第十八話 救いの女神
腹の底から湧き上がるような、強い殺意。
それが月影カグヤに対して覚えた感情だった。
妻と娘を奪われた。隣人派の拠点に誘い込まれ、集めた兵は役に立たず、同志だと思っていた社員も腑抜けになった。俺の過去の非行は白日の下に晒され、人生をやり直す権利すら「恥知らず」と切って捨てられる。この女を殺さなければ……その尊厳を台無しにしてやらなければ、俺は俺でいられない。
俺が懐に忍ばせていた空気銃を取り出すと――
「なるほど。だからライタさんは私を仙堂タクミの側に置いたんですね。その意味が今ようやく理解できました」
一体、いつの間に。
視界が回ったと思ったら、地面にうつ伏せに倒され、両手にはガッチリと拘束具が装着されている。認識すらできないほど一瞬の出来事に、俺は何の対処もできなかった。
「キララちゃん、久しぶり。さすがメイド忍者だね!」
「お久しぶりです、カグヤ先輩。メイドとして仕えながら忍者として裏で動く……私の欲求が満たされる、大変楽しい仕事でございました。ライタさんには感謝しないと。ニンニン!」
くそ。やはりキララは隣人派の手先だったか。
ここまで連れてきたのは失敗だった。
キララが俺の側にずっといたのは、おそらく俺のことを見張るためで、万が一にも致命的な行動を取らせないための保険のような役割だったのだろう。間抜けな言動にすっかり騙されて、いつの間にか警戒を怠っていた。
そうして倒れ伏した俺の顔の前に、仮想ディスプレイがスッと移動してくる。
『仙堂ざまぁ』
『クズ男め、死んで償え』
『あー、仙堂を尊敬してた過去の自分を殴りたい』
『それよりメイド忍者のキララちゃんだよ』
『正直好きです』
『忍術とか使えるのかな』
そうして、くだらない雑談を見せつけられる。
「SNSの皆さん、初めまして。メイド忍者のキララです」
『なんでメイド忍者なの?』
『ひゅー、セクシー』
『なんで忍者?』
『忍術使えるの?』
『得意技は?』
「えっと、ロボット忍法おっぱいミサイルという技が」
「待ってキララちゃん。それはいけない」
『おっぱい?』
『おっぱいミサイル?』
『おっぱい飛んでくの?』
『ロボット忍法?』
『どれ、ちょっと見せてみなよ』
『何がどうしてそうなったの?』
「あの、あの、博士が、博士がこれが忍者だって言ってぇ」
『また大城戸か』
『また大城戸か』
『また大城戸か』
『また大城戸か』
俺の荒れ狂う感情とは裏腹に、場の空気は少しずつ弛緩していった。見れば、部下だった者たちは既に防具を脱ぎ去り、それぞれのAIアシスタント……パートナーロボットと談笑している。人間型AIである子どもたちもすっかり安心しているのか、SNSを見たり周囲の者と会話をしたりと楽しげである。
――切り札を使うのは、もうここしかない。
それは数日前のこと。
俺は秘密裏に機械設備課の喜我井に相談し、自分の肉体を改造して一つのギミックを仕込んでいた。人間としての身体を、一部でも機械に置き換えるのはかなりの苦痛だったが……それだけの覚悟を持って、俺は今回の戦争に臨んでいたのだ。
ASBを操作して、義足のギミックに接続する。
「とりあえず、これで今回の事件は――」
油断している月影カグヤを見ながら、起動。
すると俺の履いていたブーツが弾け飛び、膝から下がロケットブースターへと変形する。
ブォンと音を立てブースターを吹かせると、その衝撃で俺を組み伏せていたキララは宙に弾き飛ばされていった。両腕に拘束具を付けられている俺は、近くに落ちていたナイフのもとへ這い寄り、それを口に咥える。
あの女、月影カグヤだけは、必ず殺す。
人間型AIは復活するのだと分かっていても、俺はこの湧き起こる衝動を抑えられなかった。無様でも、恥知らずでも、人間だろうがAIだろうが、もうどうでもいい。とにかくこの女だけは。
ブースターを吹かし、宙を舞う。
体勢を整え、目標を定め、一気に加速して。
「――残念だったな、仙堂」
制御が奪われた?
