言っていた。

 ツルには手紙も添えた。愛は、その手紙の内容をもう詳しくは覚えていないけれど「ガンバレ」という言葉は少し違う気がして「負けないで」と書いたように思う。女の子とお母さんが泣いているニュースの映像を思い出しながら書いていた。

 愛も六年前の自分の悲しさを思い出して、鼻の奥がつんとした。

「ごめんね、愛ちゃん」

 麻美が、自分の胸元をトントンたたいた。

「愛ちゃんの絵のお話だったのに、違うことで泣いちゃって」

「そんな。あやまらないで」

 愛は、東日本大震災のとき、鹿児島にいた小学生だった自分が感じていたつらさや悲しさが、東北の小学生だった麻美のそれと同じだったことに、また胸が痛んだ。でも人は、遠く離れていても思い合うことができて、繋がることだってできる。痛みを感じたり、分け合うことだってきっとできるのだと感じて、胸に温かさが滲んだ。

「こら、佐竹、こんなところで泣くな。『北条が喫茶店で女の子を泣かしとったわ』とか、また早坂先輩に言われる」

 早坂とは、天文同好会の新人勧誘のとき〝北条が後ろから女の子の匂い嗅いどるわ〟と言ってはやした先輩だった。あのときのことを思い出した愛が、恥ずかしそうに顔を伏せた。

「なんのこと?」。麻美が、北条と愛の顔を見た。

「なんでもないよ」

「あっ? そう言えば〝あのとき〟北条先輩がおっしゃっていた『ドンドハレ』って、なんですか?」。愛が北条に訊いた。

「ん? ああ。岩手では、じいちゃんやばあちゃんが、子どもに昔話を聞かせたら、お話しのおしまいにそう言うんダ。『めでたしめでたし』っていう意味サ」

 北条が、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した。そして、

「絵の場所、見つかるといいナ」と愛に言ってくれた。

 

 ゴールデンウィークが過ぎ、授業も本格的にはじまって、学生たちは忙しくなった。

 天文同好会の新入生歓迎コンパも行われた。愛は麻美だけでなく、和泉里香、佐伯瑠衣、小倉香織など、同じく新入会の一年生たちとも仲よくなった。

 一年女子たちは、先輩たちにも早速愛称をつけて親しく呼びはじめた。会長の浜野賀津也は「カヅ先輩」、副会長の内記航(わたる)先輩は「ナッキ先輩」。小林俊彦先輩は「トシ先輩」――というふうに。

 でも、愛だけは、すべての先輩に対して名字のあとにそのまま先輩とつけて呼んでいた。なんとなく愛称では呼びにくい照れくささがあった。

 といって、先輩たちに距離を置いているわけではない。先輩たちは、男女問わず、多くが「愛ちゃん」と呼んでくれた。

 ゴールデンウィークの観望会、週末の観測会など、愛はできるだけ活動には参加したかったが、他の予定と重なることも多く、また天気に左右されやすいという天文同好会ならではの事情もあって、メンバー全員が揃うことは多くなかった。

 麻美たちとは、会の活動以外でもときどき会い、誘い合わせて食事に行くことなどもあったが、北条とは、あのとき以来、会話する機会はあまりなかった。

 

 七月の第一回目のミーティングが開かれ、夏合宿に参加する人数の確認が行われた。

 合宿地は、岩手県奥州市と気仙郡住田町にまたがって広がる種山高原にあるキャンプ場。

 四月の時点で四〇人分の予約を入れ、コテージ二棟とキャンプサイトを六つ押さえてあった。参加者が少なければ、サイトやコテージを他のキャンパーに譲るため、その分のキャンセルをキャンプ場に知らせることにしていた。

 新幹線の時刻はもちろん、東北新幹線の水沢江刺駅から移動するための貸し切りバスの手配、急病人が出たときなどのための搬送と緊急連絡用のレンタカーほか、キャンプ用品のレンタル、現地での観望といった活動計画は、前回、前々回のミーティングを経て、実行委員たちが練り上げ、ほぼ完成していた。

