気付いた時には手遅れだった
その星は瞬かない、という作品をご存じでしょうか。
いえ、知っていても知らなくても問題はありません。
というか、この世界にその存在を知っている人は果たしているのやら……といったところなので。
はい、どうも。
気付いたら生まれ変わっていた転生者です。
冒頭でのっけからのたまったタイトルの作品の世界にどうやら転生したようです。
このお話は姉妹で繰り広げられる恋愛泥沼物……とでも言えばいいんでしょうか。
一応年齢制限はついてなかったはずだけど、割と際どい感じのシーンなんかもあって若い読者からすると色々とハラハラドキドキさせられたり、ある程度年齢のいった読者からすると本当にこれ年齢制限つけなくて大丈夫? いや割とギリギリでセーフではあるんだけどでも心情的にはとってもセウト~! って感じのお話でして。
貴族令嬢の姉妹が繰り広げる男を奪い合う泥沼のストーリーでございました。
姉アランシェ、妹エトリアの二人が織りなすストーリーはそもそもが女の戦い。それも身内でやるので容赦も何もあったもんじゃない。
恋愛物のドキドキもないわけじゃなかったけれど、どちらかといえばサスペンス的なドキドキの多い作品でした。
アランシェは幼い頃から我儘で手のかかる子供でした。
そんなアランシェを両親があれこれ苦労して育てていくうちに、妹が産まれるのですが、妹の愛らしさにすっかりメロメロになってしまった両親は妹を蝶よ花よと溺愛し、そんな妹を見て姉は嫉妬するのです。両親を奪われたような気持ちになったのでしょう。
弟や妹が産まれた時の兄や姉になった人にとっては割とよくある話なんじゃないかと思います。
両親によってある程度我儘は治ってきたのだけれど、むしろそのせいでいい子になったが故に放置されるようになってしまった部分もあったと思います。
妹の事を内心で恨んだり嫌ったりしつつも、表向きは仲の良い姉妹でした。
ただ、成長してからはそうやって猫を被りながら姉は妹へ嫌がらせをするようになって、妹もまた両親の愛をたっぷり受けて育ったので幼少期の姉とはまた違うベクトルで我儘娘へと育ち、嫌な女同士の戦いが始まるのです。
作品としては面白かったんですよ。だって二次元の作り話だもの。
どんどん過激さを増していく女同士の争いに、一歩間違うと読者が女性不信に陥るのではなかろうかと思うようなシーンもいっぱいあったけれど。
さて、そんな作品の世界に転生したわけです。
私はアランシェ。要するに姉の立場ですね。
さて、知ってる作品の世界に転生した、という異世界転生物の話は私も前世で何作品か嗜んだ事があります。
原作展開を覆そうとして奔走したり、はたまた原作通りに進めようとしてみたりする転生者のお話はたくさんありました。
思い通りに進む話もあれば、やればやるほどどんどん別方向へ話が突き進む物もありました。
現状私は、他の作品に例えるなら悪役令嬢に転生した、というのに近いかもしれません。
悪役令嬢。
その存在が出てくる話もそれなりに嗜みました。履修済みです。
断罪されるのがわかっているならその展開を回避しようとしたりだとか、もう原作とか知らん知らん! 私は好きに生きるぞ! と好き勝手やらかした結果なんでか溺愛ルートに入ったりだとか。
貴族をやめて冒険者になったり。
ただ、そういった作品の大半は原作の存在を思い出して、それから今後どうしようと悩んだりするシーンを経てから先に進むのが定番の流れだったと思います。
転生した事に気付かないまま原作を進めて、もうどうしようもないところで思い出した、なんて話もあったけれど。断罪された直後に思い出すとか。でも断罪後の悪役令嬢とか割と原作から解放されてるからある意味自由を得てたりするのよね。
大体終わってから思い出すにしても、その直後に死にましたとかそういうのはそもそも話にならないというか、死んでから本番みたいな話じゃないと無理があるわけで。
悪役令嬢に転生して前世の記憶を思い出したのは処刑される直前でした。悪霊になって復讐してやりますわ。とかそういう作品ならともかく。
まぁ、何にせよ。
原作が始まる前から知らぬうちに原作展開をぶっ壊す、というのはそう滅多になかったかと思います。私が前世で履修してなかっただけかもしれませんが。
えぇそうです。
