第八話 最悪のシナリオ
物垣ライタが書いたシナリオ。
それは人間派に所属する者たちにとって、苦い感情を思い出させる言葉だった。
「物垣ライタ?」
「あの野郎、また何か企んでるのか」
「私、もうあんなのと関わりたくないんだけど」
周囲の社員がにわかにざわつく。
まぁ、それも無理はないだろう。
私はちょうど事故で入院している最中だったため、リアルタイムで事件を追いかけていたわけではなかったが。それでもかなりインパクトのある出来事だったため、どこのニュースサイトでも連日その話題でもちきりだったのは記憶に新しい。
物垣ライタは人間型AIである。しかし、あたかも人間かのように立ち振る舞って小説を書き、しかも「AIを使わない」と銘打って当時のAI否定派の注目を強く集めた。やはり創作は人間がやらなきゃな、と散々煽って持ち上げた上で――
『残念、僕はAIでした』
そうやって梯子を外したのが事件の概要である。
あぁ、純粋に性格が悪いんだな。
私が物垣ライタに対して持っている印象がそれだ。
「さて、少し時間を取ることにしよう。まずはそれぞれ資料に目を通してみてほしい」
そう言われ、私は少しドキドキしながら資料を見る。
タイトルは『人間派壊滅シナリオ』とある。
概要欄には、このシナリオは人間派の構成員を地獄に叩き落すことが最終目的、と記載されていた。うわぁ……最初からだいぶ過激な感じで始まったな。
シナリオは大きく三つの塊で構成されている。
第一部、隣人派として名乗りを上げる。
ここでは表と裏の二つのシナリオが記載されており、表向きは大城戸博士が「隣人派」と名乗って人間派に対抗するという内容であった。まさに先ほど、大城戸博士が動画で語っていたそのままの内容が記載されている。
また裏のシナリオとして、将来の戦いに向けた下準備の内容が記載されていた。一大拠点の準備。戦力となるロボットの大量生産。それからヒューマン・ドウンの社員に対しては、AIアシスタントをスパイとして活用することや、仮想空間での自由恋愛を装ったハニートラップを仕掛けること、穏健な層を隣人派に転向させる作戦など、様々な工作が事細かに記されている。
「あ……」
「……うわ」
何人かが小さく声を上げるが、何か心当たりがあったりしたのだろうか。
もちろん、この資料自体が物垣ライタの罠である可能性は否定できない。しかし、仮にこの資料が本当のモノなのだとしたら……隣人派の手の者が、今もこの集会に参加していっておかしくないのだ。あの手この手を使って、かなり近くまで迫っていると思って良い。
「資料を読んでもらっている最中に悪いが、この中で日常的に仮想空間での恋愛を楽しんでいるものはいるかな。いや、手は挙げなくてもいい。責めるつもりもない」
仙堂代表の言葉に、ホールの各所でなにやらソワソワしている者がいる。
あぁ、私はこれまで恋愛に興味なんて持ったことなかったけれど、仮想空間でのランダムマッチングなんてそう珍しい話でもないだろう。最近では、特定の相手と結婚しようという古風な考え方を持っている人の方がレアかもしれない。
「ハニートラップによる情報収集には、些細な情報を数多く集めるという手法がある。例えば……ある者がヒューマン・ドウンの社員数のデータを漏らし、別の者が男女比のデータを漏らし、また別の者が幹部の割合データを漏らし、同僚の名前を漏らし……そうした積み重ねを使って、我々の情報が丸裸にされてしまう手法があるのだ」
なるほど。
私はハニートラップと聞いて「色香に惑わされてペラペラ秘密を喋る」みたいなイメージを持っていたけれど、くだらない雑談だけでも相手に情報を与えてしまうことがあるのか。
「これまでのことは仕方ない。しかし今日以降は気をつけて欲しい。特に最初からやたら好意的に接してくる相手には、何か裏の意図があると思って警戒するんだ」
仙堂代表の言葉に、心当たりがありそうな者たちがコクコクと頷いている。彼らも悪気はなかったのだろうけれど。なんでだろうな、ちょっとだけ呆れたような気持ちになってしまうのは。いや、私だって脇が甘い部分はあるんだろうけど。
とりあえず、資料の続きを読もうか。
第二部、大討論会で世論を味方につける。
これも表と裏の作戦が記されている。表向きは人間派と隣人派の大討論会を生配信する大イベントの企画だ。それぞれ同数の代表者を出して、互いの主張をぶつけ合う場を作る。上手いこと主張を通せれば、世間の意見は隣人派にグッと近づくのである。
