第十一話 俺たちのママ
グダグダの生配信により、お笑いコンビ「ポンコツ人類」がどちらも揃ってポンコツだったという事実が証明される一方、SNSではカグヤたんの人気が急上昇していた。
『ママ、俺たちのママ』
『よしよししてぇ(四十代男性)』
『ばぶぅ(三十代女性)』
『工場生産組のハートに刺さりまくるな、ママ』
『家族組のハートにもぶっ刺さってるよ、ママ』
『私もママに慰めてもらいたい』
『え、物垣ライタをパパって呼ばなきゃいけないの?』
『物垣ライタ? 知らない名ですね』
『大城戸博士ェ……』
『博士はね。まっどさいえんちすとだから』
『ねぇ、どこに行ったらママに会えますか!?』
つい先ほどまでAIに関して哲学的な概念を解説していたアカウントが「ママぁ」と呟き、それにバチバチな反論をしていたアカウントが「おぎゃあ」とリプライする。画面の向こうにいるのは皆いい大人のはずなので、想像すると軽い地獄絵図である。
拙者が「マ」と言うと、隣のクゥたんが悲しそうな顔をするのでちょっと言葉を止めることにした。違うのだよ。これはその、クゥたんに抱いている感情とは全く別の何かであって、そんな真剣に考え込むことではないのだよ。
「キリト様……き、キリトきゅん?」
「く、クゥたん、無理しないで。急にキャラ変しようとしなくていいのだ。アイデンティティが崩壊しかけてるから。拙者は元のクールで毒舌なクゥたんが大好きなのである」
だいぶ面白い感じに顔を歪めたクゥたんはレアだけれど、拙者はやはり元の感じの毒舌メイドのクゥたんが良いのである。
そんなこんなで、大討論会と銘打った生配信の結果は、まぁ改めて語るまでもなく隣人派の勝利……というかカグヤたんの勝利と言うべき結果で幕を閉じた。家族愛に飢える庶民にアレは反則である。
討論会の翌日には、関係者からのリークがあった。
なんでも人間派はかなり色々な手口を使い、あの番組が人間派に有利な展開になるよう仕組んでいたのだという。会場の観覧客は全てヒューマン・ドウンの社員から動員していたし、司会のお笑いコンビや制作会社の社員には電子クレジットをばら撒いて、政治家をしている仙堂の父親からも相当な圧力がかかっていたそうだ。番組スポンサーの一覧を眺めてみれば、なるほど、たしかに人間派の企業ばかりが名を連ねているのが分かる。
そこまで色々と準備しておいてこの結果なので、今回はもう言い訳のしようのないくらいの惨敗と言って良いであろう。
討論会から数日が過ぎても、SNSで「AIは心を持つのか」と誰かが投稿すれば「ママ」というリプライが殺到するようになったので、人類の哲学は一つ上のステージに進化したと言えるのだ。退化したとも言えるが。
一連の出来事を通して、拙者の心境にも少々変化があった。
クゥたんがちゃんと感情を持った個人なのだということを、以前よりも強く意識して行動するようになったのである。
【キリト様、今日のトレーニングですが】
「うん、クゥたん。やろうか」
【なんだか最近、妙に気合が入っておりませんか?】
クゥたんに問われたのがあまりに突然だったので、拙者は頑張って表層思考に浮かべないよう隠していた想いをついポロッと脳裏に浮かべてしまった。
――クゥたんの好きなアクション俳優みたいに鍛えれば、拙者の長年の片思いが成就するかもしれないし。
「うああぁぁ、待つのである。今のはちょっとごめん、聞かなかったことにして。相当キモかった自覚はあるのだ。頑張って考えないようにするから、お願いだから拙者を見捨てないでぇ」
拙者がつい半泣きになって懇願すると、クゥたんの小人アバターは冷めた視線を投げかけながら盛大な溜息を漏らす。
【その鈍感力は違う場面で活かした方がよろしいかと】
えっ。なにそれ。
期待して良いのであるか?
【可能性はゼロではないと言っているだけです。いいですか、誘い受けなんて卑怯な戦略は論外ですよ。私を口説き落としたければ、ハッキリとした意志でもって言葉と行動で示してください。大切なことは三つ。度胸、筋肉、就職でございます】
最後の一つが重すぎるのである。
ただまぁ、それでクゥたんを口説き落とせるのであれば、ちょっと頑張ってみようか。拙者はそんな風に、少しだけ前向きに考えられるようになったのだ。
■ □ ■ □ ■
AIを巡る争いに大きな変化があったのは、その後わりと早い段階であった。
今や敗色濃厚となった人間派の筆頭、仙堂タクミが、一本の動画を配信したのだ。
『危機である。これは、人類の危機である』
その表情にいつもの快活さはなく、まるで追い詰められた小動物を思わせる姿であった。体をプルプルと小刻みに震わせ、血走った目でどこかに隠れる場所はないか忙しく探しながら、それでもなお虚勢を張っているかのような。
『諸君。聞いてくれ。隣人派は諸君らの思っているような生優しい集団ではない。いっそ人類を滅ぼそうとしているのではないかと疑ってしまうほどの……悪辣な、恐ろしい組織なのだ』
噂で聞いたところによると、人間派から隣人派へ転向する人は世界的に急増しているらしい。
ヒューマン・ドウンへの寄付金も集まりが悪くなり、今や会社の存続すら風前の灯火らしいのだ。まぁ、拙者は仙堂がどうなろうがあまり興味がないのだが。
『隣人派が拠点にしている大城戸研究所。あの禍々しい城のような場所では、現在戦争の準備が着々と進められている。奴らは物理的な兵器でもって、我々人間派を虐殺するつもりだ』
彼はそんな被害妄想のようなことをブツブツと口走る。
いや、隣人派はそんなことをしなくても既に勝利しているのであって、兵器を使った大虐殺なんて現実的な考えとは思えない。どちらかというと、今は仙堂の方が暴力的な気配を纏っていて危ういとすら感じるのである。
『諸君。心の火はまだ絶やしていないか』
仙堂の目に、暗い光が灯る。
『これは戦争である。人間とAIの尊厳をかけた戦争だ。立ち向かう気概のある者よ……人類の危機に立ち向かう勇者よ。集え。ヒューマン・ドウンは君を必要としている』
その仕草には、荒々しい感情が乗る。
『この一戦に人類の命運が掛かっている。人の尊さに涙し、人の美しさを愛し、胸に情熱を秘める全ての荒武者よ。国籍、年齢、性別、過去の経歴もその一切を問わない。ヒューマン・ドウン本社で君を待っている。どうか立ち上がってくれ』
そうして、動画は終了した。
正直気が狂っているとしか思えないが、それでも応じる者は出てくるだろう。仙堂に心酔している者、何でもいいから暴れたい者、どさくさに紛れて略奪をしたい者、どこでも雇ってもらえないような脛に傷を持つような者。そういった者たちを駆り立てるような後ろ暗い情熱を、この動画からは感じられたのである。
【キリト様。就職活動は一旦中止なさいますか?】
「いいや。これはチャンスである。皆が尻込みする今こそ」
大城戸博士の人工頭脳工学研究所。
人間派が明確に「敵」と見定めているその研究所に、拙者はどうにか就職したいと思って、履歴書を書いているところなのである。