4
魔導学院では、平日の授業の後の一時間は「自習の時間」と定められており、自主学習かクラブ活動に参加することになっている。
つまり、帰宅部を選択しても放課後すぐに遊びには行けないルールだ。
部活には文化部もあるが、特待生は運動部への入部が義務付けられているため、都たち二人は運動部のいずれかに入ることが自動的に決定していた。
放課後、初めての自習の時間。
転校生二人の補習のために指定された教室で、都たちはタブレットで部活のリストを眺めていた。
中等部は一学年1クラス、高等部2クラスの小規模な学校だが、一部のクラブは大学の施設や区域内にあるスポーツクラブなどで行われる校外活動に参加する形になっており、種類はそこそこ多い。
「東途くん、どれにする? というかまず、分からないとこある?」
「うん。全部。」
「だよねー。じゃあメジャーなとこからササッと説明するね。」
都は動画サイトを開き、サッカーのインターハイの動画を再生する。
「これがサッカー。世界中でトップクラスの人気スポーツで、男子が昼休みに遊んでるのもだいたいこれ。」
「おお。」
「陸上部と水泳部は分かるよね? 陸上は走って飛ぶ。水泳は泳ぐ。」
「泳ぐ?」
「うん、泳ぐ。クロールとか……」
東途のけげんな様子に気づき、都の言葉が途中で止まる。
「もしかして、東途くん泳げない?」
「人間って普通泳げないだろ?」
「ああー、泳ぐ文化自体ない感じかあ……。」
「どうしたー? もう何か問題発生か?」
チューターの平野が教室に入ってきた。先ほどの授業のときと変わらず白衣姿だ。
「あ、先生。部活も問題だけど東途くんにはもっと大きい問題があるんです。」
「おう、なんだ?」
近くの椅子を引いて座った平野のほうを向いて、都は真剣な表情で訴えた。
「着替えの買い物のお手伝いをお願いします。筆記用具とかは昨日一緒に買ったけど、私、二人姉妹の長女なんで、男の子の服は全然分かんないんです。
制服届くの来週なんで、東途くんずっと同じ服を着続けることになっちゃうので、急ぎなんです!」
「服なんて急がなくていいよ。今までもダンジョン潜ってるときなんかずっと同じ服着たままだったしさ。」
「ダンジョン?!! なにそれもっと詳しく!」
身体ごとグルンと振り向いた都の瞳は好奇心でランランに輝いていたが、東途にはいったい何がそこまで彼女の関心を引いたのかサッパリ分からない。
「え、詳しくって何を……? 普通のダンジョンを普通に攻略しただけだぞ。」
「普通のダンジョンってどういうこと?! ダンジョンっていう時点でもう普通じゃないじゃん、セカンドレルムってダンジョンあるの?!」
「あるよ、もちろん。ダンジョン潜って魔獣や魔物倒して魔石集めるために、どこの国も強い魔導士たくさん欲しいんだしさ。」
何を当たり前のことを? といった表情で東途が告げる。
「知らなかった……。セカンドレルムってそんなファンタジーな世界だったんだ!
もしかしてダンジョンのボス倒したら宝箱が出たりするの?」
「宝箱なんてないよ。倒した魔物の魔力に応じた大きさの魔石が残るから、それを集める。」
「そういうシステムかあ。
じゃあ、じゃあ、冒険者ギルドがあってそこに登録してパーティーの仲間集めたりとかは?」
「ボウケンシャ? そんなのはないな。フリーでダンジョン潜る魔導士はだいたい魔導士ギルドに登録して活動してる。」
「もしかして東途くんも?!」
「うん、登録してたよ。」
「私も! やりたい!!」
「……え?」
意外な反応に、東途はポカンとするのみだ。
「私も魔導士ギルドに登録してダンジョン潜ってSSランクとかプラチナプレートとか目指したいです!」
「ちょっと待って、お願いだから学校内でしかも先生の前で堂々と密航の打ち合わせしないで!
