第十三話 誰のシナリオ
妻のナオと娘のマキが誘拐された。
そう聞いて、頭の中が真っ白になった。
もちろん、家族の身の安全は最優先で守ろうとセキュリティは万全に整えていた。これについてはAIだの人間だの言っていられないため、自宅には最新鋭の設備を整えて警備ロボットを配備し、警備部の者にも周囲を巡回させていた。これまで、特に怪しい人物などは報告されていなかったのだが。
とにかく今は事実関係を明らかにしなければ。
「諸君。すまないが緊急のようだ。私は退席させてもらうよ。鬼雷野、集会の取りまとめは任せる」
「はい、代表」
「それから警備部と機械設備課から、何人か力を借してくれ。このロボットを運び、事実を調査する必要がある」
湧き上がる焦燥感を無理やり飲み込んで、体裁を取り繕う。このタイミングでこんなことを仕掛けてくる相手は決まっている。隣人派……このシナリオを書いたのは、やはり物垣ライタだろう。忌々しい男だ。
ヒューマン・ドウンは人間派の中心地とはいえ、AI自体を完全排除しているわけじゃない。料理ロボットや清掃ロボットなどは一般企業のように普通に働いているため、それを整備する部署も存在している。
別棟にある機械設備課にやってくると、警備部の大男がロボット――メイド忍者のキララを作業台に寝かせる。そして、整備士の男が部下に指示を出しながら、その傷ついたボディをチェックし始めた。
「仙堂代表……」
警備部を取りまとめている守田という男が、撮影用ドローンを飛ばして自宅周辺の映像を投影する。外から見たところ、特に異変は見られないが。
「代表、ご自宅の警備ロボットが壊されている様子もなければ、ドアや窓が壊されている様子もありません。一見するといつもと変わりませんが」
「家の内部は?」
「そこはさすがに仙堂代表の許可がないと閲覧はできませんが……見てもよろしいですか」
「緊急事態だ。許可しよう」
それくらいは自分から提案してほしかったものだがな。俺が許可すると、守田はサッと画面を切り替えて自宅内部の監視カメラ映像を表示する。特に家が荒らされているような形跡はない……が。妻も娘も、姿が見当たらない。
「この時間はいつもご在宅の認識です。外出の予定も聞いておりません。また、奥様に連絡を取ろうと試みましたが、応答がありません。そもそも現在お二人のASBがネットワークに接続されていないようなのです。これは……」
「本当に誘拐されている可能性がある、か」
「……あとはその壊れたロボットの話次第かと」
歯切れの悪い返答だな。この無能が。
話していると、守田を殴りたい衝動に駆られる。
だけど、分かっている。今の自分は冷静ではなく、この感情はただの八つ当たりに過ぎないのだ。その場の感情で破滅的な行動を取るべきではない。俺は人生をやり直して「真人間」になったのだから。
「守田。このあとはどのように捜索を始める」
「はっ。まずはドローンの巡回範囲を広げつつ、警備部から選抜したメンバーで聞き込みを行います」
「監視カメラの過去映像などは?」
「そうですね。調べてみた方が良いかもしれません。ただそうなると人力で行うのはかなり厳しいので……」
そういって語尾を濁す守田に、強い苛立ちを覚える。
俺は意志の力を総動員し、努めてゆっくり話をした。
「……守田。人間派は、道具としてのAIの有用性を否定しないと私は散々語ってきたと思うのだが、君の認識はどうだろう。今の君に与えられたミッションはなんだ。そのために必要な道具がAIだと言うのなら、使えばいい。それは人間派の理念になんら違反しない。妻と娘の安全を確保して、それでも誰かが文句を付けるのであれば、私が矢面に立って反論してやる。手段を選ばず、目的に対して必要なことがあれば、全て実行するのだ。いいな、守田」
俺がそう語ると、守田は気まずそうに頷いてから「はい」と答えた。いかんな、キツく言い過ぎた。もう少し落ち着いて話をしないと。
「すまない、言葉が荒くなった。どうも気が立っていてね」
