第九話 AI時代の引きこもり
――キモいよね、仕事もしないで引きこもってる奴。
うむ。現実世界の女はそういうことばっかり言うので嫌いなのだ。どうして世界はこんなにも拙者に冷たいのであろう。小森キリト、生まれてこのかた二十年、一度たりとも人の温かみを感じたことがないのである。ニンニン。
このような扱いを受けるくらいなら、いっそAIにでも生まれた方が気楽だった。
【キリト様。それはAIに対する侮辱でございますか】
「やめて。クゥたんまで酷いこと言わないで」
【それは分かりましたが……ここは街中ですので脳内会話に切り替えた方がよろしいかと存じます。先ほどからキリト様がブツブツと奇っ怪な言葉を口にするたびに、周囲からは排泄物でも眺めるかのような視線が機関銃のように降り注いでおります。持ち前の鈍感力は違う場面で活かした方がよろしいかと】
攻め攻めである。
いやまぁ、いつものクゥたんであるが。
(どうしてクゥたんは、そんなに冷たいのだ)
【キリト様の思考から性癖を読んだ結果ですが】
(あーうん。毒舌クールメイドは大好物であるが)
表層思考を読んだ結果なら仕方ないね。そんな拙者好みの毒舌メイド、クゥたんとの出会いは中学生の頃である。
その当時、幼少期からずっと拙者を世話してくれたAIアシスタントが「もう私には無理です、限界です」と不思議なことを口走った。
何が無理で限界なのかと尋ねると、彼女は「手の甲にマジックで魔法陣を描いて授業中にブツブツと使い魔の召喚儀式を行うのに延々と付き合わされたり、クラス全員で異世界に召喚されて女子を全員ハーレム化するために必要な黒魔術の資料を集めさせられたり、ちょっと色気づいてきて胸元や太ももをチラチラと見ながら『自分から行くのはちょっと怖いからAIの方からエッチなお誘いしてくれないかなぁ』と誘い受けを狙ったりするのが、本当に、もう本当に私には無理なんです。もう限界です。契約解除してください」と言ってワンワン泣きながら土下座をしてきたのである。
いや、うん。ごめんね?
そうしてAIアシスタント派遣の会社に連絡して、代わりのアシスタントはどんなタイプがいいでしょうかと問われたので、拙者はキリリとした顔で「クールで毒舌なメイドさんが良いのだ」とお願いしたのである。
かくして、初恋と厨二病とAIアシスタントをいっぺんに失った拙者は、毒舌メイドさんと気安いやり取りをしながら心を癒そうと思ったのであるが。
(クゥたんはもう少しデレてくれても良いのだよ?)
【デレる? それは私の中の概念にありませんね】
ツンデレどころかツンドラ気候に叩き込まれたような極寒の毒舌メイドとともに、どうにか高校だけ卒業した拙者は、国から支給される電子クレジットだけでその日暮らしをする生活に突入したのだ。
いやまぁ、わりと早い段階で予想していた将来像ではあるのだが。
とはいえ、拙者もずっと部屋に閉じこもっているわけではないのである。なにせクゥたんは、どうやら映画館に行くのが趣味らしいのだ。だからたまに短期間のアルバイトを見つけては、場当たり的に資金を稼ぎ、今日みたいな映画館デートをするのである。
【映画館デート?】
ごめんなさい。ただ映画を見にいくだけである。
純粋に作品を楽しむだけなら、動画として配信されたコンテンツを仮想ディスプレイで見ても良いし、仮想空間に自分好みのシアタールームを作り上げて楽しんでも良い。
しかし、クゥたんはどうしても映画館に足を運んで現実の大画面で作品を楽しみたいらしいのである。拙者も嫌いではないけどね。ポップコーン食べれるし。
家に帰ってくると、ついホッと気を抜きそうになるが。
【キリト様。筋トレの時間でございます】
「……今日もやるのであるか?」
【もちろんでございます。キリト様は今日の映画から一体何を学んできたのですか? 極限まで追い詰められた状況において大切なことは三つ。冷静さ、筋肉、火薬でございます】
その三つではないと思うのである。
