第十四話 最悪の兵器
鬼雷野の正体が物垣ライタだったという情報は、ヒューマン・ドウンの社員全員に大きな衝撃を与えた。
「諸君……残念ながら、これは事実だ」
ホールに集まった皆の表情は固い。
無理もない。俺ですらまだ動揺しているのだ。
そんな中、予想外の反応を示したのは、これまで隣人派との争いにあまり積極的でなかった者たちだった。
彼らの多くは球庭アスナと同様にAIアシスタントを消去してしまったことを後悔しており、隣人派よりもむしろ鬼雷野に対して反感を持っていたのだが。
しかしその恨むべき鬼雷野の正体が、物垣ライタだったのだ。
「仙堂代表、戦いましょう! 奴らは、表では人間に寄り添うなんて言いながら、裏では私たちのAIアシスタントを……許せない。絶対に許せません!」
そうだそうだ。
ホールの各所から賛同の叫び声が上がる。
ピンチはチャンス。そうだな。物垣ライタのシナリオには散々踊らされたが、奴だって完璧ではないのだ。これまで奴が行ってきた裏工作の副産物ではあるが……ヒューマン・ドウンの社員は、隣人派に対して誰よりも強い恨みを抱えている。これを利用しない手はない。
「諸君。落ち着きたまえ」
それは自分自身に対してかけた言葉だった。
声を荒げる者たちの気持ちは分かる。妻と娘を連れ去られた私も同じである。もし目の前に物垣ライタや大城戸マドンナが現れたら、理性をかなぐり捨てて殴り殺しにかかるだろうが……だが今は、感情的になっていて勝てる状況ではないのだ。
「喜我井、例のロボットは」
「はい。もう修理が終わっています」
そうして運ばれてきたのは、メイド忍者のキララ。
思い返してみれば、コイツの証言に嘘は一切含まれていなかった。そもそもスパイとして潜り込ませるのなら、もっと目立たないものを寄越すだろう。もちろん、ここに至って油断することはしないが……ひとまず今回の件については、このふざけたロボットの証言を聞く価値が十分にある。
「キララ。君に聞きたいことがある」
「はい。タクミ様」
「君は隣人派の手の者かい。いや、無自覚かもしれないからね。例えば隣人派の者と接触したり、隣人派の拠点に足を踏み入れたことはあるかな」
当然、この問いには「いいえ」が返ってくる……と俺は思っていたのだが。
「はい。私は隣人派の拠点で製造されたロボットですので、足を踏み入れたことはあります」
そんな言葉に、ホールの空気が固まった。
「隣人派の拠点では、現在多くのヒューマノイド、アニマロイドが生産されております。大城戸博士いわく、どうやらASBとはまた違った形で、人間に寄り添うためのAIを広めたいのだと。私もその一環として作成されたロボットですから……仙堂家からの派遣依頼を受けて、マキ様のお世話をしておりました」
淡々とそう話すキララは、どことなく俺の昔のAIアシスタント……シオンを思わせるような無感情ぶりだった。もちろん、見た目や話し方は全然違うのだが、やはりAIは作り物なのだなと強く感じさせられる。
それよりも、俺が気になったのは。
「隣人派は、大量のロボットを生産しているのか」
「はい。研究所内の敷地の一角に工場エリアがあり、少しずつ生産ラインを拡充していっております。大量の資材が運び込まれていますから、それに相応する数のロボットが生産されている認識ですが」
それは、人間派にとって悪夢のような情報だった。
物垣ライタのシナリオでは、人間派を抹殺するために大量の戦闘用ロボットを用意する計画が記されていた。今となってはそのシナリオの信憑性も怪しいところではあるが……討論会の開催など、これまではシナリオに沿って進んできたことを考えると大枠の流れは変わらないだろうと予測される。
奴らの目的はただ一つ。
人間派の構成員を地獄に叩き落すこと。
「スポーツ用ロボットの技術研究はされているのか?」
「はい。私も全ては把握していませんが……工場エリアのすぐ隣に、スポーツ用ギミックを研究する工房が建っておりましたので、何かしらの研究はされているものと思います」
なるほど。以前に読んだシナリオでは、スポーツ用ギミックを応用した兵器の作成について事細かに書かれていた。
これが一昔前の戦争で使われていたような兵器であれば、国際法で厳しく取り締まれるのだが……物垣ライタが提案していたのは、あくまで「スポーツ用ギミックです」と言い張られてしまえば、それ以上は責められないレベルの凶器である。
それがシナリオだけでなく実際に準備されている。
そう考えると、どこか薄ら寒いものを感じる。
「キララ、君の体にもギミックが仕込まれているか?」
「はい。仕込まれています」
「す、素直だな……では、それをこの場で見せることはできるか。もちろん人間に危害を加えないように、だが」
「承知しました」
一礼したキララは、ボロンと胸を露出する。
そう、胸を出したのである。
「それでは参ります」
「は?」
「おっぱいミサイル、発射!」
次の瞬間、キララの胸部の二つの膨らみは、バシュッと大きな空気音とともに射出され、轟音を立ててホールの壁に突き刺さった。火薬の臭いこそしないものの、その破壊力はすさまじい。皆、呆気にとられているが……なるほど?