「いえ、心中お察しします。代表のご意見は正しいですから……奥様とお子様の捜索には、手段を選ばず全力を持ってあたらせていただきます」
「頼むよ。手間をかけてすまないね」
守田はそうして去っていった。
目の前では、作業台の上にメイド忍者が力なく横たわっている。今の手がかりはこのメイドロボットだけであるが……この個体が隣人派の手先であるという可能性も考慮する必要があるな。誘拐犯の一味かもしれないのだ。
体を全て修理するには時間がかかるだろうが、ひとまず会話だけでも成立させたい。機械設備課にも俺から今後の修理方針を提示した方が良いか。
俺は喜我井という整備士に話かける。
「記憶データは直接抜けないのか?」
「はい。このタイプは個体独自の情報形式を定義して記憶データを保持しておりまして……少なくとも、ここの社内設備では記憶を直接覗くといった行為は困難です」
「そうか、ではまず会話が可能なよう修理してもらいたい」
「承知しました。今もそう思ってボディの修理は後回しにして進めています。まずはこいつが誘拐と口走った件の詳しい事情を確認をする必要があるでしょうから」
ほう。守田よりも喜我井の方が、状況を分かって動いてくれるようだ。話しぶりもハキハキしていて有能さが伺える。
それからは余計な口を挟まず、ロボットの修理が済むのをひたすら待ち続けた。
待っている間、グルグルと巡る思考は同じところを行ったり来たりしている。ナオとマキは無事だろうか。誰がどうやって二人を連れ去った。もし二人の身に何かあれば……その時、俺は自分の破壊衝動を抑えられるのか。
「代表。ひとまず会話ができる程度に修理しました」
そう言われ、俺はようやくかという思いで席を立つ。視界に時計を表示すると実際には三十分程度しか経っていなかったのだが……今の私には、まるで一晩が過ぎたかのような長い時間に感じられた。
作業台の脇に立つと、メイド忍者と目が合う。
「タクミ様……申し訳ありません。私がついていながら、ナオ様とマキ様をみすみす誘拐されてしまいました」
「気にするな。一体何が起きたのか説明してくれるか」
AIに苛立ちをぶつけても仕方ない。
俺は努めて気持ちを抑える。
「今朝のことでございます。タクミ様が家を出た後、一人の男が家を訪ねて参りました」
「男?」
「はい。ナオ様はその男としばし談笑した後、マキ様を連れて外出なさいました。私も同行したのですが」
ということは、その男は妻の知っている男だろうか。
胸の中に焦燥感とは別の何かが生まれる。
キララは淡々と説明を続けた。どうやら娘のマキもその男に懐いていたらしい。三人の様子はとても気安くて、その時点では危害を加えてくる敵のようには思えなかったと……キララはそう説明するのだ。
「私としても、ここまでナオ様が気を許している相手ならば信頼できる人間なのだろうと……しかし人気のない路地まで来たところで複数の男たちがお二人を車の中に押し込めました」
そして、二人を助けようとしたキララは武装集団によってボロクズのようにされてしまったのだという。その話が本当なら……俺の敵は、その男。
「そういえば、ナオ様が男の名前を一度だけ呼びました」
「なんだと? なんと呼んでいたんだ」
「はい……鬼雷野。確かにそう言っておりました」
鬼雷野か……なるほど。
ここに来て、俺はようやく理解した。
このロボットはやはり隣人派が送り込んだスパイである。人間派の筆頭である俺と、人間派の重要人物である鬼雷野を仲違いさせる魂胆なのだろう。
考てみれば、確かに良い一手ではある。妻と娘を利用されれば俺が冷静でいられないのは残念ながら事実であり、明確な弱点なのだ……しかし、その手に乗ってたまるか。
「喜我井。このロボットは隣人派の手先だ。修理はしても動作出力が最低限になるよう調整しろ。あとで情報を絞り出す」
俺は喜我井に指示を出すと、機械設備課を後にした。
それから、追加の情報を求めて警備部に顔を出した。