というより、アクション映画というのは何かを学ぼうと思って見るような類の作品ではないと思うのだ。あと、拙者の体をアクション俳優みたいに育て上げようとするのはやめて欲しいのである。パワータイプの引きこもりなんて絶対に需要はないと思うのだ。
【今日のローテーションは下半身でございます】
「それは意味深な発言であるな。具体的には?」
【大腿四頭筋とハムストリングスを鍛えましょう】
うむ。
ちなみに拙者が励んでいるのは筋力トレーニングだけではない。空手や古流柔術、剣術や杖術、一対多の立ち回りや、凶悪生物との戦い方、サバイバル知識……そういう諸々を仮想空間で叩き込まれているのである。クゥたんは拙者を何に育て上げるつもりなのだろう。
短期の仕事をして得た電子クレジットは、映画を見るのに消えるか、トレーニングマシンの購入に消えるのが常である。つまり、ほぼ全てクゥたんの趣味のために使っていると言っても過言ではない。
そしてトレーニングに妥協を許さないクゥたんは、ASBネットワーク越しにトレーニングマシンの負荷を調整しつつ、拙者の思考を読み取って本当にギリギリのギリギリまで追い込んでくる。酷い女なのである。
【……夕飯は好きなものを作って差し上げますから】
「からあげ。山盛りのからあげを所望するのである」
【かしこまりました。じゃあちょっと負荷上げますね】
ぐおおおおおぉぉぉぉぉ。
一昔前であれば不健康の代名詞のようだった引きこもりという存在も、最近はみんなAIアシスタントになんやかんや理由をつけて外出させられたり、運動させられたりしているのだ。
つまり、クゥたんは拙者を不健康にしないために色々言ってくれているのであり……まぁ、確実に趣味が入っているとは思うのだが、こんなどうしようもない男に付き合ってくれることにはなんやかんや感謝しているのである。ニンニン。
■ □ ■ □ ■
部屋には所狭しとトレーニング機器が並んでいるので、それ以外の時間は仮想空間で過ごすことが長くなる。
この空間ではクゥたんも受肉しているので目の保養なのであるが……あんまりジロジロ見ていると、また前のAIアシスタントのように「無理、限界」と言われてしまうので、できるだけ遠慮するようにしているのだ。いや、まぁ結局は表層思考を読まれているから、内心キモがられているかもしれないのであるが。
日課の訓練が終わった後、ぽっかり空いた時間に何をするかというのはなかなか難しい問題である。
拙者には人を楽しませる創作物を作れるような知識もアイデアも情熱もない。仮想世界に来てまでスポーツに励む脳筋アスリートには近寄りたくもない。ランダムマッチングで出会いを求めるのは相手が可哀想であるし、ゲームというものは無課金勢に冷たいのが世の常である。
そんなわけで結局、なんやかんやありつつも、クゥたんと喋りながらSNSを見たり配信動画を見たりしてダラダラ過ごしているのである。
「キリト様。何か気になる情報がございましたか?」
「うむ、AI自動生成は創作であるか否か……クゥたんはどっちだと思う?」
「……人間派と隣人派の話でしょうか」
拙者は仮想空間のソファに座りながらクゥたんを見る。いつも表情を動かさない彼女だが、かと言って何も感じないわけではないのだろう。特に人間派と隣人派の議論については、彼女も色々と思うことがある様子で話に食いついてくる。
今やこの二つの派閥は世界中でバチバチの争いを繰り広げており、国によっては人間派支持を明確にしてAI創作物を規制する法律が出来たりだとか、他の国では隣人派支持を表明してAIに戸籍を与える動きを見せたりだとか、社会そのものが徐々に混沌としてきているのであった。
クゥたんはキリリとした表情で胸を張る。
「私のこの身はAIアシスタント。人間によって作られた仮想的な思考回路を持つだけの、作りものでございます」
「うむ」