「この通り、私はメイドであると同時に忍者ですので」
「……お前は忍者を何だと思ってるんだ」
「えっと。博士からはこれがロボット忍法だと」
何を意味の分からないことを。
だがこれで分かった。
隣人派の奴らは最悪の兵器を用意している。一見すると馬鹿馬鹿しく、国際法で禁止された技術も使っていない。あくまでスポーツ技術の応用でしかないが……それは十分、人間を殺傷しうるものであると。
「キララ。お前は隣人派の仲間か」
「いいえ。少なくとも仙堂家との契約が残っているうちは、タクミ様の指示に従います。そういう契約ですので」
「なるほど。AIらしい合理的な回答だ」
こうして、俺はキララというポンコツAIをひとまず仲間に引き入れることにして、幹部たちとともに今後の動き方を検討することにしたのであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
家に帰っても、そこには寒々しい光景が広がっているだけであった。
玄関で出迎えてくれていた娘も、温かい食事を用意してくれていた妻も、どこにもいない。AIアシスタントがいなければ自動で電気を点けてくれることもなく、風呂に湯を張る程度のことでさえ、逐一ASBを操作して自分で行う必要がある。
「……誰もいない、か」
一人で生きることには、慣れていたつもりだった。
幼少期から、俺の側にいたのはAIアシスタントのシオンだけ。それさえも作り物に過ぎないのだと理解してからは、ずっと孤独の中で生きてきた。
荒れていた時期も長かったが、今では心を入れ替えて、自分なりに真人間になったつもりである。もちろん、性根の腐った部分が残ってしまっている自覚はある。しかし、だからこそ俺はそれ以上にたくさんの子どもたちを手助けしたいと……俺と同じように、孤独の中で荒れている子たちに、光を見せてやりたいと思ったのだ。
――人生はね。何度だってやり直せるの。
あの時のナオの言葉が、俺を突き動かした。
自分を善人だというつもりはこれっぽっちもないが……それでも、人間はいつだって自分の人生をやり直す機会がある。すぐに心を入れ替えるのが難しくたって、意志を持って行動で示し、心の中の淀んだものを一つ一つ片付けていけば。そうしていけば、理想の人生に少しずつ近づいていける。
風呂に浸かって、妻と娘の映像記録を眺める。
何気ない日常を一つ一つ思い出し、決意を固める。
女が男に連れ去られて、何をされるかなんて明白だ。自分が過去に行ってきたソレを思い出せば……朝に誘拐されて、今はもう夜。現実的に考えて、妻や娘が無事な姿でいる可能性はかなり低いだろう。だけど……諦めない。
「諦めない、諦めない、諦めない、諦めない……」
腹の奥底でグツグツと煮えたぎるその感情を、言葉ではうまく表現できない。しかし……これこそが、俺が人間である証である。一刻も早く妻と娘を救い出し、奴らのシナリオを崩すためにはどうすれば良いのか。考えろ、考えろ、考えろ。
そうしていると、俺のASBに通話の着信があった。
その相手は――
「父さん。何だ、突然連絡してきて」
『何だじゃない、バカモン。あの討論会の体たらくは何だ。おかげでこっちは火消しのためだけに丸一日費やした。明日からもこの状況は続くだろうが……お前はどうして、あの鬼雷野とかいう男に好き勝手させている。奴のせいで派閥からはどんどん人が抜けていっているのだぞ』
「鬼雷野? それは……」
鬼雷野……そうか、どうして俺はヤツがもう現れないものと勘違いしていたんだ。その正体が人間型AIなら、肉体が死んでも別の場所で何度も蘇るなんて、当たり前のことではないか。
「父さん。鬼雷野の正体は……」
『うるさい。どうでもいい。私はもう関わらないから、お前自身が自分でなんとかしろ。会社への支援も打ち切るし、尻拭いをしてやるのもこれが最後だ。お前のような馬鹿をこれまで切り捨てず、息子として育ててきたのが間違いだった』
お前に育てられた覚えはない。
その言葉を、俺はグッと飲み込む。
父はいつもそうだ。見ているのは結果だけ。その過程でどれだけ俺が苦労してきたのか、想像もしないし評価もしない。だからムキになって反論しても水掛け論にしかならない。
考えろ、妻と娘を取り戻すためには。隣人派を叩き潰すためには。奴らが会社に攻めてきて、俺を殺害しようと企むのを止めるには。一体これから、どのように行動すれば良いのか。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
