第90話 ケボカイの儀式
俺は口をへの字に曲げて、山の木々の上の方を見つめていた。
上の方に、特に何かがあるわけではない。
山の木々が涙で歪んで揺れている。
クマの魂を山の神様に帰してやってください。
あのクマが言っていた。
「「山に魂を返してくれるマタギを知っているのか」」
その意味を知るために、
最後まで見届けなければいけない気がしていた。
シカリを務めた高橋さんは、しみじみと言った。
「今日は、二頭も授かった。山の神様に感謝だな」
*
クマを集落まで運ぶと、ケボカイの儀式が始まった。
ケボカイは、クマの皮を剥ぐ大事な儀式だと高橋さんは教えてくれた。
儀式が始まる前に、マタギたちは銃の弾の残りを全てはずし、山の方に向けてたてかけた。
ケボカイの儀式はシカリが行う。
クマの頭を北に向けてあおむけにした。
シカリの高橋さんが塩を振り、祈りのような言葉を唱える。
山の神様に感謝して、次の獲物を授けてくださいという唱え言葉を三回唱えた。
そして、クマの皮を剥ぐ。
動物の皮を剥ぐところなんて、現代人が普通の人生送っていたら、まず見ることはない。
俺だって、皮を剥ぐシーンなんてみるのは初めてだ。
でも、実は家畜を処理することは、いつもどこかで当然のように行われているはずだ。
日常生活から見えない部分を残酷というのは、おかしいと俺は思った。
皮を剥ぎ終わると、剥いだ皮を手に持って反対にしてかぶせる。
小枝を持ってクマのお尻の方から頭に向かって三度なでで、唱え言葉を唱えている。
言葉はよくわからないが、最後の部分だけ聞き取れた。
「コレヨリノチノヨニウマレテ ヨイオトキケ」
ケボカイの神事によって、クマの魂が肉体を離れて神様の元へ帰って行くのだと、猿橋さんが教えてくれた。
そのあとは、クマの肉を人数分平等に切り分けられる。
シカリだとか勢子だとか、役割分担には関係なく平等に切り分けられた。
「俺なんか、なんもしてないのにクマの肉もらっていいんですか?」
「関係ない。みな平等だよ」と、猿橋さん。
シカリの高橋さんも、ブッパのおじさんも同じことを言ってくれた。
「マタギはな、一緒に山さ入った者は皆平等なんだ。
山の神様は忍くんを別け隔てはしねぇすがらな」
「これをマタギ勘定っていうんだよ」
猿橋さんがマタギ勘定だと教えてくれた。
比べるものじゃないと怒られるかもしれないけど、学校で習う微分積分よりもよくわかった。(たぶん、それ間違っている)
「今はクマの皮を欲しがる人はいないし、
クマの胆も薬事法で一般人は売ることができないからね。
昔と違って、需要がないからマタギだけで生きてはいけないんだ」
猿橋さんはそう言って寂しそうに笑った。
アンツァは、おとなしくじっと儀式を見ていた。
もう一度心の中で、あの言葉を唱えてみる。
「コレヨリノチノヨニウマレテ ヨイオトキケ」
*
その夜の夕飯は、クマ鍋だった。
宿のおかみさんが、テーブルに鍋や小鉢を並べながら
「これ、クマの肉だよ。まだ新しいから固いかもしれないけど」
「へえ、新しいと固いんですか?」
「発酵させたほうが柔らかくなるんだけどね。
忍くんが宿にいるうちに食べさせたくて」
「すみません。気を遣わせてしまって」
「謝らなくていいんだよ。
話によると忍くん、よく頑張ったらしいじゃないの」
「いえ、そんな…」
「食べてごらん。ご飯はお代わり自由だからね」
クマの薄切り肉を味噌味の鍋料理にしたものだった。
おそるおそる、クマの肉を一枚口に運び入れ、噛んでみた。
俺に鼻をかじられたクマが、今夜の鍋料理になってまた俺に噛まれている。
クマとの会話の記憶がよみがえった。
――「「生きるために食った。人間だって生きるために食うだろ?」」
「俺は……生きるために食っている自覚がない」
「「じゃあ、俺より邪悪だな」」
俺を邪悪だと言ったクマは、今俺に食われている。
俺に食われて、俺の血や肉になるのだろう。
大丈夫、俺は生きるためにお前を食っているからな。
邪悪じゃない。
安心して、山の神様のところで安らかに眠れ。
今度生まれてくるときは、友達になろうな。
友達で思い出した。
狩野だ。
あいつ、ダンジョンから出られないって言ってたっけ。
いけね! 助けにいかなきゃ。
「おかみさん、すみません。
このクマ肉料理をタッパに詰めてお弁当にしてもらえます?」
「いいけど、こんな夜にどこかに出かけるの。
一人でどこの山へ行くつもり?
ちょっと、あんた、あんた!
忍くんがとんでもない事を言い出したよ」
「すみません。山じゃなくて、ダンジョンに行くんです。
友達を助けにいかなきゃ」
「ダンジョン?」
*
十分後には、準備が整った。
宿のご主人とおかみさんが作ってくれたお弁当を持って、俺は自分の部屋に入った。
アンツァも俺についてくる。
宿のご主人は俺の行動を見て戸惑っていた。
玄関から外へ出るものだと思っていたからだ。
「忍くん、ダンジョンってどこの?
この部屋から行くのか?」
「あ、必ず戻ってきますから、
それまではこの部屋を開けないでください」
「ここから行くのか! 靴、靴!
忍くん靴を忘れているど!」
「いっけね!」
俺は急いで宿の玄関へと走って、靴を取りに行った。
下駄箱から自分のスニーカーをつかむとご主人が言った。
「忍くん、足はいくつだ?」
「二本です」
「んでね! 大きさだ」
「デカいほうです」
「んでなくて! サイズだ」
「26センチです」
「ほれ、これも持っていけ!」
ご主人が差し出したのは、スパイク付き地下足袋だった。
「いいんですか? お借りしても」
「足に合わなかったら使わなくていいから。
それだと、荷物になるがや」
「今、ちょっと履いてみていいですか?」
ご主人に履き方を教わりながら、地下足袋を履いてみた。
「ぴったりです!」
「よかったらそれ、忍君にプレゼントだ」
「マジっすか? 超うれしいです!
さっそくこれで行ってきます」
俺は、地下足袋の快適さとご主人からのプレゼントという言葉に舞い上がって、そのまま部屋まで走った。
ドタドタドタドタ……
「おい、おい、土足だ土足。」
「ごめんなさい。うれしくて、つい……」
注意されて廊下を見たら、地下足袋の足跡がついている。
しかも、スパイクの傷まで。
俺は慌てて、片足でぴょんぴょんしながら、地下足袋を脱ごうとした。
「いい、いい、もう脱がなくていい。
ここは雑巾がけしとくから、友達のところへ急ぎな!」
「ありがとうございます!
じゃ、お言葉に甘えて行ってきます」
俺は宿の部屋のドアを閉めた。
「アンツァ、毛皮になるか?」
ワン!!
(もちろんだ!)
アンツァは勢いよく俺の背中に捕まった。
――転移!
狩野、悪い。遅くなった。
無事でいてくれ。
「面白かった!」
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