 言い出しっぺの北条もその委員のひとりだった。他の委員とともに、会員たちと向かい合う形でホワイトボードの横に座っていた。

「では、夏合宿に参加できる人は手を挙げてください」

 会長の浜野が参加希望者を数えるため、挙手を求めた。

 会員四〇人のうち、今日、出席していたのは三八人。愛も麻美も北条も手を挙げた。挙げない者のほうが少ない。

 それを見た浜野が「じゃあ逆に行けない人、手を挙げて」。と言うと、四人が手を挙げた。

 四人のうち三人は四年生の男子会員で、就活の都合からどうしても参加できないらしい。もうひとりは三年生女子会員で、母が急に入院してしまい、母親の代わりを務めなければいけなくなったという。

 四人はひどく残念そうだった。特に四年生は、これが最初で最後の『夏遠征』だったのだ。

「今回ほど〝どこでもドア〟がほしいって、本気で思ったことはない」

「オレ、夜八時にベガを見上げるから、みんなはアルタイルを見上げてオレの名前を叫んでくれ」

「星が流れたぁとか、死兆星だぁとかっていうコメ、就活生に送って来んなよ」

「〝雨乞い〟しておくからね」

 四人のスピーチに、メンバーたちが爆笑した。

 浜野が、まとめに入った。

「じゃあ、今日の時点では三十四人が参加ということで。今日来られなかったふたりにも電話で確認します。北条、まかせる」

「はい」

「・・・・・・今、アクビしかけなかったか?」

「気のせいですよ」。北条がちょっと背筋を伸ばし直した。

 浜野が演台に手をついた。

「では、今日の結果を踏まえ、次回のミーティングで計画書を配布します。それと、急に行けなくなってしまった人は、オレか委員に連絡を入れるように。以上です」

 

 


4・〝はやちねさん〟


【二〇一七年八月二日】

 種山ヶ原は、北上山地のほぼど真ん中にある標高八〇〇mほどの高原だ。天文同好会の第九回遠征夏合宿は、そこにあるキャンプ場で行われた。

 天気のことも考慮して、日程は予備日を入れた八月七日までの五泊六日。予備日を使わなければ八月六日に、五日間で予定を終了する。

 東京駅から東北新幹線で水沢江刺駅を経て、さらにチャーターしたバスに乗り換えて、計約四時間の移動となる。

 

 東京駅から走りだした新幹線の車内に、麻美はいなかった。

 合宿がはじまる二日前、角館のおばあちゃんが突然亡くなって、秋田へ帰らなければいけなくなったという。

「分かったわ。浜野先輩には、私から連絡しておくね」。

 合宿に参加できなくなったことを愛に知らせてきた電話の向こうで麻美は号泣していた。

「夏合宿が終わって帰省したら、おばあちゃんにも星や星座をいっぱい教えてあげたかったのに・・・・・・」

 もらい泣きしながら、愛は、鹿児島の自宅の庭から見上げていた天の川を思い出した。 

(ひいじいちゃんが生きていたら九十二歳。私も一緒に星を見上げたかったな)

 

 麻美がいないのは残念だったけれど、初めての東北、初めての岩手行きに、愛は期待に胸を膨らませていた。車内では、三人掛けのシートを回転させた席で、里香、瑠衣、香織、先輩の有紀や小泉たちと、神話や賢治の童話を話題にして盛り上がった。

「あいつ、ホントによく寝るよな」。隣の席から浜野先輩の声がした。

 浜野が振り返っている視線の先、愛の席から通路を隔てた斜め後ろのふたり掛けの席で、北条が背もたれを目いっぱいリクライニングしてぐっすり眠っていた。まだ大宮駅を出たばかりだった。

 水沢江刺駅で、予約していたバスに乗り換える。駅には、三年生で宮城県出身の萩野史朗が実家から車でやって来ていた。

「遠征」のとき、合宿地の出身者がいた場合、もしも可能なら実家の車を持ち出して、追加の買い出しや、急な病気やケガ人などが出た場合の緊急搬送などに利用することになっていた。それがムリな場合は、近県出身者の者が車を出すかレンタカーを用意する。レンタカーも念のため予約していたが、萩野が父から了承を得たという。

 同好会で唯一の岩手県出身者である北条は、まだ免許を持っていなかった。

 

 バスでは、愛と北条が隣り合って座った。

「岩手へようこそ」と、北条が愛に笑いかけた。

「絵の場所は? なにか分かったか?」

(覚えていてくれたんだ)

