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わたしがママのママになるよ  作者: 区隅 憲
第一部 孤独な二人の出会い
4/13

カミエの旅立ち

 ――1週間後―― 


 破壊された瓦礫の街を通り、私とお母さんが駅に到着すると、既に大勢の人が集まっていた。

周りは私たちと同じように母子だけの家族で溢れかえり、ガヤガヤとしている。

女の子たちは、自分のお母さんに笑顔を向けたり、涙を見せたりして、やがて手を振って皆同じ列車へと乗っていった。


 朝霧がまだ晴れない冬の寒空の下で、別れの言葉が次々と交わされていくのが聞こえてくる。


「カミエ、忘れ物はないわね? 切符はちゃんと持った?」


 人だかりの中、お母さんは私と向き合い、今朝から何度も繰り返してきた質問を私にする。


「うん、ちゃんと朝に何度も確認したよ。お母さんの言う通り、配給されたものは全部カバンの中に入れた。忘れ物なんてしてないよ」


 私は伏し目がちにお母さんに答える。

けれど私はどこか感情がフワフワとしていて、今の現実をはっきりと認識できていなかった。

ただ私たちはあの空襲の夜救助隊に助け出され、あの防空壕の中から生き延びることができた事実だけは覚えている。

その記憶さえ今は朧気おぼろげだった。


「そう、よかった。あなたはそそっかしいですからね。万が一忘れ物をして先方の方の物をお借りするなんてことになったら、迷惑になりますからね。これから長い間お世話になるんですから、失礼のないようにしないと」


「......うん、わかってるよ。お母さん」


 何度目かになるお母さんの確認に、私は生返事をする。

その心配そうな繰り言に、私はだんだんと暗澹あんたんとした気持ちになってくる。


 ――やっぱり、お母さんと離れ離れにならないといけないんだ――


 これから私が列車に乗って向かう先、そこが私の、私だけの、新しい生活の居場所だった。


 


 青年児童疎開命令。


 空襲が明けてから3日後、それがお国からこの砂室市すなむろしに発令された。

その内容は20歳以下の青年児童を保護するため、戦災の恐れのない田舎の地域へと若年者を避難させるというものだった。

私の年齢は18歳。私も疎開をしなければならない対象の年齢だった。



「あなたももう18歳の大人ですからね。ちゃんと礼儀正しくしないといけませんよ? もし先方の方のご不興を買うようなことをしたら、最悪あなたは追い出されるかもしれない。


 先方の方の言うことはしっかりと何でも言うことを聞く。最低限それをすれば、下手なことにはならないはずですから。そのことをちゃんと肝に命じておかなければなりませんよ。絶対に自分勝手な振る舞いをしてはいけませんよ」


「......うん、わかってる。わかってるよ、お母さん」


 お母さんは念を押すように言い、私はまたぼんやりと返事をする。

私はこれから先、自分が行くことになる街のことなんて考えられない。

ただ頭の中にあるのは、お母さんと離れ離れにならなければならないという現実だけだった。


「......お母さん」


 私は不安な気持ちになり、お母さんの顔を覚束ない瞳で見上げる。


「私は、やっぱりここに残っちゃいけないの? お母さんは一緒に来てくれないの?」


 その言葉にお母さんは眉をひそめ、困ったような顔をする。

けれどすぐに私を慈しむような瞳で見つめ、私の頭を優しく撫でてくれた。


「......ええ、そうよ、カミエ。お国の命令なんだから、あなたは砂室市を出ていかなくてはいけない。あなたが故郷から離れるのは初めてだけど、しっかり、しないとね。お母さんたちは、砂室市の復興作業をしないといけないから、一緒には、行けないの。ごめん、ね、カミエ......」


 謝るお母さんの声は震えていた。その細められた瞳には、涙が湛えられている。

やっぱりお母さんも、私と離れ離れになんかなりたくないんだ。


 私はそんなお母さんの胸中に気づき、もらい泣きをしてしまう。

18年間、ずっとあのアパートで一緒に暮らしてきた。

お母さんとの思い出が、ポツリポツリと砂時計のように募っていく。

私たちだけの、たった二人の大切な思い出。


 やがてお母さんは、ぎゅっと私を抱きしめた。


「あなたは、本当に甘えん坊ですからね。いつもいつも、私が家にいる時は、ずっと同じベッドやお風呂に、入りたいとせがんできて、お母さんにべったりだった。


......本当にあなたは、18になっても、子供のようで......。だから、お母さんは、一緒にいてあげたいけど、心配で、心配で......」


 お母さんが私を抱きしめたまま嗚咽を漏らす。ひくひくとしゃくり声をあげて、私の背中を何度も撫でてくれる。温かい涙が私の頬に落ちてきて、その熱のもった目がとても綺麗に見えた。


