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脱輪解除戦②

 そう言って、紋次郎は担いでいたスクールバッグを脇に放り捨てて、ジャージの裾をまくり上げた。


 その行動とその言葉に、若い母親が一層困惑顔になった。




「あの、本当にもういいんです。何とか私がスマホの通じるところまで歩いてロードサービスを呼びますから……」

「心配いりません、今から俺がロードサービスになりますよ。俺、多少力には自信がありますから」

「え? 力、って……?」




 エレーナが眉間に皺を寄せた。




「も、モンジロー、あなた何をするつもりなの? 荷物を積んだトラックよ? いくら男のあなたでも……!」

「心配すんな、これでもただの男じゃない。俺は『不死身の船坂』……の、その子孫だぜ」




 不死身の船坂。その言葉に、エレーナが何かを察してハッとした。


 紋次郎はトラックの前に回ると、慎重に、バンパーの下に両手を突っ込んだ。




 すう、と息を深く吸い込み……瞬間、紋次郎の全身の筋肉が膨張した。




「ぐぬぬぬぬ……! ぬうううううう……!!」




 途端に、ズリ……と湿った音がして、車体が軋む音が発し、側溝に落ち込んだタイヤが持ち上がった。




 ぎょっと目をひん剥いた三人に少しだけ笑ってしまった後、紋次郎は全身に一層力を込めた。




「うがあああああああ!!」




 気合の咆哮と共に、どう考えても数トンはある車体が、冗談のようにじりじりと持ち上がってゆく。


 車体を持ったまま、紋次郎がしゃがんだ状態から立ち上がると、トラックのタイヤが五十センチ近くも地面から浮き上がった。




「……よし、降ろします! 離れて!!」




 紋次郎の言葉に、半ば放心していた三人が慌てて飛び退った。


 慎重に慎重に車体を路上の安全な位置まで運んだ紋次郎は、ゆっくりと、車体をアスファルトの上に降ろした。


 サスペンションを大きく軋ませて、トラックが路上に戻った。




「……ふぃー、脱輪解除完了」




 紋次郎が黒く汚れた掌で汗を拭いながら振り返ると、三人とも、まるでイリュージョンを見せられたかのように呆然としていた。

 

 いくら男とは言え、ゆうに数トンはあるだろう車体を素手で持ち上げて涼しい顔をしている紋次郎に、三人とも度肝を抜かれてしまったらしかった。




「す――すっごいすっごい! お兄ちゃん、力持ち!!」




 少しの沈黙を破ったのは、小さな女の子だった。女の子は手を叩いて喜び、紋次郎に駆け寄ると、ぺたぺたとその身体を触り始めた。




「お兄ちゃん、すっごーい! すっごい力持ち! アンパンマンみたい!」

「あはは、アンパンマンはちょっと褒め過ぎだなぁ。お兄ちゃんはあそこまで力持ちじゃないぞ。せいぜい炭治郎ぐらいかな」

「たんじろー! たんじろー! すっごーい! ママ、これでパパのところに行けるね!」

「ああ、信じられない……! 本当にありがとうございます! まさか素手でトラックを持ち上げるなんて……!」




 恩がどうのこうのというよりも、今目の前で起こった事実が信じられないという感じで母親が頭を下げた。




「あはは、やめてくださいよ。それよりもお母さん、お礼ならここにいるエレーナさんにお願いします。相当頑張ってくれたんでしょう?」




 紋次郎がそういうと、母親が今度はエレーナに頭を下げた。




「お姉さんも、本当に長い時間ありがとうございます! ああ、お二人がいなかったらどうなっていたことか……!」

「いいんですよ、お母さん。困った時はお互い様、ですよね? ……モンジロー、言葉の使い方合ってる?」

「合ってるよ」

「ああ……! 私たち、今店主である主人が入院していまして、配達を終えた今からお見舞いに行くところだったんです」




 若い母親がうっすら涙を浮かべながら、そんな話をした。




「大変な中、久しぶりに人の好意に触れた気がするんです。こんな泥だらけになりながら私たちを助けてくれる人がいるんだって、私、何だかそのことがたまらなく嬉しくて……!」




