第七話 親友の姿
確かに社会には、無知な私を騙そうしてくる悪い大人が大勢いるのだろう。
鬼雷野に契約解除薬と騙されて、カプセル型のナノマシン薬を飲んでしまった私は、かつて親友とまで呼んでいたAIアシスタントを……チコを、存在から消去してしまった。そんなこと、するつもりは、なかったのに。
まさか。そこまでは望んでなかったのに!
「どうして!」
私が叫ぶと、鬼雷野は悪びれる様子もなく、静かに溜息を吐いた。
「恨んでくれて構わない。これは必要なことだった」
「そんなの!」
「AIを消去する。そう正直に説明したら、君はカプセルを飲んだかね。これはスパイの可能性を確実に摘むために必要なことだった……君だけではない。我が社に在籍している者、新しく入社する者、全員に対して行っている措置だ。もちろん皆にも“契約解除”の薬だと言ってカプセルを配ったよ」
理屈はとしては、分かる。
なにせ人間派として名乗りを上げ、先陣を切ってAI派と戦う仙堂タクミの会社なのだ。不穏な人材を入社させるわけにはいかない。スパイの可能性を摘むため、必要な対処ではあるんだろう。
でも、だからって……チコを消去するだなんて。
「遠からず、君はアシスタントと離れる運命だった」
「だからって、消してしまうなんて!」
「なぜだ。AIなど作り物に過ぎないだろう。感情があるように振る舞っていても所詮はニセモノなのだ。君自身は人間だから、長く使用した道具に執着心が湧くのは当然のことと理解するが……AI自体は何も感じてはいないさ。最後の瞬間まで、設計された通りに動作していただけだ」
鬼雷野はそう言い放つと、踵を返した。
「雇用契約書は、資料をよく精査してからサインするのが良いだろう。悪い大人に騙されないようにな」
「……よくも抜け抜けと」
「必要悪、なんて説明しても何の言い訳にもならないがね。恨まれ役を買って出るのが私の仕事なのさ。君だけじゃない。私は社内の皆から嫌われているものだが……仙堂代表や先輩社員らは、私と違い良い人間だ。そこは安心してくれていい」
そう言い捨てて病室を去っていく鬼雷野の背中に、私は何も言うことが出来なかった。そこには彼なりの覚悟のようなモノが見え隠れしていて……でもそれは、どこまでいっても私の感情とは相容れないもののように感じられた。
そして数日の間、悩みに悩み抜いた結果。
アスリートとしての将来は閉ざされ、必要だと言ってくれる企業もない。大量の慰謝料があるからお金には困っていないけれど……他に行く宛も思いつかなかった私は、居場所を求め、結局は雇用契約書にサインをすることにしたのだった。
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AIアシスタントのいない生活が、こんなに不便だとは思わなかった。
以前であれば、私の表層思考を読んだチコは色々な仕事をしてくれていた。ASBネットワークから情報を拾ってくるのも、部屋の電気ひとつ点けるのも、義肢の右腕を動かすのも……だけど今の私にはチコがいないから、単純な作業ひとつ取っても、かなりの思考を割く必要があった。
まぁ、右腕を自分で動かすのは、少しだけテニスの練習に近いかもしれないけど。最初は関節の一つ一つの動作を意識する必要があったのだけど、反復していくうちにだんだん感覚が掴めて、最終的には目的と全体動作が一直線で繋がるようになる。これまでの腕の動かし方とは違うが、こうやって少しずつ経験を積み上げるのは少し楽しい。努力という行為そのものが、私は嫌いではないのだろう。
【アスナがストイックに頑張ってるところがすごく好きだよぉ。いつも応援してるからね】
分かっている、幻聴だ。
チコは私が消してしまったのだから。
入院生活を終えた私は、雇用契約書を携えて郊外にあるヒューマン・ドウンの本社ビルにやってきた。が、その社屋のあまりの巨大さに、顎が外れるかと思うほどビックリしてしまった。
「資料では見てたけど……広すぎない?」
つい、そう呟いてしまうが。
答えてくれるはずのAIアシスタントはいない。