私、気付いた時にはやらかした後だったのです。
転生したと気づいたのは赤ん坊の頃でした。
おぎゃあおぎゃあと泣く事しかできず、口にできるのは勿論ミルクのみ。トイレに行きたくともまだハイハイもできないような赤ん坊が自力でトイレに行って用を足すなんてできるはずもなく、漏らしては泣いてオムツを取り換えてもらう。
いい年した成人の意識があると中々に地獄ですね。
介護されてた老人時代とかそういう記憶があるならもう少し開き直れたかもしれませんが、生憎とまだ介護されるような年齢で前世死んだわけじゃないので……
ともあれ、転生した赤ん坊はいっそドン引きするくらいおとなしい赤ん坊だったと自負しております。
正直この時点では私、作品の事も自分が主役の一人である事も気付いていませんでした。
アランシェって名前聞いても何か聞き覚えがあるような……って思ったくらいで。
まぁよっぽど赤ん坊時代から特徴のある出来事とかでもないと、気付けと言う方が無理でしょう。
赤ん坊の時点で「あっ、ここ〇〇の作品の世界でしゅ、転生したでしゅ」とか悟る赤ん坊とかそれはそれで逆に見てみたい気もしますが。
ともあれ、私は成長しどうにか自分の足で歩ける年齢になってもなおおとなしい子でした。
大人の迷惑になりそうな事はやらない、物静かで聞き分けのいい子。
大人からすれば手のかからない子だったでしょう。
話も一応すぐに理解していたから大人の予想を超えるような悪戯をしたりもしませんでしたし。
ですが、その結果私は知らず原作をぶち壊す事になってしまったのです。
元々のアランシェは幼い頃、とても我儘な子でした。
それを両親が共に面倒を見るようになって、ようやく落ち着いてきた子でもありました。
けれども最初からその手間が省かれています。
危うく妹が産まれなくなるところでした。
ある意味で最強の原作対策ですけれど、流石に産まれるはずだった命を最初からなかった事にするのはちょっと……
一応どうにか妹のエトリアが産まれてきたものの、この時点ではとっくに原作から遠ざかってしまったのです。
アランシェが手のかかる子であったからこそ、お父様とお母様じゃなきゃイヤと駄々を捏ねに捏ねまくり、ほとほと困り果てた両親が何だかんだ子育てをするようになって、そうして両親は家族との交流の仕方を覚えるようになっていったのです。ここだけ見ればとってもハートフルストーリー。
最初の頃の両親はどちらかというと仕事人間で、お互いがお互い家にいる事など滅多にないくらい毎日のようにあちこち飛び回り仕事に励んでいたのだけれど、アランシェの我儘で家にいるようになり、そうして今までロクに話もしなかった両親は会話を重ね政略結婚でありながらもようやくゆっくりと歩み寄るようになって仲睦まじくなっていく……感じだったんですよ。
それまでは後継ぎ産んだしあとはこの子が成長してから教育していきましょう、って感じでお互いとってもビジネスライクだったみたい。
けれども我儘なアランシェに振り回されていくうちに、思い通りにならない相手、それもまだこんなに小さな相手、とかで新たな発見をしたみたいな気持ちになって、もしかしたらこれを乗り越えたら何か他の案件の時に役に立つかもしれないとか仕事一辺倒な発想で関わるようになって。
そうして産まれたエトリアを溺愛するようになるのだけれど。
アランシェは誰だ。私ですね。
我儘を言った事があるか。いいえありませんね。
もうね、むしろ言ってもいいって言われるくらい聞き分け良すぎて良い子ですわ。
つまりは、両親は家族と関わる事に何の重要性も見出していない。
相変わらず仕事人間です。父も母も。
この時の私の気持ちを十文字以内で答えなさいというテスト問題があったなら間違いなく正答は「やっちまった」である。
アランシェとして産まれた時はまだわかっていなかったけれど、流石に妹ができたと言われ、名前はエトリアと言われれば察しがつく。それ以外にもちらほらと覚えのある世界の地名だとかを耳にすれば嫌でも察するしかない。
えっ、どうしよう。
私があまりにも手のかからない子だったから、妹もそうだと思われてる。
まってまって。私は中身が成人してるから聞き分けがとてもいいだけであって、妹は違うはずだ。