守田の働きにはそこまで期待はできないが、自宅周辺に設置してある監視カメラの映像を掘り返せば、少なくとも妻と娘が家を出た時の様子は確認できるはずなのだ。
そう思っていると、映像を確認していた社員たちが何やら顔を寄せて話し合っている。一体どうしたというのか。
「諸君。何か新たな情報があったなら教えてくれ」
「それが……いえ、本件は映像を見てもらった方が」
そう言って、彼が仮想ディスプレイを空間投影する。
すると、そこには――
ナオのすぐ隣に、マキを抱きかかえて歩く、鬼雷野。
三人の表情はとても穏やかで、何を話しているのかは分からないが仲良さげに笑っている。その後ろでは、メイド忍者のキララが付き添いとして歩いているが……なるほど。てっきり隣人派のスパイの戯言だと思っていたが、あれの発言も完全に嘘というわけではないのか。
「何を話しているのか、唇は読めないのか」
「……あ、はい。これから解析します」
「それくらい自分で思いつけ!」
やはり守田の部下。指示しないと動けないのか。
ダメだ、また衝動的に苛立ちをぶつけてしまう。
頭が爆発するのではと思えるほど、荒れ狂う思考はまとまらない。この現状は、どこからどこまでが物垣ライタのシナリオなんだ。それとも、別の誰かの意志なのか。
そう思っていると、映像に合わせて人工音声が乗る。
『鬼雷野さん。本当に何も持たなくて良いのですか』
『えぇ。代表からの指示は、極秘での避難ですから』
『そうですか。あの人の指示なら従いますが』
『できるだけ仲良さそうに……周囲からは家族にでも見えるように、自然な感じで振る舞ってください。輸送車の合流地点まで行きます』
なるほど。音声が付くとガラリと印象が変わるな。
もちろん俺は避難指示など出してはいない。だからこの映像から分かるのは、少なくとも鬼雷野が嘘をついて二人を連れ出したということだ。
『オジサンっておもしろい。ケッコンして!』
『マキちゃん。それは冗談でも許されない。おじさんには、それはそれはとても怖い恋人がいるのだよ。相手がマキちゃんであっても、彼女は容赦しないだろう』
『わかった! じゃあメモしておくね。オジサンは、コイビトが、こわいっと……よし』
『よしじゃないが』
なぜ娘は鬼雷野にこんなに気を許してるんだ。
妻もその隣で呑気に笑っているが……クソが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
荒れ狂う感情をどうにか押し殺しながら、鬼雷野の執務室へと向かう。
あいつは新参者、俺が人間宣言をした後に入社した社員である。だがAI嫌いを公言していて裏切る可能性が低いこと、人に恨まれるような汚れ仕事でも淡々とこなすこと、考え方が理路整然としていること、元AI研究者として知識があること……そういった点から、使い勝手の良い男だと思ってこれまで重用してきたのだ。
落ち着こう。まだ鬼雷野が裏切り者だと決まったわけではないのだ。十中八九間違いはないだろうが、これも物垣ライタによる離反工作である可能性は否定できない。とにかく冷静に、鬼雷野を見極めなければ。
そうして扉を開けると、鬼雷野は誰かと遠隔通話をしている最中のようであった。
『――君らにはもう付き合いきれん』
「そうですか。残念です。我々は人間派の仲間として、足並みを揃えて協力していけると思っていたのですが。ご賛同いただけないのであれば仕方ありません」
『ふん。では失礼するよ』
そうしてプツリと通話が切れる。
これは、一体何をしているのだろうか。
「代表。いらっしゃったのですね」
「鬼雷野、今の通話は何だ」
「はい。ヒューマン・ドウンへの支援を打ち切りたいという連絡です。朝からひっきりなしですが……おそらく、昨日の討論会の結果でしょう。人間派としての主張を伝えてはいるのですが、どうにも納得していただけず」
鬼雷野は書類仕事を片付けながら会話を続ける。
その様子はいつもと変わらない。