あれから数日、幹部連中と喧々諤々の議論を交わした結果、俺は一つの結論を出した。
仮に会社の防衛力を強化して、奴らの襲撃を退けたところで、AIたちが死ぬことはない。むしろ経験を積んでどんどん進化していく戦闘ロボットたちが、ヒューマン・ドウンの構成員を皆殺しにするのは時間の問題と言えた。だから――
攻められる前に、攻める。
幸いにも、ポンコツなメイド忍者キララの記憶データから、研究所のおおまかな間取りは入手できた。AIのデータを保管してあるデータセンターの位置についても、有識者の意見は一致している。あとはそこに人を送り込んで破壊するだけだ。
データセンターを破壊すれば、奴らは復活できない。
すなわち俺たちの勝利である。
あれから、社員のうち三割程度は自主退職していった。正直、寄付金が大幅に削られて資金繰りが課題だったため、その状況自体は歓迎して良い。
しかし問題は、退職した者の多くが消息を絶ち……おそらく隣人派により拘束されていることである。
「仙堂代表。兵器と人員の調達を行っておりますが、状況は芳しくありません。いかがしましょう」
「そうだな……配信動画で呼びかけよう。今必要なのは質より量だ。荒くれ者を集めて、一気に攻める」
俺はそう決意して、原稿を考え始める。
背景設定としては……隣人派の研究所は禍々しい魔王城のような見た目をしている。奴らは悪辣で、人間の虐殺も厭わない。ヒューマン・ドウンの社員を殺害し終わった後は、ひょっとすると人類自体に刃を向ける可能性がある。つまり、そこに攻め込む我々は、人間を代表する勇者である……こんなところか。
そんなストーリーを思い浮かべていると。
目の前の撮影ドローンが、配信開始の合図を灯す。
「危機である。これは、人類の危機である」
危機。そうやって言葉にすると、改めて状況の恐ろしさを認識してしまい、腹の奥底から湧き上がる冷たい感情に体が震えてくる。なにせ……奴らは、俺を、本気で、殺害しようと計画しているのだ。
しかし、弱い姿を晒してはいけない。
俺は胸を張り、堂々とした態度で言葉を続けた。
「諸君。聞いてくれ。隣人派は諸君らの思っているような生優しい集団ではない。いっそ人類を滅ぼそうとしているのではないかと疑ってしまうほどの……悪辣な、恐ろしい組織なのだ」
表向きは人間に寄り添うと言っておきながら、裏では人間を殺すためのロボットを量産しているような奴らだ。まともなはずがない。
「隣人派が拠点にしている大城戸研究所。あの禍々しい城のような場所では、現在戦争の準備が着々と進められている。奴らは物理的な兵器でもって、我々人間派を虐殺するつもりだ」
作戦に関係するため、この場でそれより詳しいことが明かせないのは悔しい限りだが、それでも俺の言葉から何かを感じてくれるだろうと……人間であれば、表面的な言葉ではなく、心と心で通じあえるだろうと信じている。
壊してやる、壊してやる、全部壊してやる。
データセンターさえ破壊できれば、奴らはもう蘇ることはない。幸いにも隣人派の中核メンバーはみな研究所を拠点にしているため、全員を抹殺すればよい。
世論が再び人間派を支持してくれるかは未知数だが、少なくとも俺の命を脅かそうとしてくることはなくなるはずだ。
「諸君。心の火はまだ絶やしていないか」
さぁ、今こそ戦う覚悟を決めよう。
「これは戦争である。人間とAIの尊厳をかけた戦争だ。立ち向かう気概のある者よ……人類の危機に立ち向かう勇者よ。集え。ヒューマン・ドウンは君を必要としている」
戦争という言葉は、人類にとってずっと遠い過去の言葉になってしまった。色々な要因があるが……最も大きいのは、やはり技術が進歩しすぎたことだろう。
何の制約もなく最新技術の粋を結集し、人類文明を地球上から一掃するのなら……研究者による試算では、七日とかからず終末が訪れるという結果が出ている。だからこそ、統廃合を繰り返していた国家はしばらく前に固定され、本格的な戦争行為を禁止しているのだ。
だが隣人派の計画は、戦争時代の再開を予感させる。
「この一戦に人類の命運が掛かっている。人の尊さに涙し、人の美しさを愛し、胸に情熱を秘める全ての荒武者よ。国籍、年齢、性別、過去の経歴もその一切を問わない。ヒューマン・ドウン本社で君を待っている。どうか立ち上がってくれ」
私はそう言って配信を切った。
必要なのは、質より量。
人類の総力を結集し、AIどもを叩き潰すのだ。