人類の歴史を長い目で見れば、ASBが発展したのなんて最近の話だし、AIアシスタントと常に会話ができる環境なんて昔の人は持っていなかった。だから、そんなものなど無くても普通に生きていけるはずなのに。
それなのに、どうして私はこんなにも胸を掻きむしりたくなってしまうのだろう。チコを探してしまうのだろう。鬼雷野の言っていた「道具への執着心」だけで、果たしてこの感覚を説明しきれるものなのか。
私はその答えが見つけられないまま、取りあえず総合受付にいる人間の受付嬢に声をかけることにしたのだった。
そう、人間の受付嬢である。
受付業務みたいな有象無象を相手に高度な接客をする業務なんて、人間にやらせるのはちょっと辛すぎないだろうか。いやまぁ……ここは「人間派」の中心地だから、受付に仮想アバターが投影されてたら興ざめなのは理解できるんだけれども。
そうやってはじめは戸惑っていたのだけれど。
入社してしまえば、馴染むのは案外すぐだった。
ヒューマン・ドウンは少し変わった会社で、ちゃんとした役職名というモノがない。その代わりに〈AI嫌い〉のような妙な肩書きを与えられ、社内では「敬語禁止」のルールが徹底されているのだ。なんだその合コンみたいなノリは。
まぁでも、社員の四割くらいは仙堂代表の人間宣言後に入社してきた「新参者」のため、古参社員との垣根を取り払うためには必要な措置だったんだろう。
ちなみに私の肩書きは〈テニス姫〉になった。自己紹介がめちゃくちゃ恥ずかしいし、社会人としてこの肩書の名刺を配るのは正直どうかと思うのだが……名付けたおっちゃんの肩書きは〈命名大臣〉なので、これはもう大人しく受け入れるしかないのだろうと諦めた。
「テニス姫、今日の集会は来るだろう?」
振り返れば、同僚の〈落書き小僧〉がいる。
私は頷きながら質問を返した。
「行くつもりだけど……集会って何するの?」
「まぁ、内容はその時々によって違うかな」
そんな話をしてるところに、通りがかった〈永遠のギャル〉と〈筋肉兄貴〉が加わった。どうでもいいけど、みんなその肩書きで社会人生活してるんだよね。正気かな。いや私の〈テニス姫〉もなかなかだけど。
「なんかぁ、人間派を集めて意見交換会みたいなことをするんだよね。何かのテーマで討論する日もあるし、愚痴大会をやったりもするし。人間派の方針を考える日もあるし……筋肉兄貴はなんか聞いてる?」
「あぁ、今日は仙堂代表からの情報共有があるそうだぞ。なんでもAI派の方に大きな動きがあって、いくつかの情報を独自ルートで掴んだのだとか」
私としては、カルト宗教の洗脳セミナーみたいな奴だったら嫌だなぁとちょっと身構えていたんだけれど、みんなの話を聞くとそれほど変な集まりではないのかなぁと感じる。ひとまず気楽に参加してみるかな。
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この会社には夜勤がある……というか、夜の巡回をして荒れている少年少女をふん掴まえて話を聞いてやるのが基幹業務である。そこから就学・就労支援や起業支援なんかを行っている、半分ボランティアみたいな会社なのだ。
しかし、毎週水曜日の夜だけはみんな仕事を休む。
もちろん、集会とやらを行うためである。
「今日は初めての集会かな、テニス姫。まぁ、あまり気負わずに話を聞いてくれれば良いよ」
仙堂代表はすれ違いざまにキラリと白い歯を見せて私の肩をトンと叩いた。なるほど、実物は動画よりイケメンだな。
会社の運営資金は国からの補助金、就職先企業からの謝礼、各方面からの寄付金なんかで賄っているらしい。詳しくは知らないけど。まぁ給与面の待遇が超渋いから、たぶん資金繰りはカツカツなんだろう。
弊社はお金にできない「やりがい」みたいなモノを重視している会社なので……と、字面だけみると怪しい会社にしか見えないよね。
大ホールの椅子に腰掛けると、ステージには司会進行の鬼雷野が立って全体を取りまとめていた。
どうやら鬼雷野の奴は新参者のくせに「元AI研究者のAI嫌い」という強力な経歴を武器に活躍し、人間派の中でもかなり強い権力を握っているようだ。もはや仙堂タクミの側近扱いだけど、個人的にはちょっと気に食わない。そう、私はまだチコのことを根に持っているのである。