 若い母親はそう言って目頭を拭った。泣き出してしまった母親に、小さな女の子がびっくりしたように母親を見て、その足に縋りついた。その微笑ましい光景に、紋次郎は笑ってしまった。




「お母さん、もういいですよ。早くその子をお父さんのところに連れて行ってあげてください。きっとお父さんの方も待ってるでしょうから」

「はい、そうすることにします。……じゃあミヨちゃん、パパのところに行こうね」

「ママ、ちょっと待ってね!」




 そう言って、小さな女の子がよちよちとした足取りで路肩の草むらに行くと、そこに生えていたたんぽぽを二本、手で引きちぎり、エレーナと紋次郎に手渡した。




「綺麗なお姉ちゃん、それとたんじろーのお兄ちゃん! どうもありがとう! お礼にお花さん!!」




 たどたどしいお礼の言葉に、ついつい紋次郎の表情が緩んでしまう。どうもありがとう、とお礼を言い、隣を見て――紋次郎は、おや、と目を見開いた。


 エレーナは……照れていた。全力で照れていた。横に向けられたその白い頬は夕日の中でも赤く見え、何も言うことなく、小刻みに震えて微動だにしない。


 相手が小さな女の子だと言うのに、このわかりやすさ――これほどわかりやすいリアクションで照れる人を見るのは初めてだった。


 女の子が不思議そうにエレーナを見つめたが、母親は何かを察したらしかった。慌てたように女の子の手を引いた母親は、何度も何度も名残惜しそうに頭を下げ、トラックで去っていった。




 ばいばい! と女の子が窓から手を降るのを見送って、紋次郎はため息をついた。




「……あなた、やっぱり『不死身の船坂』の子孫なのね」




 不意に、エレーナがなんだか呆れたような、感心したような口調で呟いた。




「まぁ、朝は大の大人を振り回してぶん投げてたし、それなり以上に力があるんだろうとは思ってたけど……予想以上ね。一体何を食べたらそんな力が出るの?」

「まぁ、実家が農家だからかなぁ。ただでさえ力仕事とは縁が切れないウチだったしね。ちなみにウチの親父はもっとヤバいよ。筋肉ダルマ」

「ルースカ・ヤポンスカヤ・ヴァイナーに参戦してたのが『不死身の船坂』だけでよかったわ。あなたとあなたのお父さんまで参戦してたら、きっとロマノフ朝はもっと早く滅亡してたわね――」




 決して冗談ではなさそうな口調でそう言ったエレーナに、紋次郎は笑ってしまった。




「エレーナさんこそ、たった一人であの親子を助けようとするところはなかなかにお人好しなんじゃない? 日本人は敵なんじゃなかったの?」




 そう水を向けてみると、エレーナが少し慌てたように紋次郎を見た。




「そ、それは……! 幾らなんでも私だって普通の一般民衆は敵視しないわよ。それにこんなものは単なる気まぐれよ、気まぐれ。そりゃ『不死身の船坂』とかなら別だけど……!」

「俺も立派に一般民衆なんだけどな。それに、そんなに手を真っ黒にしてんだ。気まぐれどころか、相当頑張って助けようとしてくれたんでしょ?」




 からかうようにそう言うと、エレーナがはっと自分の手のひらを見つめ、困ったように赤くなって俯いてしまった。


 お人好しなんだなぁ、と思ってしまったところで、エレーナがこちらに向き直った。




「……行きましょう」

「んぇ?」

「ここに来たということは、あなたの家もこっちなんでしょ? 少し、あなたとゆっくりお話がしたいの。……イヤ?」




 何だかボソボソとした言葉に、紋次郎も少しドキッとした。


 イヤ? と付け足された言葉に思わず首を振ってしまうと、エレーナが少しホッとしたような表情になった。




「じゃ、少し歩こうか」




 紋次郎の言葉に、エレーナが無言で頷いた。





◆◆◆



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