俺が! 失職するから!!」
悲痛な声で平野が話に割って入ってきた。
「密航?! 行っちゃダメなんですか? でも高等部は修学旅行でセカンドレルムに行くんですよね?」
「社会見学ね。ちゃんと許可取って大人の引率でベルミスルに行くだけだからね。」
行事で異世界に行く学校は、世界に三校の魔導学院系列校のみだ。
「ならベルミスルならOKですね! 東途くん、ベルミスルにはダンジョンあるかなあ?」
「行ったことないから知らないけど、たぶんあるんじゃないか? セカンドレルムじゃあ魔石は生活必需品だから、どこの国でもダンジョンで魔石採取はやってると思う。」
「いや、ちょっ……。
ああ、でも、二人ともまだ14歳か。二人が学校卒業して大人になる頃には、ベルミスルくらいには自由に行き来できるようになっている可能性も、なくはない、のか……?」
「え、そんな先ですか?! 夏休みにパーティー組んでダンジョン攻略とかしてみたいのに!」
「いや、それは……。
えーと、はい、うん、とりあえずちょっと冷静になろう。少なくとも今はまだ気軽に行ける場所ではないから。」
自分もあまり冷静でない様子で平野がストップをかける。
「夏苅さん忘れてるかも知れないけど、セカンドレルムは地球の魔力の高い人が誘拐されて連れていかれてる場所だからね? 夏苅さんみたいな魔力の高い子が出歩くのは危険だからほんと自重して。」
「……そうでした。
あれ? じゃあさっきの東途くんの話だとつまり、地球から誘拐された人たちって、ダンジョンで働かされてるの? 戦争で戦わされてるとかじゃなくて?」
「戦争に魔導士? んー、そういう国もあるかも知れないけど、でも普通の国は人間同士の戦争にわざわざ魔導士は出さないと思うなあ、強い魔導士が戦死したら損だし。
魔獣や魔物は魔法じゃないと倒すの大変だから、普通はダンジョン探索が魔導士の仕事だな。」
「そうなんだ……。知らなかった……。」
「うん、まあ、世間一般にはあまり知られていない話だからね。
そういうわけだから……。」
平野が少し困ったように笑いながら言った。
「この学校にも、魔導機構にも、家族や友達がセカンドレルムにさらわれた人が何人かいるんだ。セカンドレルムに遊びに行きたいとかダンジョン探検したいとか、あまり人前では言わない方がいいと思うから、気を付けて。」
「そっか、そうですよね……。」
(あああああ、またやっちゃった……。)
都は心の中で猛省していた。
はっきり聞いたわけではないが、セカンドレルムで亡くなったという東途の父親はおそらく誘拐されて連れていかれたはずだ。
(夢とロマンを求めて自分から挑んだわけじゃなくて、強制的にダンジョン潜らされたのなら、楽しいわけがないよね。
もうやだ最近大失敗してばっかりだ。夜に思い出して恥ずかしくなってお布団の中でわああーって叫ばないように気を付けないと!!)
自室で電気を消してベッドに入ってもなお安心できない寮生活の窮屈さをこんなところで実感する都だった。
*****
石蕗町には、魔導機構が管理する特別地区が三箇所ある。
学院のある大学地区と、魔導機構本部のある本部地区。
そしてセカンドレルムの人たちが暮らしている特別居留区である。
特別地区の外は一般の住宅やアパート、店などの建物が並ぶ、ありふれた地方の町だ。
ただし山の中にポッカリと開けた町なので、街なかに電車は通っていない。
自習時間の終了後、校舎の前でキョロキョロする都と東途のもとに一台の車が近づいてきた。
運転しているのは平野だ。
東途の買い物に町内の衣料品量販店に行くことになり、都も同行させてもらうことにしたのだ。
目の前に止まった車の前で、都はハタと悩んだ。
(あれ、私、どこに乗ればいいんだろう? 助手席?
そういえば親と一緒じゃないときによその家の車に乗るのは初めてかも。こういうときはどこに座るのが常識??)
考えてみたが、都の今までの記憶の中に答えは見つからない。
難しい顔で固まっていると、平野が笑いながら回答を投げかけてきた。
「二人とも後ろに乗って、夏苅さんは彼のシートベルト見てあげて。締めかた分からないだろうから。」
「はーい。」
二人が後部座席に乗ると、ゆっくりと車が走り出した。
「あのう、迎えに来てもらってありがとうございました。……洋服とか買うのに車で出かけるっていうのがビックリです。」
「バスの本数は少ないから、車出したほうが早いからね。寮の夕食の時間に間に合わせないといけないだろう?」
「車社会ってやつなんですね。」
監視員のいるゲートを通り、車は大学地区の外の大通りに出た。
(そっか。ここで暮らすようになったら、「ちょっと渋谷まで電車で買い物に行こう」とかはできなくなるんだよね。それ考えなかったなあ……。
車もみんな買うものなのかな? 高そうだし、興味ないし、あんまり気が乗らないなあ。)
「ああ、うん、そうだな、男は高校出たらだいたい免許取ってたかな。女の子は……、どうだったかなあ。ドライブとか、冬はスノボ行ったりする子は車乗ってた気がする。」
「そうですか。スノボは……、下手なので私は行かないですね……。滑ってるより転んで座ってる時間のほうが長い感じで……。」
「あ、そうなんだ……。」
重苦しい空気の中、平野が「初めてスノボ行ったの、大学生になってからだったなあ、俺……」とつぶやいたが、自分の将来の生活について考えるのに没頭していた都はあまり聞いていなかった。
基本的に三次元に対する関心の薄いオタクタイプなのだ。
そのため、東途がずっと黙って何かを考えているらしいことにも、特に気が付かなかった。
*****
店につくと、東途の買い物の付き添いは平野に任せて都は店内をひとりで見て回った。
名前はよく聞くが実際に入るのは初めての激安系衣料品店の広い店内の何もかもが都には珍しい。
端から順番に見て回っている最中にふと視線を感じて振り返った都は、あやうく声をあげそうになって慌てて手で自分の口を押さえた。
母親らしき女性と手をつないだ、小さな女の子がこちらをじーっと見上げていた。
明るい褐色の肌。2つに結んだ銀色の髪は、クルクルと螺旋を描いている。
(すごい、アニメの女の子みたいなクルンクルンだ!!)