妹も転生者だとかいう可能性もあるけれど、少なくとも今のところそういった感じではない。ではきっと中身は普通のお子様だ。
今から原作展開に近づけようにも無理がありすぎた。
仕事仕事で滅多に家に帰ってこない両親。私があまりにも手のかからない子すぎて妹もミルクから離乳食になった時点でほとんど放任主義状態。嘘だろ……ネグレクトじゃん。と私が慄くのも当然だろう。
生活していくためのお金はいっぱいあるし、幸いにも使用人たちはマトモな人たちだったから家の金ちょろまかそうとか子供――私とエトリア――を脅して搾り取れるだけ搾り取ろうなんて事をする人もいなかったけれど。
両親が雇った使用人たちもまた、ビジネスライクといった感じで何というか常に距離感がありすぎた。
与えられた職務に忠実なだけで、お子様の世話とかお子様に寄り添ってって感じではない事だけは確か。
まぁ暴力も暴言もないからマトモだとは思うよ。前世だとそれを仕事にしてお金貰う職業でも虐待だとかのニュースはいっぱいあったからね。大人一人に対して世話する子供の数が多すぎてワンオペ発狂って感じのやつもあったっけ……それ考えると我が家の使用人たちはマトモな方だ。人数いても誰も子供に寄り添ってくれるわけでもないけどな。
とはいえ、寂しくて泣いてるエトリアを抱きしめてエトリアのおはなしに耳を傾けたりだとか、逆に色々なお話をしてあげるだとか。
そういうのもないので溺愛されて甘やかされて育つはずのエトリアが、原作から早々に遠ざかっている。なんという事でしょう。
将来的な事を考えると甘やかすのもよろしくないけれど、しかしだからといって今の状況はあまりにも可哀そう。ちっちゃい子がさ、寂しい寂しいって泣いてるの流石に心にくる。
なので、両親の代わりに私がエトリアの面倒を見る事にしたのはある意味で当然の流れだった。
私は中身に前世成人していた記憶の人格があるから別に親が仕事で家に帰ってこなくても、まぁそういうものかなって気持ちで何とも思わないけれど、しかしエトリアはそうではない。
こんなに寂しい思いをしているのにどうして親は近くにいてくれないのだろう。
エトリアからすればきっとそれはとても理不尽なんだろう。
大人にはまた別の言い分があるのだろうけれど。
ともあれ、親が恋しいと泣かれても生憎と親が家に戻ってくる事もないし周囲で誰もちやほやするわけでもない。
なので私がその分世話をして、良い事をしたら褒めて褒めて褒めまくって、悪いことをしたら叱って何がどうして駄目なのかをよーく言い聞かせた。
まぁ普通の育児ですよね。前世基準の。生憎貴族としてのあれこれは自分もまだよくわからないので。成長したら家庭教師とかに教わるんじゃないでしょうか。知らんけど。
――ともあれ、やっちまったなと割と早い段階で思いはしていたけれど、果たしてこれ一体原作開始の時間軸に突入したらどうなっちゃうんだろうなぁ……と思うわけで。
本来は、幼い頃の一時期だけ両親の愛を独り占めしていたアランシェは、その後ずっと妹が両親の愛を独占していた事からそれはもう内心で恨むし妬むし羨ましがってるしで、妹に対してただ嫌いという感情だけではなく鬱屈した思いを抱えていたわけです。
最初の姉妹のバトルは、好きになった人がお互い同じだった事から始まりました。原作の始まりですね。
既に両親からたっぷり愛されている妹が、更に自分の好きな人まで奪おうとしている……!!
貴方には両親がいるんだから、彼の事は私に譲ってくれてもいいじゃない! そんな思いで、姉は妹に憎しみを拗らせます。
一応妹が可愛いという感情もないわけじゃないんだけど、その分余計に憎しみが増しに増してるというか……まぁ、普通に仲直りできる部分はとっくに通り過ぎた後です。
この話正直最大の戦犯は両親だと思ってるんです。お前らの子育て色々偏ってるんだよバーカ! って言えたら良かったんですけどね……まぁ実際問題家にほぼいませんし。月に一度でも帰ってくればいい方だけど、下手したら三か月に一回とかだぞ。親の顔より使用人の方がよく見た光景。
原作基準の両親であれば、アランシェが妹ばかり可愛がらないで私も見て! とまた我儘拗らせれば案外簡単に解決したかもしれない気もしますが、妹を溺愛どころか産んだ事すら覚えてますか? と言いたくなるくらい家に戻ってこない両親に言ったところで効果は薄いだろう。