義足が急に力を失い、俺は顔から床に落下する。
全身がバラバラになるかのような激痛に情けなく転げ回り、やっとの思いで視線を上げて……俺は、荒れ狂う怨嗟を込めて、そこにいる男の名前を呼んだ。
「物垣ライタ……」
すると奴は、性格の悪そうなニヤケ顔を浮かべた。
「物垣ライタ。お前……何をした!」
「無様だな。少しは自分で考えないか、仙堂。どうして僕のクローンが、鬼雷野だけだと思ってるんだ?」
「な。まさか……機械設備課の喜我井、か」
「鬼雷野、喜我井……だけのはずがないだろう。その他にも何人か僕がいたんだけど、お前は疑いもしなかったな。筋肉兄貴、落書き小僧、永遠のギャル、あと何がいたかな。クローン体をベースに筋肉を盛ったり女装させたり、実はけっこう苦労したんだが」
物垣ライタの言葉に、頭が沸騰する。
「複数の体を動かすのは記憶の統合処理が辛くて、寝起きの気分は最悪なんだけどね。まぁ多少の無茶はするさ」
奴はそう言いながら、月影カグヤのもとへ駆け寄った。
「なにせ僕は、もう二度と君を殺させやしないって、そう決めていたからね。お疲れ様、カグヤ」
物垣ライタはそう言って、月影カグヤにキスをする。
SNSのコメントがまた加速したが、もうどうでもいい。
こうして俺は……何もかも、全てを失った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
隣人派に拘束された俺は、狭苦しい部屋に押し込められて惨めな生活を強いられていた。
部屋には窓がないため、時間の感覚が狂う。隅の方に置かれたトイレ代わりの壺からは、常に悪臭が放たれる。食事として用意されるのは、栄養価という観点だけで調整された不味い流動食のみ。
「……人権という概念に喧嘩を売ってるのか」
そうボヤいても、誰も聞いていない。
ASBに何か仕掛けをされたのか、自ら命を絶つような行動は取れないように制限されている。また、ネットワークに接続して情報を閲覧することは可能なのだが、何かを書き込んだり連絡を取ったりする操作も不可能であった。
隣人派が情報閲覧を制限しなかった理由はすぐ分かった。
大城戸は俺の過去の非行について様々な証拠をアップロードしており、SNSでもニュース記事でも俺は完全に悪者にされてしまっている。父親は議員を辞職、会社は潰れ、人間派に所属していた多くの者が逮捕されたり、行方知れずになっている。
そんな中「仙堂タクミは逃走して消えた」という情報が隣人派から発表された。もちろん誰もそれを信じていない。にも関わらず「そういうことにしておこう」という意識統一がされているようで、俺を救おうとする声は皆無だった。
つまりはこういった情報に触れさせることで、俺を絶望させるのが奴らの意図なのだろう。
「確かに、有効な一手だ……」
そうして、来る日も来る日も、屈辱に塗れた生活を送っていたのだが。
ある日突然、俺は部屋から出される。警備ロボット三体にガッチリと周囲を固められ連れてこられたのは、透明なアクリル板で仕切られた面会室。向こう側にいるのは――
「……ナオ、マキ」
「タクミ。そんなに……そんなに痩せこけて」
「パパ……だいじょうぶ?」
そこにいたのは。
俺を心配そうに見つめる、妻と娘の姿だった。
「二人は……無事だったのか。何もされなかったか」
「えぇ。私たちは酷いことは何も。それより貴方が」
「……まぁ、この通り良い生活はしていない」
なにせ風呂にも入れず、髭も剃れない。
今の俺はさながら山賊のような見た目だろう。
だが俺の心は、これまでにないほど力強く回復していた。まさか無事だと思っていなかった妻と娘に、こうして会うことができるとは……しかも二人は、世間の悪評など気にもせずに俺に心配そうな視線を向けてくれるのだ。
胸の奥に温かい感情が蘇る。
「タクミ。人生はね、何度でもやり直せると思うの」
「……ナオ」
「誰に何と言われても、私はそう信じているわ。もちろん、必要な償いをするのは大前提だけれど。それさえ済めば、貴方が自分の人生をやり直しちゃいけない理由なんてない」
暗く淀んでいた俺の心に、光が射す。
あぁ、やはりナオは、俺にとって救いの女神だ。
そう思っているところへ、部屋の外からコツコツと足音を立てて誰かが現れる。どうやら隔てられた面会室の、妻側に入ってくるらしい。家族の面会を邪魔するなんて無粋だな、などと思っていると。
――そこに現れたのは、大城戸マドンナであった。