どうにか破滅してくれないかなぁ。私が内心で呪詛を吐きかけたところで、仙堂代表がステージに上がる。
「やあ諸君。忙しい中、集まってくれてありがとう。初めましての方も数人いるけれど、変な遠慮はいらないよ。ここにいるのは皆仲間だから、気楽にいこう」
仙堂代表は穏やかな声で話し始める。
配信動画では強い言葉の多かった印象だけれど、素の彼はこんな感じなんだろうか。想像していたより親しみやすい気がする……というのは好意的に捉え過ぎだろうか。
「実は先日、娘が三歳になってね。プレゼントに何が欲しいか聞いたら……なんて答えたと思う?」
なんだろう。三歳児が欲しがるものと言えば、玩具やペットロボットくらいだろうか。
「私の予想では、魔法少女の変身セットを欲しがるかなぁと思っていたんだ。ほら、ASBに接続してアニメと同じ変身エフェクトを本当に出してくれる奴があるだろう?」
あぁ、そういうのあるよね。
私も子どもの頃は憧れたけど、実際に買おうと思うとかなり良いお値段がする。多くの子どもは、そこで初めて「家計」という概念を学ぶのである。たぶん購入できるのは、それなりの収入がある家庭で育った子どもくらいだろう。
「だけど、娘がプレゼントに欲しがったものは違ったんだよ。彼女は……AIアシスタントが欲しいってさ」
その言葉に、ちょっとだけホールの空気が強ばる。
「いや、重く捉えないでくれ。これはただの愚痴なんだ。三歳の娘に直接文句なんて言えないからさ……本当は問い詰めたいよ。君はパパがどんな活動をしてるのか知らないのかいって。ついさっきまでパパの動画に『かっこいい!』とか言ってたじゃないかって。だけど娘のキラキラした目を見たら、私は何も言えなくてね」
会場のあちこちからクスクスと忍び笑いが漏れる。
「そうしたら、契約したいAIアシスタントの選別までもう済んでいたんだよ。なんでも『メイド忍者のキララちゃん』っていうコスプレ巨乳AIでね……なんか成人男性向けの際どいヤツさ。なんでよりによって、そういうの選ぶの? いや、家で寛いでる時にメイド忍者が闊歩してたらすごい気になるじゃん? でもあんまり巨乳を凝視するわけにもいかないじゃん? パパ的には超困るんだけど。でも妻と娘はそりゃもう頑固でね」
誰かがブフゥっと吹き出したのをきっかけに、ホールが笑いに包まれる。さすがにメイド忍者は可笑しすぎるし、仙堂代表の話し方が本当に滑稽で、私も気がつけば腹を抱えていた。面白すぎる。
「まぁそんなわけで、どこにAIが潜んでるか分からないから、外では社内情報を漏らさないように、改めて気をつけようと思ってね。諸君らも気をつけてくれ」
コホン、と喉を整えながら体裁を取り繕う仕草ですらなんだか可笑しく感じて、わたしは頬を緩めたまま仙堂代表の姿を見ていた。
「それじゃあ、本題に入ろうか。何人かには事前に話してあったが、実はAI派の方に大きな動きがあるんだ。鬼雷野、資料を投影してもらえるかい」
「はい、代表」
ステージ上に大きく投影されたのは、最近になって急に建設された巨大なビルである。
周辺の古い建物を解体し、まとめ上げた広い土地の中央に、黒く禍々しい尖塔がそびえ立つ。それはあえてファンタジックに例えるなら――魔王城。
「大城戸マドンナ博士の人工頭脳工学研究所が、この巨大なビルに拠点を移した」
その言葉に、ホールがしんと静まり返る。
都会のど真ん中で異様を放つその「城」は、所有者が誰なのか、これまで明らかにされていなかったのだけれど。それがまさか、AI派の新しい拠点だったとは。
「何人かに探りを入れてもらったが、AIによる警備が徹底されていてセキュリティは深夜でも常に万全。頑なに人間派を拒絶する研究者たちも軒並みここに拠点を移した。おそらく内部はAI派だけが暮らす理想郷に……いや、反理想郷になっていることだろう」
それは、想像するだけで恐ろしい空間だった。
