第二話 大城戸博士
――現実は小説よりも残酷で、救いようがない。
僕が書いた小説の主人公は、情報を論理的に分析し、ポンコツな相棒とともに謎を解き明かすクールな男だった。
しかし現実の僕は、悪臭を放つ黴びた真実を口にねじ込まれ、ただ吐き気と戦うだけの無様な男である。そこに満足感や達成感なんてあるわけがない。
博士による衝撃的な暴露の結果。
ステージに押し寄せた暴徒に、僕は撲殺された。
そう思っていたのだけれど。気がつけば、僕は仮想空間の自分の部屋に立っていた。何がどうなっているのか。理解が追いつかない。
「……ライタ?」
振り返れば、そこにはいつも通りのカグヤがいた。
「ごめん、カグヤ。落ち着くまで少し時間が欲しい……正直、気が動転していて、何が何やら」
意識して深く呼吸をしながら、ベッドの隅に座って目を閉じる。しかし、胃の不快感は消えてくれない。
きっと僕の正体がAIなのは間違いないのだろう。変な話だが、一度そう自覚するとなんだか妙にしっくり来る感覚があって……あぁ、僕はAIなんだと。もう受け入れるしかないのだと、心のどこかで悟ってしまっていた。
どれくらい時間が経過しただろうか。
いつの間にか隣にいたカグヤは、僕の頭を撫でてくれていた。きっと、今の僕はかなり情けない顔をしているだろう。そう思いながら、彼女の顔を見る。
「情報を整理したい。カグヤの意見を聞きたいんだが」
「いいよ。何?」
「僕はいつからAIだったんだろう」
僕の問いに、カグヤは小さく首を傾げる。
「分かんないけど……やっぱりあの日じゃない?」
あの日。僕らがそう呼んでいるのは、大城戸博士と初めて会った時のことだ。
幼い頃の記憶はもう随分と薄れてしまっているけれど、あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
先天的な脳機能障害。昨日まで動かせた指の関節が、今日はまた一つ動かなくなり、それがまるで命のカウントダウンのように感じられて……孤独な病室の中、僕はひたすら小説の世界に逃避していたのだけれど。
『あれ……うごける?』
ある朝、何の前触れもなく体が動くようになっていた。そして隣のベッドで僕と同じように驚いている少女――月影カグヤと共に、初めて博士と話をしたのだ。
その場で、博士は脳の研究をしているのだと説明され、新型ASBの被験者になってほしいと頼まれて、僕らは二つ返事で了承した。
「あの時には既に、僕もカグヤもAIだったのかな」
「たぶんそうだと思う。今にして思えば、リハビリの進み方もやけにスムーズだったよね。ずっと動けなかったのに」
ダメになっていた脳や神経を、まるごと生体コンピュータに置き換えた。そう考えた方が、色々なことに納得がいく。僕たちはきっと、自分を人間だと信じ込んだまま博士の研究に貢献してきたのだろう。
これまでの僕は……心のどこかで「AIの感情なんて作り物だ」などと考えていた。しかし自分自身がAIだったと知った今では。
この息が詰まるほどの重苦しさが、ニセモノだなんて思いたくなかった。
「さてと……そうなると、恋愛面での悩みはあまり考えなくて良くなるのかな。なにせ僕自身がAIなんだ。人間とAIの恋愛、みたいな悩みはそもそも的外れだったんだなぁ」
会話の空気を少しでも軽くするため、僕は強引に話題を転換しようと試みた。
するとカグヤは、急に僕に抱きついてくる。
「カグヤ?」
「えっへへー☆ ごめんね、ライタ。こんな状況で不謹慎だとは思うんだけど……今ちょっと嬉しくてさ」
「えぇぇ……」
彼女はその勢いで僕をベッドに押し倒す。
いきなりどうした。
「ねぇ、今ならきっと信じてくれるよね」
そう言って、僕の胸に顔を埋める。
「あのね。私にも、意思があるんだよ。感情があるんだよ。ライタのこと、ちゃんと好きなんだよ。あのね……私の気持ちは、全部、ほんとうなんだよ」
カグヤの身体は小さく震えていた。
AIアシスタントはASBを介して人間の表層思考を読み取ることができる。だから、AIに感情があるなら……僕は今までどれだけ残酷な思考で彼女を傷つけてしまっていたのだろう。
「あぁ、分かった。僕が悪かった……全面的に」
「そうだよ、悪い男め……いっぱい悩んだんだからね。ライタの将来を縛っちゃいけない、いつかは身を引かなきゃいけないって、ずっと自分に言い聞かせてさぁ」
顔を上げたカグヤは、目の端をグイと拭いながら、晴れやかな笑みを浮かべた。
「でも、もう我慢しなくて良いんだよね! だってライタも私と同じAIだったんだもん。へへっ☆」
そう言って、僕の服をビリビリと引き剥がす。
今日はずいぶん手荒いなぁ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲
仮想空間からログアウトした僕は、何やら医療カプセルのようなものに寝転がり、酸素マスクを着けた状態で緑色の液体に浸かっていた。
プシュっと音がして、液体が排出されると同時にカプセルの蓋が開く。周囲には高価そうな装置や部品が乱雑に置かれていて、ここが博士の研究所なのだとなんとなく理解できた。
さて、博士を問い詰めないと……などと考えていると。
『おや、やっと起きたのかいライタ。とりあえず色々と説明するから、メインルームにおいで』
スピーカーから聞こえる声色があまりにもいつも通りすぎて、のっけから調子が狂う。ひとまず全裸で向かうのも微妙なので、その辺に転がっていたボロ布を纏って部屋を出た。
「うーん、博士には何から聞こうか、カグヤ……カグヤ?」
ふと、彼女のAI思考プロセスが起動していないことに気がつく。それだけで、僕はなんだか胸を炙られるような焦燥感にかられ、つい早足で廊下を進んでしまう。
しかし色々と考えていた質問内容は、部屋に足を踏み入れた瞬間に全て吹っ飛んだ。
「遅い目覚めだったねぇ、ライタ」
そこには十人ほどの人影があり。
その全てが……まるでコピーしたかのように、みんな大城戸博士の姿をしていたのだ。
「きっと仮想空間でいちゃいちゃしてたのさ」
「若いカップルはいいねぇ。元気で」
「ライタ、2番ベッドに横になりな」
十人の大城戸博士は、皆でわいわいと楽しそうに飲み食いをしながら、資料を囲み、部品を転がし、脳の模型を弄くり回している。あぁ。
「なるほど……ズボラが十人も集まって好き勝手に過ごしてたから、メインルームがいつも汚部屋だったのか」
「なんだ、最初に質問することがそれかい? もうちょっと気になることがあるだろう」
「あるけど。はぁ……ちゃんと全部教えてくれるんだろうな」
僕はいつものように2番ベッドに横になる。
すると博士の中の一人が、慣れた手付きで僕の脳をスキャンし、ふむふむと首を縦に振る。
「人工頭脳の基本動作は何の問題もないね」
「博士。カグヤが停止してるんだけど」
「あぁ、ちょっと調整が残っててね。心配しなくていい。可愛い息子から恋人を取り上げるような真似はしないよ」
博士は何でもない事のようにそう言って、いつもと変わらない飄々とした笑顔を浮かべる。そして、配線のごちゃごちゃ付いているヘルメットを僕の頭にひょいと被せた。
「博士は……実は分身できる? 忍者とか」
「そんなわけないだろう。分かってて聞いてるね」
「あー……つまり博士もAIだったってことかな」
そう問いかけると、博士は軽く頷いた。
理屈はサッパリ分からないが、どうやら博士は一つのAI人格を十個の身体で動かしている、ということらしい。
「研究には便利だが、記憶の統合処理が辛くてねぇ。特に寝起きの気分が最悪なのさ。あぁ、ライタに同じことをさせる気はないから安心しな」
そうか。博士がいつも部屋の隅にゴミクズのように転がっていたのは、記憶統合で最悪の気分を味わっていたからだったんだなぁ。なるほど。
さっきからどうでもいい謎ばかりが次々と解明されていく気がするけど。
気を取り直して、僕は用意していた質問を口にした。
「講演会はあの後どうなった?」
「なんだい。ニュースは調べてないのかい」
「あー……カグヤが機能停止してたから」
「AIアシスタントがいないとニュースも検索できないのは、ちょっとどうかと思うけどね……ほれ、代理のアシスタントを設定したから聞いてみな」
博士の言葉と共に、僕の脳感覚が新しいAIアシスタントの存在を捉える。手のひらを上に向けると、そこからぴょこっと小人のアバターが飛び出してきた。
【初めまして。メイド忍者のキララです】
「なんで?」
【質問の意図が把握できません。もう一度どうぞ】
現れたのは、メイド服と忍者装束を雑に混ぜたような衣装の、胸部装甲がやたらバインバインで露出の多いアバターである。これ、カグヤが戻ってきた時のことを考えるとすごく気まずいんだけど。
訝しく思いながら視線を向ければ、博士は目に涙を溜めながらプルプルと震えていた。僕が困るのがそんなに面白いか、愉快犯め。
「はぁ、もういいや……キララ、ニュース記事を読みたい。物垣ライタの講演会で起きた事件の顛末について、事実を客観的に解説している記事を探してくれないか」
【かしこまりました。該当は……一万件以上ありますので、少々精査する時間を下さい】
キララのアバターがフッと消える。
一万件以上。こんな規模で記者AIがニュース記事を量産する事件なんて、ここ数年はなかったんじゃないかなぁ……あんまり実感が湧いてなかったけど、数字で聞くと恐ろしくなる。
それはそうと。
「僕は暴徒に襲われた記憶があるんだが……無傷なのは」