 四月のミーティングのあとは、顔を合わせても絵についてなにも言わなかった北条だったが、そう言って声をかけてくれたことが、愛は嬉しかった。

「まだ分かりません」

「種山ヶ原は見晴らしがいいはずだから、見つけられるかもな」

「はず? 合宿候補地として推されていたのに、来られたこと、なかったのですか?」

 北条が、少し困った顔で照れた。

「いや、実はオレも初めてなのサ。でも、賢治が見上げたっていう星空が見たかったから、行ったことのない場所だったけれど『遠征』の候補地に上げたんダ」

 だから楽しみなのサ、という北条の期待に、もちろん愛も同感だった。早く高原に着きたいと思った。

 見つかるといいナ、と言ったあと、北条はあくびをして、また眠ってしまった。

 駅を発ったバスは、すぐ田舎の風景に飛び込み、次第に森が迫る山中へと進んでいく。スノーシェッドというトンネルをくぐると、どうやら国道の峠に着いたらしい。右手に道の駅があったが、バスはそこへは立ち寄らず、道の駅の前の交差点を左に折れて、さらに山の上を目指した。

 しばらくすると、車窓左手に、ところどころに残雪を載せた高い山の連なりが見えてきた。奥羽山脈だ。愛は、絵に描かれていた山に似た峰を探したが、バスはまたすぐ林間に入った。

 やがて前方が大きく開けてきた。大きな空のなかに、緑の草原が空と大地との境界線をゆったりと描きはじめた。

「北条先輩、もうすぐ着くみたいですよ」

 愛が通路側の北条に声をかけると、北条はもう目を覚ましていて、そして〝あれ〟というふうに窓の外を指した。

 バスの左側、草原が空へなだらかに盛り上がっていく先に、恐竜の背中のような丘山があり、そしてその横から、残雪こそなかったが、あの絵によく似た山影が、ひょっこりと頭をのぞかせていた。北条は、それを愛に教えていた。

「先輩、あの山って?」

「〝はやちねさん〟だな」

「はやちねさん?」

「またあとで話そう。もう着くぞ」

 バスは草原の中で向きを変え、その山――はやちねさんも、いったん姿を隠した。

「各自、降りる用意して。忘れ物などないようにー」。浜野の声が車内に響いた。

 

 バスはキャンプ場のセンターハウス前に着いた。

 総勢三十三名。各自の荷物のほか、同好会としての団体装備も相当量あった。望遠鏡や赤道儀などの精密機器は分担して運んできたが、先だって送れるものは、すでに宅急便で現地に送ってあった。

 キャンプ場は、センターハウスやコテージがあるオートキャンプサイトと、道をへだてて隣接するフリーサイトから構成されている。

 センターハウスには、一回二〇〇円で入浴できるサウナ付きの浴室や、日中だけ営業するレストランも備わり、バーベキューコンロの貸し出しのほか、木炭や薪などの販売もある。

 センターハウスの前には、よく手入れされた緑の芝生が広がっていて、真ん中に宮沢賢治の『風の又三郎』をモチーフにした少年の像がある。その像の先には炊事棟があり、さらに彼方に目をやると、なだらかな稜線の向こうに〝はやちねさん〟の山影が浮かんでいる。

 天文同好会の主な活動のフィールドとなるのはフリーサイトで、そちらに四人用テントを七張準備し、六人用のコテージを一棟借りた。

 コテージは、同好会が所有する屈折式と反射式の二台の天体望遠鏡と赤道儀、天体写真撮影用の赤道儀、カメラ、二〇倍双眼鏡といった団体装備の管理と、個人の貴重品保管場所を兼ね、また、テント泊が苦手な会員もこちらに宿泊できることになっていた。でも、人気が高いのはテントのほうだった。気軽に横になれる。

 テント割りは、学年別とか、男女別といった区別はなかった。気の合う同士が同じテントで寝ればいいという大らかさだった。もっとも夜を徹して起きている同好会なので、テントは夜明けにもぐり込んで寝るだけの〝屋根〟のようなもの。しかも寝るのは昼間であり、風を入れるために入り口も開けっ放しだったりする。

 初日、いちおう愛と同じテントになったのは、同じ一年生の香織、そして有紀先輩と男子の小林先輩だった。でも、誰もが空いているテントに勝手にもぐり込んで勝手に寝てしまう。