もうね、ホントね、ある日使用人の一人にご両親が事故で亡くなられました、とか言われても「そんなっ……!? お父様だけじゃなくて、お母様も……!?」と悲嘆にくれるような反応すら難しいくらいですからね。
あ、まだ生きてたんですねとかけろっと言い放ちそう。
いやもう脳内では両親は既に亡くなっていて、残された遺産で暮らしているなんて設定で生活してても何も困らんからね。それくらい親子関係が希薄。希薄っていうか、むしろまだある? って言われてもおかしくないレベル。
使用人たちは世話をしてくれるとはいえ、それはご飯の用意だとか、掃除洗濯といった身の回りの事をしてくれるだけで、距離感的には近所の家の人たちが一応気にかけてくれてはいる……って感じより三歩くらい離れた感じがする。
そんななので親にするような我儘など言えるはずもない。エトリアもあの人たちは親ではないとわかっているし、そんな相手にあれこれ我儘を言ったら嫌われると思っている節があった。
原作だと使用人たちも最終的に溺愛の仲間に入ってたはずなんだけどね。
両親が溺愛コースに突入した結果、その空気が当たり前になって使用人たちもエトリアの事は蝶よ花よとちやほやするはずだったのに。
私が転生して大人としての意識を持っていたばっかりに、知らずその展開をぶち壊したわけである。
まぁ原作展開通りにやれって言われても私そこまで上手くできる自信なかったから、多分どっか別の所で原作展開ぶち壊してた可能性がとても高いんだけれどもね。
――さて、そんなわけで原作と異なる道を進んでしまった姉アランシェと妹エトリアはというと。
原作のように表向き仲良く振舞っている、というわけでもなく、普通に仲の良い姉妹になっていた。
まぁそうよね。
寂しい時も楽しい時もいつもいつでもお姉ちゃんが一緒だったもんね。
相談事もいっぱいされたし、悩んでる時は励ましたし、お誕生日のお祝いだって欠かさなかった。風邪をひいて寝込んだ時は看病したし、怖い夢を見て一人で寝るのが怖いって起こされた時は一緒に寝て手も繋いでいた。
もうすっかりエトリアの心の拠り所といっても過言ではない。
そんな妹は成長していくにつれて周囲が放っておけないくらい愛らしくなって、とんでもない美少女に育ったわけなんだけど。
一応姉の私も似たような感じに育ったけど、妹と比べると大人っぽさが大分ある。
美人だけど可愛いとは言われた事がなかったな……まぁいいけど。
ともあれ、いざ原作開始の時が近づきつつあるぞ、と思ったその頃には。
妹はすっかりシスコン拗らせて私に対して同担拒否の強火信者みたいになってしまったのである。
…………あれ?
そもそも最初の喧嘩が始まる原因は、アランシェが密かに想いを寄せていた相手の事を妹が堂々とあの人をお慕いしているの、どうにかして婚約にこぎつけたいわ、なんて言い出したからだ。
もしかしたら妹だって姉の想い人だとわかっていたなら言わなかった可能性はあれど、姉は知らせていなかったのだから、秘めた恋に気付けとは無茶である。
けれども、それでも姉は我儘な振る舞いもできなくなっていたから、余計に妹に裏切られたような気がした……んだったかな?
正直細かい部分までは覚えていない。
黙っているだけではだめだ、と思った姉が想い人と距離を縮めようとしたけれど、妹からすれば自分が好きだと告白してから姉が手を出そうとしているようにしか見えないわけで。
どうして私が好きだっていった相手をとろうとするの!? となるわけである。
一応片思い期間もそれなりにあったようだけど……あれ? 私考えたらその人に片思いとかしてすらいないな……?
いや、弁解させてもらうとエトリアに構ってたらお友達は作れても恋人だとかまではいかなかっただけで、男に興味がないとかではないんだけども。
ただ、そのうち存在すら忘れかけてた両親が突然お前の婚約が決まった、とか言い出してくる可能性も無きにしも非ずなので、下手に恋愛にまで手を出してたら面倒……いやもうそんなメンタルで私が原作の姉みたいにするのは無理でしょ完全に。
しかも妹にも今誰か好きな人いないの? って聞いてみたけど、原作で最初に想いを寄せる事になった相手の名前なんてこれっぽっちも出てこなかったし。
完全に原作崩壊しとりますやん……?
