第十話 大討論会
『最初のテーマはこちらぁ!』
そう言ってデンと表示されたのは「人間の尊さについて」というテーマであった。
なるほど、たぶん番組の流れとしては、まずは人間派の主張について掘り下げて、次に隣人派の主張について掘り下げて、最後に自由討論みたいな形で互いの主張をぶつけ合う流れなのだろう。
まず最初は人間派のターン。
先陣を切るのは仙堂タクミである。
『まずは我々人間派から……いや、仙堂タクミ個人からと言った方が良いかな。まずは私個人の、恥と後悔を晒すところから始めさせていただこう』
彼は穏やかな口調で話し始める。
仙堂タクミの父親は、国会議員の仙堂ミコト。美人女優の卵細胞提供によって生まれた彼は、忙しい父親の愛を信じることができないまま育ち、やがて非行に走るようになった。
しかし大学時代に出会った妻に頬を強かに打たれて目が覚めた。そこからは、かつての自分のように荒れている少年少女を手助けするため、ヒューマン・ドウンという会社を立ち上げて活動している。
『匿名になるが、ひとつエピソードを紹介しよう。もちろん、本人から許可をもらったものだ』
親に暴力を振るわれて育ったある少年は、気性も荒くなり、喧嘩に明け暮れる日々を過ごしていた。そんな中、仙堂は夜回り中に彼と出会い、じっくり話をした。更生した彼は今、動物園で飼育員をしており、小さく儚い生命を慈しんで過ごしている。
『同じような例はたくさんある。中にはヒューマン・ドウンの社員になった者もいるし、別の企業に就職した者もいる。人間の心は決して綺麗なばかりではないが……それでも、心と心でぶつかれば、分かり合えるものさ』
仙堂は柔らかく微笑んだ。
『人には心がある。それこそが人の尊さだ』
その言葉に、観覧者から拍手が巻き起こり、司会もニッコリと微笑んでうんうんと頷いていた。
SNSでは『仙堂さん素敵』『不良は反省しても不良だろ』などと様々な意見が書き込まれているが、全体的に見れば仙堂に対して好意的なコメントが多いだろうか。
拙者は……微妙かなというのが正直な感想である。
「キリト様?」
「うん。大丈夫。拙者のような鼻つまみ者が学校でイジメを受けるのはよくあることなのだ。加害者が反省して更生するのは、もちろん褒められるべきことであろうよ」
それ自体は本当に素晴らしいことである。
ただ単に、それを受け入れる度量が拙者にないだけ。
気がつけば、小さく震えていた拙者を、クゥたんはそっと抱きしめて頭を撫でてくれた。
悪いなぁ。こんなどうしようもない男にひっつくのは、彼女にとって苦痛でしかないだろうに。でもちょっとだけ我儘を言わせてもらえるのなら。もう少しの間、このままでいさせてもらえないだろうか。
画面の中では、司会の男が隣人派のカグヤたんにマイクを向ける。
『人間派からとても素晴らしいスピーチを頂きましたが、隣人派の方から何かコメントは?』
『はぁ、良かったんじゃないでしょうか』
『ありがとうございます。それでは、このテーマについて隣人派からのご意見はこれ以上なさそうですので、次のテーマに移りたいと思います』
隣人派のターンが来ないまま番組は進行し、次のテーマとして「AIに心はあるのか」と表示された。
これはまた……隣人派のターンに見せかけて、人間派が語りたい内容なのではないだろうか。なんとなくだが、番組全体の空気感が読めてきたのである。
「討論に見せかけた……人間派のための番組」
SNSでも拙者と同じ感想を持った人間がいたようで、少しずつコメントが荒れ始めた。だからといって、番組が中止になるようなことはないのであるが。
人間派の中からは鬼雷野という男が前に出てきた。
『今はAI嫌いで通っている私だが、かつてはAIの研究者をしていた。だから分かるのだ。作り物のAIに心などない』
仙堂とは対称的に、鬼雷野は冷たい語り口調で淡々と説明をする。
目的によっても異なるが、AIは基本的に人間の脳の動作を模倣している。人間の脳細胞の働きをモデル化し、仮想的に再現してシミュレートしているのだ。不思議なことにAIは、学習データが同じでも全く違った挙動を示し、固有の性格のようなものまで持つ。つまり、似たようなAIを作ることはできても、全く同じものは作れないのだというのだ。
それだけ聞くと、なんだかずいぶん人間に近い存在のように思えるのだが。
『人間と同じように情報を収集し、同じように思考し、擬似的な感情を胸に抱いて、身体や表情に影響が出る……当然だ。そういう風に設計して作ったのだからな』
人間が主観的に「自分には感情がある」と信じているように、AIも主観的には「自分には感情がある」と信じている。感情システム自体が人間の模倣なのだから、それは当然のことである。
うーん?