 合宿では、晴れてさえいれば、一晩中、夜空を眺める。

 就寝は午前四時三十分、起床は午前十一時。食事は毎食とも自炊で、キャンプ用のガスコンロやバーベキューコンロを使い、これも学年や男女など関係なく全員が協力し合ってつくる。食材は、実行委員たちが作成した食糧計画に沿って東京を出発する前に購入し、分担して運んできた。なお、酒類については個人装備となる。

 十一時三十分に朝食兼昼食を摂り、その後は太陽の黒点観察や各自のテーマ発表などがあって、その講評などが行われる。しかし、ときには雑談に流れてしまい「先輩、その話、去年も聞きました」なんていうオチに終わる。

 午後三時から午後六時までは自由時間。夜の観望に備えてもう一度寝る者や、センターハウスの浴室を使う者、付近を散策したり、一台だけある自動車に乗り合わせてコンビニに買い物へ行く者もいた。いちばん近い商店は「道の駅」で約一〇分だが、コンビニまでは三〇分ほどかかる。

 昼食兼夕食は、支度とあわせて午後六時から午後七時三十分まで。午前〇時からの夕食兼夜食の分も、このときに作っておく。

 夜の観望では班ごとに分かれ、星空の明るさ観察、流星観測、星野写真の撮影などのほか、テーマ別の観望や観察を行う。ただし、今年は夜半まで月が出ているので、真っ暗な星空が望める時間は短い。

 それでも全体活動ではメシエマラソンの練習も行った。フランスの天文学者シャルル・メシエが作成した、その名も「メシエカタログ」に記載された全天に一〇七個ある星雲・星団・銀河、すなわちメシエ天体を一晩中観測し続けて、その発見数を競うもので、地味な観望や観測が多い天文の世界で、彗星や新星発見とはまた違う、誰もが参加しやすい競技性のある星空観測の楽しみ方だ。

 本来は三月中旬から四月上旬の間の新月に近い日に行われるものだ。もちろん、その時期の〝本番〟も行うけれど、夜が短い夏合宿でも「トレーニング」として行われる。

 こと座のM57(リング状星雲)、いて座のM22、はくちょう座のM29、M39、この時期「土用三郎」と呼ばれて明け方近くに昇ってくる真夏のオリオンのM42・・・・・・。

 

 そしてなによりも、夏の夜空を縦断する銀河の流れは、一晩中見ていても飽きない。観望というより、ウォッチングがたまらなく楽しい。

 見上げていると、この星空の美しさをだれかに伝えたくなる。浮かんでくるさまざまな単語、形容詞、擬音、比喩、修辞――が星座のように結びついて行き、それぞれの物語が、それぞれの言葉で心に綴られていく。

 そんな無限無数の言葉や思いのピースをかき集め、自分の心象世界にちりばめながら、はるか広大な宇宙をどこまでも流れて行く銀河のほとりを幻想の列車で旅したのが宮沢賢治だ。

 

 愛は、星空の観望もさることながら、バスの中から見えた「はやちねさん」のことも気になっていた。

 合宿二日目、夕食準備までの自由時間のとき、愛は、北条の姿を探した。

「――山科ぁ」

 愛の後ろから、北条のほうが先に声をかけた。

「自由時間だし、ちょっとあそこまで行ってみっぺし」

 北条が指した方向に、来るときに見えた丘山があった。

「物見山っていうらしい。あそこへ行けば〝はやちねさん〟がもっとはっきり見えると思う」

「お願いします」。愛は、ぺこりとお辞儀した。

 北条は、ディパックに飲み物と地図を入れ、会長の浜野に、物見山へ登って来ますと行き先を告げて、草原の道を歩き出した。

「先輩、あの山って?」

 北条のあとを追いながら、愛が、バスのなかで尋ねた言葉をもう一度繰り返した。

「はやちねさん・・・・・・って、先輩、ご存じだったんですか?」

「民俗学者の柳田國男が書いた『遠野物語』って知ってるか?」

 北条が、逆に愛に訊いた。

「書名は知っています。でも、読んだことはありません」

 

『遠野物語』は、民俗学者・柳田國男が、遠野出身の民話蒐集家・佐々木喜善によって語られた遠野盆地・遠野街道にまつわる民話を聞き書きし、編纂して、一九一〇年(明治四十三年)に発表した説話集である。

 柳田は、文献研究を中心とする日本民俗学のそれまでを批判し、民俗学が「常民(普通の人びと)」の生活文化史を解明する学問であるならば、フィールドワークによって民俗資料を収集することこそが重要だと唱えた。いわば「書を捨てよ。まちへ出よう」である