 私はまた、胸の中がドキドキした。こんなにも優しくしてくれて、こんなにも私だけを見つめてくれていて、こんなにも私のことを想ってくれている。


 そんな人は、この世でお母さんしか存在しないのだろう。私はお母さんが大切すぎて、だからお母さんを求めてしまう。私はあの日の夜と同じように、頬に熱を帯びた。


「......お母さん」


 お母さんの腕の中に包まれながら、やがて私は我慢ができず、言葉を漏らす。


「......キスしたい」


 そう願った瞬間、お母さんはハッと目を見開き私から離れた。

私を抱いていた腕がほどかれてしまう。


 けれど私は自分の思いを止めることができなかった。

私は背の高いお母さんの肩に手をかけ、つま先立ちになる。


「......んっ」


 私は目をつむり、唇をすぼめた。

やがて息を止め、お母さんの唇に私の唇を重ねようと――


「カミエッ!!」


 パンッ


 乾いた音が駅に響く。

私の頬はジンジンと熱くなっており、横を向いていた。

お母さんの怒鳴り声に、周囲の人たちもこちらへ注目する。


 私はそこで、お母さんにたれたのだとやっと気づいた。


「......お母さん?」


 私は突然の出来事に、放心とした目でお母さんを見上げる。

その柔和だったはずの双眸には、怒りが秘められていた。


「お母さんに、そんなことをしてはいけません!」


 目を潤ませて見つめる私に、お母さんは毅然とした態度で言い放つ。

爛々《らんらん》と目が鋭く光っており、私を睨めつけるように見据えている。


 私はさっきまで優しかったはずのお母さんが急変してしまい、わなわなと唇を震わせた。


「......どうして?」


 私は戸惑いのままに声を漏らす。、


「どうして、お母さんにキスをしたらいけないの? 昔はよく私にキスをしてくれたのに」


「あなたはもう、お母さんとキスをするような年齢じゃありません! お母さんと、そんなことをしてはいけないんです!」


 お母さんが叫ぶように私を叱りつける。

今までこれほど激しい怒りなど、私に見せたことなどなかったのに。


「どうして? どうしてなのお母さん? だって私はお母さんのことが好き――」


「言うんじゃありませんっ!!」


 お母さんが私の告白をかき消すように声を上げる。冬の空がこだました。

周囲の人たちがざわめき立てる。


「......いい? カミエ。お母さんにね、そんな感情を持っちゃいけないの。そういうのは一時の気の迷いだから。ただあなたは寂しがっているだけ。


 お母さんはね、あなたと同じ気持ちじゃないの。あなたの思いは受け止められない。だから、あなたが今お母さんに抱いているものは、もう忘れなさい」


 お母さんが私の思いを断ち切るようにはっきりと告げる。私はその棘のような言葉にハラハラと涙が出てきてしまった。それでも私はお母さんに追いすがろうとした。


「お母さんっ!」


 パンッ


 再び乾いた音が冬の空に響く。私はお母さんに抱きつくこともできず、涙で潤んだ瞳でお母さんを見つめ返すことしかできなかった。

やがて別れの合図を告げるように、出発を報せる列車のベルが鳴り出す。


「さあ、行きなさいカミエっ! あなたはもう18歳なんですよ! もう1人立ちしなければならない立派な大人なんです! だからちゃんと自立した人になりなさいっ!」


 お母さんは私の肩を突き飛ばした。私は倒れそうになるほどよろめき、お母さんと離れてしまう。私はお母さんに手を伸ばした。けれどお母さんは目をつむって、強く首を振った。


「お母さんっ! お母さんっ!」


「行きなさいカミエっ! 一人前の大人になるまで、もう帰ってこなくていい!」


「っ!!」


 お母さんの拒絶する言葉に、私は意識が遠のくほどのショックを受けた。目の前の景色が歪み、それでもお母さんのことを叫び続けた。


 けれどお母さんは背を向け、私の方を全く見まいとする。ありありと私を拒む意志を示していた。


「行きなさいっ!!」


 背を向けたままお母さんが再び叫ぶ。

もはやお母さんは、私のことを完全に突き放していた。二度と私に振り返らまいと決意していた。

もう私はお母さんと繋がることができない。


 私はそれを悟り、涙を飲んで、叫び声を止める。

そして踵を返し、列車の中へと突進していった。

これ以上お母さんに拒絶されるのが辛くて、私はもうお母さんの背中を見ていることができなくなっていた。


 おかあさん、おかあさん


 どうして私を受け入れてくれないの?

 どうして私を抱きしめてくれないの?

 どうして私とキスをしてくれないの?

 どうして大人になったら、おかあさんと離れないといけないの?

 私はおかあさんに恋をしているのに。


 

 頭の中で、何度も同じ煩悶(《はんもん》を繰り返す。

やがて列車の扉が無情な音を立てて閉まった。


 そして列車はキシキシと激しく揺れながら走り出していく。

生まれた頃からあんなにずっと一緒だったのに、私はお母さんと離れ離れになってしまった。


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