両親が家にほとんど戻ってこなくても、どうやら外でそれなりに交友関係築いてるらしく、時々私たちにとっては全く知らん家からお茶会の誘いとかくるんですよ。原作でも一応妹を溺愛していた両親があちこち連れまわしてた家のどれかだとは思うんだけど、原作に全く関わらないレベルで崩壊してもそこはかろうじて残ってるんだ……と思ったのは仕方のない話だと思う。
一応家庭教師もいたので、他所のお家に行っても恥をかかないようマナーをしっかり学んでお出かけしましたとも。
そこでまぁ、妹もお友達と呼んでいいような相手ができたけれど、なんていうかそこでだ。私に対してシスコン拗らせてる事が発覚したのは。
最初は、お年頃の少女たちのどこそこの家の誰それが素敵、なんていうまぁどこにでもありそうなコイバナかと思っていた。妹も興味津々ですとばかりにあれこれ聞いていたし、そうして原作で好きになった人の事を知るのかなとも。
違った。
違ったの。
お友達のご令嬢たちもあまりにも熱心に聞くから、どなたか素敵な方がいらっしゃるの? なんてそりゃ聞くじゃん? 今話した中に意中の相手とかいたら、盛大に盛り上がろうとか思ったんじゃないかな。まぁ相手次第では修羅場が出来上がるけど。
対する妹のお答えがこちら。
「お姉さまに近づく悪い虫になるかもしれない相手の情報収集ですわ」
真顔だったし声はマジトーンであった。
すんっ、とした表情にきゃあきゃあ花を飛ばしていたご令嬢たちも一瞬で葬式会場くらいにまで空気が冷えた。
「そんなまるで私が悪い男に騙されるみたいな言い方」
流石に前世で恋人とか一応いたし、そんなあからさまにヤバイ男には引っかからんて、という思いで口にすれば、妹は相変わらずすんっとした表情のまま、
「お姉さまが幸せになるのは勿論ですが、それは絶対条件で、最低条件はわたくしが認めた相手に限ります」
言い切った。
いやどこの姑だ。お前に娘はやらん、とか言い出しそうな昭和の頃の頑固おやじみたいな事言い出してるけど、どっちかっていうとモンペである。いや、モンスターペアレントは親であって、この子は妹なのでモンスターシスター? モンシ? 略した途端語呂が悪いし、それ以前に怪物になった妹、みたいにしか聞こえてこないな……お察しの通り前世の私の英語力は常に赤点ギリギリであった。
私がそんな風に意識を遠い宇宙の果てまで飛ばしているうちに、妹は自らの生い立ちをとてもドラマティックに語っていた。
そも貴族の家など一般の平民家庭より家族仲が希薄な事もよくある話だ。中にはとってもアットホームでぽっかぽかな家族もあるけれど、政略結婚でお互い愛のないままにくっついて、義務だけ果たすみたいな家は高確率で家庭内の空気は真冬の冷凍庫ばりに冷えていても不思議ではない。
なので、別に幼い頃に親とろくすっぽ関わらなかった、だけではよくある話だ。
けれども妹はそこでまだ自分も幼いのに、お姉さまはわたくしの姉として、時として親のように接してくれたのですととんでもない美化しつつ語っていたのだ。
噂に聞く仲の良い家庭の親なら、こういう時きっとこういってくれるに違いない、だとかの想像をしていた事もあったらしく、そして私がそういった理想の親のような対応をしていたこともあってか、姉がいなければわたくしいつまでも寂しくて泣く幼子のまま身体だけ成長していた事でしょうね……なんて儚くも美しい表情で言うものだから。
ご令嬢たちはすっかりエトリアの語りに引き込まれてしまったのだ。
あんた、普段そんなお外で人と関わってないくせになんでそこだけ無駄にトーク力高いの……? とは流石に口に出して言えなかった。私もその場で一応令嬢としての仮面かぶってたし。
そんなこんなで。
妹は確かにお年頃の令息たちをあれこれチェックしたりもするようになったけれど、それは決して自分が恋をする相手を吟味しているとかではなく、私を幸せにできる相手チェックである。
そしてそのチェック、とても厳しい。
顔がイケメンでなければ容赦なく省かれ、聞こえてくる噂で悪いものが一つでもあれば省かれ、どんだけ究極超人をお求めなんだと言われるレベルで求める基準が高すぎる。
決して私は高望みしていないのに、妹からはそんな相手で満足なさらないでお姉さま! と何故か怒られる。解せぬ。
顔も性格も地位も名誉も何もかも全てを手に入れた若い男ってまずもっているのか? という話ですらある。