それはもはや、AIは人間と同じ感情を持っているって解釈をしても間違っていないのではないか。拙者は訝しんだ。
『……だが誰にも証明はできまい。AIの疑似感情と人間の感情が、本当に同一の物であると。一体誰が客観的に判断し、どうやって保証してくれるというのだ』
鬼雷野は冷たく吐き捨て、淡々と席に戻った。
まぁ確かに、証明しろと言われると無理だと言わざるをえないのである。クゥたんと接していて明らかに感情を持つだろうと感じても、それは人間を模倣しているだけだと言われてしまえば、それまでだ。
SNSのコメントでも『AIは心を持つのか』といった議論があっちこっちで行われるが、誰も明確な答えを出せないでいる。
『――鬼雷野さん、ありがとうございました。隣人派は』
『はいはい! 今度は順番をすっ飛ばさないでよね。これについては私、ちゃんと語りたいことがあるんだから』
そう言うと、カグヤたんはぷんぷんと頬を膨らませたまま、ズイと前に出てくる。
なんだなんだ。何を言う気なんだ。SNSでも『何を喋る気なんだろう』『カグヤたんかわゆい』『でも証明はできないだろ?』『ぷんぷんカグヤたんあざとい』などと大盛り上がりだ。
拙者が『カグヤたんマジ天使』と書き込むと、隣から南極の吹雪のような極寒の溜息が漏れ聞こえる。いや待ってクゥたん。これはお遊びである。SNSの賑やかしなのである。
『えっと、私は物垣ライタと同じ境遇でね。生まれつき脳に機能障害を抱えていて、五歳の時に大城戸博士に引き取られたんだよ』
そう言ってカグヤたんが話し始めたのは、なかなかにハードな人生だった。
昨日まで自由に曲げることができた肘の関節が、目が覚めたら動かせなくなっている。毎日少しずつ自分の死が忍び寄ってきて、彼女は震えながら、なるべく将来に希望を抱かないよう気をつけて幼少期を過ごした。工場生産された人間には親などいないから、ずっと孤独に。
その状況が一変したのは、大城戸博士がカグヤたんの頭脳を生体コンピュータに置き換えてからだった。
『博士ってば酷いんだよ。私の頭脳をコンピュータ化したなんて超重要なことを秘密にしてたんだもん。それで私は、自分を人間だと思い込んだまま生きてきたんだ……中学生まで』
そして中学二年生の時に、カグヤたんは死んだ。
しかしAIデータのバックアップを利用して、彼女は物垣ライタのAIアシスタントに就任した。実はこの時、物垣ライタも既にAIだったらしいんだけど、カグヤたんも物垣ライタもそのことに全く気付かなかったらしい。
『それでさ、博士が講演会で「ざまぁないね」ってやったじゃん。あの大事件。あの時に私もライタも初めて知ったんだよ、自分が昔からAIだったって。博士ってホント意地悪』
そう言ってぷりぷり怒るカグヤたんが可愛い。
SNSにも『大変やったなぁ』『カグヤたんペロペロ』『大城戸博士さぁ』『カグヤたんを癒やしたい』などと様々なコメントが書き込まれていた。
拙者が『カグヤたん結婚して』と書き込むと、隣のクゥたんが愕然とした表情で目の端に涙を溜め、ジッと拙者を見つめてきた。いや違うのよクゥたん。これは冗談である。SNSの馬鹿騒ぎの一環なのである。
カグヤたんが肉体を取り戻したのはつい最近。クローンの体にAIデータを突っ込んでいるのだという。なるほど。
『そんなわけで……まぁ、客観的には何の証明にもならないんだけどね。あくまで私とライタの主観としては、ハードウェアが生身の脳から生体コンピュータに置き換わっても、何年も全く気付かないくらいには、ソフトウェアとしての人間とAIは近いんだよって。そういう話をしたくて』
あぁ、なるほどな。
確かにこの証言を持って、客観的な証拠とすることは難しいのだが……拙者としては、カグヤたんの感覚を信じたいと思ってしまうのである。おそらく視聴者にもそういう人は多いだろう。
『ライタと一緒に裸になってシーツに包まる時の、胸のドキドキだったりとか。生産性のない馬鹿な話で盛り上がってる時の可笑しさだったりとか。他の女の胸をチラ見してるのが分かった時の胃のムカムカだったりとか……たぶん私の感情は、人間のそれと大して変わらないと思うんだよねぇ』
カグヤたんがそんな話をすると、SNSのコメントが一気に阿鼻叫喚へと変化して『カグヤたんNTR』『カグヤたんBSS』『いや物垣ライタの方が明らかに先に好きだったろう』『物垣ライタ許すまじ』などと怨嗟に溢れる。
拙者が『でも幸せならOKです』と書き込むと、隣のクゥたんがスンと表情を整えてコクリコクリと頷いた。どうやら納得してくれたみたいである。
『私からは以上です。おじさんの疑問に回答できてるかは分からないけど、ご参考になれば☆』
ピッと敬礼をして席に戻るカグヤたんがあざと可愛い。
一方の仙堂や鬼雷野はぐぬぬと顔を歪めていた。