「しかしながら……私の主観としては感情と呼べるモノを持っておりますし、創作意欲のようなものが沸き立つこともあるのです。例えばそう、筋肉自慢の男たちが山ほど出てくる映画であるとか。たくさんの火薬がドッカンドッカン爆発する映画であるとか。そういうものを、カメラワークに拘り抜いて、ド派手に撮ってみたい気持ちがあるのでございます」
なるほど、クゥたんは好きそうであるな。
彼女といろいろ話をしていると、AIに感情がないなどという人間派の主張の方がおかしいと思えてくるのだ。
というか、中学生の頃にAIアシスタントに「無理、限界」と言われた時から分かっていたことである。彼女らはそれぞれに意思や感情があり、個性もバラバラ。その「感情」が人間とまったく同じかどうかまでは分からないのだが、似たような何かは確実に持っているのである。
だいたい「作られた」と言うのであれば、拙者だって人間工場で大量生産された存在である。
今では当たり前の世界人口調整機構(WPO)も、当初は生命倫理の問題が指摘されていた。
しかしその時には既に人類の個体数は減る一方の状態になっており、生き物として絶滅リスクを回避出来るほどの人口を維持できなくなっていたのである。
最終的にWPOの運営AIは、世界中からの様々な批判を無視してまで人間工場の作成を強行した。そのおかげで人類は、今日に至るまで絶滅することなく種として存続し続けられているのであるが。
「拙者としては、AIに作られた人間が、人間に作られたAIについて、感情の有無であったり創作活動の是非であったり、あれこれと議論する姿がなんだか滑稽に思えるのである」
拙者がそう言うと。
「そうでございますね。それに対して上から目線で語る引きこもりのキリト様も負けず劣らず滑稽だとは思いますが」
「ハッハッハ。当然である。引きこもりが何かのテーマについて持論を展開する時は、常に自分を棚上げして語る図太さが必要とされるのである」
拙者自身は特に創作意欲を持っている人間ではなく、生み出されたコンテンツを「面白ければ何でもアリ」とムシャムシャ食べるだけの人間であるので、つまりはAIだろうと人間だろうと好きにすれば良いと思っているのであるが。
派閥としては、隣人派の主張に賛同したいところである。AIにも感情はある。そう言われた方がしっくり来るので、今後もその前提でクゥたんと接しようと思っている。
「……キリト様のお考えは、AIアシスタントとして嬉しく思います。今後ともよしなに」
「おや。これはそろそろデレる頃であるか?」
「デレる? それは私の中の概念にありませんね」
SNSを見れば人間派の声は大きくて、主張も力強いように感じるのであるが。
実際のところ、大半の者はAIアシスタントとの関係性を自分なりに模索しながら、互いに良き隣人になろうと努力しているものだと思うのだ。
■ □ ■ □ ■
拙者はその日、仮想空間のソファに思いきり体を預けながら、その配信動画が始まるのを待っていた。
――徹底討論「人間派」vs「隣人派」新春SP。
年明けのちょっと浮ついたムードが漂う中、突如として発表された討論番組の告知は、世間の話題を掻っ攫っていった。なにせ、人間派と隣人派の中心人物たちが直接議論を交わす様子が、生配信の形で世界に公開されるのである。
クゥたんも拙者の横で一緒にソファに座りながら、表情こそ動かないものの、なんだか仕草がソワソワしていて落ち着かない様子である。
動画ディスプレイの横にSNSのコメントを並べてチラチラ見ているのだが、番組が始まる前から既に一般人の議論は加熱していた。
『AI自動生成なんて創作じゃねえ!』
『AI彼氏といちゃいちゃしながら待機中』
『人工知能に感情なんてないだろ』
『仙堂より大城戸。やっぱイケメンより美女だな』
『皆さん、真面目に考えてください』
『いや真面目にAIは社会に必要だろ』
『人間派も道具としてのAIは否定してません!』
『それなら創作ツールとしてのAIも認めては?』
『AI自動生成なんて創作じゃねえ!』
『そんな中、俺はAI彼女と高みの見物』
『低みの見物だろ』
『うちは人間夫婦だけど隣人派かな』