というか仮にいたとしてもそんなんとっくに他の女が目をつけているに違いない。あまりにも高嶺の花すぎて誰も手を出せない、みたいな相手ももしかしたらいるかもしれないけれど、そんなのがいたらいたで噂として流れてきている事だろう。ちなみにそんな噂は聞いた事がない。
娘を溺愛している父親だってここまでチェック厳しくないぞ、と言いたくなるくらい妹のチェックが厳しすぎる。
「あのねエトリア、貴方が言うような人物なんて現実にいるわけないと思うのよ。いたとして、それは物語の中の完全無欠なヒーローくらいであって」
「妥協をするにはまだ早いですお姉さま! ありとあらゆる伝手を使って、その上でもう本当にそんな存在はないとわかったのなら、今ある選択肢の中から選ぶ事にもなりますけれど、適当に決めた後で理想そのものが現れたらどうするのですか!」
「そんな事やってるうちに婚期逃しそう」
「もー! お姉さまはもっと夢見がちになってもいいと思いますの! でも引っかかるお相手はちゃんとした方にして下さいね」
そのちゃんとした方であろう殿方をことごとく「無し」判定だした本人が言っても何の説得力もなかった。
「それ以前に私の事より自分はどうなの。むしろ私の事を気にするよりまず自分の幸せを考えてちょうだい」
「わたくしの幸せはお姉さまが幸せになって初めて存在するのです!」
とても食い気味に反論された。
これくらいの年齢の子って割と自己中になっててもおかしくないのに、自分よりも相手を優先するだなんて……と、原作だったらまずありえない光景に色々と思う所はあったけれど。
なんというか、別に家族で憎しみあって殺しあうような事をしたいわけでもなかったので。
これはこれで、ありなんじゃないかなぁ……と早々に原作をぶっ壊す元凶となったアランシェは思うのであった。
さて、エトリアはアランシェに最高の男と結婚して最高の幸せを手に入れてもらうべく、ある時を境に淑女教育にますます力を入れ始め、精力的に社交界へ参加するようになった。デビュタントの時と比べると見違える程に変わりすぎてて、下手をすると原作にあった描写を軽率に超えるくらい美貌を手に入れている。
原作では愛らしく周囲にも可愛い可愛いと言われるタイプであったはずが、そこから更に進化を遂げて傾国の美貌にも手が届くのではないかと思われる程。
勿論、そんな美しい女性が放っておかれるはずもない。
エトリアには様々なところから結婚相手にどうですか、とばかりの申し込みが届いたのである。
だがしかし、エトリアはそんな男どもに一切靡く事がなかった。
わたくし、世界で誰よりも愛している方がおりまして。
まず初っ端からこれである。
この時点で恋心を抱いていた男性は失恋が確定するが、しかしそれでもめげずに話を聞いていればその誰よりも愛しているのが姉であるとわかる。
なぁんだ家族愛のほうか、と納得し安心したとして、それはまだ早計である。
嫁入りするにしてもあまりにも姉と離れるのであれば有り得ないと言われ、更に何かあれば常に姉の元に駆け付けたいと望まれ、更には姉に対する溢れ出すぎた愛情によるわたくしのお姉さまのここが素敵トークに付き合わされ、そこででも君の方が素敵だよなどと言えばお姉さまとわたくしを比べようなど愚の骨頂と扱き下ろされ、素敵なお姉さんなんだね、なんて同調すれば貴方にお姉さまの何がわかりますの!? とブチ切れられる。
とんでもねぇ地雷の爆誕であった。
ちなみにとてもいい年齢の二人には親から家の都合でこいつと結婚せよ、みたいな政略結婚の話が持ち上がりもしたのだが、姉はとうとうこの日が来てしまったかと受け入れ態勢だったにも関わらず、妹はそうではなかった。
顔合わせの場でそれはもう容赦なく叩きのめしたのだ。文字通り物理で。そして精神的にも。
いやあの、権力的な意味でそんな事しちゃいけない相手だったと思うのだけれど……!? と私は目の前の光景に呆然とする事しかできなかった。だってあまりにも初速が圧倒的過ぎて気付いた時には手遅れだったのだ。
わたくしはともかくとして、こんな男をお姉さまの夫にしようなんてどういうつもりですお父様お母様! と拳を真っ赤に染めてドレスの一部にも返り血が飛んだ状態のエトリアに凄まれた両親は虎の前にうっかり飛び出てきた野ウサギのようであった。
いや貴方……原作ではそんな暴力的なキャラじゃなかったでしょうに。
両親や使用人たちに蝶よ花よとちやほやされて、直接的な暴力はしない子だったじゃない。周囲の自分のために動いてくれる人間を言葉巧みにいいように動かして自分の手は汚さない子だったじゃない……!!