『遠野物語』は、まさにその方法を世に問うた一冊であり、「日本民俗学の黎明を告げた名著」と言われ、その後の日本民俗学の発展に寄与した功績と影響は大なるものがある。

 内容は、遠野地方に伝えられる民話や奇譚で、カッパ、天狗、座敷童子といった妖怪話、山人、神隠しなどにまつわる怪談、そして民間信仰や祭事などの民間伝承だ。

 SFかホラーかと思わせるような話も数多く収録されているが、ことさら読み物仕立てにするなどの改編は行われず、聞き書きの内容が淡々と綴られている。奇異な内容ながらも、詩的・文学的な独特の文体が、時代を超えて新たな読者を獲得している。

 そして現代になっても、なお多くの人たちが、遠野というフィールドへ実際に足を運び、風や小川の音に包まれながら、夕陽や月の光、気温や湿度、方言の温もりを感じ、今も息づく風俗の舞台装置に触れながら、その個性誇れる物語世界を〝追体験〟している。

 

「『遠野物語』の冒頭には〝はやちねさん〟が登場すんダ」

 北条がちょっと立ち止まり、自分のバッグから地図を取り出して、バサバサと広げた。愛もそれを覗き込んだ。

「ここが種山ヶ原。〝早池峰山〟はこっちだ」

(早池峰山)

 愛は、山名の漢字表記を初めて知った。

 北条が歩き出した。愛は北条の地図をたたんでパーカーのポケットに入れ、北条のあとを追う。

「実は来るとき、新幹線の中でちょっと検索してみたんだ」

 北条は、種山ヶ原は高原だから見晴らしもよく、岩手の山がきっと見晴らせるだろうと思い、種山ヶ原の画像などをスマホで探したという。すると、物見山から眺めた早池峰山の写真を見つけたのだと言った。

「何ていうかサ、山頂から下に向かって筋状の線が走っているような山肌だった。以前、山科が見せてくれた絵の中の山と似てるかなって思ったんだ」

(わざわざ探してくれたんだ)

「ってか、山頂、遠いなヤ」

 急な登り坂はなかったが、草原を横切って延びる山頂までの道は長く感じられた。振り返ると、キャンプ場が小さく見える。

 物見山は、南北二〇㎞、東西一一㎞の大きさで広がる北上山地の準平原・種山ヶ原の中心にある標高八七一mの山だ。山頂直下の駐車場まで車で行くこともできる。

 その駐車場を過ぎて遊歩道に入る。西に傾いた日射しの中で、背の低い灌木が遊歩道に濃い影をつくる。北条は、ときどき愛を振り返り、少し遅れ気味になると、立ち止まって待っていてくれた。

 東屋を過ぎて小さな芝生の広場に出た。すぐ先に岩がいくつか芝生から飛びだしている。そこが山頂だった。

 登りきった物見山の真っ正面、いくつかの稜と谷を重ねた広大な空間の中に、標高一九一三m、北上山地の最高峰である早池峰山が、赤茶色の岩肌を、暮色を兆した西日にさらしていた。

(あれが、早池峰山――)

 風が少しある。ところどころに浮かんだ雲が、三六〇度の見晴らしの中をゆっくり動いて大地に影を落としていた。雄大なパノラマとコントラスト。

 ふたりは岩の上に並んで座った。そして愛のスマホに入っていた絵の画像をのぞき込み、早池峰山と見比べた。

「似てる」

「・・・・・・かな?」

 ふたりの声がハモった。当たっているような当たっていないような――。微妙なところだった。

 確かにルンゼ(岩溝)のようなタテの筋が山肌に走っているが、絵とは反対側の左側に見えていた。

「山科、さっきのオレの地図を見せてくれ」

 愛がポケットから地図を出して広げた。北条が、地図と実際の見晴らしを比べた。

「ここに前衛峰みたいなのがある」

 地図上で北条が示した指の先に「薬師岳」という山があった。早池峰山の南にある峰だ。北条は顔を上げて、早池峰山の方角を指した。

「あそこ。右側に山が重なってる。あれが薬師岳だな」

 愛のスマホの絵とも見比べた。絵の中の薬師岳らしい峰は、早池峰山の左側稜線と重なって描かれていた。

「・・・・・・ということは、絵はおそらく、こっちの方角から描かれたんじゃないか?」

 北条の指が、地図上の早池峰山から南東の方角になぞった。

「遠野?」

 愛が、北条の指の先にあった地名を見つけた。

「遠野からは、早池峰山が見えるんですか?」

「たぶん見えるんだろうな。なにしろ『遠野物語』には何度も登場する山だから」

(たぶん・・・・・・?)