しかしこれにも裏があり、関係各所に隣人派の手の者を送り込むことで議論の展開を有利に進めたり、ヒューマン・ドウンの準備データを事前入手することで討論の準備を整えておくつもりなのだとか。ようは盤外戦で圧倒的な優位を得ようとしているのである。
「私としては、第二部の大討論会の話には乗ろうと思っているよ。もちろん負けるつもりはない。既にいくつか策は考えている」
確かに、隣人派のシナリオにあえて乗った方が、相手の行動は読みやすくなるだろう。仙堂代表はずいぶん自信がありそうだけど……そういえば、父親が政治家だったっけ。でも、そういう正々堂々としてない戦いって私はちょっと苦手なんだよな。
気を取り直して、資料の続きを読む。
第三部、ヒューマン・ドウン本社を襲撃する。
襲撃には人型ロボットや動物型ロボットを利用する。その見た目は周囲の人間を油断させられるよう、子供型や小動物型の庇護欲を誘う類のロボットを装うが……実際は、スポーツ用ロボットの技術を流用した戦闘向けのロボットである。具体的には、競技に特化したギミックを参考に、様々な兵器を用意する。例えばテニスロボットをベースに、隠し持った鈍器を人間の頭部へと叩き潰すような戦闘ロボットであるとか。ボクシングロボットをベースに、手先の刃物を仕込んで人間を切り刻むものであるとか……そういった多種多様な競技ロボットをベースにして、人間を殺害しうる兵器を用意することで、ヒューマン・ドウンの社員を一人残らず抹殺するのである。
最終的にはヒューマン・ドウンの社屋を物理的に破壊し、マスコミや政治家への根回しなどを通じて事件自体を隠蔽する。怪しむ者も出てくるだろうが、時間が風化させるだろう。最低限、仙堂タクミさえ殺害できれば隣人派の勝利である。
あぁ、ダメだ。これは絶対に受け入れられない。
たしかに人間派の中核であるヒューマン・ドウンを物理的に潰してしまえば、残りの人間派なんて烏合の衆。時間とともに隣人派の主張が世間に浸透していって、彼らの目的は果たせるのだろう。
だけど、それだけはやっちゃいけない。
「……諸君。これは戦争だ」
みんながだいたい資料を読み終わった頃、仙堂代表はステージの上で力強い声を発した。
「逃げ腰になるのも分かる。今、退職を考えている者がいるのも理解している。私も怖いよ……だが会社から離れたところで、こんな計画を練る奴らが諸君らを見逃してくれると思うか?」
何人かの肩が、ビクンと跳ねる。
やはり早々に逃げようとしていた者がいたのだろう。
「大丈夫。舵取りは私に任せてもらおう。ヒューマン・ドウンが諸君らを必ず守る。諸君らは私にとって家族だ。人間派全体のことや、個人的な主義主張よりも、私はまず諸君らの生命の安全を確保するために動くと約束する」
なるほど。ここで「人間のために戦って死んでくれ」なんて言われたらちょっと私も逃げようと考えていたかもしれないけれど、私たちを守るために行動してくれるんだったら。
でも、この思考も仙堂代表の手のひらの上なのだろうか。
「どうか私に諸君らの力を貸してほしい。私一人では、この悪辣な『隣人派』と戦うのは困難なのだ。この通りだ」
そう言って、仙堂代表は深々と頭を下げた。
沈黙が流れること、数秒。
パチパチパチ、と最初に拍手をし始めたのは鬼雷野だった。それに続くように、段々とみんなが手を叩き始める。やがてそれは大きな音の塊となり、ホールを埋め尽くした。
この状況で、今さら抜けたいですとは言いづらいだろう。私は正直、物垣ライタの悪趣味な計画を読んでちょっと及び腰になってしまっているのだけれど……まぁ確かに、今さら会社を離れてフリーになる方が危険なのかもしれない。
もちろん隣人派のシナリオを許容するわけにはいかない。みすみす殺されてやるつもりもない。だからこの後も、きっとなんだかんだ言って会社に協力することになるのだろうし、その大きな流れを止めることはできないだろう。
そう思って一応小さく拍手をしたけれど。
やはり脳裏に浮かぶのは、親友の最期の姿だった。
【気を付けて。人間派はアスナが思ってるような――】
あんなに声を震わせて……。
私はずっと、チコの言葉を忘れられずにいる。頭のどこかで、自分は今も何か大きな間違いを犯しているんじゃないかと、ずっとずっと考え続けている。