てっきりその後お相手から抗議だとかいっそ裁判だなんて訴えられるかと思ったけれど、エトリアはなんとお相手の家の不祥事を暴き逆に相手の家を追い詰める始末。そういうとこだけ原作基準なのどうかと思うわ……
とにもかくにも。気付いた時には妹は色んな意味で手の付けられない女になっていた。
まず私に対して悪感情を持っただろう相手は徹底的に潰していく方針だし、私の容姿をうっかり貶した男性がいれば後に様々な手段を用いて男の尊厳ごと破壊していく。
確かにね、私も別にブスではないけれど、でも今の貴方と比べると圧倒的な美貌の持ち主とまではいかないのよ……むしろ妹と並ぶと妹が凄すぎて姉は地味だとかよく見れば美人みたいな感じにみられちゃうのよ……
それなのに妹は自分以上に姉が称賛されなければ真っ当な評価も下せませんの、とか言い出す始末。一番真っ当な評価を下していないのは貴方よ、と何度言っても聞いてくれなかった。とんでもねぇ妹である。
いえ、もし原作通りに事が進んでいたら、このとんでもない女と戦わなければならなかったのだから、そういう意味では良かった、と言うべきなのかもしれないのだけれど。
妹の姉至上主義は気付けば社交界全体に広まっている始末。
こんな面倒な妹がいる姉を嫁にしたいとか婿に来たいなんて特殊な方間違いなくいないでしょうよ、と思っていたのだけれど。
困ったことに現れてしまったのです。
しかもその中に、原作で私と妹が最初に争う原因となった男性がいたのです。
ちなみに原作で彼は死にます。姉妹の争いにあからさまに巻き込まれるわけではないのだけれど、お互いがお互いに足を引っ張りあおうとして張り巡らせた陰謀に不幸にも巻き込まれる形となり、事故に遭って死亡。完全に悲劇のヒロインポジション。
そこで愛する人を失った姉妹は少しの間嘆き悲しむのだけれど、お互いに彼が死んだのは相手のせいだと思うようになってますます関係に亀裂が生じ次の争いは更に苛烈さを増す結果に。
ちなみにもし本当に原作通りに事が進んでいたら、彼は数か月前には死んでいるはずでした。
原作をぶち壊した結果救われた形になりますね。
とはいえ、私の伴侶になりたいと名乗り出るとは思いませんでした。
前世、読者目線で見る限り、彼は姉妹のどちらにもそこまでの情を持ち合わせていなかったように思うので。上手く隠していただけかもしれないけれど、どう見ても友人としての距離感だったように思います。
家の関係で彼と姉妹のどちらかが結ばれれば両家にとっても悪い話ではなかった……みたいな描写があったので、彼視点でもしかしたらどちらかと婚約するのかもしれないなと思って邪険にしなかっただけ……と考えれば原作での彼の態度は概ね納得できますが、正直な話原作展開から大幅にずれてしまった今となっては、彼の家と私たちの家が結びついたからといって、そこまでメリットがあるようには思えません。
何せ両親は仕事の関係上ほぼ家に戻ってこないから、彼の家とも関わる事なんてほとんどありませんし。
原作で家族としての関わり方を学んで、そうして周囲の人間関係ももう少し大切にしてみようか、となったからこそ彼の家とも交流ができるようになったので。
原作では姉も妹も彼の事は好意的でした。結果として彼の愛を得るために、というか彼を手に入れるために争う事になるのです。家同士のメリットなんて貴族としての考えを無視して彼と結婚するという部分にのみ注目してみれば案外悪い話ではないように思えます。
しかし妹はやらかしました。
「貴方とお姉さまとの接点なんてほとんどなかったはずですわ。どこかでお姉さまを見かけて一目惚れ? いいえ、お姉さまに向けられる不躾な視線はわたくしほとんど把握しておりましたが、貴方はそこに含まれていなかったはず」
「あの、ちょっとまってエトリア? 私に向いた視線を把握してるってどういう意味……?」
武術の達人みたいに気配を察知とかそういうやつなの?
ある日私がいなくなったら私の霊圧が消えたとか言い出したりしちゃったりするの……?
妹の発言に彼もまた引いたようではありました。噂で知っていても、実際目の当たりにするとそれ以上の衝撃を受ける事、ありますよね。わかります。
結局彼は妹にそれはもう無理難題を突き付けられて追い返されてしまったのです。
どうしてもお姉さまと結婚したいというのであれば崑崙の桃を入手してきてください、って……あの、崑崙って前世でも聞いた覚えがあるけれど、この世界では確か実在するかどうかも疑わしい幻の場所なのですが?
