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母への情欲

 私とお母さんは広場に着いた。

既にそこには黒い死体の群れが転がっており、爆弾が落ちたのだと理解できた。

辺り一面のモニュメントも、破壊されて黒焦げになっている。

既に火の手すらも止まっていた。


「............」


 お母さんは腐臭が立ち込める道を、鼻を押さえながら進む。

手を引かれる私も緊張して、防空壕へと向かった。

そしてそこには確かに、地下へと繋がる扉があった。


 お母さんはそっと取っ手を握りしめて引き上げる。

扉が開かれると、またもわっと吐き気のする臭気が立ち込めた。


 嫌な予感がする。

それでも私たちは遠くから爆音がまた響き渡ると、その梯子を降りる決意をするしかなかった。私とお母さんは扉を閉め、梯子を慎重に降りていく。


「っ!!」


 そして私たちは息を飲んだ。蝋燭で照らされた防空壕の中、そのおぞましい物体を見たのだった。


 それはピンク色をした人間の死体の群れだった。服を着ているけれど、みんな元の姿がわからないほどに、顔を風船のように膨らませている。それは焼夷弾の熱気が、防空壕の中にいた人たちを蒸し焼きに殺したからだった。この防空壕の中ももはや安全ではない。


 私はそれを瞬時に察して、また震えが止まらなくなる。


「......おかあさん」


「......出ましょう」


 お母さんは唇を噛み締めながら、即座に私に告げる。


「ここの防空壕はダメみたい。ここにいても、私たちは助からないわ」


「......」


 その冷徹すぎるほど冷静なお母さんの決断に、私は再び冷たい汗が止まらなくなる。

私は咄嗟とっさにお母さんに抱きつき、すりすりとお母さんの胸に頬ずりをした。


「......おかあさん、私たち、大丈夫だよね? 死んじゃったりしないよね?」


「ええ、大丈夫よカミエ。他の防空壕に行けばいいだけ。何も心配しなくていいから」


 お母さんは私に腕を回し、また私を抱きしめる。けれどお母さん自身も、私と同じように震えていた。


 ――私たちはもう、助からないかもしれない――


 そんなお母さんの悲観した胸の内が、私の胸中にも伝わってきてしまった。

それでもなお、お母さんは懸命に私の背中をさすってくれる。


「もう大丈夫だから。こういう時だからこそ、お母さんもしっかりしなくちゃね。カミエ、もう一度頑張って外に出るのよ。他の防空壕に行けば、絶対に私たちは助かるはずだから......」


 お母さんが震える声で、私を励まそうとする。

希望はまだ潰えていない。

私は周りの不穏な腐臭を感じながらも、その優しい声に何とか自分の体を奮い立たせようとした。


 けれど、その時だった。


 防空壕の中にまたまばゆい光が差し込んだ。

轟音に包まれ、お母さんの声も聞こえなくなる。

そして気が付いた時には、ぬめり気のある熱風が防空壕の中に吹きすさんでいた。

風が入り込んでくる入り口へ目をやる。すると防空壕の扉がぱっくりと開き、外の景色が露わになっていた。


 その周辺は既に炎に包まれている。

もはやここから出ることはできない。

私を抱いていたお母さんも入り口を見上げており、その炎の渦に声を失っていた。

お母さんの顔には、先程までかすかにあった希望すら消えており、顔の色さえ失っていた。


「............」


 お母さんは炎を見据えたまま体を強張らせており、私を放心したまま抱き続けている。

あんなに心強かったお母さんですら、今の状況をもうどうすることもできなかったのだ。

私とお母さんは、ここで死ぬことしかできない。

私は瞬間的にそれを悟った。



 だから私は、秘め続けてきた思いを打ち明けることにした。



「......お母さん、あのね」


 私はお母さんの顔を見上げ、決然として口を開く。


「私、お母さんのこと、大好きなんだ」


「......カミエ?」


 お母さんはハッと目を開き、私の顔を見下ろす。けれどすぐに優しそうな瞳に戻り、私の頭を何度も撫でる。


「ええ、私も大好きよ、カミエ。けど諦めちゃダメよ。私たちはまだ助かる方法があるはず――」


「ううん、違うの。私、お母さんに恋をしてるんだ。私、お母さんを見ていると、心臓がドキドキして止まらないの」


 私は濡れそぼった目でお母さんを見つめる。

熱風が吹きすさぶ中、凍てついたように時が止まる。

夜の静寂がまた蘇ったかのように、私の耳には何も聞こえない。


 最初にして最期の告白。

私はこの死期の瞬間に、自分の思いの全てを捧げていた。

生まれた時から、戦争のせいでお父さんがいなかった私にとって、お母さんは私の全てだった。


 けれど、


「......カミエ、何を言ってるの?」


 お母さんから返ってきた答えは戸惑いの声だった。娘の私が吐き出した言葉が理解できないという顔をしている。そしてそれは、私の告白を拒絶する意思表示でもあった。


 それでも、最期だから、私は震えたままお母さんをきつく抱きしめる。

そして私は、自分の思いを吐露し続けた。


「......私、お母さんがいたからね。ずっと寂しくなかったんだ。お母さん以外に家族もいなかったし、友達もいなかった。お母さんがずっと私のことを守ってくれてたからね、私は今までずっと幸せだったの。だから、ね。これが私の最後の我儘だから、ね。お母さん――」



 ――私と、一つになって――



 感情を剥き出しにした瞬間、私はもう我慢ができなくなっていた。

情欲のままに身を任せ、茫然と立ち尽くすお母さんを暗い地面に押し倒す。そしてむしり取るように、お母さんの衣服を剥いだ。

お母さんを生まれたばかりの時と、同じ姿にした。



 止めなさいっ!



 そんな悲鳴のような声が聞こえたような気がする。けど私はお母さんの体が愛おしくて、お母さんの体が欲しくなりすぎていて、体の芯まで火照っていた。


 無我夢中になりすぎていて、外が炎で包まれていることも、周りがピンクの死体だらけなことも、やがて全て忘れてしまう。


 そして私自身も衣服を全て脱ぎ捨て、白い裸体をお母さんの華奢な体の上に重ねた。

腰をしならせ、お母さんの白い肌を愛撫する。お母さんも体を火照らせ、悲痛な嬌声を上げていた。


「おかあさんッ!! おかあさんッ!! おかあさんッッ!!!」


 私は鳥のき声のようにお母さんの名前を叫び続け、騎馬のように体を上下させた。

空襲警報のサイレンが、けたたましく鳴り響いている。

私とお母さんは、剥き出しの白い肌を一つに溶け合わせた。

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