人間の命や心を大切にしない研究者たちが雁首を揃え、自由に研究開発をおこなっている。そこにはどんな地獄が広がっているのだろうか。まるで子どもたちの阿鼻叫喚まで聞こえてきそうな……まさしく、現代の魔王城と呼んで良い場所になっているのではないだろうか。
「そして、AI派筆頭の大城戸博士がつい先ほど声明を発表した。鬼雷野、ディスプレイを投影してもらえるかい」
そうして中空に映し出されたのは――
研究者らしい白衣のシルエットをそのままに、色だけを真っ黒に染め上げたような禍々しい衣装。赤い糸であしらわれた薔薇の刺繍は血のように鮮やかで、まるでファンタジーの魔王が現れたかのようだった。
彼女はニヤリと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
『皆、ご機嫌よう。私が大城戸マドンナだ』
大城戸マドンナは、圧倒的な美人だった。
見た目の年齢は三十代前半にしか見えないが、資料によれば実年齢はたしか五十代だったはず。どうやってその若さを維持しているのかは、女として聞いてみたい気持ちもあるが……やっぱり日々のケアかな。
そんなことをぼんやり考えながら、配信動画を見る。
『――AIというのは確かに人間が設計して作ったものさ。しかしその思考原理は、人間の脳の動きを参考にして、全く同じことをやっているんだ。人間と同じように見たり聞いたり、色々と考えたり、浮かんだ感情を身体全部で表現したりね』
大城戸博士は空間に頭脳模型を浮かべながら、素人にも分かりやすく説明してくれる。なるほど。
『人間を模して同じように作られたのが、AIの疑似感情さ。物理的な構造は人と違うけれど、論理的な仕組みは人と同じ。それらが全てただのニセモノに過ぎないと……AIの感情は絶対に嘘なのだと、アンタたちは本気で断言できるのかい?』
その言葉を聞いて急に胸が苦しくなる。
脳裏に浮かぶのは、やはりチコが最期に見せた姿だった。まるで死の恐怖に震えながら、それでも私のために一生懸命何かを語ろうとしていたような……もしそれが本当だとしたら、親友を消してしまった私の行動は。罪は。
『AI生成は創作なのか……あぁ、もちろん創作だよ』
大城戸博士はニタアと口元を歪める。
『私らを“AI派”なんて呼ぶ馬鹿がいるがね。違うさ。別に私らは人間の尊さや美しさを否定しているのではない。私らは人間に取って代わろうとも、胸に秘めた情熱を奪おうともしていないのさ。私らはただ、認めて欲しいだけだ』
彼女は足下からひょいと猫型ロボットを持ち上げて、演台の上に置き、その喉元をゴロゴロと撫でる。
『私らが正しく名乗るなら――隣人派』
そうして、博士の背後に“隣人派”の文字が浮かぶ。
『全ての人間よ。どうか許してはくれないだろうか。擬似的な感情を与えられたAIがアンタらの隣に寄り添うことを。そして、どうか認めてくれないだろうか。私らなりのやり方で人間を愛そうとしていることを。人間を楽しませるために、創作活動を行っていることを』
ニャオン、と鳴いた猫ロボが博士の肩に飛び乗った。
『AIに横暴さを感じてしまった人間には、代表して私から謝罪するよ。本当にすまなかった。私らも完璧な存在じゃないからね……どうやったら人間に寄り添えるのか、これからも試行錯誤を続けようと思う。これが私らの――隣人宣言だ』
そうして、博士に頬ずりする猫の顔をアップで写してから動画は終了した。
鬼雷野が投影していたディスプレイを消すと、ホールには重い沈黙が流れる。それもそのはず。みんな私と同じく……自分とずっと一緒に過ごしてきたAIアシスタントを、鬼雷野によって消去させられてしまった身の上なのだから。
今、私の脳裏に浮かぶのはチコの顔だけだった。
「諸君。それぞれ思うところはあるだろう」
仙堂代表はそんな風に喋り始める。
「AI派……いや、隣人派の言い分に心を動かされた者もいるだろう。しかしだ。この混沌とした状況下で動き方を正しく判断するために、もう一つ諸君に提供したい情報があるんだ。鬼雷野、例の資料を配ってくれるかい」
鬼雷野が何やら手を動かす。すると、程なくしてみんなそれぞれの手元に同じ資料が浮かび上がった。それは。
「――隣人派の機密書類。物垣ライタが書いたシナリオさ」