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僕を狂わせる、あなたを憎みながら



 行燈の灯りにぽわっと浮かぶ淑華に、威龍ウェイロンはやり場のない痛みを感じていた。

 もう遠くから見ているだけでは我慢ができない。目が眩むような欲望を抑えきれず、彼女を抱き寄せてしまった。


 ──なぜ、こんなことをしているんだ。


 もともと、淑華に近づいたのは皇太子毒殺未遂を調査してもらいたいという下心だったのだ。


 しかし、今は自分が何をしたいのか。何が望みなのか、それさえわからなくなっている。

 ただ人生がにがい。

 これまでも、これからも、きっと彼の人生はにがいものにちがいない。


 ──くそっ!

 

 心の中で悪態をつき、考える先に身体が動き、気がつくと、彼は腕のなかに淑華を抱いていた。


 淑華は驚いた表情を浮かべたが、一方で予想されたことが起きたと思っているようにも見える。

 彼女は取り乱すことがない。

 常に冷静で、その心のうちを見せない。


 人が何を考えているのか、それが重要であることなど、威龍のこれまで人生にはなかった。

 彼が何を考えているかは、相手が忖度することだった。


 都に戻ると、多くの女官たちが彼に言い寄ってきた。恥ずかし気だったり、強引だったりしたが、みな彼に好意を押しつける。

 彼女たちの気持ちは煩わしいだけで、まして、その気持ちを推しはかろうなどとは思ってもみない。


 しかし、今、彼は淑華が何を考えているのか強く知りたいと思った。


「このような夜更けに……」

「あなたに会いたかった」


 ──僕は馬鹿か。


 なぜ、もっと洒脱な言葉が使えないのだろうか。彼女を前にすると、七歳の少年に戻ってしまう。

 この不器用な自分を叩きのめしたかったし、恥ずかしくもあった。


 もし、彼女が少しでも動揺してくれたら。

 落ち着きはらい大人ぶる彼女が狼狽することを望み、困ったように顔を伏せる姿を見ることができれば、どれほど安心できるだろう。


 だから、つい、「あなたに会いたかった」と訴えたのだ。

 彼は自分の容姿に頼った。そして、その効果はあったようだ。


 淑華が視線を外してうつむいた。


 ──まるで少女のような風情だ。いつもは、すましているのに。実際は表情が豊かな人かもしれない。この人は本当に魅力的だ。


 淑華は腕から逃げようとはしないが、冷静に彼に話しかけてくる。


「皇子さま……。すぐ帰ってください。でないと、人を呼びます」

「どいて」

「え?」

「さあ早く、そこをどいて、僕を中に入れてほしい。でないと、逆に僕が叫んで大騒ぎにする」


 大胆に顔を近づけると、彼女の夜着から、ほのかに花の香りがした。

 淑華が背後に倒れそうになったので、手に力を入れた。

 そのまま彼は窓枠に腰をかけて身体を支え、彼女を引き寄せ細い身体を抱きあげる。


 淑華は小さく悲鳴をあげたが、抵抗しなかった。


 軽く、もろくて、すぐに壊してしまいそうで、彼は、そっと抱きあげたまま、窓枠を軸に身体を回転させて部屋のなかに入った。

 その間、数秒ほどだったが、ひどく長い時間にも思えた。


「皇子さま、これは」

「来ました」

「からかわないで」


 彼女の怯えた顔が近くにある。もう、先ほどまでの他人行儀な冷静さはなかった。その顔には怯えが浮かび、ここで避けなければ面倒になると態度にあらわれていた。彼は自分を鼓舞するしかなかった。


「どうか、怯えないでください。あなたを怖がらせたくない」


 そう頼みながら、彼は数日前に大胆な女官につかまったことを思い出した。それは外廷の横壁あたりで、女官はうっとりとした目をしながら彼を誘った。


『皇子さま、わたくしのことをご存知かしら。いえ、答えないで、あなたほど魅力的な方にお会いしたことはありませんもの』


 彼は純粋にその言葉に驚いた。


『からかわないでください』


 淑華と同じように、彼はその官能的な女官に言った。少しも心を動かされずに。なんのためらいもなく。

 あの女官は、今の自分と同じ気持ちにだったのだろうか。あの時、あの場所で、さらに大胆になった女官は耳もとでささやいた。


『からかってなど、いませんわ。皇子さま』


「からかってなど、いない」と、彼は同じ言葉を淑華にささやいて後悔した。


 自分がゲスな男のように思えた。


 外廷で彼を誘った軽薄な女と同じだ。そんな自分には絶望するしかなく、敗北感にうちのめされた。

 死んでしまいたいほどの絶望感におそわれたまま、彼は淑華を抱いていた手を、そっと離した。

 手が離れると同時に、淑華はするりと背後に逃げる。

 

「僕を受け入れて欲しい」


 言葉にすると、それはあまりにも軽かった。


「あなたを、愛している」


 やけくそ気分で、威龍は彼女に訴えた。

 それはなんと陳腐な使い古された言葉だろうか。

 開かれた窓から、冷たい風が吹き込み、行燈の火をゆらした。炎の揺らぎのなか、いまさら弁解するには遅すぎると、彼は漠然と思った。




(つづく)

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