 北条の返事は心許ない。

 地図を見ていた愛が気付いた。

「ここ――。遠野を通る釜石線って、先輩の街に通じている鉄道路線ですよね?」

「・・・・・・うん」

 返事にキレがない。

「先輩がよく使う路線じゃないんですか?」

「いや、よくは使わないよ。これまで五回とか六回ぐらいしか乗ったことがない、と思う」

 北条は、大学に進学するまでは、あまり釜石の街から出たことがなかったと言った。小学生のとき、遠足で遠野を訪ねたことはあったが、覚えているのは二~三カ所のことで、バスがどのルートを走ったのか、よく分からないというか正直知らない、と言って苦笑いした。

「オレを乗りものに乗せたらお終いだサ」

「はい?」

「動き出したら、まあ、だいたい寝てしまう」

 愛が噴き出した。

「納得です。先輩」

「だから遠野に早池峰山っていう山があることは知ってたけンど、実際の姿を見て、ああ、あれが早池峰山かって、そう確かめたことはなかったンだ。んでも、やっと今日、確かめられた」

 北条が頭をかいた。

 

 物見山の山頂からは、和賀岳、夏油岳、焼石岳、栗駒山など奥羽山脈の峰々を西に望み、南から東の方には室根山や五葉山といった標高一〇〇〇m前後の山も見える。

 山の向こうにはまた山があった。ゆったりとした大地の起伏が、夕映えの光の中に重畳とうち続いている。

 さらに早池峰山の北西に見晴らしを移せば、姫神山、岩手山、秋田駒ヶ岳なども望まれる。電信柱も電線もない。山頂に国交省の物見山雨雪量レーダー観測所の白くて大きなボール状の建造物はあったが、それ以外に眺望を区切ったりさえぎったりするような建造物もなければ、トリミングして外したくなるような景色もなかった。

 見上げた空は、とことん大きく、青かった。飛び立つことはできないけれど、愛は、今、空の中にいる感じがして、肩から腕にかけての筋肉が少しむずむずした。翼なんてないのに。

 北条が時計を見ると午後五時を少し過ぎていた。そろそろキャンプ場に戻らなければならない時間だ。風もだいぶ涼しくなってきた。

(遠野――)

 先輩の推理が正しければ、絵が描かれた場所は遠野にあるのかもしれない。

(この合宿が終わったら、東京へ帰る前に、遠野へ行ってみようかな・・・・・・)

「山科」。北条が言った。

「この合宿が終わったら、東京へ帰る前に、一緒に遠野サ行ってみるか?」

 愛は、心の中を読まれたのかと一瞬、驚いた。それとも、またつぶやきが漏れた?

 北条は、夕日が打ちかけられた早池峰山を遠いまなざしで見つめている。

(一緒に――って、先輩はさらりと言ったけど)

 愛にとってそれは、生まれて初めて男性とふたりきりで旅行するということだった。

 合宿が終わってから遠野に移動すれば、着くころはきっと夕方になっている。

 遠野には行ってみたい。そして、北条先輩と一緒なことがイヤなわけでもない。むしろ誰か、岩手を知る人が一緒にいてくれることは心強い。

 えっ、でも、お泊まり?

 愛がちょっと返事に困っていると、北条がまたさらりと言った。

「オレは釜石の実家サ帰るから、次の日にまた合流するべ」

(――)

 そして、次の北条のセリフが決定打になった。

「遠野なんて、鹿児島県人が、そうそう何度も来られるとこじゃねえしナ」

「行きます! お願いします」

 

 北条がなにかをつぶやきはじめた。

 

『ところがどうも わたくしは

 みちをちがへて ゐるらしい

 ここには 谷がある筈なのに

 こんな うつくしい広っぱが

 ぎらぎら光って 出てきてゐる

 山鳥のプロペラアが

 三べんも つゞけて立った』


「誰かの詩ですか?」

「宮沢賢治の『種山ヶ原』っていう詩サ」

――さて、帰るべ。

北条が、座っていた岩から飛び下りた。



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