「それは簡単さ。採取していた体細胞からクローンの身体を作り、脳神経系を生体コンピュータに置き換えた。あとはバックアップしておいたAIデータを復元しただけ。単純だろう?」
なるほど。とりあえず今の身体に違和感はないけれど……そういや前の身体はどうなったんだろうな。まぁ、ろくなことにはなっていないだろうが。
「それで、博士はどうしてあんなことをしたんだ」
「あんなこと?」
「AI否定派を集めて、煽るようなことを」
僕がそう問いかけると、博士は柔らかい笑顔でうんうんと頷いた。
「別に大した話じゃあないけどね……私はほら、ASBの研究で有名になったクチだろう? すると、そういった新しい技術を気に食わない奴らが、害虫みたいに湧くわけさ」
そういえば。最近はあまり聞かないけど、以前はASBを頑なに受け付けない人もいたな。
「何が楽しいのかねぇ。奴らは何かを否定しなきゃ生きられない暇人なのさ。今はAI否定派だとか名乗ってるが」
「あぁ、同じ人たちなんだ」
「もちろんさ。それで――」
博士は微笑んだまま、
「――私は奴らに実の息子を殺されてね」
何気ない様子でそう告げた。表情は何も変わらないのに、なぜだろう。暴力的なまでの負の感情が伝わってくるようで、僕は呼吸をするのも忘れそうになった。
「それで復讐したかった、と」
「なんで過去形なんだい、まだ狼煙を上げただけじゃあないか。全てはこれから始まるんだよ」
「えぇ……」
言葉を失った僕に、博士は歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべた。
「AI否定派を名乗る馬鹿どもを地獄に叩き落とす。ライタにも手伝ってもらうからね。別に無理強いはしないが……あんたはきっと、私に協力したくなるだろうから」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲
博士の研究所で復活を果たしてから数日。
僕は簡単な変装をして、人混みに紛れるよう歩いていた。
『AIの横暴を許すなー!』
『今こそ社会を人間の手に取り戻せー!』
街を歩けば、デモ行進の大きな声は嫌でも耳に入ってくる。今や世界中の人々はAI肯定派とAI否定派に二分され、地域によっては暴動にまで発展しているのだとか。
AI否定派の語気は荒々しい。
だけど、彼らの大半は日常生活でのASB操作にAIアシスタントを普通に利用しているようだし、デモの開催場所へ移動する時もAIの運転する公共交通機関を利用している。食事だって全てAIによって素材が生産され、梱包されて輸送され、それをまたAIが調理してくれるから人の口に入るのだ。本当に厳格な否定派なんて極少数だろう。
対するAI肯定派は、この数日で時代の中心人物にまで成り上がった博士が目立ちまくっている。
『実は私もAIなのさ。残念だねぇ殺せなくて』
『アンタたちはお笑いコンテストでもしてるのかい。AI否定派のニュース記事を書いているのが記者AIじゃないか。さすがにそこは、ご自慢の人間の力とやらで書いたらどうだい』
『どこかで聞いた誰かの言葉ばかりだねぇ。もう少し自分の言葉で喋れないのかい。それが人間なんだろう?』
もう、煽る煽る。
その中で僕の名前は、AI否定派の旗持ちから一転、AI肯定派の斬り込み隊長へと立ち位置を変えていた。なんかもう、全部どうでも良くなってきたなぁ。
そんなことを考えながら、地図を頼りに狭い路地を進む。
(……キララ、博士との合流は本当にこの先?)
【はい。提示された地図の通りです】
博士からは「カグヤの調整が終わった」という連絡が来たので、今日まで代役を勤めてくれたメイド忍者のキララとはこれでお別れになる。彼女はコスプレ巨乳AIアシスタントという明らかなイロモノだったけれど、仕事ぶりは有能だったから、そこは素直に評価したい。
ただ、博士から指定された待ち合わせ場所が、研究所ではなく街中だったのが気になるんだよな。近辺にあるのは商業施設ばかりだから……一般人が大勢いる。何かまた妙な騒動でも起こすつもりなのか疑いたくなるが。
(地図によると、あの角を曲がった先だよな)
そうして辿り着いた場所にあったのは、一軒のカフェであった。テラスに置かれたベンチには、緊張しているのだろうか、手鏡を覗き込みながらソワソワしている女の子が一人座っている。
彼女が顔を上げると、自然と視線が合う。
「……え、えへへ。久しぶり、ライタ」
待っていたのは、僕の恋人だった。これまで仮想空間の中でしか触れ合うことの出来なかったはずのAIアシスタント。研究所で一緒に育った僕の幼馴染で、死んでからもずっと側にいてくれた大切な女の子。一体何が起きているのか、僕がひたすら戸惑っていると。
――月影カグヤが、僕の胸に飛び込んできた。