やはり鬼雷野の裏切りは間違いだったのではないか。物垣ライタのシナリオに踊らされているだけかもしれない。そうやって、俺は自分の願望を多分に込めた思考に縋りそうになる。
「鬼雷野。確認したいことがあるのだが……今朝、私の自宅から妻と娘を連れ出したのは、君か?」
私がそう問いかけると、鬼雷野はきょとんとした顔で
「もちろんです。シナリオ通りの行動ですが、何か」
そんな風に答えた。
それは一体どういう意味なんだ。
俺が混乱する頭のまま尋ねれば
「ですから。事前に書いたシナリオの通りの行動です」
そう言って「シナリオ」について説明を続ける。
討論会の結果が散々なものになったため、社員の中からも離反者が現れるかもしれない。しかしここで散り散りになってしまっては、人間派が本当に敗北してしまう。結束力を高めるためには、大きな事件でもって隣人派の構成員へ危機感を煽る必要があった。そういう目的の狂言誘拐であると。
またこのシナリオは、鬼雷野だけでなく警備部の守田も知っていたらしい。なるほど、だから奴はいまいち緊張感に欠けていたのか。
演出としては確かに効果的だろう。
だが問題は、そのシナリオを俺自身が把握していないのに、鬼雷野がまるで俺の指示であるかのように振る舞って行動していることである。
「……妻と娘は安全なのか?」
「そう認識しておりますが。私の管轄外なので」
「二人はどこにいる。それくらいは把握しているか」
「はい、もちろんです」
鬼雷野は空間投影していた仕事の書類を全て閉じ、俺の顔をまじまじと見て言った。
「ナオさんとマキちゃんは、隣人派の拠点にいますが」
「……は?」
それは一体、どういうことだ。
これが本物の誘拐だと言うのなら、確かに隣人派の拠点にいるという話は確度が高い。だが鬼雷野は現在これが狂言誘拐だと思って話をしているのだから、二人がそんな場所にいるなどという言葉は飛び出してこないはずだ。
何かがチグハグになっている。
俺がそう考えて戸惑っていると。
「ですから、私はシナリオ通りだと言っているではありませんか。代表、思い出してください。この人間派と隣人派の争いにおいて、シナリオを書いていたのは誰だったのか」
鬼雷野の口調が、楽しそうに跳ねる。
シナリオを書いていたのは……物垣ライタ。
「鬼雷野。お前はまさか、物垣ライタの手下なのか」
「違いますよ」
鬼雷野はそう言って、口の端を小さく持ち上げる。
「代表。人間型AIが動作させられるのは、自分自身のクローン体だけである……以前そう話しましたね」
「……あぁ」
「逆に言えば、クローン体であれば何でも動かせるんですよ。物垣ライタは二十そこそこの青年ですが、その体細胞を四十代のおじさんにまで育てても、入り込めるというわけです」
鬼雷野はそう言って、いつも神経質に撫でつけていた髪をくしゃくしゃに乱す。懐から眼鏡を取りだして掛けると、そこに現れた姿は確かに……。
確かに、物垣ライタを老けさせたような姿であった。
「まさか……お前はずっと、人間派に入り込んで」
「えぇ。しかし一応ヒントは出していたんですよ」
奴はそう言って、宙空に文字を並べて動かし始める。
鬼雷野タガモ。
キライノタガモ。
モノガキライタ。
物垣ライタ。
「アナグラム。本名を並べ替えて偽名を作るなんていうのは、小説家にとっては昔からある手垢のついたやり方ですがね。でも、上手く使えば読者をビックリさせられる。なかなか楽しいギミックでしょう?」
それでは。あの時も、あの時も……全部が全部、こいつの手のひらの上だったというのか。これまでずっと。
「改めまして、僕は物垣ライタ。AI小説家にして、隣人派の斬り込み隊長をさせられている者です。AI自動生成なんて創作じゃねえ、そんな意見も数多く頂いていますが――」
そう話す物垣ライタの笑顔は、大城戸マドンナと変わらないほど意地悪そうに歪んでいて。
「AI生成のシナリオも、なかなか悪くないだろう?」
物垣ライタはそう吐き捨てて、ポケットから取り出した何かの小瓶を飲み干すと、そのまま床に倒れて動かなくなった。