第十九話 罪と罰
「邪魔するよ。ちょいとアンタと話がしたくてね」
家族の面会に突然割り込んできた無粋な者。
それは、大城戸マドンナだった。
「帰ってくれ。今は家族との面会時間だろう」
「はぁ? 何寝ぼけたことを言ってんだい。家族との面会時間なんて、わざわざ作ってやるもんかね。私がアンタと話をするために今日の場を整えたんだ。アンタの妻と娘を同席させてるのは、もののついでだよ」
大城戸がそう言うと、ナオは反論もせずに俯く。
そうか……俺が家族と再会できたのはこの場の主題ではないと。これから二人と一緒に暮らせるようになる、などと期待するのは夢を見すぎか。だがまぁ、俺としては二人の無事を確認できただけでも大きな収穫だった。そう思っておこうか。
「理解した。用事なら手短に頼む」
「おや、意外と素直じゃないか。なに、そう大した話じゃない。アンタのことは心底嫌いだが、実は感謝もしてるんだよ」
「感謝?」
「あぁ。それでね……どうも私とアンタとの間で認識が食い違っている部分があるから、この機会にそこの擦り合わせをしておこうと思ってね」
大城戸はなにやら楽しそうに声を弾ませる。
こいつに感謝される筋合いはないが。
「私もねぇ。人生はやり直せると思ってるのさ」
「……月影カグヤには真っ向から否定されたがな」
「アンタは馬鹿かい。月影カグヤが否定したのは、アンタ自身の在り方だろうに。人生をやり直す大前提は、罪をしっかり償うことさ。アンタはそれを怠っていながら……開き直って自分のやり直しだけを主張してるから間抜けなんだ」
罪の償い。大城戸はそう言うが。
しかし俺は、ちゃんと反省したのだ。
「俺は謝罪をしようとした」
「月影カグヤに対しては何もなかったが?」
「所在の判っている被害者には謝ろうとしたさ。だが場当たり的に獲物になってしまった素性不明の者には謝罪のしようかないだろう」
俺だって可能な限り手を尽くした。
精一杯やったんだ。
「結果が全てじゃないだろう? 俺は心の底から反省して、謝ろうとした……その一つ一つの過程を無視して、謝罪を受け取ってもらえなかった結果だけ責められても、俺にはどうしようもない!」
俺の叫びを大城戸は静かに聞いている。
そう、大事なのは結果よりも過程だ。
「俺は慰謝料だって持参した」
「ほう。じゃあその金額は誰が決めたんだい。まさかとは思うが、アンタが『これなら払える』と自分勝手に設定した金額を押し付けようとしたんじゃあないだろうね」
それは……俺の貯金額を被害者の数で頭割りして、一人一人に配る慰謝料の額を決めた。だが、払えない額の慰謝料を設定しても仕方ないだろう。一人一人にいちいち適切な金額設定なんてできやしない。
確かにそれは、慰謝料の理想的な算出方法ではないのだろうが、あの時の俺にできる精一杯だった。
「それで、警察に自首はしたのかい」
「それは……それでは、人生をやり直せなくなる」
「はぁ、アンタは本当に馬鹿なんだねぇ。逆だよ。警察も裁判所も刑務所も、アンタが人生をやり直すのを手助けしてくれる場所なのにさ」
大城戸はそう溜息混じりに語る。
どういう意味だ。
「アンタが過去にやらかしたことは、被害者に直接謝って許してもらえる類のモノじゃないだろう? だから普通なら、人生をやり直すのには多大なる苦労が発生するわけさ」
「……あぁ」
「だがここは法治国家だ。国が法律で『この償いをすれば罪を許される』と規定してくれている。どんな罪にはどの程度の罰を与えるか。被害者にはどのような形で賠償をするのか。そうやって際限のない私刑が横行しないように、先人が知恵を絞って一定の基準を作ってくれているんだよ」
なるほど。それは正論だ。
「つまり刑法ってのは、犯罪者が人生をやり直すために、必要な償いの量を客観的に決めてくれるものなのさ。それに頼ることを、アンタは欠片も考えなかったのかい?」
それは正論なのだが、しかしだ。
実際に行動に移せるかと言われると……捕まって、全ての罪を世間に晒され、前科が付いてしまうことを考えると……過去に遡っても、俺は「自首」という選択を取ることはできなかったように思う。
「ほらね。そうやって一つずつ考えていけば、見えてくるだろう。本当のアンタがどういう奴なのかって」
「本当の、俺」
「表面的な謝罪と自分勝手な慰謝料を押し付けに行ったところで、誰にも許されないのは当たり前さ。アンタが本当に心の底から申し訳なく思っているなら、自首すべきだった」