伝承の中でのみ存在するとかどうとか。原作の中でそこまで重要な話じゃなかったけれど、姉妹が奪い合う男性の一人がその存在を証明してみせるとかなんとか……まぁ結局その男性も死ぬんですが。
私に幸せな結婚をしてほしいと言いながらも、しかし相手ができそうになれば無理難題をのたまって追い返すというのが、なんとこの後もあったのです。
好きだった人が死んで、ようやく立ち直りかけた頃にした新たな恋。
そしてその相手を妹もまた……というような感じでですね、またも好きな人がかぶってお互いに相手を排除しようとするわけです。
そうして男は死ぬ。
姉妹に直接殺される事はなかったけれど、何というか姉妹に惚れられたら不幸になるみたいな呪いでもあるのかというくらい不運に見舞われてお亡くなりになる。
いえ、そういえば一人、姉妹に直接殺された人もいましたね。
姉妹以外の人を好きだと知られ、自分のものにならないのであればいっそこの手で……みたいな。
……原作を崩壊させてしまった事には申し訳なさもあるんですが、そこら辺を考えるとむしろ破綻させて良かったと思えてきたわ。
そういえば原作のラストってどうなったんだったかしら……途中の衝撃的なシーンはいくつか覚えているけれど、困った事にラストはさっぱり記憶に残っていないのよね。
……まぁ、普通に考えてこの二人が原作で最後に幸せになれる気がしないので、やっぱり原作崩壊させて正解だったのかもしれないわ。
その結果が、本来姉妹で奪い合う形になった男たちが私に求婚しに来ては妹に追い返されるって部分はもう気にしない事にする。
まず間違いなく妹の全力ガードが鉄壁すぎて私はきっと結婚できないのではないかとすら思い始めたけれど。
前世の記憶があるので結婚だけが全てとは思わないので、別に結婚しなくても……まぁ、いいかなって。貴族として考えると駄目な考えなんだけど。
でも妹の目を掻い潜って結婚できる気がまるでしないので、この考え方はむしろ精神安定に一役買っていると思うの。
そうこうしているうちに、気付けば原作でお互いに奪い合っていたはずの男たちの大半が妹によって追い返されていた。
大半が私と結婚したいって言いだしてるのもどうかしているとしか思えないんだけど。
あれかな、将を射んと欲すれば先ず馬を射よのお馬さんポジションで実は妹狙いの人もいたかもしれない。
……もしそうならそれはそれで追い返されて正解ねとしか言えないけれど。
「……やっぱり私、マトモな結婚はできない気がしてきたわ」
そう言えばエトリアは何が嬉しいのか満面の笑みを浮かべた。
「だったら! ずっと家にいてくださればよいのです!」
「でも、確かこの家、親戚が後を継ぐ事になっていたのではなくて?」
そもそも仕事人間の両親は私にも妹にも後継ぎとしての教育なんてしてこなかった。
一応淑女としての教育は、両親が雇った家庭教師から教わっていたけれど跡取りとしての教育は流石に家庭教師には無理がある。
親類に優秀なのがいるけれど、その人はそちらの家の後継ぎになれる立場ではない――三男坊だったか四男坊だったか――なので、こちらに養子に迎えて……なんて話を聞いた覚えがあるのだけれど。
えぇ、私と妹に結婚話を持ち込んだ時の事よ。
その後は妹に恐れをなして早々に立ち去ってしまったけれど。
まさかその後を継ぐ予定の方と私か妹のどちらかが結婚する、という事にでもなるのかしら?
そう思ったのだけれど。
「あぁ、それでしたら本邸はわたくしたちの屋敷として使って良いとの事ですので、ここで暮らす事に何も問題はございませんわ! 家の事はお父様やお母様が別宅を利用する事にしたみたいです」
「……そう」
間違いなく妹に恐れをなして逃げたわね。
というか、なんていうかそれって……
家を与えてそこで生活させる事で、行動範囲をどうにか把握しようとしているようにも思える。
こちらが出ていけとなれば別にそれは構わないのだけれど、自由にどこにでも行っていいとなれば、妹がいつどこで現れるかわかったものじゃないものね。
油断してたらある日バッタリ……なんて事になればきっとお父様もお母様もびっくりして心臓止まるかもしれないわ。
あとなんていうか、なんていうかね?
居場所を定める事で、と言うのはおかしな話かもしれないけれど。
厄介な化物を封印する場所を指定した、みたいな印象が強いのよね……
両親にとって妹は封印しておきたい化物扱いというのもどうかと思うのだけれど。
そうなると私は何かしら? 生贄? それともその化物のお世話をする従者?
ま、妹は私の知る原作からは随分とかけ離れてしまったけれど、化物だなんて思うはずもない。行動力がおかしいと思う時は確かにあるけど。
「それじゃあ、結婚できなくても生活する家はあるのね」
「えぇ! えぇ、そうですお姉さま! ですからね、ですから……」
一応今後の人生どうなるかわかんないしな、と思ってあれこれちょっとした投資などをしてそこそこ成功しているので個人資産もそれなりにある。なので親からの援助がなくても生活していくだけのお金は余程贅沢しなければ問題はない。
なんて考えているうちに、エトリアはにっこにこな笑顔でもって私のところまで近寄ってきた。
「お姉さま、ずっと一緒にいて下さいね。邪魔なものはわたくしが片付けますから♡」
そう言ってうふふふふ、ととても幸せそうに笑うエトリアに。
なんだろうな、対象者の周囲から余計な人間追いやって孤立させる排除型ヤンデレの気配を感じたけれど。
今からどうこうしようにも、なんだかとても今更な気しかしなかった。
…………ま、自分に害がないならいっか。