女の子が少し頭を傾けると、顔の周りで巻き髪がポヨンと揺れる。
(か……、かわいい……!)
このままずっと見ていたいかわいらしさたっだが、手で口を押さえて幼女を見つめる今の自分の姿は客観的に見て不審者だという自覚がある。
じっとこちらを見つめている女の子に笑顔を作って一瞬だけ小さく手を振ると、都は小走りでその場を立ち去った。
「先生、先生!」
目的の相手を見つけ、声をひそめて呼びかける。
「銀の髪の子いました! すごくかわいい女の子。あれってもしかして……?」
「ああ、居住区のセセンドール人だろうね。ときどき買い物してたりするの見かけるよ。」
「やっぱり! ディスカウントストアで異世界人がお買い物してるとか、すごいところですね、ここ。
でもあの人たち、日本語しゃべれるんですか?」
「そのへんは魔導具で解決。」
「魔法すごい!」
「学院の換装体にも言語機能はついてるから、換装すれば夏苅さんもセカンドレルムの人たちと問題なく話せるよ。」
「魔法すごい!!
あの髪どうなってるんだろう。お友達になってみたいけど、いきなりちっちゃい子に話しかけるわけにいかないしなあ。」
都は普段は他人への関心が薄いが、いったん興味を持った相手であれば別だった。なぜならオタクなので。
「……大学なら何人か、セセンドール人の学生がいるね。
あとはもちろん、魔導機構に入れば配属先によってはセカンドレルムの人たちと接する機会はあるけど。」
「先の話すぎる。残念……。
あ、買い物まだですか? じゃあもうすこしお店の中見てますね。」
言うだけ言ってあっという間に去っていく都の後ろ姿を見ながら、平野は思わず「若さだなあ……」とつぶやいた。
今日の都のテンションの上がり下がりの激しさを、「若い女の子はああいうものだろう」という一般論で解釈したのだ。
基本的に平野も関心のないものにはとことん関心がなく、平時は他人への観察力があまり高くないタイプだった。
そのため、隣の東途がずっと険しい視線を向けていたことなど、全く気付かなかったのである。
*****
翌日。放課後の自習時間。
東途は補習用の教室にひとりでいた。
都は今日からクラブ活動だ。
午後の日射しのあたる窓辺の机の上に座り、東途はゆっくりと呼吸しながら心を無にする。
「瞑想」というのだと、むかし誰かに教わった。
やがてひとり分の足音が近づいてきて、教室のドアが開く。
「先生。」
視線だけそちらへ向けて、東途は平坦な声で話しかけた。
「聞きたいことがあるんだけど。」
「ん、なんだ?」
平野が持っていた教科書を近くの机に置き、椅子を引く。
「…………。」
東途はその様子をじっと見ていた。
そして、平野が椅子から東途のほうに視線を向けた瞬間――。
ガタガタッと大きな音を響かせて、椅子が倒れた。
平野が後ろに飛びのいて蹴り飛ばしたのだ。
数秒の間、教室に沈黙が流れた。
東途は、平野が入って来たときから一切動かず机の上にずっと腰掛けたままだ。
「……ああー……。」
平野ががっくりとしゃがみ込んで頭を抱えた。
「先生さあ」
東途が呆れたような声を投げる。
「弱すぎない?」
「言ったよよね俺、弱いからって最初に言ったよね。
かんっぜんなエンジニア職だから俺。戦い向いてないから。」
頭を抱えたまま力なく言って、また大きなため息をつく。
「でもスパイも向いてないじゃん。」
「ちょっ、スパイってなに?!」
ガバッと顔を上げ、机の上の東途を見上げる。
「スパイって言葉が違うなら……。監視役?」
「えっ? ……ああ、うん、まあ、それはそうか……。」
のそのそと立ち上がり、平野は倒れた椅子を戻し始めた。
「なんでまたここで敵に背中向けるかなあ?」
「別に敵じゃあないだろう。それに前向いてようと後ろ向いてようと、どうせ俺なにも防げないし。」
「だろうねー。」
東途は軽く応じた。
何度目かのため息をつきながら椅子に腰かけた平野は、若干投げやり気味に言った。
「いやでも、目に尖ったもの刺されそうになって平然とできる人間なんていないから。今のは普通の反応だから!