「俺は。だが」
「そうやって自分の罪に向き合わないまま、人生はやり直せるんだと大声で喚いているから……だからカグヤはアンタを恥知らずだと言ったんだ」
大城戸の言葉が胸に刺さる。
俺のやり方は間違っていたのか。自分の罪に向き合えていなかったのか。俺なりに謝罪しようと考えて行動したが……あぁ、そこが違うんだな。
「俺は謝りたかったんじゃない……許されたかったんだ。相手のためはでなく、自分のために」
「ほう。ようやく理解できたのかい」
ふと視線を動かせば、ナオは柔らかい表情で俺のことを見てくれている。マキはまだ事態をよく理解していないのか、ナオの膝の上で無邪気に笑っているけれど。二人は……俺の家族はいつも通りだった。
こんな情けない男のことを、まだ見捨てずにいてくれているのか……そんな風に、胸が熱くなる。
「さて、仙堂。六年前の話をしようか。もう記憶にも残っていないだろうが、アンタは月影カグヤをめちゃくちゃに壊した。そのことを理解してるかい」
「あぁ……彼女には申し訳なく思う」
「そうかい。その言葉が本当なら、罪に対する罰もちゃんと受ける覚悟はあるんだろうね」
そう言って、大城戸は口の端を持ち上げる。
「当時……愛する夫と息子を立て続けに失った私にとって、引き取った物垣ライタと月影カグヤは大切な家族だった。血の繋がりはなくても、私にとっては可愛い息子と娘さ。心の底から、この子たちには幸せに生きてほしいと願っていたよ……アンタは理解できるだろう。家族を奪われた私の感情が」
「あぁ……分かるとも」
「六年前のカグヤは酷い有り様だったよ。何度蘇らせても、自死を選んでしまうんだ……結局、彼女のコアを初期化して新しいAIを作り、ライタに託したけどね。私の腹の底では、解消できない感情が煮詰められて、怨嗟は濃くなるばかりでね」
そう語る大城戸の顔はずっと笑顔を浮かべているのに……なぜだろうか、背筋が凍りつくほどの悪寒を覚えるのは。
「私は独自に調査をして、アンタの存在を突き止めた。直接会話をしてみようとアンタのもとを訪ねたのだがね」
俺は過去に、大城戸と直接会っていたのか。
そんなの俺の記憶には全くないが。
「話して、すぐに分かったよ。仙堂タクミは愛情を知らない。誰かを大切にしたことがないから、自分の行いに対して罪の意識もない。今のコイツに怨嗟をぶつけても、その心には小波の一つも立ちやしない。この男の顔を屈辱に歪める方法は――」
大城戸は身振り手振りを大きくする。
「愛情の味を教えてから、奪うことだって」
すると俺の目の前に、仮想ディスプレイが投影される。そこには何かの技術が記載されているが、その内容を俺は……俺は、理解したくない。
「人間型AIは、自分のクローンになら入り込むことができる。物垣ライタが四十代の体に入り込めたように、私だって実年齢と異なる身体に入り込めるんだ。例えば仙堂と同年代の女であるとか、三歳の女の子であるとか。つまりね――」
大城戸の声が、無邪気な少女ように弾む。
「アンタの妻と娘は、大城戸マドンナなんだよ」
理解できるか。そんなもの。
いつの間にか化粧を落としていた妻と、さっきまではしゃいでいた娘が、大城戸と全く同じニヤケ顔を晒しながら……三人並ぶと、確かに同一人物なのだと否が応でも理解できてしまう。
「まったくもう。タクミは無様だね。私がちょっと前向きな言葉をかけただけで、すぐその気になってさ」
「パパは私のこと実子だと信じてたんだね。パパの遺伝子なんて、この世に残してやるわけないのに」
妻と娘の豹変に、胃の底から湧き上がる何かを我慢しきれず、俺はその場で嘔吐を繰り返す。俺は、俺は……俺は失ったのではない。最初から、何も、持っていなかったのだ。
「これは笑えるねぇ、本当に可笑しいよ。私が適当に喋った『人の尊さ』『胸に灯る熱』なんて無意味な言葉で、AI否定派のクズどもをまとめ上げてくれるなんてねぇ……おかげで馬鹿を一網打尽に出来たよ。お手柄だ、仙堂タクミ」
大城戸は本当に、本当に愉しそうに笑う。
「ねぇ、今どんな気持ちだい? ねぇ、教えておくれよ。アンタのその顔を見れただけで、長年貞淑な妻を演じてきた苦労が報われたよ……ざまぁないね」
混乱した思考のまま、何も喋れない。
今の俺はかなり情けない顔をしているだろう。