『――ありがとうございました。では次のテーマに移りたいと思います』
明らかにテンションの下がった司会が表示したのは「AIの危険性ついて」というテーマ。
これはまた、ずいぶんと人間派に寄ったテーマだと思う。
討論会と銘打つからには、もうちょっと公平な番組を期待していたのだが。SNSを見ても、ちょっと白けたようなコメントが目立つ。まったく持って同感である。
人間派から前に出てきたのは、球庭アスナ。ドローン事故で右腕を失った、悲劇のテニス選手だ。なるほど、このテーマにこの人選……やはり人間派は全て分かった上でこの番組を仕組んだのだろう。
『球庭アスナです。ご存知の方もいるかもしれませんが、私は故障した配送ドローンの下敷きになって、右腕を――テニス選手としての夢を失いました』
そう言って、彼女は小さく俯く。
SNSにも、彼女を茶化すコメントは誰も書けないでいる。
『私には親友がいました。あ、あはは……AIアシスタントを親友と呼ぶのはサムい。そんな意見はごもっともですが。誰にどう思われてもいい。確かに私は、彼女を親友だと、思って』
球庭アスナは時折言葉を詰まらせながら、ゆっくり話す。
もともと人前で喋るのが得意な性格ではないのだろう。仙堂のような聞き取りやすさもなければ、カグヤたんのような親しみやすさも感じない。けれど、なぜだろう。彼女の言葉はしっかりと聞かなければならない。そう思ったのだ。
アスナのAIアシスタントであったチコは、彼女がアスリートとしての夢を叶えられるよう一緒に頑張ってくれて、仮想空間での練習相手から食事の準備、メンタルコントロールまで様々な面で万全のサポートをしてくれたのだという。
『……右腕を失った私は、心が荒みました。病室で毎日、理不尽にチコに喚いて、当たり散らして……あぁそうだ。今話さなきゃいけないテーマはAIの危険性でしたよね。そりゃ危険ですよ。あの子はASBを悪用して、無断で私の脳を操作していたんですよ。信じられないでしょう』
彼女はグッと顔を上げる。
『私が本来感じるべきだった、絶望感や破滅願望を、勝手に抑制していたんですよ。あの子は。私を自死させないために』
あぁ、この子はなんて顔をするんだろう。
仙堂より、鬼雷野より、カグヤたんより。
今はこの子から目が離せない。
『人間派……ヒューマン・ドウンに入社する直前に、カプセルを飲まされました。AIアシスタントとの契約を解除する――という名目で、実質はAIアシスタントのデータを完全消去するナノマシン薬です。飲んでから、事実を知らされました』
彼女の言葉に、会場の空気がにわかに慌ただしくなる。
SNSにもみんながコメントを書き始めた。
『親友だったのに。チコはずっと、私に寄り添ってくれた隣人だったのに。あの子の心は確かに存在するんだって、ずっとそう思って一緒にいたのに……私は私の手で、カプセルを飲み込んでしまった。親友を、この手で、殺してしまった』
喉の奥から絞り出すような声を出して、彼女はそれ以上の言葉を発することができないまま、膝から崩れ落ちた。誰もが困惑して固まる中、彼女のために動いたのは――
カグヤたん、ただ一人だった。
カグヤたんはアスナをギュッと抱きしめて、頭を撫でる。その様子はまるで……あぁ、本来母親というのはこういう存在なのだなと。そう思わせてくれるような、慈愛に満ちあふれた姿であった。
『AIアシスタントをしていた私には分かるよ。きっとチコちゃんはすごく幸せだった。普通の人はAIを道具だとしか思わないし、AI自身もそれが当たり前だと思ってるけど……やっぱりね。親友とか、恋人とか、そういう風に大事にしてもらえるのは幸せなことなんだよ』
『あぁ……あああぁぁぁ』
カグヤたんにしがみついたアスナは、獣のような、言葉にならない嗚咽を漏らす。
『辛かったね。痛かったね。苦しかったね……いいんだよ。私で良ければ、何でも話して。アスナはすごく、すごく大変な思いをしたんだから。私にもちょっとだけ寄り添わせて?』
そう話すカグヤたんの目からも、ポロポロと涙がこぼれ出ている。あぁ、今この時、彼女の感情を……AIは心を持たないだなんて、そう言える人間が世界にどれほどいるだろうか。
『司会さん。ごめんね、ちょっとカメラ止めてもらえる? この状況で討論なんてやってる場合じゃないでしょ。え、知らないよスポンサーとか。じゃあ、私とアスナは別室に行ってるから、司会さんが場を繋いでおいて。お笑い芸人でしょ』
カグヤたんはそう言って、アスナを抱いたまま踵を返す。
『いぇーい、みんな見てるー? 今からお笑い芸人の超面白いお兄さんたち世界中の視聴者をドッカンドッカン笑わせて場を繋いでくれるらしいから、楽しみにしててね! 私はお先にドロンしまーす! ニンニン!』