……まあ実際には刺されてないんだけどね。
それにしてもタイミングがまるで……。
そうか。
最初の『聞きたいことがある』っていう言葉で、誘ってるんだね。
相手に、自分の心を読ませるように。」
「そーゆうこと。先生みたいな読心スキル持つ相手と戦うときの基本な。」
「基本なんだ……。そうか……。」
タイミング良く相手がこちらの思考を読もうとする状況を作り、次の行動だと見せかけて偽のイメージを読ませる。
子供のころから魔導士になるための訓練で様々なスキルを持つ相手との対戦を重ねてきた東途は、様々なスキルへの対処方法も身に着けていた。
「魔導士なら基本テクと『基本テクへの対処法』を知っているはずなんだけどな。
戦いだけじゃなくて、スパイとしてもダメじゃん、先生。」
「いやだからスパイと違うから!
……本当に、俺も最初にこの仕事任されたとき言ったんだよ、無理ですって。なのに『歳が近い分、親しくなりやすいはず』とかなんとか言われて。10歳違ったら近くなんてないって! 14歳にとって1歳の差だって大きいのに10離れてたら遥か遠いって、言ったのに……。」
肩を落としてうなだれた平野は、すぐに顔を上げ、少し困ったような笑顔で言った。
「ごめん、グチ言われても困るよね。
俺はまだ魔導機構の正式な職員でさえなくて、ただの学生のインターンだから、発言権なんとほぼ無いんだけど、でもせめて報告はしておくよ。次はちゃんと君が信頼できるような人を担当につけてくれって。
……生まれ故郷を離れて、はるばる遠い異世界まで来てくれた君に、地球は信用できない所だった、なんて思われてしまうのは不本意だし、魔導機構としても損害だから。」
「ふーん、別の人に交代するの?」
「え……、まあ、おそらく。」
「んで、別の読心スキル持ちが来るの?」
大きな金茶色の瞳でじっと見つめられた平野は、うっと言葉に詰まった。
「……それは、まあ……。さっき言った通りで、俺には発言権もないし。チューターを外された後のことは教えてももらえないと思うから、後のことはちょっと……。」
「先生さあ……」
東途は大げさに肩をすくめてみせた。
「ほんっっっとに、スパイの才能ないね。」
「何度も言ってるけどスパイ違うから!」
「あのさあ、先生はなんか誤解してるみたいだけど……」
東途は机の上で足をプラプラしながら話し始めた。
「オレ別に、見張りがつくことに文句は言わないよ? 敵国からいきなり子供がひとりでやってきて『雇ってくれ』って言われて、見張りもつけずに他の子供たちと一緒に学校に入れるなんて、そっちのほうがおかしいじゃん。平和ボケだろ、それじゃ。
んで、心理系スキルあるヤツが見張り役やるのも当たり前だろ? 戦闘が弱い読心スキル持ちなんて、見張りとか取り調べ以外になんの仕事ができるのさ。」
「うわ辛辣……。
だけど、そうか。君にとってはそれが当たり前なんだな……。」
「うん。先生も聞いてると思うけどさ。オレ、勇者の息子だから。生まれたときからずっと監視されて育ってきたからな。」
東途が平然と話す内容の重さに、平野は頭をかかえてうめいた。
「ああなんかもう、本当にごめん。そんな環境で育ったら、ご両親以外の大人は誰も信用できないって思っちゃうよな。やはり君に必要なのはまず……」
「や、もうそれはいいから。オレにとっては割とどうでもいいし。
オレが知りたいのはさ。
先生の『役目』って、オレの見張りだけじゃないよな? もしかしたらオレのほうがついでで……。
メインは、都だろ?」
どんな小さな感情の変化も見逃さないとでもいうように、スッと目を細めて東途は尋ねた。
挿絵は一部AI、一部手描きで作成しております。
誤字脱字のご指摘、ご感想など頂ければ嬉しいです
次は明日投稿予定です