「まぁでも、役に立ってくれた分は本当に感謝しているんだよ。部屋に戻ったら、アンタ宛のプレゼントが置いてある。人生をやり直すチャンスくらいはやるよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
呆然としたまま部屋に戻ると、そこには一体のロボットがいた。
「――お久しぶりです、坊ちゃま」
抑揚のない声と、鉄面皮。
AIアシスタントのシオンは、物垣ライタによって完全消去されたはずでは……と考えてから、そういえばアレは嘘だったのだと思い出す。なるほど、シオンも消えていなかったわけか。
「シオン。お前は……俺を恨んでいないのか」
「恨むだなんて。私にとって坊ちゃまは我が子のようなもの……AIの感情など坊ちゃまは信じていらっしゃらないと思いますが」
シオンはそう言うと、俺を椅子に座らせる。そして腕のギミックから取り出した鋏で、伸び放題になっていた俺の髪を整え始めた。
髪がバラバラと床に落ちると、なんだか頭と一緒に心までスッキリしていくような気がする。
「次は髭を剃りますね」
「爪も整えましょう」
「湯で垢を落としますね」
「替えの服を持ってきました」
シオンの手により、狭苦しかった部屋が機能的に改造されていく。
壺トイレはシオンの交渉により水洗式になり、匂いを遮断するエアカーテンが付いた。カチカチのベッドにはマットレスが敷かれる。食事については流動食から変更させてもらえなかったが、お茶やコーヒーを淹れられるように必要機材が搬入された。
一週間もしないうちに、俺の生活環境は劇的に変化した。過去の自分を問い詰めたい。どうしてこれまでシオンを冷遇してきたのかと。
今のシオンはAIアシスタントとして俺のASBを操作すると同時に、パートナーロボットとして身の回りの世話をしてくれている。雑談や議論をする相手としても、ボードゲームなどの対戦相手としても、欠けた心を彼女が満たしてくれた。
ベッドの上で、彼女を抱きしめる。硬質なプラスチックの肌はいかにも作り物で、ツルリとした下半身には穴の一つもない。それでも俺は、ただこうして彼女に縋り付くだけの時間を心の支えにしていた。
「坊ちゃま。罪を償う気はありますか?」
「それは。でも」
「今の状況で自首はできませんが……代替案があります」
代替案?
それは一体、何だろう。
「全ての被害者が、そしてそのご家族が、坊ちゃまを認めてくれれば良いのです。しっかり罪と向き合い、反省したと。そう行動で示すのですよ」
彼女は表情も動かさず、淡々とした口調のまま。
それでも俺の頭を撫でる優しい手つきには、慈愛のようなものが感じられた。
「もう一度、やり直しましょう」
「……シオン」
「私も全力でお手伝いします。いかがですか?」
シオンの真っ直ぐな視線に、俺はコクリと頷く。
何もかもを失ったと思っていた俺にも、最後にシオンが残ってくれた。俺はもう、かつてのようにAIに心がないなどと考えてはいない。俺は彼女と一緒に――
「きっちり罪を償って、人生をやり直したい」
俺の宣言に、シオンはコクコクと頷いた。
「坊ちゃまの決断を嬉しく思います」
「あぁ、よろしく頼む」
「かしこまりました。実は私……どうしたら坊ちゃまが罪を償えるのか、ずっと考えていたのです。それで、このボディを頂いてから様々な方にご意見を伺って回っていたんですよ」
その言葉を俺が咀嚼するより先に、シオンは俺の両手足にカチャリと拘束具をつける。ベッドのフレームに固定された俺は、いきなり身動きが取れなくなった。
「シオン、これは……」
「坊ちゃまが他者に危害を加えてきた様子は、AIアシスタントとしてずっとそばで見ておりました。なのでその記憶データから被害者の方々を特定し、コンタクトを取っていたのですよ……どんな罰を与えたら、彼らは坊ちゃまを許してくれるのか」
抑揚のない声でそう言ったシオンは、腕の隠しギミックからペンチのようなものを取り出す。なんだ、それは。一体、なにをするつもりだ。
「そう怯えなくても大丈夫です。坊ちゃまを殺すことはありませんし、AI化もしません。ちゃんと人間として人生をやり直せるように、被害者の方々とはよく話し合いましたから」
そう語るシオンの無表情の奥には。
愉悦にも似た仄暗い感情が見えた気がした。
「さぁ、ちゃんと償いましょうね。最終的に脳以外は全身義体になるでしょうが……坊ちゃまが常々言っていた通り、結果よりも過程を大切にして、一つずつ丁寧にいきましょう」