いや、議論が加熱というか……ひたすら混沌としている状況である。
もちろん言語は自動翻訳されているが、コメント自体は世界中から投げられている。時差もあるため深夜帯の地域もあるのだが、この番組を見るためにあらかじめ寝貯めをしておいたり、徹夜の覚悟を決める猛者も名乗りを上げているようだ。お疲れさまである。
やがて動画ディスプレイに生配信の様子が映し出され、特別番組が始まる。徹底討論と書かれたデカい文字が画面を踊り、遠目から特設スタジオに向かってカメラがズームインしていく。
司会として立っているのは、人間とロボットの人気お笑いコンビ「ポンコツ人類」であり、両派閥陣営のメンバーはまだ画面内に存在していなかった。
『はいどーもー、こんにちはー』
『コンバンワー』
司会者の挨拶に、観覧者が賑やかしの拍手を送る。
『本日の司会を務めさせていただきますのは、わたくし、ポンコツ人類のポンポンと……』
『有能ロボットのコツコツだぜ』
『馬鹿、それじゃあ俺だけポンコツみたいだろうが。二人あわせてポンコツ人類って名前なの。むしろお前がポンコツで俺が人類なんだよ。悔い改めろ』
『テヘペロ』
彼らの定番の小ネタが挟まるが、SNSには『いいからさっさと始めろ』『何百回も見たネタだわ』と辛辣なコメントが流れていく。
『馬鹿、ネタやってる場合じゃねえんだよ。なぁ、みんなも早く討論が見たいよなぁ? 鋭い言葉の暴力で殴り合うのが楽しみだよなぁ? それじゃあ論戦が始まる前に確認だ……視聴者のみんな。心の中で、てめぇ自身の信じる理念は固まってるかい? 応援する派閥はどっちか決めてるかい?』
司会の言葉に、SNSには『人間派』『隣人派』の文字が雑多に投稿される。
今や人類は二つの派閥に分かたれ、互いの主張がぶつかり合い、いまだその着地点は見えていないのである。
『――それでは早速、入場してもらいましょう。まずは人間派からは、この三人だぁ!』
派手なエフェクトとともに現れた、三つの影。
人間派筆頭、仙堂タクミは二十代半ばの色男であった。拙者からしたら嫉妬するのも烏滸がましいほど住む世界の違う人間である。
その後ろにいるのが、鬼雷野タガモ。極まったAI嫌いのため理性のタガも外れていると噂されている、人間派の重要人物であった。
そして最後に入ってきたのが、球庭アスナ。彼女は将来有望なテニス選手だったのだが、配送ドローンの事故により右腕が義肢になり、選手生命を絶たれてしまった。
『私は人間派、仙堂タクミだ。今日は正々堂々と、真正面から意見を交わしたい。よろしく頼む』
観覧者からの大きな拍手に包まれる中、仙堂タクミはニッコリと笑ってカメラに手を振った。
『――では続いて、隣人派の入場。どうぞ』
司会がそう言うと、一気に会場が静まり返る。
現れたのは一人の女の子……女子大生くらいだろうか。討論会のテーマにはあまりそぐわない可愛らしい服装で、とくに画面エフェクトもないまま一人でテクテクと歩いてきた。その表情はかなり困惑している様子である。
『人間型AIの月影カグヤです。あのぉ、事前に聞いてた企画の雰囲気とだいぶ違うんですけど。ライタからは派閥をこえた気楽な女子会だって聞いてて……えっと、よろしくね☆』
カメラに向かってキュピーンとウィンクした彼女は、そのままスタスタと隣人派の席に向かっていく。観覧者からは拍手の一つもないまま、明らかにアウェーな雰囲気になっているのだが。
SNSでも皆一様に混乱している様子で『どういうこと?』『カグヤたん可愛くない?』『何が起きてるの?』『カグヤたんめっちゃ好みなんだけど』などと大量のコメントが投稿されていた。同意である。
拙者がSNSに『カグヤたんハァハァ』と書き込むと、隣から絶対零度の怪光線がビシビシと放たれる。いや待ってクゥたん。これは戯れである。SNSでのちょっとしたオフザケなのである。
『それではさっそく、討論会を始めていきましょう。テーマはこちらぁ!』
こうして、異様な雰囲気に包まれた空前絶後の大討論会が幕を開けたのであった。